空は自由というけれど、実際には不自由ばかり味わっている。
バレルロールなんてすれば胃がひっくり返って気分が悪くなるし、旋回のたびに重力が体を襲い対Gスーツの下にある体が軋みだす。
縦に旋回すれば視界が
体に詰まった血液は重力に引っ張られて、頭の先からつま先まで体を上下に行きかい、血が頭から抜ければ視界は黒く、逆に溜まれば赤くなるからだ。
そもそも空に飛び立つとき、カタパルトで射出される時なんて体がぐわんっ、ってなって首痛いし、ジェットコースターみたいでなんか嫌だ。
ああ、嫌だ。さっさと辞めたい。
飛び回るとき、いつもそんなことが頭にちらつく。
なぜこんな人間が戦闘機乗りになってしまったのだろう。なれてしまったのだろう。これに関しては私の人生史上最大の謎であり、米海軍七不思議のひとつに含まれるべきことであろう。
本来であれば、戦闘機のパイロットというのは一握りの人間しか慣れないすごくエリートな職業であるはずなのだ。しかし、ハイスクール卒業間際にふと思い立って軍に志願したが最後、あれよあれよという間に、私は数十億円する戦闘機のコクピット内に収まっていた。
こんな仕事さっさと辞めてやろう。コクピットに繋がるタラップに足を乗せるたびに思う。
実家に帰って親父の農業でも手伝おう。トリガーに指をかけるたびに思う。
これからはちゃんと教会に通おう。遠くで炎に包まれる残骸を見ながら思う。
主よ、彼らと私の魂を救い給え。
そして私のことをこのクソったれの戦場から救い給え!
あと来週からちゃんと祈るから地獄に落とさないで!
私はF/A-18A戦闘攻撃機を操るどこにでもいる海軍航空隊のパイロット。
辞めよう辞めようと思いつつ海軍での軍歴を重ね、何度目かの出撃でついに実戦に巡り合ってしまった不幸な仔羊だ。
ペルシャ湾に展開している空母ミッドウェイ──第二次大戦中に進水した動く戦争博物館。便所の匂いが最悪──から飛び立ち、クウェート領空へ侵入。僚機たちと対地攻撃をしつつ、迎撃にきたイラク空軍のミラージュF1戦闘機を撃墜した。
いいのかな、こんなに簡単に落としちゃって。
初撃墜。ミサイルがハードポイントより飛び立ち、それが敵機に命中するまでの間に考えていたのは、そんな呑気なことだった。
ただ、イラク軍の防空網は聞いていたよりもずっと強靭だった。特に地対空装備がかなり豊富。
まあ幸いというか、ミッドウェイから出撃したF/A-18A/Bには対地兵装が積まれていたので、砂漠の上にある目標を潰すことができる。
敵のミサイルや対空砲ははっきり言って旧式であり、油断しなければアウトレンジから一方的に攻撃できるため、神経と体力こそ磨り減るものの、しっかり警戒すればそれほど脅威というわけではなかった。
そうやって、対地目標やミラージュF1と格闘すること一時間。ずっと戦闘機動を取っていたこともあって、そろそろ燃料が厳しくなってきた。
兵装も対地ミサイルを撃ち尽くして、あとは対空ミサイルが残っているだけ。
そろそろ帰投を──なんて考えたのがまずかった。マーフィーの法則というやつ。
すなわち「悪い予感がある限り、それは必ず起こる」ということ。
西南西の方角から、未確認の編隊が急速に接近しつつあるという報告が入ったのだ。
想定される敵機はMiG-29かSu-27。ソ連の最新鋭機だ。
敵機数は12機。こちらの戦闘機は16機であるためギリギリ優位を保てるレベル。
さっさと逃げたかったのだが、まだ対空ミサイルが残っているという
対空戦闘のできないA-7攻撃機とA-6攻撃機を空母に返しつつ、残るF/A-18戦闘攻撃機とF-14戦闘機は迎撃に移る。
我々、F/A-18戦闘機10機は敵に背を向けながら、ペルシャ湾の上空で大きく旋回しながら編隊を整える。一方のF-14戦闘機6機はクウェート上空で散開して敵と正面から対峙する。
F-14の主力武装AIM-54フェニックス空対空ミサイルは長射程が特徴。一撃目はフェニックスの担当だ。
旋回中、すこし顎を上げると豆粒のようなF-14の背中が見えた。
砂漠の上に浮かぶ6つの豆粒は同時にフェニックスを発射。胴体の下から白煙が次々と吹き出し、まっすぐ進んで行く。
《前菜は配膳完了。野郎ども、メインディッシュの時間だ!》
と元気のよい無線の声。VFA-151隊長はいつもよりテンションが高い。彼も空対空戦闘は初めてなので、きっとアドレナリンが出ているのだろう。
旋回を終えた10機のF/A-18は編隊を保ちながら加速し、背後からF-14を追い抜く。フェニックスを打ち切ったF-14はこのまま支援に移り、機動力の高いF/A-18が前線を張るのだ。
機体に搭載されているレーダーではまだ見えないが、AWACSからの情報では間もなく接敵する距離だ。
空中で味方は豆粒の大きさ。一方の敵はダニの大きさ。つまり、ほぼ見えない。
レーダーが捕らえてくれる敵の位置情報とロックオンに従ってトリガーを引き、ずっと遠くの敵が火の玉になる瞬間を見届けるのが現代におけるパイロットの仕事だ。
アラート音。視界の先にある照準器に敵の位置がマークされる。
指を動かし、AIM-7スパローを発射。敵は目には見えない。しかし、確実にそこにいる。
ミサイルの照射を維持できる範囲で緩やかに回避機動を取る。いまごろ敵も同じように見えない敵に向かってミサイルを空にばらまいていることだろう。
更にAWACSからは情報が届く。
敵も射程ギリギリでミサイルを発射したそうだ。敵ミサイルの数は20発。回避運動をとる私の機体には少なくとも4発が向かってきているらしい。
「え、4発?」
こっちは10機編隊なのになんで私にだけ4発も向かってきているんだ!?
コクピットの中はあっという間にビー、ビー、というミサイルアラートで一杯になる。
心の中で文句を垂れる間にもミサイルはどんどん近づいてくる。
照準をやめて回避機動に移行する。基本的にミサイルの方が戦闘機よりも速いので逃げることはできないが、機動力や推力には乏しいので機動で翻弄すれば見失ってくれる。
つまり、生き残るにはF/A-18の機体をぐるぐるぐわんぐわんしなくてはいけないのだ。
アフターバーナーを使用。直線で加速しながらまずはフレア、続けてチャフを展開する。そこから数秒開けて操縦桿を一気に引いて急上昇。ミサイルの推力を奪う。
3発のミサイルが囮に行ったらしいが、しつこいのが1発残っている。
ロールしながら水平飛行に移り、今度はフレア/チャフを同時に展開。そして操縦桿を落として急降下をかける。
砂に向かって加速をかける中、ぷつんとミサイルアラートが消える。
操縦桿を引いて水平飛行に戻った時、ふと無線がやけに静かなことに気づいた。
回避に集中していたせいで、外界の音が一切聞こえておらず戦況が分からない。
どうなった? 味方は何機残ってる? 敵はどこにいる?
慌ててレーダー計器を確認しつつ、目視でも上空を確認。
黒い煙の柱があちこちに見える。距離的に味方だ。しまった、何機かやられたらしい。というか、いつからかAWACSとの交信も途切れている。いくつかのチャンネルを試みるが反応が無い。
まさか味方が全滅ってことは無いはずだ。無線機の故障か?
嫌な予感に駆られ、咄嗟にアフターバーナーを全開で使用。ペルシャ湾の方角に向かう。
味方の位置が分からない以上、今は空母に戻るのが得策だ。
出来るだけ低空飛行に移り、砂漠を縫うように海への脱出を図る。
その直後、ビーっとミサイルアラート。
操縦桿を引いて急上昇。敵は多分真後ろ。かなり近い。
チャフをばらまきながら空へ上る。
首を曲げてなんとか背後を確認。こっちに向かってくるミサイルが見えて、慌ててもう一度チャフを散布。そのまま操縦桿を捻ってバレルロールに移る。
機体が宙を舞い、空の中で大きく螺旋を描きながら直進する。
ミサイルはそのまま回避したが、もっと厄介なのが食いついて来た。敵機だ。
背後に着いた敵機が真後ろを取ろうとしてきたので、左旋回をかける。視界の端に、曳光弾の線が映る。
ドッグファイト仕掛けてくるとは、どうやらイラク軍のパイロットはイカれているらしい。ミサイルが切れたのならさっさと帰ればいいものを。
敵は既に有視界距離に入っていた。豆粒でもなく、ダニでもなく、それは紛れもないMiG-29戦闘機の影。
お互いに相手の後ろを取ろうと弧を描き合う。旋回半径ではMiG-29のほうがやや有利。このままでは食らい付かれる。
だったら、よし、あれをやってみよう。
やったことないけど、どのみち死ぬならカッコつけて死にたい。
操縦桿を大きく切って縦旋回。更に右に切って大きくロールを決める。同時にエンジンの出力を徐々に落としていく。
視界が青色で一色となり、自分がいまどこを向いているのか分からなくなる。
ただ、止まれば死ぬ。もう一度鋭く切り返して、バレルロールに移り水平を取り戻す。
そうこうしている間に、MiG-29との距離が縮まる。
今だ。
機首を急激に持ち上げ、フラップを展開。
機体を地面と垂直に向かせる──コブラ機動……っぽい何か。
ソ連戦闘機のコブラなら機首はほぼ垂直まで上がるはずだが、F/A-18ではそこまで上がらず、60度ほどが限界だった。
しかし、一瞬だけ機体は動きを止めた。失速の瞬間、体がふわりと座席からやや浮く。そしてその直後、避けられない重力が機体と体に降り注ぎ、落ちる。
エンジンをフルスロットルに入れ、残りのアフターバーナーを全部使い、失速して墜落しつつある機体に加速をかける。
直後、パンと激しい音を立ててフラップが根元から粉々に吹き飛ぶ。その横をエンジンの轟音が通り過ぎる。
MiG-29は意表を突かれたようで、完全にオーバーシュート。前方に押し出され、無防備な背中を見せている。
せっかくなら残っているAIM-9サイドワインダーを”お礼”として撃ちたかったのだが、機首が完全に落ちており狙いを定められなかった。
機首を上げろ! 機首を上げろ! と、警告音がコクピットで散々怒鳴り声を響かせる中で、なんとか持ち直して水平飛行に移る。
周囲を確認してみるが、既にMiG-29の姿はどこにもない。
震える手をなんとか動かしながら、体も心も満身創痍の状態で空母に帰投した。
着艦後に知ったが、空母ミッドウェイから出撃したF/A-18のうち帰還数は私を含めてたった3機。空母レンジャーのF-14に至っては全機撃墜されたそうだ。ついでにイラン領空を飛んでいたAWACSまで長距離地対空ミサイルで落とされたらしい。
どうやら初戦は我々の大惨敗だった。
隊長を含めて大勢の味方が戦死か行方不明。私が無事に帰投できたのはほぼ奇跡だった。
しかし、その奇跡は着艦で全て使い切ったらしい。
フラップの損傷したF/A-18をスリリングに着艦させ、機体から降りようとしたのだが、数歩目でタラップを踏み外して、そのまま甲板と激突したのだ。
ああクソったれ。礼拝には来週じゃなくて先週行くべきだった。
地獄にはまだ行きたくない。生き残って絶対に辞めてやる。こんな仕事、さっさと──。
担架で運ばれる中、私は意識を手放す。
目を閉じると、瞼の裏には私を追いかけてくるMiG-29が浮かび上がってくる。
あのコンマ数秒というオーバーシュート。あのシーンが脳裏に焼き付いて離れそうになかった。
轟音と共に横を過ぎ去るMiG-29。そして、尾翼に書かれたマーク……。
”逆さに描かれた