ブラック不合格   作:現実逃避

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床上手

「知ってる天井だ……」

 

 フッと切り裂かれた暗闇の奥で、所々に染みの浮いた板張りを見上げたぼくの口は自然とそんな言葉を紡ぎ出していた。

 まだ微睡みの靄に意識を包まれながらもお腹に力を入れて上体を起こすと、そこには見慣れ過ぎて見慣れたという感想すら浮かばなくなった、ぼくの安アパートが広がっていた。

 見れば、足元には脱ぎ捨てたままのジーパンなんかが散乱していて、殆ど崩れ落ちる様に煎餅布団へと潜り込んだ時の記憶そのままの姿を晒している。

 

「……」

 

どうやら、懸念していた襲撃(・・)なんかは起こらなかったらしく、ぼくはこうやって無事に当たり前の朝を迎えることが出来たらしかった。

 

「んっ……」

 

軽く伸びをしながら寝床を這い出ると、投げ出していた服に袖を通して、軽く口を濯いでからコップ一杯の水道水を飲み下した。

 

「ふぅ……」

 

そうして、ようやくクリアになり始めた意識の中で、ぼくはもう一度代わり映えのしない朝の景色を振り返った。

 せせこましく埃っぽいワンルームアパートは記憶の中のそれと寸分違わず、能面ですらもう少し表情豊かな気がする。

 

「はぁ……」

 

まるで、昨日の騒ぎが嘘のような変化の無い朝に、ぼくは知らず知らずのうちに小さく溜息を漏らしていた。

 戦隊ものの様な展開を期待していた訳じゃないけれど……現実がドラマチックに激変する訳がないのもむしろ真理なのかもしれない。

 

(じゃなきゃ、誰も戦隊シリーズなんて見ようとしないしね……)

 

 もしかしたら、何年か経って“あの時に死ねてれば”なんて悔む日が来たりするのかな?

 そんな、自意識過剰なIFを考えながら、ぼくは今日の暮らしのために、いつものごとく部屋を後にしたのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

「おっしゃそこだ!!!」

 

「ぶっ殺せ! ぶっ殺せ!!」

 

 役所に行く途中、道を一つ曲がったところで突然の怒号に殴り付けられた。見れば声の主は小さな公園に出来た無数の人集りで、その中心ではパンツ一丁でしばき合う犬と猿の獣人の姿があった。

 

(あ、プロレスか……)

 

ぼくもついびっくりしちゃったものの、すぐに見慣れた光景(・・・・・・)でしかないことに気付いてリングと人集りから視線を外した。

 この十二支町はプロレスがとても盛んな町だ。それというのも、ルールが厳格化されて種族特性もガチガチに区切られた他の格闘技と違って、プロレスは細々とした理屈抜きに全ての獣人の人達が全力で殴り合える貴重な格闘技だからだ。自然、町の子供達も十四の種族の別なくプロレスを嗜むし、将来的には新たなプロレスファンを生み出すようになる。まあ、体重差や体格差を埋めるために、しばし武器や道具が持ち出されるのは御愛嬌だけどね。

 そんな事情もあって、十二支町には町の至る所に四角いプロレスのリングが設置されている。それぞれのリングはマッチが行われていなければ自由に対戦をすることが出来たし、何なら町中の細かな争い事なんかはプロレスで決まることもざらにあった。

 

「ウッ……キャアアアアアアアア!!!!!」

 

と、リングの上で柴犬の犬人を殴り飛ばした、フェイスペイントを施した猿人のレスラーがヒラリとコーナーポストの一角に跳び乗る。そして、渾身の気合いとともに天辺を蹴ると、中空で綺麗な半円を描き、リング中央に大の字となった犬人をズダンッ!と自身の全体重で押し潰したのだった。

 

「「「「「ワンッ! ツーッ!! スリーッ!!!」」」」」

 

「ウッキイイイイイイイイイイイイイ!!!!」

 

そして、周囲大歓声によって勝利を告げられた猿人のレスラー高々とその右拳を突き上げるのだった。

 

「よっし!!! よくやった佐助!!! これで今月の出店は俺達の屋台で決まりだ!!!」

 

「クソッ! 0.1早かった! 0.1早かっただろうがよお!!」

 

そんなレスラー達の勝敗を前に、渾身のガッツポーズを決めるのは捻り鉢巻の鳥人のおじさんで、その隣では同じく鉢巻姿の牛人のおじさんが周りの人達に同意を求めるように人差し指を立てつつ食って掛かっている。どうやら、この公園に出ている出店の順番争いだったらしく、リング上の猿人は下の鳥人の所の従業員ということみたいだ。

 

「お、今月はクレープか。こりゃ娘達に土産を買って帰らないとな」

 

「うわー、マジか。一ヶ月たい焼き無しかよ」

 

出店の決定に観客の人達も悲喜交交。歓声と絶望を至る所で、上げている。っていうか、そこは焼き鳥と牛串じゃないんかと。

 

「ま、いっか……」

 

それより、役場に急がないと、

 

「そういや、来週は『ツイスト・スネイク』と『プレイボーイ』のカードだったよな」

 

「!」

 

そう思って通りに戻ろうとしたところで、最近聞いたばかりの店名に、ぼくははたと足を取られたのだった。

 振り返ると、既にリタイヤ済みらしい年格好の人間と鼠人のお爺さんが喧々諤々次のカード(・・・・・)の議論を交わしているところだった。

 

「ネズ公はどっちが勝つと思う?」

 

「どうなるかな……やっぱり『ツイスト・スネイク』のKIYOじゃねーか? あいつのコブラツイストは名人技だし、流石に『プレイボーイ』にゃ相手がいねーだろ」

 

果たして、その二人が口にした名前は偶然なのかはたまた単なる別人だったのか。ぼくが知る唯一の蛇人のものだった。

 

「あの……」

 

「「あん?」」

 

そう考えたところで、ぼくは思わずその二人の会話に割って入っていた。

 

「その話って本当ですか?」

 

ぼくの言葉に一瞬鳩が豆鉄砲をくらったような顔になった二人は、一度顔を見合わせるとごく淀みなく首を縦に振ったのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

「まさか、昨日の今日でここに来ることになるとは……」

 

 朝日のキャンバスの上でおどろおどろしいメイクの細部までを晒す、二匹の金色の蛇を見上げながら、ぼくは思わずそう呟いた。

 その蛇達が囲うのは斬り刻まれたように荒っぽい『ツイスト・スネイク』の文字。昨晩はネオンの切れた時分に、裏口からKIYOさんを見送っただけで、殆ど表看板を見るタイミングが無かったけど、こうしてまじまじと見てみると結構お金がかかってそうに思えた。と、それはそれとしてだ、

 

(どうしたものかな……)

 

さっきのお爺さん達の話を聞いて、つい役所にも行かずに足を向けちゃったけど、正直、ぼくとKIYOさんの間で連絡先の交換なんかは一切やっていなかった。どうせ昨日一夜だけの関係で、今後会うことがあってもそれは純粋な偶の結果だろうとどちらともなしに感じていたからだ。ただ、そうなるとこんな所(店先)でブラブラしてても迷惑なだけなんだよなあ……

 いっそ、話を諦めてこのまま役所に向かうべきかなんて考え出した頃、

 

「えっ?」

 

不意に目の前のスタンドが張られたドアがガチャリと開いて、扉に吊るされていたらしい大振りの鈴がカランと少し濁った音を奏でたのだった。思わず扉の先に目を向けると、艶々と朝日を弾く銀糸と花緑青の長髪。

 

「そこな者よ。まだ今日は店を開けておらぬ。しばし待つがよ……」

 

「どうも……昨日ぶりです」

 

一瞬驚いた様に金色の両眼を見開いたKIYOさんに、ぼくはそう言って片手を上げたのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

「ほれ」

 

「いただきます」

 

 トンッと目の前に置かれたロンググラスと、それを差し出したKIYOさんにお礼を言って、ぼくは飴色の紅茶に口を付ける。シロップやミルクといった雑味の類を一切入れていないそれは、特売のペットボトル品でもスッと薫りが鼻腔を潜り抜けて冷たく意識を覚醒させてくれる。

 

「して、どうしてこんな所にやって来たのだ?」

 

そんなぼくの前で、広めのソファにドカッと……チョコンと?胡座をかくKIYOさん。

 

「今、何か無礼な事を考えんかったか?」

 

「いえ、滅相もない」

 

自身の膝頭に肘を立てて、不機嫌そうに頬杖を突くKIYOさんから視線を逸らしつつ、ぼくはツツーッと紅茶を飲み干す。

 

「……」

 

そんなぼくをジトーッと見ていたKIYOさんだったけど、ぼくがグラスを空にすると諦めたようにため息を吐いて、代わりの紅茶を注いでくれたのだった。

 

「実は、さっき外れの公園にあるリングで気になる事を聞いたので」

 

「ほう?」

 

スー……と捩れ一つ無くグラスを満たす紅茶を見下ろしながら口を開くと、ペットボトルを傾けたKIYOさんが「ほう?」と小首を傾げた。

 

「して、その中身は?」

 

「えっと……」

 

中身といっても、そんな大した事じゃない。今度の週末に『ツイスト・スネイク』と『プレイボーイ』がリングで白黒をつける予定ということ、その『ツイスト・スネイク』側代表がKIYOさんだということ。ぼくは又聞きの事情を頭の中で要約してから、まとめてKIYOさんにぶつけてみたのだった。

 

「……ふむ」

 

 ぼくの話にじっと耳を傾けていたKIYOさんは、それが終わるとコクリと一つ頷いた。

 

「で、どうなの?」

 

「そうだな……答える前に一つ確認するが、おぬしこの話を聞いてどうする?」

 

 そんなKIYOさんに、つい気が急いて問重ねてしまうと、チロッとこっちを見上げたKIYOさんがどこか重々しい口調でそう問い返してきた。

 

「え、それ「昨日の事をもう忘れた訳ではあるまい?」それは……まあ……」

 

KIYOさんの言葉に、ぼくは正直気圧されていた。脳裏を過るのは朝日に照らされた無数の割腹死体と邸宅に充満した兎人の群れ。まだ記憶に新しいその光景は確かにぼくの記憶へと深く深く刻み込まれている。

 

「昨日のことは我ももちろん記憶に刻み込んでおる。それこそ、この末淵(すえぶち)道清(みちきよ)が生き得る限り決して忘れ得ぬほどにだ。しかし、だからこそここで終わらせておくべきなのだ。他ならぬ恩人たるおぬしのためにも」

 

可憐な風貌とは正反対の真剣な表情で滔々と語りかけてくるKIYOさんの言葉は、その表情とは裏腹にどこまでもぼくを気遣うものだった。

 

「これ以上首を突っ込むと、火傷では済まなくなるぞ……よいな」

 

「それを飲んだら去るがよい」と最後に言い置いて、音も立てずに席を立つKIYOさん。暗がりになった店内で、その表情は伺えない。ただ……

 

「……」

 

あやふやなままに、KIYOさんに会いに来たぼくの思考回路は、相変わらず右往左往を繰り返しているのだった。

 

「もし……即答出来ていたらかっこよかったんだろうけどね……」

 

ようやくぼくの喉が言葉を発したのは、カウンター奥の部屋へのKIYOさんが引っ込みかけた後のことだった。

 

「KIYOさんがぼくの事を考えて突き放してくれたのは分かるんです」

 

KIYOさんの背中を追い掛けながら、ぼくは何とか纏まらない思考を紡いで言葉を搾り出した。

 

「ただ、昨日の事を考えると……多分、ぼくも顔を覚えられちゃってると思うんです」

 

「故に付き合うと?」

 

「付き合うって言って良いのかはちょっと分かりませんけど……」

 

状況に追い詰められてというのが情けない話ではあるけれど、それでも本当に放り投げないで済んで良かったのかもしれない……これが自分の意思でって、胸を張って言えたら良かったんだけどね。

 

「ただ、ぼくはもう一度あの人数で包囲されたら、また逃げ切れる自身はありません……自分で言ってて情けないですけど。けど、それなら、このままジリ貧になるより先に何かしらの手を打つしかない……そんな気がするんですが……」

 

最後の最後に震え出す声の情けなさに、自分自身の情けなくなるけれど、口にした言葉に嘘やごまかしは無いつもりだった。少なくとも、このまま各個撃破される未来だけは取るべきではないと思う……もう少し堂々と主張出来てたらよかったんだけどね。

 

「……」

 

つっかえつっかえになりながらも何とかそう言い終えると、ぼくは今度はKIYOさんの反応を待った。正直、怒られるか、或いは呆れられるか……

 

「一蓮托生……か」

 

そんな不安に駆られながら銀色の背中を見つめていると、不意にフッと溜息を漏らしたKIYOさんが、そう呟いた。

 

「えっ「もし、ここから先を聞けば、最早後戻りは出来ん。我もまたおぬしの足抜けを許さん……その覚悟があるのであれば、話して聞かせよう」……」

 

そして朗々と響く、どこか歌い上げる様な言葉に、

 

「……」

 

ぼくは熱に浮かされたようになりながらも、首を縦に振り降ろしたのだった。

 

「そうか……存外にバカだな」

 

そう言って、ヒラリとカウンターを跨ぎながら飛んできたKIYOさんは、さっきと同じ様にドスッとぼくの目の前のソファに胡座をかくと、ニヤッと笑って白い毒牙を覗かせる。出し抜けに揶揄するような悪口を言われたけど、あんまり悪い気はしなかった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

「まず、話をする前にだが……濁路、おぬしはこの町の女性向け性産業についてどの程度知っておる?」

 

 徐ろに口を開いたKIYOさんの第一声はそんな問い掛けだった。

 

「えっと、確か兎人と蛇人……あと馬人がトップシェアを争ってるんですよね?」

 

「そうだ」

 

記憶を思い起こしながら返した答えに、KIYOさんはコクリと頷く。

 

「では、なぜその三種族がトップシェア争いをしているかは知っておるか?」

 

「あ、それはちょっと……」

 

正直、考えたこともなかった。というか、女性向け風俗ってつまり男娼ってことだし。

 

「まあ、普通はそうであろうな。では、ヒントをやろう。女性向け風俗があるのであれば、当然男性向け風俗も存在する訳だが、こちらのシェアでは概ね兎人>>馬人>>>>>蛇人となっておる」

 

「つまり、男性の蛇人にしかない特徴が理由だと?」

 

「……」

 

ぼくの確認に、KIYOさんは微笑を浮かべるだけで、それ以上何かを口にすることはしなかった。んー……?

 ぼくは少し頭を捻ったけど、どうにもピンと来るところがない。男性は同程度の価値なのに、女性は大きく差が開く要素。男女差、雌雄……………

 

「あ」

 

そうきて暫く首を捻っていたところで、ふとぼくはある事を思い出した。

 

「気付いたか?」

 

そんなぼくを見詰めながら、ニヤニヤと心底愉快そうにチロチロとピンク色の舌先を見せるKIYOさん。正直、蛇人のそれみたいに細長くはないせいか、どちらかというとネットリとした動きで、やたらと蠱惑的な舌舐めずりに見えてしまう。まあ、それは置いておいてだ、

 

「もしかして、物凄いフロイト的な話をしようとしてません?」

 

「性風俗に纏わる話がフロイト的でなかった例などまずあるまい」

 

恐る恐る尋ねたぼくに、KIYOさんはカラカラと笑いながらグッと親指を立て……いや違う。人さし指と中指の隙間にその親指を捩じ込んだ。

 

「それで、答えは分かったか?」

 

一頻り笑い終えて、細めた双眸から流し目を送ってくるKIYOさんの表情に、ぼくは「すっごい言いたくないんですけど……」と応じてみるも、明らかに楽しんでいる風なKIYOさんを見たら、どう考えても言うまで引き下がってくれなさそうだと諦め、仕方なしに肺の空気を入れ替えてから頭に浮かんだ“答え”を口にしてみるのだった。

 

「原因は男性器の差……ですね?」

 

「なんだ。おぬし不能か? 日和っとらんでちんぽと言わんか! ちんぽと!」

 

「ああもう! ちんぽちんぽちんぽ!! ちんぽ違い!!! これでいいでしょう!?」

 

ブーブーとブーイングをしてくるKIYOさんに煽られて思わずそう返しちゃうと、ぼくの“ちんぽ”を聞いたKIYOさんは「うむ! それでよい!」と大きく頷くのだった。いや、これ中身成人男性だからセーフ……セーフ?だけど、傍から見たらぼくの手が後ろに回りかねないからね?

 

「フハハハハ! 良いではないか良いではないか!」

 

「良くねーんだよクソ野郎」

 

何か、ここまで来ると敬語を使ってる事自体馬鹿らしくなってくるんだけど、ぼく間違ってないよね?

 

「ま、そうだな……」

 

一頻り笑い終えたKIYOさんが目尻に薄っすらと浮いた涙を拭いながら、ヒーヒーと腹を抱えつつ大きく頷く。

 

「馬人に兎人、そして我ら蛇人はおよそ他の種では不可能な交合がそれぞれに出来るのだ。馬人は周知の通り獣人随一の巨根。兎人は底無しの精力。そして、我ら蛇人は“こいつ”だな」

 

そう言って、KIYOさんが胡座をかいた股間の前でニュッと手を“チョキ”の形にしてみせる。

 

「この十二支町に集う十三の獣人とその間の中で、我ら蛇人は唯一無二の“二本差”な訳だな」

 

「ソッスネ……」

 

うん、まあ考えていた通りだった。

 

「この“二本差”で、我ら蛇人は馬人の巨根や兎人の絶倫と渡り合ってきた訳なのだが、これが兎人にとり極めて目障りだったのだ」

 

「まあ、そういう事なんでしょうけど……」

 

KIYOさんの説明を事実と照らし合わせて頷きつつも、ぼくは同時に浮かんだ疑問符に首を傾げる。

 

「でも、なんでそんな殺人にまで手を染めるような事になっちゃったんですかね?」

 

「分からぬ!」

 

「っておい」

 

分からんのかよ。

 思わずズッコケたぼくをケラケラと笑いながら、「分からんが、見当はつく」と言葉を続けた。

 

「先の話に戻るが、この十二支町の性風俗のうち、女性向けのシェアは蛇人、馬人、兎人の三種族が握っておるのだが、それとは裏腹に男性向けの蛇人風俗は常に最底辺だ。体躯を生かしたマットなどの独自路線の開拓に努めてはおるのだがな」

 

「つまり、男性向け風俗の蛇人のシェアが最底辺なんだから、女性向け風俗の方のシェアも同じく最底辺に落としてやろうと?」

 

フィジカル的な差異もあるのに無茶苦茶な……そう思ったのに、KIYOさんはニヤッと外見(少女の顔)に似合わないシニカルな笑みを見せてくる。

 

「兎人は多産な獣人でな、こと性風俗店は軒並み親族……家族経営と言っても差し支えない。故に親族会議で女子衆にやややんや言われたのだろうよ」

 

そう言って、KIYOさんは軽く肩を竦めてから少し曇った店内照明のシェードをチロリと見上げる。

 

「この十二支町で兎人はかなり窮屈な生活をしておる。元より多産な種なところち、如何せん他の十二獣人一人間と比較しても秀でたと断言出来るところが少ないからな。多少脚は速いがそれこそ馬人や空を行く龍人鳥人にはどうにも劣る上に、積載量の時点で大きな差があるからな」

 

「進出出来る事業が無いが故の性風俗に対する拘泥か……」

 

ぼくがそう呟くと、KIYOさんは肯定も否定もせず、静かに片目を瞑ったのだった。

 ぼくはそんなKIYOさんの顔を見ながら、ふと役所にある職業斡旋所にやってくる獣人の姿を思い出していた。

 あそこはいわば、この町の負け組達の見本市みたいなもの。その中にあって、兎人の白い耳は確かに少なくなかった。力仕事が出来る虎人や馬人、牛人なんかはまず見ないか、見てもさっさと仕事にあり付いて消えちゃうし、龍人なんかは一度も見たことがないのに対してだ。まあ、あそこで圧倒的なシェアを誇っているのは、ぼく達何の取り柄もないただの人間(・・・・・)なんだけど……。

 

「それで、KIYOさん……というか『ツイスト・スネイク』が目をつけられちゃった理由は?」

 

「恐らくだが、手頃だからだろうな」

KIYOさんはハンッと鼻を鳴らしながら肩を竦めた。

 

「大前提として、血に強固な繋がりのある兎人と違い蛇人は基本横の繋がりは希薄だからな。的にかけるのであれば基本は形成されたグループ単位。つまり店ごととなる」

 

「うん」

 

「そして、この『ツイスト・スネイク』は蛇人の風俗店の中でも小規模な組なのだが……」

 

「?」

 

一瞬口籠ったKIYOさん。言い辛い事と言うよりは、見た感じ気まずそうとも言い切れない何とも微妙な表情をしている。

 

「まあ、勿体ぶる話でもないのだが……自分で言うのも何だが、我は蛇人の中でもそこそこ名が売れておってな? その理由は過去に龍人とのプロレスの際にかなりもつれる試合をしたからなのだ」

 

「へえ……」

 

何視線を逸らして頬を掻くKIYOさんの横顔を、ぼくはついまじまじと見てしまった。

 この十二支町において、龍人は最強の種族だ。その力は絶大で、まず他の獣人では歯が立たない。まあ、その分存在自体が雲の上だから、そもそも他の獣人や人間なんかと相見えること自体が稀なんだけど。ん? あれ、まさか、

 

「もしかして、KIYOさん龍人とも何かで揉めたってこと?」

 

「いや、そうではない」

 

ぼくの質問に、KIYOさんはフルフルと(かぶり)を振る。

 

「以前、たまたま火遊びをしたいと気まぐれを起こした御婦人がおってな。そのリクエストもあって護衛におった龍人と一戦したのだ。もちろん、追加料金ありでな」

 

「で、それが知られていると」

 

「人の口に戸は建てられぬからな」

 

そう言って肩を竦めると、KIYOさんはクハッと面倒臭そうに欠伸をしたのだった。

 

「ま、そういうわけでだ、的としては小ぶりだが、落とせば得られる名声は少なくない。挫ける蛇人の店も……」

 

「なるほど」

 

KIYOさんの説明は直接的かつ明確だった。つまり、昨晩のあれは全て最終決戦で出てくるKIYOさん戦力を少しでも毟り取るためのもので、朝に見た身開き死体はその護衛を引っ剥がすためのものと……うん。

 

「どうだ? 逃げ出したくなったか?」

 

今聞いた話を加味して状況と事情を反芻していると、いつの間にか身を乗り出していたKIYOさんが舐め上げる様に、下から鋭い流し目を送ってきていた。

 

「えっと……」

 

「別に構わんぞ? 先にああは言ったが、どう考えても泥舟よ。事実、先の護衛の嬲り殺しを聞いた店の者共は残らず暇乞いをしてさっさと尻尾を巻いたわ」

 

「……」

 

あっけらかんとした、不自然に明るいKIYOさんの発言に、ぼくは一瞬言葉に詰まった。

 

「それをしたら、KIYOさんは……」

 

「我は逃げんぞ。元よりこの店の表看板は我であり、我こそが『ツイスト・スネイク』そのものだからな」

 

そう言って、胸を張るKIYOさんの姿をぼくは笑うことが出来なかった。

 安っぽいプライド……頭のいい人なら、そう思うのかもしれない。何なら、賢いつもり(・・・)のその他大勢なんかは挙ってKIYOさんを馬鹿にするだろう。一昨日のぼくだって、そんなその他大勢の一人でしかなかったかもしれない。いや、十中八九、斜に構えて賢ぶって、そう冷笑してただろう。けど、

 

(張る意地すら持てないような生き方をしてるのが、そんなに賢いものなのかね)

 

今、この一瞬。たぶんKIYOさんに、目の前の仲間も失って、誇りも何もかもも嬲られて、自分自身すら蹂躙されてなお立ち続けようとする蛇人の姿に魅入らされたぼくは、その首を縦に振ることが出来なかった。もしかしたら、こういうのを“カリスマ”なんて言うのかもしれないけれど……ね。

 

「それなら、ぼくも残りますよ」

 

 KIYOさんからあてられた熱を残したまま、ぼくはそう答えを口にしていた。

 

「!?」

 

そして、そんなぼくの答えが意外だったのか、視線を落としたKIYOさんはカッとその双眸を見開いた。まあ、気持ちは分かるけどね。ぼくも数秒後だったらこんな言葉を口にしてはいなかったし。

 

「おぬし……正気か?」

 

案の定、ニュッとぼくの顔を覗き込んできたKIYOさんは訝り九割の口振りでそんな事を言ってくる。

 

「まあ、正気じゃないと思います」

 

そんなKIYOさんの疑問符に、ぼくは正直に首を縦に振った。

 

「たぶん……いえ、間違いなくKIYOさんの熱にあてられたんだと思います」

 

苦笑……安っぽい自分自身へのをつい顔に上せながら、ぼくは自嘲を込めて肩を竦めた。

 

「けど、今逃げるよりは遥かにマシだとも思うんです……じゃなきゃ、本当にぼくは一生このままだ。情けない話ですけどね」

 

誰かに焚き付けてもらった“熱”に乗らないと、飛ぶことすら出来ない。ぼくは気球(・・)かなんて思うけれど、規定量の空気でちゃんと飛ぶ気球の方がいくらか上等なのかもしれない。少なくとも、後付けの神様を気取って何もしないクズよりはさ。

 勝手に“熱”にして、勝手に“のぼせ上がる”主体性の無さ……相変わらずカッコ悪い自分を最後のプライドで曝け出しながら、ぼくは目の前のKIYOさんを見詰め返した。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……バカだな、おぬしは」

 

そうして、無言の先にぷっと吹き出したのは、小さな肩と一緒にチロチロと舌先を震わせるKIYOさんの方だった。

 

「ぼくはバカじゃなくて、小利口ですよ」

 

本当にバカだったら、どれだけマシだったか。本当に、我ながら一番救いようのない人格をしている。

 

「だが、我のためにバカになってくれたのであろう?」

 

「なら、我にとってのおぬしは大バカモノだ」と言って、KIYOさんは破顔したのだった。

 

「しかしそうか、おぬしはそこまでの大バカモノか」

 

「期間限定だけどね」

 

何なら対象も限定だけど。

 

「なら、我らはこれより比翼連理。一蓮托生の存在だ!」

 

「あー、うん?」

 

後者は兎も角、前者はどうなんだ? まあ、いいけど。

 

「しかしそうなると、互いに互いの手の内を把握し合う必要もあるな……」

 

と、一頻り頷いたKIYOさんは、今度はパンッと手を打つと、そう言ってぼくに水を向けてきた。ふむ……

 

「まあ、そうですね」

 

「で、あろう?」

 

ぼくが同意すると、KIYOさんは嬉しそうに頷いた。

 

「では、早速一試合といこうぞ!」

 

「うん……うん?」

 

一瞬頷きかけたけど、ちょっと待って?

 KIYOさんがクイッと親指を向けたのは小さめの店内中央に鎮座する四角いリング……まあ、つまりはそういうことで、

 

「観衆がおらんのが少々物足りんが……ま、贅沢を言っても仕方あるまい」

 

「……あんまり上手くなくても、許してくださいね」

 

最下段からズサッと勢いよくリングインしたKIYOさんを追い掛けて、ぼくも花緑青のリングへと潜り込んだのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 KIYOさんに続いてリングに上がると、ぼく達は思い思いに準備運動を始める。単純に早朝っていうのもあったし、何よりここでケガをして肝心要であるKIYOさんの試合当日に支障をきたしちゃうのが一番まずいからだ。

 上、前、下、後ろと肩を伸ばしてから上体を反らして、今度は屈伸、開脚、長座体前屈と下半身のストレッチを一通りこなしていく。そうして、最後に全身をぶらぶらと揺すりながら隣のKIYOさんを見ると、KIYOさんの方も丁度準備運動が終わったところらしく「では、早速始めるとするか!」と、どこか好戦的で不敵な笑みと共にニヤッと口端を持ち上げて鋭い毒牙を見せてくる。

 

「了解です」

 

KIYOさんに了承を伝えてから一応上着を脱いで上半身だけ裸になると、反対側のコーナーに向かったKIYOさんがシュルリと着流しにしたガウンの帯を解いて、ファサリと袂を開いた。花緑青のガウンには日本画風のタッチで巨大な大蛇が踊り狂っていて、それがバサッ!と勢いよく宙に踊ると、キュッと黒いリングシューズの爪先を軸にその場でターンをしたKIYOさんが綺麗に切り揃えられた姫カットの銀髪の下で丸い眉をキリッと逆立て、両腰に拳を当てながら胸を張りながら、瞳孔が縦に割れた金色の双眸でぼくの方を傲岸に睥睨してきたのだった。

 雪原のような血の気を感じさせない肌と、人形染みた均質な美貌、そして何より仙骨部から伸びる長い長い花緑青の鱗に覆われた尻尾。一種幻想的なその姿に、相対した誰もが目を奪われるのかもしれない。実際、ぼくも一瞬目を奪われた。そう、一瞬。一瞬だ。いや、まあ普通にただの観客だったら、或いはKIYOさんの本当の姿を知らなかったら唯々目の前の存在に目を奪われて機能停止してしまっていたのかもしれない。つまり何が言いたいというか、何があったのかというとだ、

 

 

 

 

「よし! こ「なんで!! リンコスが男物なんだよ!?!?!?!?」

 

 

 

 

そういうことなのだった。

 足元を固める黒のリングシューズ、これはいい。両手首を保護する白のリストテーピング、これも問題ない。けれど肝心の全身、胴を覆うそれがものの見事に男物、要するに黒のパンツ一丁という出で立ちなのだった。

 

「我のリンコスなのだから当然であろう?」

 

絶叫したぼくに対して、「何言ってんだこいつは?」とでも言いたげにコテンと首を横に倒すKIYOさん。その仕草に釣られて少し緑がかった銀色の前髪がはらりと流れて、身長に比べると大分大きなおっぱいがたふんと揺れた。

 

「それは分かるけど! そういうことじゃなくて! 胸! 胸を隠してよ!?」

 

「はっはっは……断るっ!!!!!!」

 

視線を逸らしながら何とか上げた悲鳴に、KIYOさんは力強くNOを叩きつけてくる。いや、なんでそんなところで無駄な男らしさを発揮しちゃってるのさ!?

 

「我こそは『ツイスト・スネイク』のNo.1男娼にして、No.1レスラーのKIYO!! この店のトップオブトップとして、デビュー戦より守り抜いて来たストロングスタイルを変える訳にはいかん!!!」

 

「こだわりは分かるけどさあ!? 今、KIYOさん女の子!! 男娼トップだろうが何だろうが見た目は女の子!!! OK!? っていうか、下に履いてんのショートタイツじゃなくてTバックじゃん!? ストロング要素どこにもないじゃん!?」

 

「そちらの方が観客に受けが良いのだから当然であろう!? 我の“二本差”目当てのファンへのサービスよ!! それにこの方(Tバック)がチップをねじ込みやすいのだ!!!」

 

「それはもうストロングスタイル関係ないだろうがああああああああああああ!!!!!」

 

「ぶふっ!?!?!?!?」

 

衝動的にぶち込んだラリアットがクリーンヒットして、コーナーに吹っ飛んだKIYOさんがボフンッとマットに叩きつけられた。

 

「ったく、童貞小僧でもあるまいに」

 

「うっせぇよ!!」

 

身を沈めたマットから身体を起こしたKIYOさんはその口元に不敵な笑みを浮かべると、半身になりながらその場でタンッタンッと軽いステップを踏み始める。遠慮会釈の無いその動きのせいでほっぽり出されたおっぱいがぶるんっぶるんっと揺れてるけれど……いや、もう何も言うまい。

 

(集中集中……)

 

 色々と目のやり場に困る軽やかな足取りのKIYOさんに対して、ぼくは軽く腰を落としながらズッ……ズッ……とすり足を旨に細かく間合いを確かめる。そうして、リングの中心を軸に独楽のようにじわっと距離を詰めたところで、

 

「ふっ!」

 

突然、予備動作も無しに跳躍したKIYOさんが一瞬で距離を詰めてぼくの顔面に絡みついて来た。

 

「っ!?」

 

一拍反応が遅れたぼくはそのまま頭を取られて、着地したKIYOさんにヘッドロックを掛けられた体勢となる。

 

「ふっ!!」

 

そのまま頭を絞られるんだけど、正直そっちはそこまで痛くない。いや、痛いは痛いんだけど、身長差からくる腰の方がどっちかと言えば辛いし、それ以上にだ、

 

「ちょ、胸! 胸が当たってるから!!」

 

ぼくにとってはそっちの方が遥かに問題だった。蟀谷に当たって、むにゅっむにゅっと形を変えるKIYOさんの乳房。いやほんと、なんで銃口じゃなくておっぱいを突き付けられているのかと。

 慌ててKIYOさんの腕をタップするけれど、そのKIYOさんの方はぼくのギブアップが不満だったのか「はぁ?」という声を漏らしてからむしろ両腕の力を更に込めて態々胸元をぼくの顔面に押し付けてきた。

 

「ええい、野郎の乳に一々狼狽えるでない!! これではスパーリングにならんではないか!!! 気になるならいっそ役得とでも思うておけ!!!!」

 

「それが出来ないからこうしてタップしてんでしょうが!?」

 

無茶苦茶なことを言いだすKIYOさんに、ぼくは殆ど悲鳴に近い抗議を上げてみるものの、当のKIYOさんは一切力を緩める気が無いみたいだった。

 

「こ……のっ!!」

 

このままじゃ埒が明かないと思い、後ろからKIYOさんの腰元に手を回すと、そのまま小柄な身体を突き飛ばす様にしてロープへとスイングする。最悪、このままロープから返って来たところで反動を利用した追撃を受けるかもしれないけど、直前の腕力を考えれば最悪直撃しても問題は……

 

「?」

 

そう思ってKIYOさんを待ち構えていたところで、ふと相対しているはずのKIYOさんの金眼が掻き消えた。正しくは花緑青の銀髪が踊って、暗幕の様にその奥にあるKIYOさんの双眸を遮った訳なんだけど、一体何が、どうして、いや、そもそも何があって……、

 

「!?」

 

不意にゾワッと背筋を走った違和感に、ぼくは身を震わせた。何か、確信があったわけじゃない。何なら殆ど直感に従っての行動だったけど、KIYOさんと激突する直前、ぼくはその場で仰け反るようにして体を緑のキャンバスに投げ出しながら、無理やりにブレーキを掛けたのだった。果たして、その結果は成功だった。見上げた暗い『ツイスト・スネイク』の天井をビュオンッ!と風切り音を立てて、花緑青の旋風が駆け抜けたのだった。

 

(あ、尻尾……)

 

一拍遅れてその正体を理解したぼくの下で、今度は「とう!」と聞き慣れた感のあるKIYOさんの気合が響き、薄暗がりになったはずの視界を今度は純白の銀世界が覆い尽くしたのだった。

 

「んむぅ!?!?」

 

衝撃は大したことなかった。けれど、同時に顔面を覆い尽くした圧迫感は冗談じゃ済まなかった。

 口元と鼻腔にピタリと吸い付いて、やわやわと形を変えながら僅かな隙間も許さないそれに、忽ち窒息させられてしまいそうになる。一瞬、状況が呑み込めなかったけれど、視界の先から聞こえてきた「ほれほれ~♪」という心底楽し気な声に、ようやく状況を理解する。

 

「ホールド、ワーン♥ ツー♥ スっとと」

 

咄嗟に上体を跳ね上げて3カウントを阻止するけど、正直ブレストスムーザーなんて初めて掛けられた……、

 

「ほれ、これで多少はおたつかんようにもなったであろ? それとも、まだ我の乳が恋しいか~?♥」

 

「……」

 

 何とか肩で息をして呼吸を整えていると、ニマニマと意地の悪い笑みを浮かべたKIYOさんがこっちを覗き込みながら、たゆんたゆんと自分のおっぱいを持ち上げて揶揄ってくる。いや、まあ、いきなり絶息させられそうになったら多少は……うん。

 

「……」

 

もう大丈夫だと伝える意味も込めて軽く手を振ると、ニッと白い歯を見せたKIYOさんが少し後ろに下がってから、再びタンッタンッと軽くステップを踏み始める。

 

「ケホッ……」

 

KIYOさんを追いかけるように立ち上がりながら、ぼくは次の手を思案した。

 

「ほう……」

 

腰を落としたまま軽く右手を前に伸ばす姿勢。まあ、要するに露骨な手四つへの誘いなんだけど、スパーリングという今ならKIYOさんも乗ってくるだろう。

 実際、一瞬驚いたように両目を見開いたものの、すぐに納得した様に頷いたKIYOさんは頭上に手を掲げて、ぼの手をギュッと握り締めてくる。

 

「「ふっ!」」

 

そして、ぼくとKIYOさんは同時に両腕に力を込めた。結果は案の定と言うべきか想定通りと言うべきか、流石にというべきか、一気に天秤がぼくの方に傾いて、簡単に上を取れてしまう。

 

「よっ!!」

 

そうして、KIYOさんが膝を突いたところで、ぼくは背中から腰に腕を回すと、そのまま小柄なKIYOさんの身体を思いっきり天井に向かって引っこ抜いた。

 ブワッと一気にお店の天井近くまで持ちあがるKIYOさん。体勢としては向かい合っての肩車というか、ぼくの両腕を鉄棒のような形にして持ち上がった姿になる訳だけど……

 

「……」

 

そのまま頭上を見上げると、こっちを見下ろしていたKIYOさんの金眼と視線が重なった。丁度、この後どうしたものかと思案していたぼくに、まるで「心配するな」とでも言うようにニヤッと笑って見せるKIYOさん。つまり、これはGOサインっていうことだよね。

 

「しっ!!」

 

「かはっ!?!?」

 

体格差を考えて一瞬ためらってしまったものの、当のKIYOさんが“やれ”という顔をしている以上は手加減は出来ない。重力と腕力の合わせ技で緑色のリングの上にKIYOさんの上体を叩きつけると、背中から空気を叩き出されてお尻を天井に向けたまま仰向けで絶息するKIYOさんの上に体重を掛けて、一気にスリーのカウントを始める。

 

「ワン、ツー、スrッ!」

 

 そうして、最後のスリーのスrまできたところで、ぼくはバチンッとお尻を引っ叩かれた感触と共にロープ間際まで吹っ飛ばされていたのだった。

 即座に起き上がってKIYOさんに向き直ると、そこではパワーボムを受けた体勢から後転で立ち上がったKIYOさんの尻尾がビタンとグリーンのリングマットを叩いたところだった。

 

「やるではないか♥」

 

「まあ、体重差はいかんともしがたいからね」

 

 そうして、三度相対したKIYOさんに肩を竦めながら、ぼくもリング中央に進み出てジッとその姿を見定める。お互い挨拶交換は終わったし、得手不得手も何となく感触として掴めた状態だ。さて、ここからどう出るかだけど……

 

「!?」

 

ぼくが親指半歩分、KIYOさんの間合い端に踏み入った瞬間、ビュオッと音を立てて豪圧が顔面に襲い掛かってくる。

 

(いきなり尾打か!)

 

豪風の様な一撃をバックステップで回避する。けれど、

 

(連続!?)

 

今度はその勢いのまま、更に360°ターンをしたKIYOさんは再び戻って来た尾で二撃目三撃目と追撃を放ってくる。正直、普通にスピード勝負をしたらまずスピード負けというかそもそもの威力で首が吹っ飛びかねないだろう。まあ、

 

「これならどうか、なっ!」

 

「なんと!?」

 

 暴風のように荒れ狂うKIYOさんの尻尾による連撃は、よくよく見ているとそのテンポが綺麗に均一だった。たぶん、これは今のKIYOさんの体躯だと全力で振り抜いた尻尾の細かなコントロールが効かないからのことなんだろうけど、これに同じ理由から回転方向まで同じとなるとつけ込みやすい大きな隙となってくる。タイミングを見計らって飛び出してから、右腕をその中心で回り続けるKIYOさんの喉首に叩きつける。

 

「がはっ!?」

 

そうして、仰け反ったKIYOさんに追撃のエルボードロップを見舞おうとしたところで、今度はキッとこっちを見上げたKIYOさんの金色と目が合った。

 

「させん!」

 

そうして伸びあがって来た尻尾。勢いを殺してしまったせいで多少のコントロールが利くようになったらしいそれは、シュルッとぼくの胴に巻き付くとそのまま縺れ合うようにしてグラウンドへと墜落したのだった。

 

「んぶっ!」

 

「ぐふっ!」

 

 もんどりうって倒れ込んだぼく達二人で、先に起き上がったのはKIYOさんの方だった。まだ半絡みのままの尾を手繰る様にぼくの方へとにじり寄ってくると、バッと脚を開いて、クワガタムシの歯の様にぼくの胴をギチッと締め上げてくるのだった。

 

「ボディ……シザァ……」

 

「く、かっ♥」

 

ミシッギチッとなる胴への圧迫感に思わず顔を顰めながら呻くと、正面でぼくを締め上げていたKIYOさんが実に楽しそうに口元を歪めた。

 

「んっ♥ たし、かに……くっ♥ 腕力ではぁ、どう、にもっ♥ ならん……があっ♥ 脚なら……ばぁ♥ ワンチャンんんっ!? あるっ、から……なっ♥♥」

 

「いや、なにやってんだよと!?」

 

「へぶっ!?」

 

ぼくの胴を絞っていただけのはずが、不自然にくぐもった声を漏らし始めたKIYOさんに、ぼくは現在進行形で食らっていたはずのボディシザースのことも忘れてビンタをお見舞いしていた。っていうか、どう見ても完全にやってるよな、このバカ!?

 

「く、くふふ、くふははは……♥」

 

「うわぁお……」

 

けれど、ぼくのビンタで吹っ飛んだはずのKIYOさんは一度リング中央で大の字になったものの、不敵に肩を揺らすとそのままゆらりと立ち上がってくる。その金色の双眸は明らかに何かどろりとした情念の様なものに濡れていて、異様に蠱惑的な視線を寄りにもよってぼくの方に注いできている。

 

「……」

 

その異様な雰囲気に思わず後退りをしてしまう。普段なら自嘲とか後悔とか諦念とかがごちゃ混ぜになるはずなんだけど、そんな後ろを振り返る余裕すら正直無かった。

 

「!?」

 

そうして後退したところで、不意にトスッ……と広がる微かなクッションの感触。考える間でもない、ぼくはKIYOさんの威圧感に気圧されて、リングコーナーにまでいつの間にか追い詰められていたのだった。

 

「んっ……ふぅ♥♥」

 

そんなぼくの前で、これ見よがしにTバックを直すKIYOさん。軽く紐部分の位置を整えた後に、キュッと股間に思いっきりそれを食い込ませている。そうして、万全の体勢となったところで、

 

 

 

 

「スティンク……フェイス!!!!!」

 

 

 

 

全体重を乗せた渾身の一撃が、ぼくの横顔を殴りつけてきたのだった。

 

「うっ……」

 

一瞬、グキッという嫌な音を聞きながらも何とか歯を食いしばったところで、不意に店内に響き渡ったピリリリリリリッという電子音にぼくとKIYOさんは動きを止めたのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

「さて、どうしたものかな?」

 

 軽いスパーリングが終わって、整理体操をしていたところでKIYOさんが小さく首を傾げた。その思案はぼくにもよく分かった。実際、獣人特有の身体的長所を持ちながらも、結局決定打に欠いて、互いにスリーカウントに行き着かない結果となった。

 

「やはり、今の我の一撃は軽いか? 濁路よ」

 

「んー、まあそうかな」

 

KIYOさんの確認にぼくはちょっと考えてみるけれど、答えは変わらずYESのままだった。

 

「確かに尻尾や全身を使った技はちゃんと威力もあったんだけど、それ以外は脅威にまではならないかなっていう印象だったね」

 

「で、その様な一撃は大振りになりやすくモーションが盗まれやすいと」

 

「まあ、ね」

 

「うーむ、ままならんなあ……」

 

軽く腕を組みながら、思案する様に目を瞑るKIYOさん。んー……、

 

「一先ず、その身体になる前によく使っていた技の塩梅なんかを確かめてみる?」

 

それで、どの程度自分のプロレスを見直す必要があるかもわかってくるはずだし。

 

「確かに、それもそうだな」

 

ぼくの提案に、こくこくと頷くKIYOさん。一先ずの思案が立ったところで、ピョンッとその場に立ち上がった。

 

「では早速なのだが、コブラツイストから試させてもらってもよいか?」

 

「あ、そこはストレートに蛇系の技なんだね」

 

そうして、KIYOさんの言葉に頷きながら、ぼくも体の調子を確かめて、軽くKIYOさんを手招きするのだった。

 

 

 

 

 

 

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