ブラック不合格   作:現実逃避

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阿部定記念日

―かっこいい男になりたい―

 

 かつて少年だった頃のぼくはそんな夢を胸に抱く子供だった。その理想像は常に冷静に立ち回り、緊迫した状況下でも的確な判断を下すクールガイ。そして、いざ戦闘シーンとなれば武闘派の登場人物に勝るとも劣らない力を発揮する人物……戦隊もので言うところのブラックにあたるキャラクターがぼくの憧憬対象だった。

 本当に……つくづく身の程知らずな理想像だ。

 思い返してみれば、当時から変に冷静ぶっていたぼくは○○レッドという人種が肌に合わなかった。熱血で泥臭く、今日日子供でも口にしないような正義を恥ずかしげも無く語る夢想家。

 普通に考えれば創作なんだし、すれて汚れた大人が大きな願望と僅かな自戒を込めて生み出したキャラクターなんてことは容易に分かるはずなのに、あくまで冷静ぶった(・・・)子供でしかなかったぼくはそこまで俯瞰して見通すことが出来ず、レッドという人物をそんな風にシニカルに切って捨てることしかできなかったのだった。

 この時点で、当時のぼくが憧憬を抱くブラックから限りなく遠い人間にしか至れない片鱗が見えている。本当のブラックやシルバーなら、そんなレッド(主人公)の持つメタファーも全て理解し、ニヒルな笑みと共に仲間として受け入れていたはずなのだから。

 そうして、理想と侮蔑を幼少期のTV画面に認めたぼくは……

 

 

 

結局、そのどちらにも至れず今に至るのだった。

 

 

 

 まあ、当然と言えば当然だよね。

 なりたいものであろうがそうでなかろうが、人間は分相応なものにしかなれる訳がない。そして、クールを気取っておきながらそんな当たり前の事実に思い至れないぼくはやっぱりブラック不合格だったんだろう。

 そして、そんな“かっこいい男”を夢見た子供の成れの果てであるぼくはといえば、

 

「無理だ濁路(だくろ)! お前だけでも逃げよ!!」

 

「こんな状況で出来るわけないですし、何ならもう手遅れですよ!!」

 

現在、絶賛進行形で命の危機に陥っているのだった。

 一体、何がいけなかったのか? そんな疑問に波状攻撃を仕掛けてくる眼前の長耳(・・)達はおろか、後ろのKIYOさんも答えてくれる訳もなく、ぼくはただただ今朝の安直な行動を呪いながら細長い燭台を振るうしかないのだった。

 

 

―――

 

――

 

 

 

 この日は朝からどんよりとした雲が垂れ込める、灰色の曇日だった。

 陽光が遮断された空の下では町を吹き抜けるビル風も寒々しくて、頬を削ぐ刺々しさがあった。

 そんな空の下でもぞもぞと塒にしている安アパートを出たぼくは全身に纏わりつく倦怠感そのままに、今日の日雇い仕事を探すため、役場の方へと足を向けたのだった。

 トボトボ。そんな擬音が一番しっくりくるのだろうか?今の自分の姿をどこか他人事の様に受け止めながら、ぼくは内心でそんな事を考えた。他人事……いや、違うか。ぼくはぼく自身を突き放せるほど冷静な人間じゃない。それこそ、そんなことが出来るなら、ぼくの“今”はもう少しマシな“今”になっていたはずだ。だから、これは多分現実逃避なんだろう。“かっこいい男”はおろか、ごく普通にすら生きられていない自分自身を、プライドが傷付かない範囲で貶めることによるリストカット的な自己弁護行為……それを並べ立てることすら腐った自己愛そのまで、本当に惨めになる。

 

「く、は……?」

 

 じくじくと膿んだような胸中をペシミズムとシニシズムで弄ぶことで最後の一線を守ろうとする負け犬のナルシシズムに浸っていたところで、ぼくは眼前に広がる光景に突如現実に引き戻されたのだった。

 十二支町は不自然な空き地や飛び地がとても多い町だ。これは、穢土を追われて無秩序に流れ込んだ十三の獣人達が各々好き勝手に拠点を構築したが故のことで、ぼくが住む安アパートのあたりも一坪二坪のデッドスペースが道道に点在している。

 

 

 

 

もっとも、そんな小さな飛び地であっても、一帯が深紅の鮮血に染め上げられているのはごく稀なことではあった。

 

 

 

 

「なっ!?」

 

 一拍置いて、辛うじて状況を理解したぼくの口からはそんな間抜けな声が漏れたのだった。

 不自然に膨らんだ、動脈瘤の様なデッドスペース。その中に散らばるのは無数の血、血、血!

 一見して、海生軟体動物達がペンキをぶちまけあうゲームの真似事でもしたのかとすら考える異様な光景は、けれど、血溜まりの中に浮かぶ数人のヒョロ長い人影とその身体に走った無数の深い裂傷から覗く紫色の臓物達が決して偽物(フェイク)ではないと何よりも雄弁に物語っている。

 

「抗争……かな?」

 

 畳八畳もない空き地に繰り広げられた惨劇に、ぼくは一番ありそうな可能性を口にしてみる。

 十三の獣人と人間が犇めき合うこの十二支町では、種族ごとの諍いは日常茶飯事と言って良い。しかも、その争い方は単なる政治的な縄張り争いに留まらず、血が流れる暴力的なものに発展する例も少なくなかった。

 見たところ、ここに転がっているのは漏れなく色とりどりの鱗に覆われた獣人で、その細長い牙を見る限り龍人ではなく蛇人の可能性の方が高そうに思えた。

 

「あっ……」

 

何の気無しに打ち捨てられた死体の一つに近付くと、蛇人の右手に鈍く光る長ドスが握られているのが目に入った。その所々に刃毀れの痕があるのを見ると、かなり激しい乱戦になったのかもしれない。

 

「……」

 

 つらつらとそんな事を考えていたぼくは、ふと気が付くといつの間にかその蛇人の右手から長ドスを抜き取って、抜き身のそれを舐めるように矯めつ眇めつしていたのだった。

 鼻の先ほどの距離で見てみれば、尚の事その刀身は傷だらけで、一度研ぎに出さないと多分まともに斬ることは出来ない……そのはずなのに、ぼくはなぜかその長ドスから目を離すことが出来なくなっていた。こんな、数打ちの粗悪品なのに。……ああ、

 

(この長ドスは数打ちだけど、ぼくと違って(・・・・・・)本来の役割を果たしてはいるのか)

 

ボロボロの刀身という明白な実戦の痕跡(・・・・・)に、ぼくは納得と同時に微かな羨望を覚えた。

 たとえ傷だらけの身であろうと、本懐を遂げたという一点だけで遥かにマシな存在と言えるだろう。

 

(少なくとも、ぼくなんかよりは……!?)

 

一瞬脳裏を過った自嘲の想定外に強い口振りに、ぼくは思わずビクッと身を竦ませた。

 二秒、三秒……そうして数秒が過ぎた頃、ようやく自嘲にビビって身を竦ませる間抜けさに気が付いたところで、ぼくは安堵の溜息を漏らしたのだった。本当に情けない。

 自分自身の無様な姿に唇を噛みながら、ぼくは少しだけ瞑目してみる。瞼の内に広がるのは広い板間で所狭しと打ち合う幾人もの剣士達。かつてぼくが毎日の様に目にしていた、そして今となっては遠い過去と成り果てた光景だった。

 

懺悔心底流(ざんげしんていりゅう)……)

 

無意味に肥大した尚更に滑稽な自尊心を持つぼくが、それでも辛うじて今よりはいくらかでもマシな人間だった頃、本当に信じられないことに失敗も恐れずに努力というものを積み重ねていた時期に打ち込んでいた剣術の流派の名前を思い出して、少しだけ郷愁にも近い念を抱いていた。

 

「……」

 

だからだろうか? ぼくは持ち上げた長ドスの柄へと手を遣ると、そのまま左右の足を四方へ送り、身に馴染んだ構えを取ったのだった。

 

 

 

 

そして、それが最悪の結果へと繋がる事になった。

 

 

 

 

 ぼくが殆ど無意識に構え(・・)を取ったのと殆ど同時に、この歪な小路にヌッ顔を出した影があった。それは、花緑青の鱗に覆われたヒョロ長い鎌首を揺らす蛇人で、何かを警戒する様に忙しなく口元で長い舌をチロチロと揺らしている。

 

「? 貴様っ!」

 

「っ!?」

 

そして、そんな蛇人が今の(・・)ぼくの姿を捉えて激昂しない訳がなかった。

 ぼくが殆ど無意識に取った構えは長ドスを臍前で握り、その切っ先を敵喉元に突き付けるというものだった。これは自身と敵との間に広く距離を作り、遮二無二な突貫を牽制するという防御的な理によって作られた構えだったものの、鋭利な切っ先を敵急所に突き付ける関係上、相対する相手には分かりやすく軽会心を抱かせるものだった。そしてそれは当然、この横道から顔を出した蛇人さんにも当て嵌まる話で、しかもぼくの背後には無数の蛇人の斬殺死体が転がっているというおまけ付きだ。

 

「おのれぇ!!!」

 

この光景から導き出される論理的な答えに、当然の誤解をした蛇人が地の底から響く様な怨念と共にドンッとその頭蓋骨を砲弾のように撃ち出してくる。

 

(鎌首突き!)

 

鼻尖を真直ぐに突き出してくるその一撃は十二支町の蛇人が乱闘の際に遣ってくる常套手段だった。

 硬い鱗に覆われた花緑青の砲撃の威力は折り紙付きで、龍人や虎人の様な分厚い筋肉を有する獣人ですら直撃すればただでは済まないと言われている。当然、そんな一撃は回避するしかないんだけれど、

 

(疾すぎる!?)

 

一瞬どころか半瞬すら置かずに2メートル近い間合いを潰してくる頭撃に、まともな回避が間に合うわけがなかった。だからといって長ドスで斬り上げようにも、その頭部をびっしりと覆う鱗に弾かれて撃ち落とされるのが目に見えている。むしろ、まだ一手打つ機会があるだけでも幸運極まりないと言ってよかった。そして、そんな幸運の女神の前髪も後半瞬も過ぎれば、ぼくの手の内から零れ落ちてしまう。もう、今のぼくに迷っている暇は無かった。

 

「く、しっ!!」

 

前後左右に上と下。脳裏に過った八つの選択肢からぼくは殆ど衝動的に前進の一手を選択していた。何か論理的な解があっての選択じゃなかった。けれど、殺到してくる蛇人の顔面と正対してみれば、少なくとも引き足は追い付かれて万事休すが目に見えていた。じゃあ、左右にとも思ったけれど、常套手段として知られる様な技術にコントロールが効かないなんて、ぼくには到底信じることが出来なかった。

 だから、前に出る。窮したから、他に手が無かったから、追い詰められたから。それが、ぼくみたいな凡人が打てる唯一の手立てだったから。

 咄嗟の交錯に、敵の牙撃を打ち払う様な余裕はない。そんな膂力があれば、そもそもがもっと前向きで確実な迎撃態勢を取っている。半瞬も無いこの間で、ぼくが打てる手立ては刀半回転ほど(・・・・・・)が精々だった。

 

 

 

長ドスの剣先が交叉して、蛇人の鎌首が天を穿った。

 

 

 

ジャッという砂を食む様な異音と共に、花緑青の鱗が食い込もうとする安長ドスの零れ刃薙ぎ払う感触が両腕を伝ってぼくの心臓へと響いた。けれど、薄く固い抜身は腐っても和刀。蛇人渾身の一撃であっても、ほんの僅か、微差でこそあれどそのベクトルを持ち上げるくらいのことは出来ていた。

 刀の反り(・・)に合わせて、僅かに中空で浮上する蛇人の鼻尖。一拍も無い交叉の結末として、微かに天を見上げた蛇人は即座に伸びきった鎌首を返すと、今度は草刈り鎌の様に、ぼくの延髄にその毒牙を突き立てようと殺到してきているのだろう。ブワッと首筋の産毛が逆立つのを感じながらぼくは振り払うように、背後に向かって肘鉄を差し向ける。

 

「うぐっ!?」

 

(当たった!)

 

 どうやら、運の揺り戻しが来たらしい。

 先の会敵分の不幸の埋め合わせをする様に、遮二無二に突き出したぼくの肘は丁度開口しきる直前の蛇人の下顎をピンポイントでかち上げることに成功していたみたいだった。

 頭上でガチンッという異音が鳴る中、同時に僅かではあるもののはっきりと開いた蛇牙との間。その僅かに手に入れた猶予の間に、ぼくは固いアスファルトを踏みしめると、鼻先にある蛇腹を晒した蛇人の胸板へと全身全霊の頭突きをやり返したのだった。

 

「が、はっ……!?」

 

頭の上で、蛇人が絶息した音が聞こえた。同時に、縺れ合いながらも何とか蛇人の身体をアスファルトの上に引き倒すと、ゲホゲホッという咳き込む様な音とともに「お、のれぇ……」という呻き声を組み敷いた蛇人の長い喉首が撒き散らしたのだった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

そんな蛇人の腹の上で、ぼくはドッドッドッと早鐘を打つ心臓の熱を逃がす様に息を吐き出しながら、抜身の長ドスの切っ先を今度こそ自分の意志でもって突きつけたのだった。

 

「うっ……」

 

流石に半寸先に自らの死が迫っているとあっては、茹だった蛇人の脳髄も冷静に帰らざるを得ないらしかった。

 

「くそっ……」

 

そう吐き捨てた蛇人の悪態に軽く肩を竦めるけれど、どうやら一先ずは時間を稼ぎながら隙を窺うことに決めたみたいで、股下の蛇人は細長い瞳孔をチラッチラッと四方八方に飛ばしながら、それでも器用に喉元に突きつけられた長ドスへと意識を集中しているのだった。まあ、一先ずはこれでいいか。それよりもだ、

 

 

 

「勘違いされてるみたいですけど、これ、ぼくがやったんじゃありませんからね!?!?」

 

 

 

この矢鱈と濃厚な数秒の間、言いたくて言いたくて仕方なかった思いの丈をぼくはようやく吐き出せたのだった。

 

「ばかな!?」

 

溜まりに溜まった息ごと言いたくて言いたくて仕方なかった一言を吐き出したぼくに掛けられた最初の一言はそれだった。

 

「いやまあ、状況を鑑みたらそういう反応になるのも仕方ないですけど!?」

 

血塗られた惨殺現場で割腹させられた同族達の躯と、その中心で得物を構える人間が居たら、まあ、誤解しちゃうのは客観的に見て当然だとは思う。でもだ、

 

「一人しかいないのに、こんな惨状そうそう作れる訳ないでしょ!?」

 

明らかに多勢に無勢で袋叩きにされたと分かる悲惨な姿を晒す死体は偽装であっても一人で作るには相当な手間が掛かる代物だった。そして、たとえ見せしめであったとしても、態々そんな回りくどいことをする意味自体が無いのは分かり切った話だろう。仮に示威行為をしたいのであれば、それこそペンキなりなんなりでエンブレムを描いたりとやりようは掃いて捨てるほどあると言える。

 

「む……」

 

流石にこの理屈については多少納得するところがあったのか、下の蛇人は少し思案するような表になって顎を引く。アスファルトに仰向けになったままの蛇人に、ぼくは「そもそも」と言葉を重ねて畳みかける。

 

「ぼくは今役場に行くために家を出てきたばっかりなんです。信じられないなら、うちまで来ますか? どうせ安アパートですから壁も薄いので、隣室の人達ならぼくがついさっき家を出てきたことくらいは証言してくれると思います」

 

ぼくがそう告げると、一瞬瞳を揺らした蛇人の男性は懊悩する様に一度目を閉じてから、深く深く溜息を吐いたのだった。

 

「……済まなかった」

 

そうして、絞り出されたのは案外素直な謝罪の言葉だった。

 

「気が動転しておった。我の不徳といたすところだ」

 

「あー、まあ気持ちは分かりますし」

 

直前の激発が嘘の様な常識人ムーヴに若干以上に拍子抜けしながらも、暴れられないならこうしている意味もないので一先ず立ち上がってから蛇人さんにも「立てますか?」と声を掛けてみる。

 

「うむ、問題はないぞ」

 

すると、芝居がかった言葉遣いと共にヒョコヒョコと妙に愛嬌のある所作で頷きながら、蛇人さんもその場で立ち上がり、軽く服に着いた埃を払った。

 

「不調法をした。我は『ツイスト・スネイク』のKIYOという。そなたの名は何という?」

 

「あ、これはご丁寧にどうも」

 

一瞬、胸ポケットに手を入れた蛇人さんに身構えそうになるも、次に差し出されたのは綺麗な銀と緑で装飾された名刺で、そこには『ツイスト・スネイク』という文字の他に『No.1』という肩書きと『KIYO』というアルファベットが書き込まれていた。

 

(ホスト? か、それに類する何かか……)

 

蛇人さんの肩書きと名前……源氏名?からそんな事を考えつつ、ぼくも一応自己紹介をしておく。

 

「えっと、病葉(わくらば)濁路(だくろ)です。肩書きとかは特に無いで?」

 

が、我が事ながらスッカスカの自己紹介は、突如鳴り響いた電子音によって遮られる事になった。見ると、その出処はKIYOさんの内ポケットらしく、設えの良いスーツの袂からやや華美なクラシックか何かが流れ出ている。

 

「しまった!?」

 

はて?と首を傾げるぼくの前で、KIYOさんがなぜか焦ったように悲鳴を上げる。そして、二度三度とスマートフォンをタップすると、頭でも抱えたいかの様に「ぬおおおお!?」と懊悩の呻き声を吐き出したのだった。

 

「えっと……大丈夫ですか?」

 

あまりにも極端なKIYOさんの反応に、ぼくは直前まで殆ど殺し合いに近い争いをしてたにも関わらず、ついそんな声を掛けてしまう。

 

「う、うむ……いや、そなたを煩わせ……」

 

「あの?」

 

顔を上げたKIYOさんは大丈夫だとでも言うように手を上げ、そしてなぜかぼくの方を見るとピタリと硬直したのだった。んー?

 

「濁路だったな。そなたは人間だな?」

 

「ええ。見ての通り」

 

なぜか唐突にそんな事を聞いてきたKIYOさんの勢いに押されて頷くと、KIYOさんは「うむ、うむ」と何かを確かめるようにヒョコヒョコと繰り返し頷いた。

 

「なら、普通免許は持っているか?」

 

「え、ええ「よし!」

 

ぼくが再度首肯すると、KIYOさんはグッとガッツポーズをした。えっと……?

 

「あの、一体何g「濁路! 今日一日、我のドライバーをせんか!? 駄賃は弾むぞ!?」

 

思わず問い返そうとしたぼくに、KIYOさんは掴み掛からんばかりの形相でそう言った。正直、ドアップの蛇人の顔は色々と怖いんだけど、それ以上に真剣な表情に気圧されたぼくはつい「あ、はい」と頷いてしまっていたのだった。

 

「よし! よぉし!!」

 

ぼくが了承を伝えると、拳を握ってさっき以上に大袈裟なガッツポーズを取る。

 

「あの「それでは早速だが、出立するぞ! 車はこっちだ!」うおっと」

 

一体何が?と尋ねかけたぼくの手を引っ張って、KIYOさんがバタバタと走り出す。蛇人特有のひんやりとした手指の感触を追い掛けながら、ぼくは一先ず追い立てられるように、小路の脇に置かれた小さめのワゴンへと乗り込んだ。

 

「行き先は?」

 

「ナビを立ち上げれば、一覧が出るようになっておるぞ」

 

シートベルトを締めながら後ろのKIYOさんに尋ねると、運転席と助手席の間からニュッと首を出したKIYOさんが「ここだ」と鼻先でタコメーターの隣にある液晶画面をつついた。映し出されたのは駅前で見るこの町の地図そのもので、順路も決められているのか何件かの住所と赤いチェックマーカーが立てられていた。

 

「これ、上から向かえばいいんですか?」

 

「うむ」

 

KIYOさんの首肯に、ぼくも一先ずアクセルを踏む。他の所は分からないけど、最初の一件は少し急がないとますそうだった。

 ブロンッとエンジン音が鳴って小路を出る際に、先の斬殺死体達の横を通り過ぎる。直前の争いから少し時間が経ったのもあってか車輪が取られる様なことはなかったけど、散らばったままの死体は少し気になった。

 

「あの……KIYO……さん?」

 

「む? どうかしたか? 濁路よ」

 

「えっと、さっきの死体はあのままで良かったんですか?」

 

「ああ、あれか……」

 

ぼくの質問に、一瞬渋い顔になるKIYOさん。

 

「仕方あるまい。あれも大事ではあるが、我のこれ(・・)もまた大事だからな。今さっき店長に連絡は入れた以上、後は他の者に任せるしかあるまいて」

 

そう言って、ほぅ……と溜息を吐いたKIYOさんが憂いを帯びた視線を流れる灰色のコンクリート達に向ける。

 

「まあ、それで良いならぼくからは何も……」

 

これ以上は特に首を突っ込む事でもなかったのもあって、ぼくは丁度赤に変わった信号を見上げながらブレーキを踏み込んだのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 そんなこんなで始まったぼくの日雇いバイトは結論から言えばいわゆるデリヘルの送迎にあたる仕事だった。

 最初の1件目で到着したのが十二支町でも比較的大きなビジネスホテルで、そこで2時間ほど待つように伝えられて駐車場で時間を潰していると、出ていく前とは明らかに違う石鹸の匂いを漂わせたKIYOさんが整え直された身なりと共にホテル裏へと戻って来たのだった。

 そうして降車すること五回。その先は最初の様なビジネスホテルの時もあれば、安っぽいアパート、果ては分かりやすくピンク色をした城型のホテルの時なんかもあった。

 やがて黄昏刻を過ぎて夜の帳が降りた頃、KIYOさんが「次が最後の一件だ」と言って指示したのは町中から外れた住宅街の更に外。下界の民家を一望出来る小高い丘の上にある巨大な邸宅だった。

 これまでと同じ様にKIYOさんを降ろしてからワゴン車のシートに体を預けていると、身形を確かめていたKIYOさんが「そういえば濁路よ」と不意にヒョコッと鎌首を持ち上げた。

 

「そなた、腹は空いてはおらぬか?」

 

「へ? あ、まあ」

 

唐突な確認に一瞬戸惑うけれど、朝からこっち殆ど飲み物だけで過ごしていたから、結構お腹は空いていた。

 

「であれば、付いてくるがよい。別室で夕餉の用意を頼もう」

 

KIYOさんが顎でしゃくった方を見て、ぼくは少し考える。

 

「む? どうかしたのか?」

 

一拍置いたぼくに、KIYOさんは少し不思議そうに小首を傾げた。

 

「どうしたってほどでもないんですけど」

 

「うむ」

 

「こんな立派な御屋敷で不調法を働いちゃったら怖いなーと思って」

 

飛び切り食べ方が汚いとは思わないんだけど、作法が完璧かと問われたらそれもNOだし。

 

「なんだ、そんなことか」

 

ぼくが正直に答えると、KIYOさんは一瞬キョトンと目を見開いた後、ケラケラと笑い出した。

 

「別に会食などという訳ではないのだ。そう肩肘張らんでも問題ないぞ。元より、屋敷には客の連れ合いを待たせる部屋もあるからな。そなたが主人と顔を合わせるのも最後の最後くらいよ」

 

「そういうことなら、ご一緒させてもらいますね」

 

KIYOさんの説明通りなら、そこまで気にしなくてもいいらしい。まあ、最初に見苦しくない程度には立ち振舞は気を付けようかな。

 

「うむ。遠慮はよくないぞ」

 

ぼくが車に鍵を掛けると、待っていたKIYOさんは満足そうに頷いたのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 KIYOさんに付いて屋敷の裏口を潜ると、屋敷の使用人らしい着物姿のお爺さんが「お待ちしておりました」と慇懃に頭を下げた。

 

「お待たせして申し訳ない。御指名いただいた『ツイスト・スネイク』のKIYOだ。こっちは今日のドライバーでな。まだ夕飯を取っておらぬのだ。すまぬが用意を頼めるか?」

 

「承知いたしました。少々ここでお待ち下さい。先に奥様の所へご案内させていただきますので」

 

再び丁寧に頭を下げたお爺さんは「どうぞこちらへ」とKIYOさんに暗い屋敷の廊下へと案内を進める。

 

「では行ってくる」

 

「はい」

 

「恐らく一時ほどだが、もしかしたら延長もあるかもしれん。流石に三度はないと思うが、その時は一度遣いをやる」

 

「承知です」

 

付け加えたKIYOさん言葉に頷くと、ぼくは薄暗がりに消えるその背中を見送りながら、少し固くなった身体を振り解したのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

「ふぅ……ごちそうさまでした」

 

 人気の無い四畳半で、ぼくは軽く両手を合わせた。あの後、KIYOさんを送り届けたお爺さんに案内された部屋で出されたのは多分屋敷の料理人さん達の賄い(・・)の残りだった。

 野菜の端や、魚のあらなんかが使われた御膳だったけれど、その一つ一つが素人目にもとても丁寧に調理されていて、一口食べれば普段の外食ではまず口にすることのない、ほんのりとした出汁の旨味溢れる品々だった。

 数年ぶりに口にする上等な食事に、思わず無言で箸を動かしたぼくは半刻もしないうちに御膳を残さず平らげてしまっていた。

 

「茶などはいかがですかな?」

 

と、ぼくが食事を終えたのと殆ど同時、見計らっていたかのように部屋の襖が開いて、さっきのお爺さんがヒョコリと顔を出した。

 

「あ、お願いできますか?」

 

単なるバイトでしかないのに至れり尽くせりなおもてなしをされて若干恐縮しながらも、つい言葉に甘えてしまう。

 

「分かりました。では、少々お待ち下さい」

 

「なああああああああああああああああ!?!?!?」

 

お爺さんが過分なくらい丁重に頭を下げたところで、突然廊下の奥から耳慣れない悲鳴が聞こえてきた。音域自体は高いものの、若干嗄声気味の音色が妙に印象的な……。

 

「すぐに持ってきますので」

 

「……」

 

つい首を傾げたぼくに、なぜかそう念押しをするお爺さん。その状況に、普段はまともに働かないはずのぼくのカン(・・)が今日この時だけはピンとある一つの可能性を導き出した。

 

「KIYOさん?」

 

それは、明らかに的外れな見解だった。

 今日一日、運転手(アッシー)として使われた身からすると、割りと話好きだったKIYOさんの声を流石に聞き違うはずもない。けれど、このKIYOさんの声と似ても似つかないはずの女の子の悲鳴が、今のぼくにはなぜかKIYOさんのものに思えて仕方なかったのだった。

 論理的に見れば明らかに見当違いな、けれど直感的にはなぜか切り捨てられない感覚に引かれて、ぼくはふらふらと屋敷の廊下に踏み出ていた。最初の悲鳴は一度だけで、それ以降薄暗い屋敷の中は静まり返ったままだけど、その出処の方角は何となく分かっていた。

 

「いや、しばらく」

 

と、直前の悲鳴の方に歩き出そうとしたところで、不意に掛けられた声にその一歩目を遮られた。見れば、先のお爺さんがニコニコと目尻を落としながらぼくの袖口を引っ張っていた。

 

「すみませんがそちらは主人の部屋などがございます。恐れながら、主人の許しなしには何方様であってもお通しすることが出来ないのです」

 

「それは……」

 

お爺さんが述べた正論に、ぼくは一瞬口籠る。確かに、その言葉はもっともだし、ぼくが声の方に向かおうとしたのも、似ても似つかないはずの女の子の悲鳴が何となくKIYOさんのものな気がしたからという、酷く曖昧なものだ。少なくとも、普通に考えたら勝手に奥へと踏み入る事を許されるような理由じゃない。そう、その理屈はよく分かる。けど、

 

「……」

 

その正論を向けられたぼくは、なぜか釈然としないものを感じてしまっているのだった。

 そんなぼくを見たお爺さんはやれやれとでも言うように溜息を漏らす。いや、まあ呆れられるのは当然では「そんなしゃかりきになっても仕方ないじゃないですか。あなた、所詮アルバイトでしょう?」!?

 宥め賺すようなお爺さんの言葉に、ぼくは思わず後ろを振り返った。今、この人はなんて言った?

 ぼくは確かにアルバイト……というか、殆ど行きずりの一日ドライバーだったけど、いや一日ドライバーだからこそ、最初と同じ様に正論で突っ撥ねればこれ以上は引き下がるしかなかった。けれど、今お爺さんが口にしたのは最初の正論とは正反対の懐柔を目的とした猫撫で声。それはつまり……それはつまりだ、

 

 

 

 

このお爺さんは悲鳴の事情を知っていて、しかもぼくを止めないといけないと判断したということになるんじゃ!?

 

 

 

 

一瞬で脳内に膨れ上がった可能性に煽られて、ぼくは衝動的にお爺さんの手を振り払うと、そのまま冷たい板間の廊下を全力で駆け出していたのだった。後ろの方でお爺さんが何かを喚いているのが聞こえたけれど、その内容は既にぼくの思考には届かなくなっていた。……うん、

 

(これで的外れなことしてたら、本当に犯罪者の仲間入りだね)

 

情動に任せて走り出しちゃったけど、これで普通にKIYOさんが仕事中(情事の最中)だったら完全にただの不審者な事実に、遅ればせながらに気付く脳髄に我が事ながら呆れ果ててしまう。

 

「本当に、ブラックには向いてない……ね」

 

自嘲しつつも踏み出してしまったものは仕方ない。既に賽は投げられたと自分の無思慮を羅馬の大英雄様に肖って誤魔化しながら、ぼくは泡沫のように浮かんでは消える後悔の念を振り切って一先ず足下の板間を蹴ることに専念したのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 広い屋敷の奥へとやってくると、ぼくは感覚のままに更に人の気配を手繰って走り続けた。正直、こういった邸宅の造りには詳しくないし、何度か道に迷いそうになったけど、所々にあった不寝番の詰所らしい部屋を辿っていけば何となく筋道を想起することが出来た。そして、

 

(あそこか)

 

点在する不寝番の詰所とは明らかに違う、素人目にも上等な障子が張られた一室。その一際煌々と浮かぶ夜燈の明かりに、ぼくはやっと目当ての部屋らしき一室に辿り着いた。そして、その部屋の障子戸に手を掛けると一息に両開きのそれを開け放ったのだった。

 果たして、そこには異様な光景が広がっていた。

 

 

―乱れ散らかされた上質な夜具―

 

―室内を埋め尽くすほどの、長い耳の獣人達―

 

―萎びた胸元と弛んだ皮膚を獣人に嬲らせながら、うっとりと微笑む婦人―

 

―そして、その中心で長耳の獣人達に犯されながらもキッと気丈に瞼を引き絞る不思議な髪色の女の子―

 

 

想定外の光景に一瞬頭が真っ白になっていると、えほえほと咳き込みながらも、なんとか口から兎人の男根を引き抜いた女の子が「なぜ来た!?」と吠えた。その声は間違いなくさっき廊下で聞いた誰かのもので、同時にその口振りは間違いなくKIYOのそれそのものだった。

 

「なんだてmガッ!?」

 

それが分かった瞬間、ぼくは手近にあった燭台を握ると、殆ど衝動的にKIYOさんらしき女の子の秘所を赤黒いペニスで犯していた兎人の喉を、全体重を乗せた突貫で刺し穿っていた。

 パラパラと霰のように砕け散る蝋燭の中、ぼくは敷布団の上で組み敷かれていた女の子を引き摺って背に庇うと、呆気に取られる兎人達の群れに剥き出しとなった燭台の穂先(・・)を向けたのだった。

 

 

 

――

 

―――

 

 

そして、状況は今に至る。あの後、一瞬こそ硬直した兎人達だったけれど、すぐにぼくが招かれざる侵入者であることを悟り、怒号と共に拳を振りかざして鏖殺するようにぼくと背中のKIYOさんに押し迫ってきたのだった。

 幸か不幸か、KIYOさんを輪姦(まわ)すためにセルフ武装解除している兎人が多く、辛うじてまだ捌けてはいるものの、このまま交戦が続けば先に力尽きるのは無勢なぼくの方だろう。

 ジワリと脳裏を過る焦燥は当然周囲にも悟られていて、周囲の兎人達は「いいぞ! このまま殴り続けろ!!」と活気付き、後ろのKIYOさんは「もうよい! おぬしだけでも逃げよ!!」と悲壮感溢れる悲鳴を上げている。いや、どっちも正論、どっちも御尤もなんだけどさぁ!

 

「あああああああああ!!!」

 

だからって、投げ出す訳にもいかないんだって!

 どうせギブアップしても私刑が待ってるのは分かりきってるし! 逃げても追いかけられるだけだし!! 逃げ切っても後から追手を掛けられるのが目に見えてるし!!! こっちとっくの昔に人生詰んでるんだってば!!!! それに……それに!!

 

(なんでこんなに……胸が熱くなるかなあ!?)

 

この瞬間、今この瞬間、ぼくは……病葉濁路は生まれてこのかた味わったことのない、謎の充足感に突き動かされていた。

 思えばヘタレ極まりないカスみたいな人生だった。ブラックな男に憧れて、その実小賢しいだけの自意識過剰小僧で、プライドだけが肥大したぼくは失敗のダサさが何よりも嫌いな潔癖症を拗らせたまま誰よりも無様な現実を受け入れられないどこに出しても恥ずかしい失敗作だった。そのぼくが、そんなぼくが……今、誰かを守っている!!!

 

「ははっ!」

 

本当のヒーローなら、そんな事を考えすらせずに生きているんだろう。本当に、ぼくはブラックどころか一番軽蔑していたレッド未満の塵屑だ。けれど、けれどそれでも、

 

「まだまだあああああああああ!!!!」

 

ぼくは今、沈殿物みたいな人生の中で絶頂期を迎えていた。

 故郷で周りに流されながら始めて、三年後に稽古歴一月の妹からあっさりと敗北を喫したヘタレ剣術もこうなると最高に頼もしかった。

 踏み出す事を恐れて、流派の正統とは似ても似つかない腰抜け剣術を晒していたぼくだけど、受け(・・)なら多少は覚えがある。このまま、時間を潰してどうにかなるかは分からないけど……少なくとも、このまま死ぬなら悪くなかった。

 一瞬脳裏を過るのは、朝見た裏路地の斬殺死体。蛇切縄にでも使われたんじゃないかってくらいズタズタにされたそれは近い将来の現実的なぼくの姿だろう。その間にどれだけの苦痛が待っているかは分からないけど、出来れば一息で死にたいところだ。流石にここまで抵抗してたら、その辺(武士の情け)は望むべくもないんだろうけれど……。

 それよりも気になるのは後ろにいるKIYOさんの方だ。さっきの状況を考えると、ぼくが倒れたらまた犯されるか嬲られるか殺されるか……正直、どんな結末が待っているのかちょっと読めない。そもそも、どうしてこんなことになってるのかとか、明らかに計画的な奥のおばさんの行動の理由とか、挙げればきりがない程に不明確なことばかりだった。と、なるとだ……

 

(なんとか、血路を切り拓くしかない……か)

 

 

ある意味で最も合理的で、ある意味で最も不合理な投機的結論に、ぼくの脳髄は行き着こうとしていた……のにだ、

 

 

 

 

「うひゃあっ!?」

 

 

 

 

その機先は突然上がった一つの悲鳴によって強制的に遮られたのだった。

 それは、ぼくとKIYOさんを鏖殺しに掛かっていた兎人から上がった。幾重にも跨った包囲の中段で、一匹の兎人が発したそれは次第に周囲の兎人達にも伝播して、俄に包囲に歪みが出来始める。

 

「?」

 

燭台の穂先を敵に向けながらも、状況が掴めず立ち尽くすぼく達の前で、その答えは兎人のどれかが発した一言によって齎されたのだった。

 

「火事だ!!」

 

「「「「「!?」」」」」

 

その一言に、部屋中の意識が一斉に声の方に向かう。果たしてそこには丁度一斗缶一杯程度のボヤ(・・)が上がっていた。でも、どうし……あ、

 

(完全にこれ(・・)のせいじゃん)

 

原因不明の火事の原因はすぐ目の前に存在していた。周りの兎人達を追い払うために振り回していた金物で出来た上品な燭台。その尖端に突き刺さっていたはずの蝋そのものが、最初の一合の合間に砕けてどこかへ飛んでいってしまってたのだ。そして、その帰結がそれ(小火)と……、

 

「!!」

 

降って湧いた火災騒動に、俄に慌てふためく兎人達。そんな兎人達を前に、先に下手人(・・・)へと行き着いたぼくは、一瞬早く次の一手を打つことが出来ていた。

 直前の乱闘で既に障子戸が吹っ飛んでいたのも幸いした。遮る物の無い中で、ぼくは注意を逸らした兎人達が気付いた頃には既に5メートルは先を突っ走っていた。

 

「待て、濁路! く、首が絞まっ!?」

 

腕の中では行き掛けに無理矢理引っ掴んだKIYOさん?が何か言ってるけど、それを聞いている余裕はあまり無い。というのも、

 

「おい! 双頭龍(デュアル・ファッカー)逃げたぞ!!」

 

そっち(小火)は後だ! あいつらを追え!!」

 

「だああああ!! やっぱりいいいい!!!」

 

先手を打ったは良いものの、一拍遅れて状況に気が付いた兎人達が当然ではあるものの、後から後から屋敷を飛び出して追撃を掛けてくるからだ。

 種族の特性と言えば仕方の無い話ではあるけれど、人間と兎人の身体能力には大きな差が存在する。こと聴力と脚力の差は大きくて、端的に言えば文字通り“兎と亀”と言って良かった。いくら一手出し抜いたとはいえ、所詮は一手でしかない。広い屋敷の敷地内では多少の猶予はたちまち縮められて寓話の亀と同じ様に後数歩の所まで肉薄される

 

「しっ!」

 

そして、背後の気配が後一歩に迫ったところで、ぼくはKIYOさん?とは反対の手に握っていたもう一つの重りをここで放棄する。それは先の室内戦からの相棒だった屋敷の高級な燭台で、鋭利な穂先はこんな乱戦の最中でも折れ曲がる事なく相対した敵を穿ち屠ったのだった。

 

「ぎゃっ!?」

 

半身を捻りながら投擲した燭台が先頭に迫っていた兎人の眼球を貫く。その肉体的ダメージのみならず五感の一つを奪われた兎人はバランスを崩して、上手いこと後続の数人を巻き込みなが玉突き事故を引き起こす。

 

「しっ!」

 

前に向き直りながら、ぼくは視界の端に映った光景にガッツポーズをする。そして、再び開いたリードを頼りに、ついに屋敷の門へと取り付いたのだった。

 

「っと」

 

 門に掛けられた古い閂を外して左手のKIYOさん?を外に放り出す。そしてそのまま後ろを振り返ると、案の定追い付いてきていた跳躍する兎人の横っ面に、その動きのまま堅い閂による一撃をお見舞いしてやる。

 

「がぼ!?」

 

遠心力を乗せた重い閂の殴打は覿面に効いたらしく、豪速球の様に襲い掛かってきた兎人が横っ飛びに吹っ飛んでいく。

 

「KIYOさん! 車の方に!!」

 

けれど、タイムリーヒットを飛ばしたぼくの方はその余韻に浸る余裕もなく、よたよたと拙い仕草で起き上がっていたKIYOさん(推定)を急き立てながら、ぼくは屋敷前に停めていた安物のワゴン車へと走る。

 

「はぁっ、はぁっ、クソッ!」

 

焦りで縺れる指を何とか叱咤して、車のロックを解除する。

 

「乗って! KIYOさん!!」

 

「う、うむ!!」

 

そして、反対側に行ったKIYOさん?がよじよじと後部座席に攀じ登ったのを確かめると、ぼくは即座にアクセルを全開で踏み込む。

 

「なっ、ぎゃあああああああああああああああ!?」

 

直後に何か白い物を吹っ飛ばした様な気もしたけれど、アドレナリンが出っ放しのぼくはそれ(人身事故)を気に留める余裕も無かったのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

「えっと、KIYO……さん?」

 

 兎人の邸宅を飛び出して数分。ようやく人心地ついたぼくは、若干不安になりながら後ろの女の子に声を掛けてみた。何ていうか、状況証拠的には殆ど黒でも、そもそもの根拠がぼく自身の勘というのもあって、「もしこれで単なる人違いだったら、ぼく完全に犯罪者だよなー」と今更ながらに思ってしまったのだった。

 

「どうかしたのか? 濁路よ」

 

けれど、その不安は杞憂だったらしく、後ろのKIYOさんは今日何度かそうした様に座席と座席の間からニュッと出した首を傾げた。

 

「やっぱりKIYOさんで間違いないんですよね」

 

もっとも、その首は屋敷の門を潜る前に比べて大分短く、可愛らしくなっちゃっていたけれど。

 

「まあ……な」

 

ぼくの念押しに、疲れたように頷いたKIYOさんがふぅ……と大きく溜息を吐いた。その両眼は御髪と同じく銀と花緑青の混ざった様な不思議な睫毛に縁取られ、幻想的な金色の瞳も相まって、まるで想像上の宝石か何かのようにすら錯覚してしまった。ただ、それでも縦に裂けた瞳孔だけは相変わらずで、可憐な(純白の)美貌に一点蠱惑的な色気(染み)が浮かんで見えた。

 

「えっと……随分と可愛らしくなっちゃって」

 

目の前の現実に掛ける言葉が思い付かず、結局ぼくは直接的な感想を馬鹿正直に口にしてしまった。

 

「ははっ、そうだな……その通りだ」

 

ぼくの言葉に、自嘲混じりに喉を鳴らしたKIYOさんは座席の間から滑り出てくると、「よっ」と隣の席に腰を降ろした。そして、しばらくの間ぼんやりと流れていく代わり映えのしない景色を眺めた後、ふと何か思い出したかのように「のう、濁路」と声を掛けてきた。

 

「なんですか?」

 

「なぜ……なぜ、我を助けた?」

 

「えっ……」

 

その言葉は直前の行動を問い正すものだった。

 

「もしかして、まずかったですか?」

 

ここに来てのまさかのどんでん返しの可能性にぼくが焦ると、隣のKIYOさんは「いや、そうではない」と首を横に振った。そして、何かを誤魔化す様に「詮方無い事を尋ねた。忘れてくれ」と言ってチロリと人のものにしては妙に細長い舌先を唇から漏らしたのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

「今日は世話になったな」

 

 あの後、町中に出たぼく達はKIYOさんのナビに従ってとある裏路地に来ていた。そこは一つ挟んで歓楽街に繋がる月極め駐車場で、周りには似たようなサイズのワゴン車がやや疎らに並んでいた。

 

「いえ、まあ……」

 

差し出された封筒(日当)と引き換えに、ぼくは閉め終えたワゴン車のキーを返却する。一瞬言葉に詰まったのは、KIYOさんにとったら災難極まりない一日でも、ぼくにとっては人生で一番に充実した日だったから……なんて本音は口が裂けても言えないだろうけどね。

 

「もう、会うことはないであろう。その方が良いであろうからな。そなたにとっても我にとっても」

 

「まあ、ですね」

 

そう言ってはにかんだKIYOさんの言葉に、ぼくも頷き返す。多分、これは半分本音で、もう半分は気遣いだろう。明らかに面倒事の真っ最中なKIYOさんにしたら、共犯者(道連れ)は一人でも多い方がいい。けれど、行きずりでしかないぼくからしたら単なる災難でしかない訳で。そのKIYOさんの意地に突っ込むほど、ぼくも野暮ではないつもりだった。

 

「じゃあ、これで……あ、」

 

そう言って、背を向けたところで、ぼくはふとある忘れもの(・・・・)を思い出す。正直、最初で最後の話だし、これくらいなら聞いても許されるだろう。

 

「そういえばKIYOさん、最後に一つ良いですか?」 

 

「む? どうかしたのか?」

 

「KIYOさんの名前って何ていうんですか? 源氏名じゃなくて、本名の方で」

 

「ほう?」

 

ぼくがそう尋ねると、一瞬虚を突かれた様に金色の両目を見開いたKIYOさんはすぐに楽しそうに顔を綻ばせてニカッと人にしては白く鋭い毒牙を覗かせた。

 

末淵(すえぶち)道清(みちきよ)だ。この町(十二支町)に流れて来て幾星霜、最早知る者も数える程しか居らぬようになったがな」

 

「末淵、道清……」

 

何ていうか、凄く時代がかったというか、随分と厳しい名前だった。何なら、精巧な人形染みた今のKIYOさん(銀髪の女の子)を想定してみれば、そのギャップは更に大きなものになる。けどまあ、本人の仕草や言葉遣いなんかはむしろピッタリと嵌っている気もして……何ていうか、全部まとめてKIYOさんらしい気がしたのだった。

 

「うん、ありがとうございます。多分、この先ずっと忘れません」

 

「そうかそうか!」

 

数度その名前を反芻してからお礼を言うと、KIYOさんは満更でもなさそうに頷いた。そうして最後の言葉を交わしたところで、今度こそぼくとKIYOさんの間には何一つ思い残す事が無くなるのだった。

 

「じゃあ、これで」

 

「うむ、達者でな!」

 

軽く手を振ってから背中を向けると、後ろの方でKIYOさんがブンブンと力一杯手を振り返しているのが分かったけれど、ぼくは振り返らなかった。ブラックを気取った訳じゃなかったけれど、何となくそれで良い気がした。

 

 

 

 

 

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