ジミー・カーター大統領は、少し重たい足取りでホワイトハウスの執務室に入った。
補佐官が間もなく商務長官が来ると報告してくる。
時計に目を落とすと予定通りの時間だった。
椅子を回して執務室のガラス窓を見ると、不意に反射した自分の顔と目が合った。その顔は、就任からまだ三年しか経っていないというのに、あの時に比べてずいぶん老け込んだように見えた。
選挙戦の時は笑顔がトレードマークだった。
就任直後は、もっと笑っていた。
もっと志が高かった。もっと国を良くできると思っていた。
国民はフォード前大統領ではなく、私を選んでくれたのだ。
その期待に応えられると思っていた。
「大統領」
商務長官代理であるルーサーが入って来た。
彼は秘書に加えて、五人の商務官僚も連れている。
普段のミーティングであれば、長官に加えて専門的な分野に精通している官僚が一、二名程度補佐として付き添うことが多い。五人の官僚というのはこの三年間で一番多い数だった。
「やあ、ルーサー。経済状況についての報告を聞こうか」
「はい……」
とルーサーは曇った顔で、鞄の中から用紙を取り出す。
その表情だけで、現状が最悪に近いことが分かる。
カーター大統領もまた、同じように表情を曇らせた。
既にニューヨーク株式市場の大暴落については知っている。あとは石油価格の上昇についても。
石油危機だ。また、石油危機が起こったんだ。
「石油価格は上昇を続けています。これは……、これは、前回の比ではありません」
用紙には折れ線グラフが書かれているが、1979年のところで大きく突き上がった線は小学生でもわかるほどには意味をなしていなかった。
原因はイランだ。
あの国は現在、隣国イラクの侵攻を受けると共に、国内ではソビエトの支持する北部の「パルーサー共和国」と、我が国の支持する南部の「イラン帝国」、そしてテヘランを中心とした「イスラム共和国」の三つ巴の内戦状態になっている。
我が国はイスラム共和国を破壊するために様々な支援を行ってきたが、その中でも今回のイラン皇帝を現地に戻して帝国政府を復興させるという試みは最大規模の作戦になった。
「イラン西部にあるフーゼスターン州の油田が破壊されたことは既にご存知でしょう」
現地の今だ情報は錯綜しているが、CIAのレポートによればフーゼスターン州は陥落したという。この際に撤退するイラン帝国軍が、敵国イラク軍への接収を恐れて、自らの手で油田や製油所を破壊していったそうだ。
元々、フーゼスターン州から産出された原油は、帝国政府支援の見返りとして合衆国海軍の護衛の下で西側各国に届けられていた。そして現在、それが潰えたのだ。
「加えて、ソ連軍がペルシャ湾の封鎖を行ったことも大きいです」
カーター大統領は頭を抱える。どうしてこうもブレジネフ書記長は余計な事しかしないのだろうか。
イラン侵攻や、ペルシャ湾の封鎖。どちらもイランの地に共産主義政権を樹立させようとする試みであることは明白だ。当然、合衆国の帝国政府の復興とは相いれず、内戦が始まってからペルシャ湾では両国海軍がにらみ合う状況になっていた。
そんな中で、ソ連のブレジネフ書記長は突如としてペルシャ湾を航行するタンカーに対して、海軍を使って攻撃を行うと宣言したのだ。
これは南部の帝国政府がオイルマネーによって戦費を調達しているからにほかならない。
とはいえ、その実のところペルシャ湾に派遣されているソ連海軍の艦艇は合衆国海軍の比ではないし、そもそも僅か二隻のフリゲート艦が居るばかりで、その二隻も今はインドに停泊しており、ペルシャ湾に向かうにはまだまだ時間がかかるという情報がCIAからは上がってきている。
問題なのは、ブレジネフ書記長がその宣言を大々的に行ったというインパクトの方だ。
実際に行えるかなどは関係ない。危惧が強まれば勝手に原油市場は不安に陥る。そこにいる投資家たちは値を上げて、石油価格はどんどん上がっていく。
資本主義の真理である”神の見えざる手”という奴だ。
どうやら、ブレジネフ書記長は、前回の石油危機で学んだらしい。
石油価格が上昇すると西側経済は低迷する。そして、ソ連経済は逆に原油を輸出して外貨を獲得できる。つまりは一石二鳥であると。
「石油価格の上昇自体は比較的早期に収まるとの予想ですが、世界経済に波及した際の打撃は計り知れません……こちらは予想される失業率の推移。こちらは経済成長の見込みです」
一目見ただけで、目を逸らしたくなるような数字の羅列。
カーター大統領は結局その資料をそれ以上に見る気にはなれず、ルーサー商務長官代理に視線を戻した。
「それで、早期というのはどのぐらいだ?」
「サウジアラビア政府と交渉を続けており石油増産が見込めそうです。恐らくは半年か一年ほど」
「では、この経済状況が改善するのはいつごろになる?」
「そ、それは……二年か、三年ほど後だと……」
ジミー・カーター大統領は思わずため息をついていた。
その頃には、もう大統領ではないだろう。
"石油とは経済の血液である。"