“縁起の使徒” ドンモモタロウ 作:鰻の蒲焼き
その①
「野良猫」「なんですか? 狐のお嬢さん」「タロウさんの傍に立つのはやめなさい。大変、極めて、これ以上ないぐらいに、不愉快に感じていられるようですから」「──自分の妄想をあたかも真実のように語るのはよした方がいいですよ。孤独に咽び泣く夜を過ごしたくないのなら」「減らず口を……!」「ねえ、桃井タロウ」「なんだ」「いつになったら私に君の血液を採取させてくれるんだい?」「まだ言っているのか? 断ったはずだぞ」「良いじゃないか、血の一滴二滴ぐらい」「良くない」「“五塵の獼猴”。どうしてあなたは、タロウさんの血を欲しがっていらっしゃるのですか?」「うん? そうだねぇ。私にとって彼の血は──いや、身体か。とにかく、非常に興味深い対象だからさ。隅から隅まで調べ尽くしたいくらいには、ね」「だ、大胆な発言ですわね……っ」「──そのような狼藉を、この私が許すと思いますか?」「おお、怖い怖い。助けてよ桃井タロウ。“災厄の狐”が脅してくるんだ」「……狐坂ワカモ」「た、タロウさんっ! 違うのですっ。そこの狼藉者がふざけた世迷言を吐かしたので……!」「いつものことだ。アンタはそろそろ、落ち着きを覚えろ。しつこいぞ」「うっ、うう、ううゔ〜〜〜!!」「ククッ、怒られたねぇ」「アンタもアンタだ。何度同じ問答を繰り返せば気が済む?」「正気の沙汰でないことは理解しているとも。だが、せっかく見つけた手がかりなんだ。正気にて大業はならず──とも言うだろう?」「“災厄の狐”ともあろうものが、なんたる情けなさですか。私のハンカチをお使いなさい」「いりませんっ!!」「やれやれ。狐のお嬢さんは、どうやら少し幼いところがあるようだ」
果てしなくうるさい。
背中で背後の会話を聞いていた尾刃カンナは、ただでさえ鋭い目つきを殊更に深く研いで、目の前にある閉まった扉の中心線を眺めていた。
正しく言うなら、ひどくウンザリした表情をしている自分と見つめ合っていた。
地味にのしかかってくる重力、全身にまとわりつく浮遊感。
四方からごうんごうんと鳴り渡る駆動音、密閉された空間特有の息苦しさ。
エレベーターである。
乗り合わせているのは、桃井タロウと七囚人である。
訳が分からないのである。
(…………どうしてこんなことに)
意味不明を極めたような、今の状況を作りだした発起人は、もちろん桃井タロウだった。
曰く、普通に降りられる時は普通に降りるのが、最低限の礼儀だから──らしい。
意味が分かりそうでわからない。
けれど言われてみれば、自分たちは揃いも揃って、およそ真っ当ではない手段で屋上に集まっていたのは間違いなかった。
桃井タロウと栗浜アケミはおそらく、ドンモモタロウが常日頃から使用しているだろう、摩訶不思議な移動手段を使って。
自分──尾刃カンナは、ビルの表面を這い上がってきて。
七囚人は知らないが、どうせロクでもないだろう手段を使って。
要するに、誰も彼もが不法侵入者で、牢屋もビックリするほどの犯罪指数の高さである。
なんの事情も知らない第三者からすれば、自分が首魁に見えるのかもしれない──自らの人相の凶悪さを客観視できているカンナがひそかに落ち込んでいると、それに気付いたらしいタロウが話しかけてきた。
「どうした尾刃カンナ。悪酔いでもしたか」
「……ある意味、悪酔いしているようなものですよ」
「そうか。具合が悪くなったらすぐに言うといい。
生憎薬は持ち合わせていないが、シャツぐらいなら貸してはやれる」
そこに吐け、というのか。
色んな意味で自分の尊厳が終わりそうな提案をカンナが跳ね除けようとすると、狐坂ワカモが気に入らなさげに会話に割り込んできた。
「あなた様が、そのような慈悲をおかけする必要は微塵もありません。
吐きたいものには、吐かせておけばよいのです。
ましてやそれが──一度心を通わせた相手にさえ噛みつく“狂犬”相手ならば、尚更」
「……」
仮面越しにでも、明らかな見下しと侮蔑の入り混じった視線が突きつけられていることがわかる。
元々、不良どもから好き放題に言われてもなお、大人しく黙っていられるようなタチではない。
だからカンナは、その挑発に乗ってやることにした。
「……えぇ、是非、そうさせてもらいますよ。
思い返せば、タロウさんからはジャケットも借りたことがありますし……シャツの一枚や二枚程度、なんてことはない話でしたね」
嘘ではなくマジである。
しかし別に不純な意味でも不健全な意味でもなくて、ただ単純に仕事疲れのために屋台でつい本格的に眠ってしまった自分に、桃井タロウが自分のジャケットを羽織らせて帰っていったという話だけなのだが、あえてそこはぼかすことにした。
そして、どうやらその効果はあったようだ。
「な……! なな……!
い、衣服の、譲渡ッ!?
わ、私と先生でさえッ、まだその段階には踏み込んでいないというのに……!」
ワカモはぷるぷる、と屈辱と怒りで身体を震わせていた。
ざまあみろ、と言わんばかりにカンナは鼻を鳴らしかけるが、直後にあまりにも子供っぽく振る舞い過ぎていることに気付いて恥ずかしくなり、そっと口を噤んだ。
そうして微妙な沈黙が広がりかけたところで、それを打ち破るように口を開いたのは、指を唇に当ててなにかを考え込んでいた清澄アキラだった。
「──そういえば、“狂犬”さん。ひとつお伺いしてもよろしいですか?」
「……なんだ」
「タロウさんとは、常日頃から屋台でお会いしているのですか?」
「……それを答えて、何になる?」
そもそも第一級の指名手配犯とも言える七囚人に、どうしてプライベートを暴露しなければいけないのかと吐き捨てようとすると、面白がった申谷カイが口を出してきた。
聞かれたことには、内容がどんなものであれ必ず答える桃井タロウに対して、だ。
「私も気になるねぇ。そこのところどうなんだい? 桃井タロウ」
「──常日頃というわけではない。
だが、近頃はよく会う印象があるな。
それほどキツい仕事なのか? ご苦労なことだ」
「誰のせいだと……!!」
「頭を悩ませる原因のひとつから言われて、これほど腹の立つ台詞はありませんわね……」
青筋を立てかけたカンナに同情するように、栗浜アケミが嘆息する。
それはまったくその通りなのだが、自分も原因の一端を担っていることを理解した上でそんなことを言っていると考えると、彼女はなかなかいい根性をしていた。
「……なるほど」
一方で、話を聞き終えたアキラは顔を沈み込ませてふたたび思考に耽ってから、静かな口調で話し出した。
「──どうやら、今の私たちの状態は、何者かによって仕組まれたモノであると考えた方が良さそうですね」
「……仕組まれた?」
思わず聞き返したカンナに、アキラは「ええ」と頷く。
「七囚人たる私たちが、こうして揃っていること。
その場に、ドンモモタロウ……タロウさんと、ヴァルキューレの“狂犬”たる貴方がいること。
どうにも偶然が過ぎる。
そして行き過ぎた偶然は、最早必然とも呼べるのですよ」
「──もし、お前の言っていることが正しかったとして、だ。
一体誰が、何のためにそんなことをする?」
「さぁねえ。彼女はなかなか尻尾を掴ませてくれないものだから」
その質問に答えたのは、アキラではなくカイだった。
カンナが振り向けば、底意地の悪い視線をこちらに送ってきているのが見えた。
「……知っているのか?」
「勿論、知っているとも。だが、口に出す気は無いよ。
私はそこの桃井タロウとは違って、真実こそ価値があるとは微塵も思っていないからね」
「──そうか」
端から理解していたつもりだった。
七囚人とは、キヴォトスの治安を徒に乱すことしかできない存在。
わかりあえるはずも、手を取り合えるはずもない。
けれど、あの時。
月の下の屋上で──桃井タロウの死体を前にして笑い合った瞬間、「もしかしたら」という夢想を抱いてしまったのだ。
ありもしない、夢想を。
「……そうだったな」
カンナの脱力しかけていた手が一気に力を取り戻し、開かれていた五指がぎゅっと握り締められる。
まるで、二度と他者と触れ合うことはないと。
確かな断絶を、周囲に示してみせるかのように。
「……──尾刃カンナ」
それを横目で眺めていたタロウが何かを言おうと口を開いたところで、ちーん、とエレベーターが目的の階に到着した音が鳴り響いた。
だからタロウは意識を切り替えて、開いた扉から足早に出ていったカンナの後に続く。
そこは、たっぷりとした空間が取られてある、清潔感が漂うエントランスだった。
誰の姿も見えないのは、今が夜だからというだけでなく──街そのものがドンモモタロウを敵視して彷徨うという、異常な状態に陥ってしまっているからだろう。
あるいは──既にその異常のなかに、取り込まれてしまったからか。
どちらにせよ、これからやるべきことに変わりはない。
ヒトツ鬼を退治して、元の姿に戻す。
それが、訳もわからずキヴォトスに呼び出された桃井タロウが果たすべき使命なのだから。
「……それで、これからどうするつもりだい?
まさか、馬鹿正直に全員を相手にするつもりじゃないだろうね。
私は嫌だよ? 面倒事は嫌いさね」
髪を指でくるくる、と弄りながら、カイは問いかける。
タロウは腕を組んで、簡潔に答えた。
「──あのヒトツ鬼が敵だと認識したのは『ドンモモタロウ』だ。
つまり、このおれ……『桃井タロウ』ではない」
「……まさか、生身で闘うと言うのですか?」
タロウの言葉を聞いたアケミが、思わずといった風に目を見開いた。
確かに桃井タロウは、通常時の身体能力もずば抜けたところがある。
が、それはあくまでも一般人と比較しての話だ。
そもそもドンモモタロウにならずともあの怪物と渡り合えるのならば、初めからそうしていたはずだ。
諸々の疑問が含まれたアケミの質問に対し、タロウは首を横に振って否定の意を示した。
「それはない。
ヒトツ鬼を元の人間に戻すためには、チェンジが必要不可欠だからな」
「しかし、それでは先程の二の舞を演じるだけでしょう? 操られた者たちの対処はどうなさるつもりで?」
「──一切合切、巻き込んでしまえば良いだけです」
可憐な声で恐ろし気な言葉を唱えたのは、ワカモだった。
「タロウさんと……そして何よりも先生の障害と化している者どもに、情け容赦など加える必要はありません。
ああ、いえ、逡巡するなど私らしくありませんでしたね。
今すぐ、一帯を焼け野原と化してしまえば──」
「それは、タロウさんの意志に反する行いです」
外へ踏み出しかけたワカモの足元へ、アキラは素早く銃を差し向けた。
ルビーの瞳を決意で光らせながら、断固たる口調で続ける。
「彼の信念を穢すような不埒な行いは、他の誰が許したとしても、この私が許しません」
「───今すぐ銃を下ろしなさい、野良猫」
ワカモの声に殺気が篭もる。
「屋上の言葉を撤回したわけではないことを、お忘れなきよう。
邪魔者ならば、一刻も早くこの場から立ち去りなさい。
出来ないのであれば、私が手伝って差し上げてもよろしいのですよ」
「貴女の短絡的な行動がタロウさんの美を損なうことに繋がると、まだ理解できていないようですね。
狐のお嬢さん──邪魔者は果たしてどちらであるか、一度でも考えたことはありますか?」
びきり、と血管が膨れ上がる音が、確かに聞こえてきた。
が、その衝動に従ったワカモがアキラの首に銃剣を突きつけるより先に、扇子を開いたタロウが声を出した。
「おれに、良い作戦がある」
「──へえ」
ワカモとアキラの衝突をつまらなそうに見ていたカイが、瞬く間に喜悦を露わにした。
浮かべているのは、悪戯の道具を見つけた子どものごとき笑み。
「君が作戦だって? ドンモモタロウである君が?
ククッ、実に興味深いねぇ。
キサキへの土産話にはちょうどいい。参考までに聞かせて欲しいな」
朗らかに笑うカイの裏側に、「下手なことを言ったら小馬鹿にしてやろう」という、悪意と呼ぶにはあまりにも幼い感情が隠されていることに、タロウ以外の全員が気づいていた。
しかし、それを察知しておきながら誰も止めなかった理由は、桃井タロウが提案する作戦がどういったモノになるのか、誰もが気になっていたからだ。
「良いだろう。まず──」
全員の期待に真っ正面から応えるように、タロウは堂々とした態度で話し出す。
邪な喜悦に歪んでいたカイの表情は、怪訝に染まり、呆然を宿し、最終的には宇宙の真理に辿り着いた猫となった。