Project:スムータ   作:北極鳥ユキ

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戦争の予兆/1990

 砂漠。オアシス。砂漠。ティグリス川。砂漠。ユーフラテス川。

 

 灼熱の太陽に照り付けられるメソポタミアの大地。

 

 延々と続く砂漠の上空に小さな二つの影が現れ、空を震わせる轟音と共に過ぎ去っていく。

 

 イラクの子供たちはキーンと甲高いジェットエンジンの音につられて空を見る。

 必死に眩い太陽を小さな手で遮ってその小さな小さな機影を見ようとするが、いつも眩しすぎて上手く見えないのがオチだった。

 

 学校の昼休み。今日も戦闘機の音が聞こえたので、学校の窓から外をのぞき込んでみる。

 視線を青空に向けて戦闘機を探してみるものの、既に機影はどこかへと飛び去った後だった。

 

「みえた?」と隣で同じく空を覗き込んでいた同級生に聞いてみる。

 

「ううん。でも、またすぐ来るよ。最近よく飛んでるし」

 

「そうだね。次に見れればいいや」

 

 そう言い合って、子供たちは窓から離れた。

 

 イラク上空を飛び交う戦闘機の飛行時間は、ここ数年で四倍か五倍以上に膨れ上がっていた。

 それはイラク空軍の所有している既存部隊の訓練時間が長くなった結果でもあったし、保有する戦闘機数が増えた結果でもあったし、大量のロシア人パイロットを雇用した結果でもあった。

 

「こちらは悠々自適、快適な飛行中のスヴァローグ01クニャーズ。雪まみれのシベリアと違って、晴天の下を飛行するのは気持ちがいいね、どうぞ」

 

「スヴァローグ01、こちらスヴァローグ02ルサルカ。少佐、あんまり無線に私語を乗せちゃダメですよ?」

 

 ユーリの呑気な無線を聞いたフィオドラ中尉は、まるで子供でも叱るような口調で返信する。

 

 雇われのロシア人パイロットである二人がイラク空軍に着任してから数か月。

 ほぼ初対面だった二人は今や息の合った相棒となっており、模擬空戦ではロシア人部隊にもイラク人部隊にも負けなし状態だった。

 

 イラク空軍の部隊として彼らはオアシス空軍基地に所属している戦闘機隊の一つ「第123戦闘航空隊”スヴァローグ”」を二機で構成していた。

 

 イラク空軍はどこぞの戦術家が考案したという「トリグラフ」なるドクトリンを採用しており、基本的には三機編成である。このドクトリンは機体数の足りないSu-27を編隊長機とし、二機のMiG-29が編隊機としてそのサポートに当たるという戦術だ。

 

 そんなイラク空軍において唯一の例外がユーリたち「スヴァローグ隊」だった。

 

 スヴァローグ隊一番機

 Su-27M(Su-35)。コールサイン「クニャーズ」=ユーリ・イヴァンコフ少佐。

 スヴァローグ隊二番機

 MiG-29«9.13»。コールサイン「ルサルカ」=フィオドラ・アンドロスカヤ中尉。

 スヴァローグ隊三番機

 未定。

 

 イレギュラーが一番強いのなら、もう全部隊二機編成で良いのでは? というツッコミは野暮な話。どこの国もドクトリンを決める参謀というのはお堅い人間が多いのだ……というのは冗談で、ちゃんと合理的な理由がある。

 

 スヴァローグ隊は確かに強いが、それは個人の力量に頼っている側面が大きい。全ての空軍部隊で適用できるわけじゃないし、そもそも集団としての戦力が重視される現代の軍隊からすれば、2vs3よりも3vs3をつくれる方が有利だし、戦闘機の載せられるミサイルの数だって限界があるのだから、継戦能力から見ても三機編成の方が有利なのだ。

 

「そうだ。フィオドラ中尉はマスグーフって食べたことあるか?」

 

「あの、だから私語は……いや、もういいです」とフィオドラ中尉は再び呆れる。「マスグーフってたしかイラクの魚料理でしたよね。まだ食べたことないです」

 

「実は街の方に美味しい店があるらしくて、次の休みに行こうと思っているんだ。フィオドラ中尉も一緒にどうかな」

 

「お誘いは嬉しいですけど、訓練中なのでせめてコールサインを使いませんか?」

 

「おっと失礼。ごほん……ミス・ルサルカ。今度ディナーを一緒にどうかな?」

 

「カッコつけても無駄ですよ少佐。まあ、気になっていたので行くのはありですけど」

 

「あー、お二人さん。邪魔するようで悪いが、こちらオアシス管制だ。スヴァローグ隊各機、聞こえているか」

 

「ゲッ、さては盗み聞きして邪魔しに来たな。こちら怒りのスヴァローグ01、ちゃんと聞こえてる。お前には悪いけど中尉がディナーに行く相手は俺だけだ」

 

「こちらは奢ってくれるなら誰とでも行く気のあるスヴァローグ02です。オアシス管制、こちらでもしっかり聞こえてます、どうぞ」

 

「基地司令からの命令だ。スヴァローグ隊は訓練飛行を中止し現空域を離脱。そのままオアシスに帰投せよ」

 

 そろそろ怒られるのかな、と思ってユーリは少し身構える。始末書を書く準備をしなくては。

 ……あれ、もしかしてイラク空軍の始末書はアラブ語で書かないとダメだったりする? 

 

「スヴァローグ01よりオアシス管制。帰投したら解雇通告書が待ってると思うか?」

 

「安心しろ少佐、基地司令はタダでは俺たちを逃がしてくれないさ。それより二人とも早く進路を変えてくれ。待たせるとほんとに解雇されちまうぞ」

 

「おーこわ。オアシス管制、スヴァローグ01了解。進路を変更してこれより帰投する」

 

「スヴァローグ02も了解。帰投します」

 

 並んでいる二機の影が空に弧を描きながら進路を変える。

 

 ジェットの音につられて再び子供たちが窓辺に現れる。彼らが空を見上げた頃には、青空の中に残されていたのは半円の飛行機雲だけだった。

 

 高度を下げたSu-27Mはギアを出して着陸姿勢に入る。

 そのまま中央滑走路に侵入し、重量のあるSu-27Mがやんわりとソフトランディングを決めた。

 それに続いて、MiG-29も大地を撫でるように滑らかに着陸した。

 

 コクピットを開けるとイラクの熱波がご挨拶。シベリア生まれシベリア育ちには中々きつい環境で、ユーリは適温が保たれているコクピットの中に戻りたくなった。

 

「イヴァンコフ少佐、大佐がお待ちです」

 

 司令部の廊下を二人で進んで行くと、アウス=アクラム大佐の副官がそう声を掛けてくる。

 二人で歩いている時に、わざとらしく名指ししたということはフィオドラ中尉には用が無いという事。それをすぐに察した中尉は足を止め「私は格納庫で待ってますね」と言って、くるりと廊下を反対側に進んで行った。

 

 基地司令の執務室に入り、敬礼もほどほどにしてアウス=アクラム大佐の前に立つ。

 

「訓練中に呼び出して悪いな。少佐に話しておくべきことがいくつかある」

 

 その厳かな口調から非常に重要な話題であると分かった。ユーリは背筋を伸ばして、どんな話も受け入れる覚悟を決めた。

 

「一つ目だ。明日、スヴァローグ隊に三番機が着任する。優秀なパイロットだが、まだ若いのでフィオドラ中尉と共に教育してやってほしい」

 

「了解しました」

 

「二つ目、次の休暇は取り消しになりそうだ。悪いが中尉とのディナーはまた今度にしてくれ」

 

 休暇の取り消し──ユーリは息を飲んだ。軍人であれば、その意味はすぐに理解できる。

 ソ連防空軍時代、レーガン政権との対峙や東欧内戦が続き、冷戦の緊張が最大まで高まっていた80年代には”そういう事態”が何度もあった。訓練とは違う緊張感。心拍が少し早まる。

 

「そして三つ目、本題だ。イラク指導部はクウェート解放作戦を決定した。早ければ来月だ」

 

「解放……つまり、実戦ですね」

 

「クウェートだけならイラク軍が出るまでもなく、『共和国防衛隊(RG)』だけですぐに制圧できる。しかし、その後の国際社会はそう簡単に見逃してくれまい。建前としては『植民地主義によって分断された領土の統合……』というところだが、まあ侵略戦争だ。許されるはずもないだろう」

 

 大佐は極めて現実主義的な人間だった。少なくとも、彼はこの戦争に賛成では無いようだ。

 しかし、軍人である以上は国の方針には逆らえないし、国家の命令に忠実であることが軍人には常に最も求められる。

 大佐は一瞬だけ視線を落とし、愁いを帯びた暗い表情を浮かべた。

 

「ユーゴスラヴィアでの内戦を知っているな?」

 

「もちろんです。NATO軍が介入して、ユーゴスラヴィア政府軍を攻撃していると」

 

「九割の確率で同じことが起こる。唯一の超大国となったアメリカ合衆国は世界の警察官として、その警棒を我らに向けることだろう」

 

「そのためにロシア人(われわれ)を雇ったのではないですか?」

 

「そうだ。『共和国防衛隊』だけでは到底NATO軍に敵うはずもない。戦争となれば我々イラク正規軍の力が必要になる。我々はアメリカと戦争を行うことになる。その覚悟をしておいてくれ」

 

「ソ連軍人は常に西側との全面戦争に備えてきました。私だってその端くれです」

 

「その言葉が聞けて安心したよ。イラク軍に対する正式な通達は開戦直前になるだろう。敵は世界最強の軍隊だ。時間は少ないがそれまでに部隊を仕上げてくれ」

 

「ここを第二のベトナムにしてやりますよ」

 

 ユーリ・イヴァンコフ少佐は、出来る限り背筋を伸ばすと両足の踵をぶつけて、ブーツからピシッと音を出す。そのままソ連式の鋭い気を付けの姿勢を取り、大佐に敬礼を向けた。

 アウス=アクラム大佐も椅子から立ち上がり、最大の敬意をもって応礼を返す。

 

 執務室の外では、離陸していく戦闘機たちの甲高いジェットエンジンの唸り声が絶え間なく響き、1990年7月の空を揺らし続けていた。

 

 "戦争の音は軍靴のみにあらず。"

 




脚注
「共和国防衛隊(RG)」は、フセイン政権時代のイラクに存在していた武装組織。イラク正規軍とは別系統の組織である。徴兵制の正規軍とは異なり志願制を採用しており、イラクの支配政党であるバアス党の党員によって固められていた。
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