1991年1月17日。
この日から始まった多国籍軍とイラク軍の戦闘は、大方の予想を裏切る形での激闘となった。
入念な防衛計画の下で行動したイラク軍と、質・量に優れる多国籍軍による血で血を洗う戦闘は後に「第一週の死闘」と呼ばれることになる。
多国籍軍の開始した
①イラク軍の防空・航空作戦能力の無力化。航空優勢の確保。
②バグダッドにある政府中枢施設の破壊と指揮系統の麻痺。
③弾道ミサイル「スカッド」発射機の撃破。
これらは来るべき地上侵攻作戦を見据えて計画されたものであり、開戦初日の攻撃はこれを完遂する第一歩として、
敵防空網制圧における標的は、国境部に存在するイラク軍早期警戒レーダー、バグダッドに存在している軍司令部、そして各地に点在する空軍飛行場である。
……
午前2時49分、多国籍軍による第一撃は、AH-64アパッチ攻撃ヘリによって幕を開けた。
その大地を縫うようにして国境を越えた攻撃ヘリコプターの群れが、国境に展開していたイラク軍早期警戒レーダーへと強襲を仕掛けたのだ。
夜空を背景に鳴り響く、ヘリのローター音。砂を巻き上げながら十八の影が舞う。
南部国境にあるレーダーの探知圏ギリギリから侵入したAH-64ヘリ18機からなる攻撃隊は、敵レーダーをその射程に捕らえるとヘルファイア対地ミサイルによる攻撃を開始した。
夜空に浮かぶ十八の点が次々と閃光の瞬きを発し、そこから伸びた噴煙がレーダーに向かってまっすぐに進む。風切り音が響き、それはすぐ地上での爆発に変わった。
放たれたヘルファイア二十発のうちレーダーに命中したのは十二発ほど。これにより六基の早期警戒レーダーが破壊された。
しかし、南部国境には全十六基の大小さまざまなレーダーが分散配置されており、その探知網は未だ健在。そこでAH-64の編隊は残りのレーダーも粉砕すべく、ハイドラ70ロケットと30mm機関砲の射程まで一気に肉薄し更なる攻撃を加えた。
この時、イラク空軍の戦闘機や地対空ミサイルは攻撃機や戦闘機による強襲に備えていたため低空からの攻撃ヘリ侵入に対応できず、レーダー防衛に当たったのは国境に配備されていたZSU-23-4シルカ自走高射砲と、歩兵部隊の携帯式防空ミサイルだった。
AH-64の接近に伴い、シルカ自走高射砲の主武装である23mm四連装機関砲が対空戦闘を始め、夜を切り裂くように砲火が宙に放たれた。
シルカに搭載されている旧式の射撃装置は夜間では使い物にならない代物であり、対空砲火は出来の悪い簡素な暗視装置と、残された早期警戒レーダーからの報告によって行われた。
耳をつんざく機関砲の咆哮。高レートで放たれる曳光弾は、さながら地上から空へ伸びる光の「線」のように空へと伸びる。
シルカによる対空射撃は「数撃ちゃ当たる」であり、空を自在に駆けるヘリコプターにそうそう命中することは無かった。
一方でAH-64の攻撃は夜間においても正確無比であり、ヘルファイアミサイル、ハイドラロケット、30mm機関砲によってシルカは次々と撃破されていく。
射撃装置の差もあってAH-64が圧倒的に有利であったが、シルカから放たれる対空砲火は空中における自由な回避運動を阻害しており、レーダーの防衛には成功していた。
AH-64に最初の被害が出たのは攻撃開始から十分後のことだった。
機体前方に23mm弾の「線」をかすめたAH-64三番機は慌てて機首を地上を這うシルカに向け、30mm機関砲を射撃しながらハイドラロケットを斉射。シルカの車体に無数の穴をあけた後、辺りの地面ごと粉々に吹き飛ばした。
三番機はそのまま離脱を図ろうとしたが、今度は別の方向から射撃を受ける。空に無数ともいえる「線」が飛び交う中、回避機動を取りながらヘルファイアを撃ってもう一台撃破。ついでに目の前にあったレーダーにハイドラロケットをばらまいて破壊する。
応戦しつつ回避行動をとる三番機だったが、不意に歩兵の持つ携帯式防空ミサイルの射程内に入ってしまっていた。地上からの赤外線照準に気が付き、慌ててフレアを焚く。
しかし時すでに遅く、ミサイルは機体中央部に命中。胴体は大きくひしゃげ、左側エンジンブロックは完全に破壊された。爆発で飛び散った破片によってコクピット全面のガラスには血しぶきが飛び散り、四枚あるブレードのうち二枚が爆風で折れ揚力を喪失。
そのまま砂漠へと落ちていった。
……
同時刻、国境にて攻撃ヘリコプターと防空部隊の戦闘が続く中、その遥か上空ではF-117ステルス攻撃機8機が密かにイラク領空へと侵入していた。
午前3時10分、F-117はそのステルス性によってイラク軍長距離レーダーに発見されることなく、バグダッド上空に侵入。首都にある主要施設──大統領宮殿、国防省ビル、イラク軍中央防空作戦センターなど──に対して精密誘導爆撃を開始した。
この時、イラク軍はこれを米海軍からのトマホーク巡航ミサイルによる攻撃だと誤認し、高高度に到底届くはずもない機関砲による対空射撃を行っていたため、侵入したF-117が迎撃されることはなかった。
ステルス攻撃機は1991年においても未だ実戦参加例が少なく、高度に張り巡らされたイラク軍防空網における「盲点」と言えた。
しかしながら、ステルスはその姿を消してしまえる魔法のような技術ではなく、レーダー上に移る面積を限りなく小さく見せることのできる技術である。
そのため、国境の早期警戒レーダーや、内陸の旧式のレーダーではF-117を捉えることができなかったが、バグダッドに配備されていた最新型の地対空ミサイルであるS-300の対空レーダーだけはその小さな「点」をとらえることに成功していた。
そしてちょうどこの時、イラク軍中央防空作戦センターにF-117の放った爆弾が命中。司令部が壊滅したことによって防空指揮が混乱することとなった。
司令部からの指揮を受けられない中、あるS-300の火器管制官はその「点」を偶然にも発見。独断でそこに向かって長距離地対空ミサイルが発射するという決断を下す。
このS-300による攻撃は、バグダッド上空に展開していた離脱直前のF-117攻撃機を3機撃墜するという大戦果をあげることとなった。
しかし、当のイラク軍はしばらくの間この戦果に気が付いていなかった。
この撃墜はS-300の性能の高さとF-117攻撃機の油断が生んだ全くのまぐれだったのである。
そもそもF-117にS-300のミサイルが命中した時点においても、未だにイラク軍は
このため、この発射を指示したS-300の火器管制官は、自分が敵の何を撃ったのかも、また、それがどれだけの戦果を上げたのかも、知ることは無かった。
米軍は、察知されていないはずのF-117攻撃機がこれだけ一斉に撃墜された理由を解明できず、その分析に頭を悩ませることになる。また、この大損害によって米軍は首都直接攻撃という戦術を根本から変更せざるを得なくなるなど、その後の戦況にも大きな影響を与えることになった。
……
午前2時から始まったAH-64の攻撃により、西部国境にある早期警戒レーダーはその半数が破壊され、南部空域におけるレーダー網に穴が空いた。
AH-64部隊は地上部隊との交戦により3機中破、6機撃墜という被害を受けたが、多国籍軍はその血の対価として戦闘機部隊がイラク領空へと侵入する回廊の形成に成功したのだ。
対地兵装を積んだF-15E戦闘機18機がイラク軍の運用する弾道ミサイル「スカッド」への攻撃を行うべく、夜明けとともにこの回廊を突破。爆撃を開始した。
このF-15Eの回廊突破から遡ること数分前、多国籍軍航空機の大編隊が各所からイラク領空へ侵入し、残された早期警戒レーダーと高価値対地目標に対して総攻撃を仕掛けていた。
ペルシャ湾に展開している米空母四隻からはF-14戦闘機6機とF/A-18戦闘攻撃機10機、A-7攻撃機8機、A-6攻撃機6機が発艦し、南東空域から侵入。南西空域からはF-15C戦闘機26機、トーネード戦闘攻撃機14機、A-10攻撃機24機が殺到した。
この大規模侵入に対し、イラク陸軍、空軍の地対空ミサイルは一斉に迎撃戦闘を展開。早朝、晴天の空は間もなくミサイルの噴煙で埋め尽くされることとなった。
更にイラク空軍は戦闘機部隊を用いた空対空戦闘による迎撃を決定。
空中で待機中だったA-50早期警戒管制機による指揮の下、戦闘空中哨戒に当たっていた戦闘機隊が国境に向け転進。地上からも戦闘機が次々と離陸し、要撃体制に移る。
時に午前7時21分。近代史上まれにみる大規模な空中戦が幕を開けた。
湾岸戦争最初の激戦「第一次クウェート空戦」である。
"死闘は続く……"