イラクに占領された都市カフジ。
その奪還に二の足を踏む多国籍軍に代わり、その指揮から外れたサウジアラビア軍は、独力で自国領の奪還作戦を発動した。
勇敢なるサウジアラビア軍は、カフジを占領するイラク陸上部隊3個師団に対して積極的な攻勢に出るも、しかし三度にわたって撃退されることになった。サウジ軍はアメリカ軍に対して航空支援を要請。多国籍軍から地上支援機が出たものの、イラク空軍の迎撃機が出るとすぐに撤退命令がでて、まともに戦わぬまま引いてしまう有様だった。
結局、お互いに航空優勢を取れぬまま地上戦力のみで続いた戦いは、四度目の攻勢に失敗したサウジアラビア軍が撤退したことで一時的な収束を見せた。これにより、カフジの戦いは、イラク軍勝利のままに終わるかと思われた。
多国籍軍司令官シュワルツコフ大将が多国籍軍による地上作戦開始を決断したのは、そうしたタイミングだった。
撤退したサウジアラビア軍に代わり、カフジ近郊にドイツ軍、英国軍、アメリカ軍の機甲部隊を主力とする軍団が移動を開始。更に、空軍と海軍の航空戦力も集められていた。
……
天と地。蒼穹と砂漠。
その狭間を縫うように、地平の先から百を優に超える航空機の大編隊が中東の上空に現れた。
多国籍軍の
2月10日、『
総攻撃は、地上戦力による大攻勢の前段階として、航空戦力による大規模空襲から始まる。
緒戦においてはイラク空軍に対して決して良好な戦果を残せていない多国籍軍航空部隊だったが、未だその戦力は圧倒的の一言だった。
地上部隊がイラク東部のカフジ方面、ひいてはクウェートに繋がる湾岸部に集中しているのに対して、航空部隊は陽動の意味もあり、アラビア半島の内陸からペルシャ湾に至るまでの広大な地点に分散し、同時に領空へと侵入を開始した。
多国籍軍は4機で一組の編隊を基本単位としている。
カフジ方面担当は、戦闘攻撃機からなる攻撃部隊はドイツ軍のトーネード部隊が3個編隊、英国軍のトーネードが1個編隊、アメリカ軍のF-16部隊が4個編隊。
護衛に当たる戦闘機部隊はF-15の編隊が4つ、F-14の編隊が同じく3つ。
これを支援するEF-111電子攻撃機、F-4G戦闘機、E-3早期警戒管制機が数機。
突入部隊だけで60機を超える大部隊である。
更にペルシャ湾には空母から発艦できるF/A-18の部隊が待機している他、後方には航空優勢の確保後を見据えて、A-10攻撃機とB-52の対地攻撃専従部隊も待機している。
カフジ方面の作戦管区だけで、実に100機を超える大戦力だ。
大編隊の中で先鋒を切ったのはドイツ空軍第32戦闘爆撃航空団から抽出されたトーネード戦闘攻撃機部隊である。その一番機、レヒフェルト1-1のコールサインで知られる機体は、まもなくカフジをその射程に収めようとしていた。
「レヒフェルト1-1。第4地点を通過。間もなく攻撃に移る」
通称『シェーファー』で知られるルーカス・ホルトバウム空軍大尉は神経を研ぎ澄ませていた。
初めての実戦。初めての引き金。十年近いキャリアで、これほどの重圧を感じたことは無かった。ギムナジウムの卒業試験だって、ここまでのものではなかった。
撃てば相手が死ぬ。撃たなければ自分が死ぬ。そして後席の相棒も。編隊の部下や仲間たちも。地上の陸軍だってそうだ。そこの機甲部隊には義兄弟のフリッツがいる……。
神父の言った通り、神は今も見ているのだろうか。
広大な空と、砂漠と、それに浮かぶ点である我々を見つめているのだろうか。
砂漠を血で染める我々に慈悲を与えてくれるのだろうか。
『こちらスピアヘッド、レヒフェルト1-1了解。幸運を祈る』
無線に
「目標、敵レーダー施設……」
まもなく後席に座る相棒──兵装システム士官『ツァイス』の声が聞こえてくる。
とっくに腹は決まっていた。
職業軍人としての使命を全うするだけだ。敵を殺す。生きて帰る。妻と息子の待つ故郷に戻る。
それ以上に何がある? それ以外に何をする?
いいや、何もないだろう──。
ルーカスは雑念を振り払った。
航空戦は何もかもが短い。一瞬のうちに始まり、終わる。僅かなミスが死につながる。一秒の判断が生死を分ける。戦場では迷いこそ最大の罪だ。
「……行くぞ、レヒフェルト隊」
午前八時○○分。多国籍軍航空部隊はイラク軍の射程に到達。即座に攻撃体勢に移った。
既にイラク側からは迎撃機が上がってきていると報告が来ている。
クウェート空戦でアメリカ海軍航空隊に圧勝した敵のエリート部隊。その正体は旧ソ連軍の雇われ空軍パイロットだという。ロシア人侮りがたし──戦闘機の質もパイロットの質も、共に一流であることは、先の空戦が証明していた。
社会主義の自重によって崩壊し、ついに西側と矛を交えることはなかったソ連空軍。その戦力はテクノロジーの差などから過小評価されがちだったが、実態はそれと異なることを、彼らはその力によって証明してみせた。プライドの高いアメリカ軍人ですら認めざるを得ないほどに。
空は広い。敵はまだ見えない。
しかし、確実にいる。奴らは、我々を虎視眈々と狙っている。
ルーカスらレヒフェルト隊のトーネード戦闘攻撃機の主武装は対レーダーミサイルと誘導爆弾という対地兵装だ。対空ミサイルは自衛用のサイドワインダーが二発積まれているだけ。もちろん戦闘機動も取れるが、そうなるのはあまり好ましい状態ではない。敵戦闘機との戦闘は、護衛のF-15やF-14に任せたいところだった。
コクピット内のアラームがビープ音をまき散らす。自機にレーダー照射がなされたことを知らせている。火器照準ではない。敵の早期警戒レーダーだ。
「敵レーダーの捜索範囲に入った。いや、来たぞ。敵SAMの照準だ」
兵装システム士官が即座に告げ、すぐさま手元のディスプレイで電波源の分析と照準シークエンスへ移る。まずは第一関門だ。カフジに籠るイラク地上部隊を叩くには、この防空網の目を潰し、対空陣地の迎撃能力を奪った上で突破しなければならない。
「攻撃開始地点まで40秒」
「了解。シーカーが敵のレーダー波を捉えた。目標座標……諸元入力よし。マスターアームオン」
編隊長機であるレヒフェルト1-1には僚機からの報告も上がる。
「全機、撃て!」
「1-1、マグナム、発射。続けて2番……発射」
「1-2、マグナム、1番、発射!」
対レーダーミサイルAGM-88の発射報告が僚機から続く。
雲一つない青に、細長い白煙がひょろひょろと伸びていく。それは一つ、二つ、三つ……と増え続け、まもなく広げられた絨毯のようになる。対レーダーミサイルの群れは、白い煙を引きながら一度天空へと駆け上がり、次の瞬間、獲物を見定めた鷹のように砂の大地へ急降下していった。
「全機、増槽パージ。回避機動に移る」
主翼下の空になった大型増槽が外れ、機体がふわりと軽くなった。
まもなく敵の地対空ミサイルによる照準を受けたトーネード編隊はすぐに回避機動に移る。SAM排除は後続部隊の仕事だ。
『敵レーダーの沈黙を確認。続けて……敵SAMの排除も確認』
AWACSからの報告が入る。
「よし。扉が開いたぞ。全機カフジに突っ込むぞ、付いて来い!」
敵ミサイルも回避したトーネード隊は戦闘機動のまま、機首をまっすぐカフジへと向ける。照準はまもなく市街地に籠る敵地上部隊を捕らえた。
「対地攻撃に切り替えろ」
「マスターアームオン。目標、カフジ北西のイラク軍陣地……」
『こちらスピアヘッド。全機、敵戦闘機部隊を確認。そちらに接近している』
無機質なAWACSの警告が、張り詰めた機内に割り込んだ。
『方位3-2-0、距離60マイル。敵機はフランカーおよびミラージュF1と推定。計10機。まもなくエンゲージ・ゾーンへ突入する』
近すぎる。あちこちから多国籍軍のレーダーが警戒している中でこれほどの接近。
おそらく超高速による低空からの侵入だ。接敵までは数分しかない。
「ツァイス、照準間に合うか」
「ダメだ、シェーファー。回避だ、全滅するぞ」
兵装システム士官が苦々し気に告げる。
「全機、攻撃中止! 回避機動に移れ! こちらレヒフェルト1-1、離脱する……」
統制無線に野太い英語が割り込んできた。
『待て、レヒフェルト隊。こちらはイーグル04。そのまま攻撃を続行しろ。ロシア人の相手は俺たちがする。あとは任せておけ』
可変翼を後退角いっぱいに畳んだF-14の巨躯と、鋭利なF-15の銀翼。
護衛戦闘機たちが旋回に移ったトーネード隊の上を超えて真っすぐと進んでいく。
F-15とF-14が太陽を遮り、コクピットの上に影が浮かぶ。
『その意気だイーグル! ブルー・リーダーより全機、全滅した
「了解、敵は任せる。レヒフェルト1-1より各機、予定通り突入する。攻撃姿勢に移れ」
ルーカスは操縦桿を固く握り直し、攻撃体勢に戻る。
頭上を護衛に託した以上、自分たちの任務はカフジの敵地上部隊を更地にすることだけだ。
すぐに編隊が戻り、全機揃って攻撃姿勢で敵に狙いを定める。
「シェーファー! 捉えたぞ!」
「
「………………命中! 撃破確認!」
『こちらレヒフェルト1-2! 敵軍集積地に命中!』
「よし全機、離脱──」
『スピアヘッドより緊急! 敵機の
『イーグル06! 突破さられた!』
『ファルクラムがいるぞ! コイツどこから来た!?』
『レヒフェルト隊、即時離脱せよ! そちらに6機向かってる!』
報告のあったうち3機の点をかろうじてレーダーが捕らえていた。
太陽を背にして、敵戦闘機が高速でこちらに突っ込んできている。
「シェーファー、六時の方角だ! 敵機3、急速接近!」
「こっちは4機だ。全機で迎撃するぞ」
トーネード4機は反転し、敵に向かって機首を向ける。
『1-4、エンゲージ! ああ、クソ! 太陽光でサイドワインダーが反応しない!』
「腹に突っ込んで初撃を受け流せ! タリホー!」
こちらが赤外線誘導の弱点を突かれているうちに、甲高いミサイル警報が響き渡った。レーダーも既にこちらに向かってくる対空ミサイルを捕らえていた。
敵は二種類のミサイルを混ぜた上、限界射程よりもずっと短い距離で撃ってきていた。確実に墜とすという魂胆が垣間見える。
チャフ、フレアをばらまきながら、敵と真正面から向かう。
向かい合った鋼鉄の鳥たちは超高速で引き合い、一瞬のうちに距離が縮まる。
ヘッドオン。
細かな回避機動を取りながら、機首を敵に向けたまま27㎜機関砲を発射。
最初は蚊のように見えた『点』はあっという間に大きくなり、数秒で巨大な機影となって、轟音を立てながら鋭く横を抜けていった。
これでもう、太陽は奴の味方ではない。
双方がすぐに旋回に移る。旋回と旋回。絡み合う飛行機雲。
最も野蛮で、本能による航空戦。
操縦桿を左へ引き倒し、スロットルを押し込んだ。可変翼が前進角へと動き、主翼を広げて大気から強烈な揚力を掴み取る。
凄まじい旋回Gが体を襲い、全身をシートに強く押し付ける。
機体は重力に逆らうように逆さまになり、その姿勢のまま、敵機と共に地表スレスレまで滑り落ちていく。大地までのチキンレース。高度を急速に落としながらの交差が続く。
「捉えた! 背後を取ったぞ!」
ルーカスは思わず叫んだ。
「1-1、フォックス2!」
発射されたサイドワインダーはロケットモーターの炎を吹き上げ、敵に向かって一直線に向かう。その間も、レヒフェルト1-1は執拗に敵機を追い続けた。
敵機は急激な機首上げをしながらフレアを撒いて回避機動に移っている。フレアによってサイドワインダーが攪乱され、明後日の方向へと外れても追い続ける。そして、フレアが途切れたタイミングを見計らってルーカスは再び引き金を引く。
けたたましい機関砲の発射振動が体を揺さぶる。
27㎜弾の弾幕で回避経路を狭めた上で、更にサイドワインダーを発射した。
「フォックス2!」
近距離から放たれたサイドワインダーは加速して、まもなく敵機のエンジン部分に直撃した。
機影の後ろから火花が散る。炎は一瞬で機体の全てを包む爆炎となり、戦闘機はあっという間に火球へと変わる。燃え尽きた残骸は黒い煙を引きながら砂の大地に墜ちていった。
「撃墜! スプラッシュワン!」
「AAMの残弾ゼロ。引くぞシェーファー」
相棒が冷静に告げる。それが戦術的に正しい判断だとは分かっていた。
「だめだ。イーグルが戻って来るまで機関砲で味方を援護する」
「死に急ぐ気か? お前らしくもない」
「どうにも実戦では人が変わるらしいんだ」
ルーカスはスロットルを全開にして、機体を加速させた。
トーネードの可変翼が角度を狭め、揚力の代わりに速度を与える。
「畜生者のルーカスめ。あの世ではお前と別の場所に行ってやるからな」
「同じ場所に決まってるだろう相棒。みんな一緒に故郷に帰るんだ」
正面に広がる光景は、塗りたくられた青に白線をぐちゃぐちゃに引いたような抽象画の世界だった。白線はまさに今この瞬間も書き加えられている。今も、味方が命を削り合っている。
彼らを見捨てて逃げることなどできるはずもなかった。
これが正しい行いなのかは分からない。
だが、始まってしまったことは終わらせなくてはいけない。この場所に奇跡は無い。求める者はつかみ取る他に道は何もないのだ。
それで手を血で汚そうとも構わない。人は変わる。守るために。戦うために。
変化は拒絶する者じゃない。受け入れるものだ。
罪の重さなど、所詮は
"天に最も近い戦場──"