“縁起の使徒” ドンモモタロウ 作:鰻の蒲焼き
その①
今。
学園都市キヴォトスでは、二つの噂がまことしやかに囁かれていた。
一つは、怪物に纏わる噂。
曰く、どこかの誰かが抱いた欲望に、火に誘われる羽虫のように引き寄せられては、その誰かを異形に変えてしまう、出自も正体も不明の存在。
姿は多種多様をきわめており、犬だったり機関車だったり太陽だったりと有機物から無機物まで幅広く取り揃えているという。
もう一つは、怪人に纏わる噂。
曰く、上記の怪物が出現した場所にどこからともなく現れては、バカみたいな格好とバカみたいな高笑いとともに撃破していくという、同様に出自も正体も不明の存在。
こちらは容姿が一貫しており、顔面の上半分を巨大なサングラスで覆い、後頭部からちょんまげを生やして、赤を基調としたタイツで身体を包んでいるという。
しかし、そういう噂が流れはじめても──あるいは噂だからこそ、キヴォトスの住民達は何ひとつ変わらない日常を騒がしく送っていた。
当然だ。
噂を信じても腹は膨れないし、消費した弾薬は増えないし、お小遣いは財布のなかに戻ってきてくれないし、明日のダルい授業は休みにならない。
要するに、信じていても信じていなくとも何も変わらないのだから、何も変えないのも当たり前だろう。
それに──バカげたおとぎ話を信じるような無邪気な頃は、とうの昔に通り過ぎている。
今の自分が向き合うべきは、決して噂などではなく、実体は持たずとも確かに目の前にある青春/生活なのだ。
だから。
もし仮に、その噂と真っ正面から向き合う時が来るのだとしたら──
噂が現実となってしまったとき以外に、あり得ないだろう。
そして。
尾刃カンナは、その噂と真っ正面から向き合っている一人だった。
不幸にも。
◯
「もっとッ!
もっとッ!!
もっとォッ!!
アタシにメシを寄越せェェェェェエエエエエエ!!!!!!!」
キヴォトス全土の行政を担う連邦生徒会のお膝元、D.U.──その場所を構成する一つである、シラトリ区。
そんなどこにでもありそうな区の、どこにでもありそうな往来のど真ん中で──全身から弾着の火花を上げながら、ふざけた言葉を吠えたてる怪物がカンナの目の前にいた。
その怪物は、上半身を金色のプリズムで彩っていた。
さらに特徴をあげるとすれば、胸の中心で煌々と輝く、橙色の球体だろう。
ある程度知識を備えたものが見れば、その球体は宇宙のすべてが始まった瞬間であると位置づけられている大爆発──ビッグバンを模したものであると、気付くことができたかもしれない。
しかし、カンナは気付かなかったし……あるいは、気付いたところでどうでもいいと吐き捨てていただろう。
その怪物が、一体なにをモチーフにしているのかを知れたとしても、この状況が変わるとは、到底思えなかったからだ。
「フラァ────ッシュッ!!」
咆哮とともに、怪物の胸部にはめ込まれた球体から、五色の光弾が一気呵成に解き放たれた。
光弾は反射的に飛び退いたカンナの横を高速で通過すると、背後にあった6ミリの防弾鋼板で構成された特型警備車を、綿毛のごとく軽々と吹き飛ばす。
ぐるぐると回転しながら宙を舞った警備車は、轟音をたてながら、周囲に建てられたビルの半ばに埋まった。
そんなものが、あと四発残っている。
「────回避ッ!」
誰からも軽んじられているヴァルキューレ警察学校に在籍していながら、それでも数多の不良学生から『狂犬』と呼ばれ恐れられた彼女の声は、混乱と恐怖に陥った戦場のなかであろうと色褪せない。
それまでは教練通りの綺麗すぎる陣形を組んでいた少女たちは、弾かれたように散開していく。
その結果、光弾はアスファルトやビルを削り取りはしたが、人的被害は一切出さずに姿を消失させた。
安心はできない。
カンナは脳内に浮かべている戦場図を変更させながら、自身の得物である第17号ヴァルキューレ制式拳銃の銃把を握り直した。
サバイバルナイフのごとく鋭い危うい眼光が、カンナの抱いた懸念を研石にして、さらに深く研ぎ澄まされていく。
──まだ、終わっていない。
間違いではない。
怪物は未だ健在で、銃撃を喰らってもびくともせずに、ひっくり返した車を片手で持ち上げて、こちらに放り投げたりしてきているからだ。
それは、華奢な少女やモフモフの犬猫が、その見た目からは想像だにしない耐久性や膂力を秘めているキヴォトスにおいて、最も納得しやすい光景に見えるだろう。
尋常ならざる力を秘めた、尋常ならざる怪物。
恐怖とは、未知から生まれる。
ならば。
理解さえしてしまえば、恐怖は恐怖ではなくなるのだろうか?
その答えは──否だ。
恐怖とは、未知から生まれ、理解されてもなお『恐怖』として世に残り続けるからだ。
例えば、一部には噂でないと知られている、目前の怪物のように。
例えば、『狂犬』という渾名がつけられたカンナのように。
だから、カンナはこう思うのだ。
もし、今感じている『恐怖』を塗り潰したいと思うのなら──さらなる『恐怖』で圧し潰すしかないのだと。
──まだ、”ヤツ”が来る!
そして。
尾刃カンナにとっての、もう一つの『恐怖』が来た。
「────ッハッハッ!」
はじまりは、とても小さな声だった。
まるで分厚いコンクリートの壁を何重にも打ちたてて、決してこちらには届かないように阻まれているかのような、ひどくか細い大きさだった。
「─────ハッハッハッハッ!」
次第に、大きさを増してきた。
声はコンクリートの壁を強引にブチ破り、その間に横たわっていた空間と距離でできた海を踏破して、高速でこちらに近付いてきていた。
「──────ワーッハッハッハッハッ!!」
最後に、それは確かな実像を持って現れた。
まずは、空から高速で降り注ぐ光線として。
一方的な戦いを繰り広げている怪物とヴァルキューレの生徒たちから、少し離れた場所に降り注いだ光線は、空気と地面を大きく揺るがせることで一気に注目を集めた。
砕かれたコンクリートの破片が濛々と舞い散るなかで、それは次の姿へと変わる。
立ち上がるは、赤く、紅く、朱い太陽。
その場にいる誰も彼もを照らし出し、焼き焦がして、世界すらも包んでしまいそうなほど、強く眩しい恒星。
怪物の胸に宿った恐るべき球体が、取るに足らないチンケな偽物に見えてくる、圧倒的な輝き。
やがて太陽は、真っ赤な手足を生やし、ちょんまげを生やし、トドメに大きなグラサンを生やした。
聞こえてくるのは、恐怖など微塵も知らぬと言いたげな、颯爽たる大音声。
「────袖振り合うも他生の縁、躓く石も縁の端くれ!」
その声は謳っていた。
振り合った袖、躓いた石。
どんなに些細なものであっても、それは間違いなく人と人が繋がっていく起点となるもので、どこにでもありふれたものなのだと。
「────共に踊れば、繋がる縁! この世は楽園ッ!
悩みなんざブッ飛ばせッ!!」
その言葉は掲げていた。
呼吸を合わせて、リズムに乗って、身体を揺らして。
そうして誰かと踊るだけで、世界はたちまち楽園へと変わり、抱いた苦悩や悲しみなど吹き飛ばせてしまうものなのだと。
「笑え笑え! ワーッハッハッハッハッ! ワァ───ッハッハッハッハッ!!」
どこまでも高らかに。
どこまでも爽やかに。
どこまでも華やかに。
太陽は、扇子を片手に笑い続けていた。
もちろんそれが太陽ではないことを、尾刃カンナはよく知っている。
だからカンナは、怪物に向けていた銃口を怪人へと据え直し、その名を叫んだ。
「───ドン、モモタロウ!」
「なんだっ!」
「貴様は完全に包囲されているッ! 大人しく投降しろッ!」
ほう、とドンモモタロウは辺りを見回す。
そこには、自らと怪物──ヒトツ鬼を丸ごと撃ち抜かんとばかりに構えられた、無数の銃口があった。
標的の全身を隈なく撃ち抜けるよう、徹底した射線が張り巡らされている光景は、正しく弾幕と名乗る資格があるだろう。
ドンモモタロウは扇子を折り畳むと、先端部をカンナに向かって突きつけた。
「中々やるな! 以前より連携の練度が上がっている──28点といったところか」
「あぁ……貴様のお陰で、こちらは何度も鍛え直す羽目になったからな」
「感謝する必要はない! おれはただ、おれが成すべきことをしているだけだ」
「……ッ」
これだ。
ドンモモタロウには、皮肉が一切通じない。
こちらが言葉を、そのままの形で受け止めてしまう。
カンナはそれが気に入らない。
まるで「お前と違って、自分はいつでも正直でいるぞ」と、言外に告げられている気分になるからだ。
「だが、今のおれにはやるべきことがある。悪いが、まだお前たちに捕まってやるわけにはいかない」
「──ほざけ。それ以上の戯言は、矯正局で聞かせてもらうぞ」
吐き捨てるように会話を打ち切って、ドンモモタロウに対する断絶をより深めた。
ヤツと交わすべきは決して言葉ではなく、銃弾であるべきだ。
カンナは片腕を振り上げて、ビルの屋上に控えた狙撃部隊に対しても、一斉射撃を行う合図を送る。
その腕を振り下ろして、ドンモモタロウと怪物相手に無数の銃弾を浴びせることに、欠片も躊躇いはなかった。
「───撃てッ!!」
同時に、ヒトツ鬼も動いた。
標的はもちろん、間抜けにも背中をこちらに向けたままのドンモモタロウである。
手に呼び出すは、金棒と大剣がグチャグチャに入り混ざったようにいびつな得物──鬼険棒。
後頭部に向かって振り下ろすことに、微塵も戸惑いはなかった。
「クラッシュ!
クラッシュッ!
クラッシュッ!!
クラァ───シュッ!!」
ゆえに。
ドンモモタロウもまた、己の力を振るうことに迷いはなかった。
「ひとォつッ!」
ドンモモタロウは後頭部目がけて振り下ろされた鬼険棒を、どこからともなく取り出したサングラス型の刀──ザングラソードの峰で受け止める。
「ふたァつ!!」
そのまま、手だけで柄を回転させる。
そうしてザングラソードと鬼険棒の刀身を絡めるや否や、かなり強引な形で巻き上げ──剣道において、竹刀を崩し相手の動揺を誘う技──を行うことで、鬼険棒を宙に吹き飛ばした。
「みィッつ!!」
そして、跳躍。
身を捻り、旋転しながら飛び跳ねたドンモモタロウは、先に巻き上げた鬼険棒を掴み取った瞬間、身体に宿った遠心力をフルに活用し始めた。
突然だが、ヘリコプターの話をしよう。
ヘリコプターが空を飛ぼうとする時に、最も重要になってくるのは、機体の頂上と尾につけられたローターと呼ばれる機構である。
なぜならローターは回転することによって、羽根の役割を果たすブレードの上に、揚力や抗力といった空気力を発生させる。
その力を利用することによって、ヘリコプターは空中に釣り上がり、前後左右に進むことが可能となるからだ。
つまり。
何を言いたいかというと。
ドンモモタロウがローターで、ザングラソードと鬼険棒がブレードだった。
「そらそらそらそらそらそォらァ─────ッ!!」
天衣無縫に暴れる赤い竜巻が、四方から迫る破壊の飛礫を一瞬で掻き消していく。
弾き合うは、刃と銃弾。
ぶつかり合うは、鉄と鉄。
鼓膜を乱す暴力的なまでの騒音が周囲を覆い尽くし、ありとあらゆる場所からマグネシウムの花が咲き誇った。
「ハァーッハッハッハッハッハッハ───!!」
被害を恐れて誰もが蹲るなかで、地面にふたたび降り立ったドンモモタロウは、ただひとり屹立している。
周囲に溢れる跳弾や破片、舞い散る炎の断片など恐るるに足らんと言わんばかりに、両手を広げて笑っている。
「───ッ」
どれだけ策を重ねても、どれだけ鍛錬を積んでも、絶対に手が届かない高みに在り続ける。
その姿はどこまでも──尾刃カンナにとって、清く正しく『恐怖』の対象だった。
けれどカンナは、同時にこうも思ったのだ。
羨ましい、と。
ふと我に帰る。
どうしてそんなことを思ってしまったのか、自分でもわからなかった。
相手は憎っくきドンモモタロウだ。
七囚人の脱獄に合わせたように矯正局から姿を消して、ふたたびキヴォトス全土で怪物を相手に暴れ回っている、不倶戴天の敵だ。
だから。
羨ましいと思うはずがない。
眩しいと思うはずがない。
思っていいわけがない──!
「ドン、モモタロウッ…………!」
内に湧こうとしていた正体不明のナニカを、怒りと嫌悪でできた粘着質な泥で押し込めた。
カンナは唇を噛み締めながら、最後まで手放さなかった己が愛銃の照準を、ドンモモタロウの胸部に向ける。
そして。
今の自分が抱いている醜い感情を、丸ごと清々しく笑い飛ばしてみせるかのような。
見えていても決して触れることのできない虹の光が、ドンモモタロウの周囲へ波打つように描かれる瞬間を、カンナは確かに目撃した。
「──……」
「これで──祭は終いだッ!」
放たれるは、極光の一振り。
怪物たるヒトツ鬼を、ただの人間へ引き戻すことが許された、唯一の一斬。
その名は。
──アバ!
タロ!
斬!!
程なくして、カンナの視界を派手な光と爆発が覆い尽くした。
すべてが濁流によって流されてしまったかのような、まっさらな静寂が辺りを満たす。
押し寄せる衝撃の奔流に耐えきるべく伏せていたカンナは、ゆっくりと顔を持ち上げていく。
「───は」
カンナの目の前に倒れていたのは、先ほどまで怪物として暴れていたと思しきスケバンのみ。
ドンモモタロウは、どこにもいない。
嵐のように訪れて、嵐のように去っていったのだ。
「……」
事態が収束したことを察したカンナは無言で立ち上がり、身体中についた砂埃を乱雑に払う。
恐る恐る近寄ってきた部下が、どこか遠慮がちな声色で訪ねてきた。
「あの、局長。ヤツは……"縁起の使徒"は……」
「……いつも通りだ。指名手配は解くな。目撃情報も引き続き集めておけ。
あそこで倒れている生徒は、目を覚まし次第事情聴取だ。変化してる時の記憶が残っていないとが確認できたなら、後の処理は任せる」
「りょ、了解しましたっ」
敬礼した後で、部下は怯えたような早足で去っていく。
原因は理解している。自分がぴりぴりとひりつくような怒気を、ひっきりなしに垂れ流しているからだ。
申し訳ないな、と思う。
情けないな、と思う。
けれど、抑える気にはならなかった。
子どものような立ち振る舞いをしていなければ、恐らく自分は溜め込んだ末に壊れてしまうだろうから。
「……」
現場から引き上げる最中、カンナはふと空を見上げた。
今日のキヴォトスは、とびっきりの快晴だ。
透き通った青い空、たち昇る白い雲、燦々と輝く太陽。
「──!」
カンナは思わず、横倒れになった装甲車に握りしめた拳を叩きつける。
めきょり、と装甲が凹む音が聞こえる。
始末書は、覚悟の上だった。