ブルーアーカイブの短編集です。主に、Pixiv様で投稿したものを掲載する形となります。いちゃいちゃとかいちゃいちゃとかいちゃいちゃとかが好きな人は、ゆっくりしていってね

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皆さんお疲れ様です。今回は風邪っぴきによる衰弱からのメンタルブレイク未遂です。ユウカ……。
解釈違いあったらごめんなさい

※この作品はPixiv様にも投稿しています。


『先生はノアが好き』って聞いちゃって独占欲が暴走しちゃうユウカかわいいよ

──やってしまった。完全にしくじった。

 

 昨日、私はキヴォトスに降りしきる雨の中で任務に就いた。だが思ったよりも戦闘が長引いてしまい、結果的に私の身体は長い時間冷たい雨にさらされることとなった。

 もちろんシャーレに戻ってからすぐにシャワーを浴び、先生から上着をかけてもらったりして温かく過ごしていたものの、現実は非情であった。

 

 翌日の起床時……つまりいま現在のこと。私──早瀬ユウカは、ものの見事に風邪をひいていた。

 

「くちゅん! ……はぁ」

 

 ベッドの上でくしゃみをして、少し離れた机の上のティッシュを取るために少しだけ起き上がり、ふらふらとベッドに戻る。そのルーティーンの繰り返しだった。

 ──いっそのこと寝てしまえればどれほど楽だろうか。しかし、それができないのにも理由があった。

 

「今日のシャーレの活動、あの二人に任せちゃったけど……大丈夫かな」

 

 「あの二人」のうち一人は、私の友人であり良きパートナーであるノアだ。今朝私が真っ先に連絡したのも、何を隠そうこのノアだった。──まあ正直、ノアがいてくれるので問題などない気さえしている。

 にもかかわらず、寝付けないほど心配になるのには「あの二人」のうちのもう一人……先生の存在があるからだった。

 

 単刀直入に言ってしまえば、先生は「ダメな大人」の筆頭である。私には何だかよく分からないおもちゃを目の玉が飛び出るくらいの高値で買おうとしたり、あちこちに出かけては女の子を口説いて(本人は無自覚らしいが)きたりと、とにかく誰かしっかりとしたお目付け役が必要なヒトなのだ。

 

 そして私には、そのお目付け役を全うできているという自負があった。──だっていま先生の家計簿をつけているのは私だし、1日あたりの出費が限度を越えないようにさり気なく美味しくて安い店に先生を誘導しているのも私だし、さらにはどうしても先生が欲しそうにしている物があったら私が身銭を切ってプレゼントしたことも一度や二度ではない。

 

つまるところ、先生を本当に(・・・)支えられるのは私しかいないのだ。

 

「くちゅん! ……ああ、もう。いい加減、ティッシュケースをこっちに持ってくるべきかな?」

 

 のそり、と自分でも分かるほどゆっくりとベッドから起きる。身体の重さはますます酷くなってきて、中心で渦巻く熱が病床に伏せる私を笑っているかのようだ。

 

ようやくティッシュケースをベッドの上に移したところで、喉が渇いたことに気づく。なんとなく時計を見ると、ちょうどシャーレの部活動が始まる頃合いだった。

 

冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出して、おでこに当ててみる。──そのあまりの冷たさに思わず「ん……」と声が漏れてしまう。

気を取り直してこくこく、と飲むと、胎動していた熱の旋回がいくらか収まったような気がした。

 

ベッドに腰掛け、窓の奥を眺める。昨日と同じく、どんよりした空だ。その眼下には無数の建物が連なっていて、少し目線を遠くに向ければどこかで爆発の閃光が煌めく。

──良くも悪くも、いつものキヴォトスである。

 

ぽすん、と枕に顔を(うず)めれば、暇という感情が徒党を組んで襲ってくる。暇に流されてしまえば、決まって思い出すのがシャーレのことだった。

 

「ノアと先生……うまくやれてるかな」

 

あの二人の仲が決して悪いというわけではない。ただ、ノアが知っている先生は本当の先生ではないと私は思っている。──本当の先生は、ノアに見せるよりもずっと子供だ……私だけ(・・)に見せる先生の姿がそうだから。

 

「──ノアに先生の相手ができるかな」

 

ぽつり。私以外は誰もいない部屋で、私は呟いた。その言葉は水面に落ちた(しずく)が波紋を作り出すように、別の言葉を紡ぎ出す。

 

「ノアに、先生の家計簿がつけれるかな」

 

ぽつり。

 

「ノアに、先生の無駄遣いが止められるかな」

 

ぽつり。

 

──ノア、ノア、先生、先生、先生。

 

ぽつ、ぽつ、ぽつり。

 

「──いや。ノアなんかじゃ、先生のパートナーにはなれやしない」

 

いつの間にか、窓に雨が打ちつけていた。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

布団を被っていても、悪寒がする。久しぶりの風邪だからだろうか、私の身体は着実に蝕まれつつあった。

 

「……そういえば」

 

起き上がりたくないよ、と悲鳴を上げる脳を押さえつけて脱衣所に向かう。──君がやらなくちゃいけないのは、悲鳴を上げることじゃなくて、しっかりと昨日の記憶を思い出すことだよ。

私は(うめ)く頭に説いた。

 

脱衣所に足を踏み入れると、ベッドの上とは違ったひんやりとした空気が私を包んだ。それまでの悪寒ではなく、心地よい冷たさだった。

 

「たしか昨日、ここに……」

 

私は棚を漁る。それに合わせて、淡い色合いのプラスチックかごがかたかたと音を鳴らす。

 

「あった!」

 

かごの中でも一番大きいかごの中に、私が探し求めていたもの……先生の上着はあった。

 

いくらシャワーを浴びた直後のキレイな状態だったとはいえ、自分が着たものをそのまま返すなんて、私にはできなかった。だから、せめて洗濯だけはさせてくださいと持ち帰ってきたのだ。

 

でも、わざわざここに来たのは洗濯するためではなかった。──そのまま先生の上着を手に取って、まだ熱のこもるベッドに戻る。

 

「うわ、おおきい……」

 

仰向けに寝そべりながら、先生の上着を胸の上で掲げる。こうして見てみるとやっぱり先生は大人なんだな、と思う。

 

「……っ」

 

──ぬら、と何かが心の中で首をもたげるのを感じる。風邪の怠さももちろんあるが、それと同じくらい重くて、ねばねばとした何かが。

 

衝動か、欲望か。私は先生の上着を、自分の身体に覆い被せた。

 

「あ……っ」

 

鼻水で詰まっているはずの鼻腔が一気に開けて、ダイレクトに先生の匂いが私に突き刺さった──と例えればよいのだろうか。とにかく私は「先生」に包まれている。

 

──いけない。ただでさえ熱でくらくらする頭なのに、加えて先生の濃い匂いが私の脳髄を犯していく。そうなると必然的に心臓はばくばくし、呼吸も荒くなってしまう。

 

「せん……せい……」

 

なりふり構わず、私は先生の上着をきつく抱きしめる。──もう恥も外聞も関係あるものか。ここは私ひとりの部屋で、私一人しかいないのだ。今この燻った想いを発散できないで、どこで発散できるというのだ。

 

「せんせい、ずっと、わたしのもの……ふふっ」

 

──私のもの。その響きは甘い。甘いのだが、どこかざらざらして……。

 

「ノア、か」

 

言ってから、口を塞いだ。窓に打ちつける雨粒はいよいよ大きくなってきたようで、誰も来ないはずのこの部屋に邪推(ノック)の音を鳴り響かせていた。

 

──普通に考えるなら、先生とノアは今二人っきりだ。それはノアが先生を独り占めしている、とも言える。

先生の良きパートナー、右腕として完璧に行動するノア。先生はノアをますます頼るようになって、先生が私だけに向けてくれていた愛くるしい顔も、情けない顔も、特別な全部の表情(きもち)を、ノアにも向けるようになる。

もちろんすべて妄想ではあるが……私はそれが、たまらなく悔しかった。

 

だからせめて、とさらに力を込めて先生の上着を抱きしめる。

 

スポーツドリンクで抑えられていたはずの熱が、再び盛り上がってくる。飲まなきゃ、と部屋を見渡すと、本当に学習しないのか机の上に放置されていた。

 

「まあ……いいか」

 

起きるのが億劫だったというのもあった。

でも本当は、この上着を手放してしまうと、先生と私だけの関係が永久に失われてしまう気がしたからだ。

 

難しい人間関係について──それも普段はあまり考えないようなことについて悩んだからか、突然眠気が襲ってきた。

先生の上着からする落ち着く匂いの中で、私は微睡(まどろ)み始めた。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

「うぅむ……」

 

いったい、どのくらいの時間眠っていたのだろうか。見上げた窓の外ではなおも雨が降り続いていて、変化がない。しかも寝るときに時計を見なかったせいで、いま時刻を確認したところでしょうがない。

とりあえずスポーツドリンクに付着した水滴の量の差から時間経過を算出しよう、とぼやけた頭で寝返りをうつ。

 

"あ、ユウカおはよう"

 

「え……え゛っ、先生!?」

 

そう。こちらに向けてひらひらと手を振るのは、紛れもない先生の姿だった。

 

──なぜ、どうして先生がここに。頭の中でぐるぐると疑問が渦巻く。だが熱に侵された状態で、納得のいく論理的な説明など考えつくわけがない。

 

「ちょっ、先生なんでここに……いたぁ!」

 

興奮のあまり、ベッドから転げ落ちてしまった。

安静にしてないと駄目だよ、という優しい声が聞こえたその瞬間、私の身体は宙に浮いた。

 

「!?!?」

 

"──あ、ごめん。お姫様抱っこの方が私的には抱えやすかったから、つい"

 

ベッドに降ろされた私は、すぐに布団を深く被る。

──今、あの先生からのお姫様抱っこを受けたのか、私は? 待ってよ。それ以前に風邪をひいているんだから、それなりに汗だってかいちゃってるし、何より今まで築き上げてきた『しっかりもの』のイメージが。……いやいや、それでもお姫様抱っこされたという事実は変わらないわけで。

 

あれやこれやの膨大なサムシングが、クールダウンの効かない脳を蹂躙していく。もはや熱暴走寸前である。

 

"ユウカ、大丈夫なの? 顔が赤かったけど、熱とか測った?"

 

「……まだです」

 

"うーん、じゃあ測った方がいいかもね。体温計とかどこにあるの?"

 

先生が戸棚を漁る音が聞こえる。普通生徒の部屋に押しかけて、いきなり収納を漁るなんてことしないだろう。

──そう、あまりにも現実離れしすぎているのだ。そこから導かれるのはただ一つの結論、つまりこれは……夢なのだ!

私は熱に浮かされポンコツと成り果てた頭で、そんな結論を弾き出した。……もしかしたらこのうるさいくらいに窓を叩く雨粒は、必死に私の頭を冷やそうとしてくれているのかもしれなかった。

 

夢だ、と結論づけた私は、日頃から思っていたことをこの先生もどきに言ってみようと思った。

どうせ夢の中なのだ。誰に迷惑をかけるわけでもないだろう。……それでもどこか気恥ずかしさが勝って、私は布団の中で小さく呟いた。

 

「──ねえ、先生」

 

"なに?"

 

「……ノアのこと、どう思ってますか?」

 

──決して狙って見ることはできない明晰夢。そのチャンスを使ってまで、最初に先生に聞いたこと。

それは先生のことでもなく、私のことでもなく、ノアのことだった。

 

"ノア? うーん、真面目ですごい子だなって"

 

「違います、そうじゃなくて……」

 

次の言葉を紡ぐには、大きな勇気が必要だった。いくら夢の中とはいえ、ともすれば乙女としての「早瀬ユウカ」が砕け散りかねないような言葉。

──それでも私は、言う。

 

「先生は、ノアのことが、す……好きですか?」

 

がさごそ、という音がぴたりと止んだ。私の部屋、いや先生と私が二人っきり(・・・・・)でいる部屋には、雨の音しか響かない。

 

──好きだよ。

たっぷり時間を使って私に届いたその一言は、まるで任務で銃弾が当たったくらいの……いや、それ以上の衝撃と絶望をもたらした。

 

先生は、ノアが好き。これのどこがいけないのだろうか。ましてやこれは夢なのだ。本当の先生が誰を好いているかなんて、私にも分からない。先生に意中の相手がいるのかすら判明していないのだ。──それなのに。

 

()じゃなくて、ノア(・・)だった。

 

嫌いって言ってほしかった。

ノアは嫌いって聞いて、安心したかった。

私を選んでほしかった。

──誰よりも先生の身近にいた、この早瀬ユウカを選んでほしかった。

私の夢なのに。……私の夢なのに!!

 

もう、例えようもないほど、惨めだった。

 

「どうして……っ、私じゃないのよ……」

 

先生は、黙ったままでいる。

呟きは聞こえているはずなのに。先生なら、きっとフォローをしてくれるはずなのに。

──いくら待ってみても、それは無かった。

 

「そうか、そうだよね。ノアは何でもできるもんね。私よりも、何倍も、何十倍も、先生の側に相応しいよね」

 

"……。"

 

「ノアも、言ってました。先生のことが、大好きですって。あ、もしかしたら今日、伝えられたかもしれませんね」

 

"……。"

 

「先生、はっきりと答えてください。──今日のシャーレの活動、私抜きでもうまくいったんじゃないですか?」

 

夢の中の先生もどきに聞いたって、何の成果もないということは分かっている。私の夢だからといって、すべて私の望む返答になるとは限らないということも分かっていた。

──でも、抑えきれなかった。

 

"……うまくいったよ。ノアが、ユウカの分の仕事まで頑張ってくれたから"

 

ほら、うまくいったんだ。

私がシャーレの──いや先生の為に働いていた今までの時間。そのすべてが、ノアに奪われたような気がした。

 

「もう、いいです」

 

"いいですって……何が?"

 

「私──シャーレを辞めま"それは駄目だよ"

 

今まで聞いた中で一番強い口調で、先生は私の言葉を遮った。

 

「どうして。どうしてですか? 私がいなくてもシャーレの仕事が回るんだったらそれでいいじゃないですか。それに先生とノアは、お互い好き同士なんですよね? そこに早瀬ユウカっていう邪魔者は……必要ないじゃないですか」

 

「──先生の相手はノアだった。私じゃなくて。先生に誰よりも近いところで共に行動して、先生を誰よりも想っている私じゃなくて! ……私は、負けたんですよ。何もかも」

 

 重たい沈黙が流れる。雨音がしなくなったことから、既に雨は止んでいるのだろう。このお互いが黙っている時間が、私の胸に痛いくらいに突き刺さった。

 

"えっとね、ユウカ。たしかに私はノアのことが好きだよ? でもね、それと同じように他の学園の子も好きなんだよ"

 

「……どういう、ことですか」

 

先生はあくまで諭すように、続ける。

 

"私の『好き』って想いは、個人に向けられるものじゃないってこと。みんな同じように愛して、みんなから同じように愛される。私は、そうでなくちゃいけない。──だって私は、先生だから"

 

また、沈黙。それでも今回は、先生が笑っているということがありありと伝わってきた。

 

──どうして? どうして笑っていられるの?

確かに、先生の「好き」の基準は分かった。でもそれは、どのようなヒトでも同様な「好き」をぶつけるというもの。

じゃあ私は? あれだけ先生をお手伝いして、先生の私生活にまで干渉している私は? その()に対しても、周りの女と同じような「好き」だけなの??

 

ぐつぐつと煮えたぎる熱が、うるさかった。

 

"──私は、ユウカを特別だと思ってる"

 

「……へっ?」

 

突然の先生の言葉に、私は素っ頓狂な声を上げてしまう。

 

"ユウカはこんな私にも根気よく付き合ってくれるし、ちょっと小言を貰うこともあるけど、その後の優しいような笑顔も大好きだし……。何より、付き合いが一番長いし。──とにかくユウカは、私にとって特別だよ"

 

特別。私が、先生の特別。

──なりたいと思っていた。それが今、はっきりと聞こえた。……いや落ち着け、これはまだ夢の中だ。先生が私のことを本当に特別だと思っているかは、確定していないのだ。

 

それでも、顔の火照りとにやにやは留まるところを知らなかった。

 

"……ユウカ? 流石にそろそろ布団から出てこないと、汗まみれになっちゃうんじゃない?"

 

「汗まみれでも、構いません……いくら夢の中とはいえ、今はこの顔を先生に見せるわけにはいきませんから……!」

 

"うん? 夢の中……? ──どうしたのユウカ、急にオカルトなんか信じるようになったの?"

 

「え──」

 

"……あー、そうか。じゃあ確認してみようか"

 

先生の気配が、ベッドに近づいてくるのを感じる。私は咄嗟に布団を引っ張るが、風邪のせいでうまく力が入らない。

結局、先生に布団を剥がされてしまう。

 

"……。"

 

「な、なんですか、確認って……?」

 

"ごめん、その前に。──布団を剥がしておいてなんだけど、すごいユウカの匂いがするね"

 

「!!」

 

"まあいいや、ちょっと失礼"

 

未だ先生の言葉の大半に対して処理が追いついていないのに、先生は次の攻撃を繰り出そうとしている。依然として私の頭はオーバーフロー寸前、これに加えて先生の顔面が近づいてくるというシチュエーションが、システム決壊をものすごいスピードで進行させていく。

 

「せ、せんせぇ……!?」

 

"大丈夫、じっとしてればすぐに終わるから"

 

じっとしていればすぐに終わるような確認。そして私のベッドの上にまで乗ってこなければできないような確認。

──キスだ。夢見るユウカを、先生もどきが起こそうとしてくれているのだ。というか、早く先生とキスがしたい。体調こそすこぶる悪いが、私だって思春期真っ只中の女子高生……しかもそっち(・・・)方面のことについても知っている方だ。ああ、もう。

その一方で、冷静に考える私もいた。もし現実に戻ったとして、私は本当に幸せなのだろうか。現実の先生は、もしかしたら本当にノアのことが好きなのかもしれない。そうでなくても、私のことを「特別」だなんて思ってもいないかもしれない。

そんな世界ではなく、この眼の前にいる先生──私を特別だと言ってくれる先生がいる世界の方が、幸せじゃないのか。

 

先生の唇が、どんどん近づいてくる。目覚めの刻、審判の刻も近づいてくる。

──先生とキスはしたい。でも、キスをしてしまえばまた不安定な世界に逆戻りだ。

 

キス、だめ、キス、だめ、やっぱキス……。

 

ぴくりとでも顔を上げれば、唇どうしが触れ合ってしまいそうな距離にまで、先生の顔がある。先生の上着とは比べ物にならないほどの……生の先生の匂い。

──私の脳内システムは、ついに先生という未知のウイルスによってダウンした。

その結果、私は蚊の鳴くような声で、

 

「やさしく……おねがいします……」

 

と呟いていた。まったくの、無意識であった。

 

──ぴと、と何かがおでこに当たる感触がする。もちろん私は完全にキス待ちモードだったので、先生はおでこにいったんだと思った。

しかし、やけに長いしなぜかひんやりもする。しかも下手に目を閉じてしまったから、状況がいまいちつかめない。

 

「せ、せんせい……これは、いったい?」

 

"んー? ユウカの体温を測ってるだけだよ? ──なかなか体温計が見つからなくてさ、だったら直接おでこをくっつけたほうが早いかなと思って"

 

へなへな、と身体中から余計な力が抜けていく。だったら目を開けてもいいじゃん……そう思ったのが早瀬ユウカ、本日の最大の過ちだった。

 

「ぴっ!?」

 

"あ……ごめん、ちょっと近すぎたかも"

 

目を開ければ、一面に先生が広がっていた。まさに夢のような光景ではあるが、病床に伏せっていた私にとっては、いささか刺激が強すぎた。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

その後、私は先生からの厚い看病を受けた。具体的にはおでこに乗せる濡れたタオルを作ってもらったり、先生特製のおかゆを食べさせてもらったりもした……味は薄かったけど。

 

ようやくこれは夢じゃないんだと分かり始めた辺りで、私は先生に帰ってもらうことにした。

 

"私は別にユウカが治るまでここにいても構わないんだけど……"

 

「それだと本当にシャーレの仕事が回らなくなるじゃないですか! これ以上ノアの仕事を増やさないようにしてあげてください……それに」

 

"……それに?"

 

「──先生の仕事を手伝うのは、私一人で十分ですから。なんてったって、私は先生にとって『特別』ですもんね!」

 

玄関までお見送りに行こうとしたが、先生に止められた。だがそれも悪いのでせめてそこまで、と懇願すると、

 

"本当にお見送りとかいいからさ……。──あ、そうだ。その代わりと言っちゃなんだけどさ、その私の上着、返してくれない?"

 

「うわぎ……あっ」

 

先生が見つめるベッドには、私に抱きしめられすぎてくちゃくちゃになった先生の上着が横たわっていた。

 

「だ、ダメですっ! これは……その、まだ洗濯もできていないので!」

 

"えー、さっきまで雨が降ってたからさ、その上着があれば丁度いいなって思ってたんだけど。しかも、元々私の上着だよ? 持ち主が返せって言ってるのに返さないのもどうかなーって……"

 

「うぐぐ……分かりました、この上着はお返しします。昨日に続き、今日もありがとうございました」

 

先生の背中が遠ざかって、玄関が閉まる。これで私と先生の二人っきりの時間は終了したわけだが、いま先生が着ているコートには……多分私の匂いがかなり濃く付いているはずだ。

──私はここから動けないけれど、先生のすぐそばに私はいる。

 

だって私は、先生の「特別」なんだから。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

・おまけ

 

「……おはよう、ノア」

 

「あ! ユウカちゃんおはようございます♡ もう風邪は大丈夫なんですか?」

 

「うん、おかげさまでどうにか。──ところで先生は?」

 

「ああ、それがですね。……ユウカちゃんが倒れて、先生が看病に行かれたのは覚えていますよね? その後先生はシャーレに戻ってこられたのですが、出ていかれるときには着ていなかったコートを羽織ってらしたんですよね」

 

「(ギクっ)」

 

「それで先生の残り香を嗅いだらあらびっくり、なんとユウカちゃんの匂いがするじゃないですか」

 

「あの、それは、ちょっとした手違いというか」

 

「──ユウカちゃん……あの日あの時、先生にいったい何をしたんですか?」

 

「〜〜っ、ちょっと! 先に私の質問に答えなさい! 先生はいま、どこにいるの!?」

 

「風邪でお休みです♡」

 

「あっ……」

 

「ねぇユウカちゃん。──まさかとは思いますが、風邪の衰弱を利用して先生に迫って、愛の濃厚接触をしちゃったとかじゃ……」

 

「わー! そんなのまだ早いよ!」

 

「はやい……?」

 

「……わーーー!!」


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