多国籍軍総司令部は重苦しい空気に包まれていた。
先ほど、多国籍軍によるクウェート解放に向けた地上侵攻作戦が2月10日に決行されることになったのである。
前線の実情を知る参謀たちは、この判断に深く失望していた。
「国防長官、やはり反対です。今からでも作戦を延期すべきです」
「シュワルツコフ大将。君はいささか慎重すぎる。この機を逃せば多国籍軍が内側から瓦解しかねないことは君が一番よく知っているはずだ」
「それはわかっています。ですが──」
「将軍! 君に与えられた任務はクウェート解放だったはずだ。イラク軍の殲滅ではない。クウェートさえ解放してしまえばいいのだ。それに十分なだけの戦力はあるはずだが?」
「しかし現状ではリスクが高すぎるのです。航空優位が取れない中でむやみに戦線を拡大すれば、どれほどの死者が出るか……」
「既に犠牲は嫌になるほど払った。戦争を早く終わらせなくてはいけない。大統領もできるだけ早いクウェート解放を望んでいる。以上だ」
ペンタゴンとの回線はそこで途絶えた。
机に身を乗り出してまで作戦撤回を粘っていたシュワルツコフ大将だったが、ついに不可能であることを悟って椅子に深く腰を下ろした。
戦争はもう、彼の手を離れつつあった。
総司令官は多国籍軍の指揮に関する全権を任されている。しかし、同時に彼はアメリカ合衆国軍の軍人である。政治的判断が決定を下せば、それを覆すだけの力は持っていなかった。
頭の中でなんどもシミュレーションした。参謀部でも優秀な頭脳を集め、嫌になるほど分析した。しかし、どの結果も決して明るいものではなかった。
航空優勢が取れぬ中での無謀な進軍。
最悪の場合、侵攻した多国籍軍が殲滅され、周辺国への逆侵攻を許す可能性さえあった。
最良の場合──ごく短期間のうちにクウェートを解放し、そのままイラクが抵抗をあきらめて停戦に応じた場合──でも、当初の想定よりも数倍から数十倍の戦死者を出す結果が出ている。
どの道、多国籍軍の前に待ち受けるのは、茨の道であることを覚悟しなければならない。
道の先に、敗北は存在しないのかもしれない。
しかし、勝利もまた存在しえなかった。
……
多国籍軍が行った
当初の予定では作戦の第一週目には航空優勢の確保。第二週目には制空権の確保。そしてその後はクウェート解放の向けた地上作戦を行う計画であった。
しかし、作戦開始から二週間が経過した1991年2月になってもなお、イラクは自国の制空権を維持し続けていた。また、国境沿いに展開されているイラク軍防空部隊も、多国籍軍からの数えきれない程の対地攻撃に晒されながらも未だ健在であった。
予想外の展開を前に作戦の大幅な見直しを迫られていた多国籍軍総司令官ノーマン・シュワルツコフ大将は板挟みにあっていた。戦略的意図と、政治的意図が衝突し、2月時点で多国籍軍の指揮が困難になりつつあったのである。
開戦以来イラク軍の抵抗は激しく、制空権を確保できる可能性は既に潰えてたといってよかった。制空権の確保は近代戦における常道。これがなければ地上作戦に移ることは半ば自殺行為にも等しかったし、完璧な勝利を得られる望みはなかった。
しかし、多国籍軍はシュワルツコフ大将の意に反して地上作戦に踏み切ろうとしていた。これは主に政治的圧力が原因である。
事の始まりは遡ること二週間前のことだ。
1月26日、アメリカ軍によって予想外の事態が起きた。バクダッド空爆に向かっていたB-52が一機撃墜されたのである。さらに3日後の29日にはそれまで防衛に徹していたイラク軍が突如として攻勢を開始。クウェートにほど近いサウジアラビア領の都市カフジに進軍を開始した。
カフジは国境と中心部の約十キロ程度しか離れていない町だ。常にクウェート占領軍から直接砲撃に晒される可能性が高い場所であったため住民は開戦前に退避しており、多国籍軍側も守りにくいうえに戦略的価値の低いこの町にそれほど強力な防衛線を引いていたわけではなく、国境監視所が置かれるばかりであった。
カフジ周辺の戦力といえばアメリカ海兵隊の偵察小隊と、サウジアラビア国家警備隊、クウェート軍がわずかに展開しているだけの状態であった。
開戦当初の時点ではこれに加えて、アメリカ海軍特殊部隊や、サウジアラビア軍機械化歩兵部隊が数個大隊ほど展開していたが、空中での劣勢から空爆の恐れありと判断され後方に下げられており、戦力は当初の半分以下にまで低下していた。
そんな状況の中、イラク軍は主力三個師団をもってカフジ攻略を開始した。
アメリカ軍はイラク軍部隊の大規模な移動を察知していたものの、二週間にわたって防御一辺倒であったイラク軍が攻勢に出てくるとは予想していていなかったことや悪天候による視界不良によって察知が遅れ、奇襲される形となった。
圧倒的な戦力差に加え、前述の通り多国籍軍はそれほどカフジ防衛に熱心でなかったこともあり、遅滞戦闘をしながらの撤退。29日中にカフジは占領された。
カフジの陥落に対して、シュワルツコフ大将は楽観的であった。むしろ好機とさえ捉えていた。
イラク軍が多国籍軍に対して優位に戦えているのは防衛線だからである。
航空機と防空網による連携による制空権維持と、強固に構築された地上陣地があるから、圧倒的な戦力差を前にしてもイラクは戦えているのだ。しかしどうであろうか。イラク軍は自らその優位を放棄して、サウジアラビアまで進軍してきたのだ。
イラクは自国の制空権を維持するので手一杯であり、サウジアラビアの制空権を確保できるだけの余力がないことは明らかだった。実際、わずか数十キロ(戦闘機の速度からすればほんの一瞬で着く距離)だというのにカフジ侵攻にイラク空軍が支援する様子はなかった。
このまま進軍を誘発してイラク空軍のカバー外まで引きずり出せば、あとは航空攻撃で安全に殲滅することができる。イラク軍地上部隊は自ら死地に飛び込んできたに等しかったのだ。
この判断から多国籍軍総司令部は、この機を生かしサウジアラビア領内でのイラク軍殲滅を計画。参謀部では多国籍軍の防衛線を後方に下げてイラク軍をさらにサウジアラビア領の奥まで引きずり込む作戦を検討していた程だった。
しかし、多国籍軍隷下のアラブ合同軍内部では動揺が広がっていた。サウジアラビア領を防衛するはずの多国籍軍がほとんど抵抗もせず撤退してイラクによるカフジ占領を許したうえ、アメリカ軍は一向に反撃する様子もなかったのである。
シュワルツコフ大将はアラブ合同軍司令官ハリド中将に対して事情と計画を説明。全く抵抗しないのもメンツが立たないということになり、1月30日に航空攻撃を行うことで両者は合意した。しかし、アメリカ軍による空爆は実に低調であった。イラク空軍がカフジまで進出する可能性は捨てきれなかったし、国境沿いのイラク軍防空部隊も厄介な存在であった。26日にB-52を失ったこともあって、損害を拡大させないためにそれほど多くの航空戦力をカフジに投入できなかったのである。
結局、これはアメリカ軍とサウジアラビア軍の亀裂を決定的なものとしてしまった。
サウジアラビアのファハド国王は、ほんの一部といえど領土を失陥したことに衝撃を受けていた。そしてアラブ合同軍と同じく、アメリカ軍に対して不信感を募らせることになり、ファハド国王はハリド中将に対して独力でのカフジ奪還を要求した。
多国籍軍総司令部に対して苛立ちを募らせていたハリド中将はサウジアラビア軍を多国籍軍指揮下から外し、独自に動かすとまで言うほどであった。実際、これは脅しなどではなく、彼とサウジアラビア軍は独力でのカフジ奪還の計画を立てており、1月30日の時点ですでに攻勢計画を立案。既に軍を動かしつつあった。
事態を知ったシュワルツコフ大将はサウジアラビア側の動きに抗議したものの、既に攻撃が始まっていたことから事後承諾をせざるを得ない状況であった。こうして多国籍軍の指揮系統が乱れる中で「カフジの戦い」が幕を開けたのである。
”乾いた砂漠は血を欲す──しかし、誰が血を流すのか?”