“縁起の使徒” ドンモモタロウ 作:鰻の蒲焼き
堰き止めようとする輩はいた。
乗じて暴れようとする輩はいた。
けれど。
祭で対抗しようとする輩は、いなかった。
それに気づいた瞬間だったかもしれない。
狐坂ワカモが、『桃井タロウ』を認識し始めたのは。
◯
──姉御、今日は早上がりしても良いっすよ。上はあたしがなんとか誤魔化しておくんで。へ? 書類がまだ整理できてない? はあ。なにを言うかと思いきや……舐めんじゃねーっすよ! そんなの、姉御の頼れる部下なあたしらが、チャチャチャっと片付けてやるに決まってるじゃないすか! なあお前らぁ! おいそこ! 呆れた顔してんじゃねーよ!!
気を遣われたのだと思う。
いつもなら撥ねつけていたところを、大人しく従う気になったのは、やはり自分でも今は本調子ではないことをわかっていたからだろう。
そうしてカンナは久々に、まだ夜にならないうちに公安局を後にして、あちこちを彷徨いた末に結局いつもの屋台へ顔を出すことにした。
「……ふう」
見慣れた姿に、思わず吐息をこぼす。
ひらひらと風にそよぐ「ラーメン」と書かれた暖簾。
和やかな橙色の光をともした提灯。
皿や調味料、箸立てにクリアケースと、雑多な道具が所狭しと立ち並んだ木製の机。
──麺屋スズちゃん。
焼き鳥やおでんも兼ね備えたその屋台を、カンナは一番落ち着く場所として好んでいた。
もしくは、『公安局の狂犬』として名を馳せている自分が、誰に憚ることもなくその仮面を外せる場所としても。
物思いに耽りながら暖簾をくぐり、店主に「すみません」と声をかける。
「いらっしゃいませ〜。ご注文はどうされますか?」
「えぇと……それじゃあ、焼き鳥をお願いします。ねぎまと、もも塩、それからかわタレをそれぞれ一本ずつ。あと、特製ウーロン茶を一つで」
「あい。ねぎま、もも塩、かわタレ、特製ウーロン茶ですね〜。
それでは空いてる席におかけになってお待ちください〜」
間延びした声で注文を繰り返した店主は、のんびりした動きで準備を始める。
屋台にいるのは、自分ひとりだけだ。けれどカンナはなんとなく遠慮して、隅に近い席に腰を落ち着けた。
肉とねぎが焼ける音と、屋台の外側から微かに聞こえてくる街の生活音が、カンナの耳のなかで幾重にも折り重なる。
段々と夢を見ているような気分になってきた。
(……やはり、疲れているな)
どうしようもなく、そう思う。
帰りはすこし寄り道でもしようかと考えていたが、さっさと眠りについた方が良いかもしれない。
そんなことを思っているうちに、特製ウーロン茶が差し出される。
ひとまず飲もうと、カンナが湯呑みに手を伸ばした瞬間だった。
「店主。席は空いているか」
低い男の声が、カンナのすぐそばで聞こえた。
聞き覚えのある声だった。
思わず振り向いたカンナとほぼ同時に気づいたらしい声の主は、その太い眉にわずかな驚きを宿す。
「この時間にアンタと顔を合わせるとは──珍しいな、尾刃カンナ」
「……私も、驚いていますよ。タロウさん」
カンナの言葉に、タロウと呼ばれたその男──桃井タロウは、莞爾とした笑みを浮かべた。
「やはり、おれとアンタには縁があるということか。嬉しいぞ」
「……私も、悪くない気分です。なので、一杯いかがですか?」
「良いだろう」
誘いに対して、タロウは腕を組みながら頷くと、カンナの左隣に腰を下ろす。
率直すぎる物言いと、不遜な態度が目立つこの男とカンナが席を共にするのは、これが初めてではない。
初対面は、もちろん驚いた。
自分たちと同じ見た目をしておきながら、ヘイローを持たず、さらには異性だったからだ。
最も、交流していく初めのうちに、注目するべきは見た目ではなく中身であると、早々に理解させられたのだけれども。
「アンタは何を頼んだ?」
「特製ウーロン茶と、ねぎま、もも塩にかわタレです」
「そうか。店主、おれも特製ウーロン茶と、それからおでんを頼む」
「あい。具材はどれにされますか〜?」
「たまご、こんにゃく、大根だ」
「わかりました〜」
手早く注文を済ませたタロウは、備えつけのおしぼりで手を拭いている。
カンナは横目で眺めながら、何気なく雑談を持ちかけた。
「今日は、仕事帰りですか?」
「あぁ。だが、仕事自体は早めに終わっている。今は野暮用を済ませた帰りだ」
「そうですか……」
「そういうアンタは?」
「私は……仕事帰りですよ。ただ、部下に気を遣われまして。今日は早めに帰れたんです」
「なるほど」
カンナは、桃井タロウがどんな仕事に就いているかを知らない。
そして桃井タロウも恐らく、尾刃カンナがどんな仕事に就いているかを知らないだろう。
よって自然と、会話は焦点がぼやけたようなものになるのだが、カンナにとってはそれが心地よかった。
気を張り詰めずに済む。
気を抜いていられる。
ただの"尾刃カンナ"として──なんのてらいもなく話すことができる。
それに桃井タロウは、容疑者だけでなく被害者にも怯えられがちな自分の形相を、これっぽっちも気にしていない。
だから屋台に次いで、カンナが自然体で振る舞える相手になっていた。
決して、口には出さないが。
「いい部下を持っているんだな、アンタは」
「えぇ。私にはもったいない部下ばかりですよ、本当に」
「もったいない?
違うな。買い被りだけで人はそこまでついてこない。そいつらは、心からアンタを慕っているんだ。
そして、その判断は間違いではない」
「……──からかっていますか?」
「なぜからかう必要がある?」
からかっているようにしか見えないからだ。
しかしカンナは、桃井タロウが嘘をつかないことも、冗談を言わないことも知っている。
つまりタロウは素面のままで、こんなにも小っ恥ずかしい台詞を宣っているのだ。
それがカンナはこそばゆい。
こそばゆくと、むず痒くて──仄かに暖かな気持ちになる。
「……あなたは、本当に変わっていますね」
「おれは正直でいるだけだ。変わったところなど何もない」
「それが変わっているというんですよ。ふふ……」
おかしくなったカンナが、思わずといった風に笑みをこぼしたタイミングで、店主がタロウの分の特製ウーロン茶を用意した。
カンナはそれを見て、自分の湯呑みを控えめに差し出す。
意図を察したタロウもまた、真似るように湯呑みを持ち上げた。
「少し、冷めてしまいましたが。
それでは──乾杯」
「ああ、乾杯」
二人が湯呑みを軽く触れ合わせた。
時だった。
「──こんばんわ」
場の雰囲気に似つかわしくない、蜜のように甘ったるい撫で声が響いた。
声の主は、いつの間にかタロウの右隣に座っていた少女だった。
◯
少女は、そこかしこに花の意匠が施された瀟洒な振袖を身につけていた。
街の屋台という、言ってしまえば庶民的な場所へ赴くには、いささか場違いな服装である。
にもかかわらず、思わず息を呑んでしまったのは、少女自身が持つ美しさのためか。
妖しげに光る満月のような瞳。
赤のインナーカラーが際立つ艶やかな黒髪。
バランスの取れたしなやかな肢体。
そんな、同性のカンナですらも一瞬見惚れるほど容姿が整った少女に対して、タロウは眉を顰めるばかりである。
どうやらタロウさんの知人らしい──カンナがそう気づいたのは、少女がやけに親しげな口調でタロウに話しかけたからだった。
「タロウさん、そちらの方は?」
「知り合いだ」
「……ふむ。知り合い、ですか」
少女は呟きながら、カンナに視線を送ってきた。
自分とは違って、恐らく誰からも好かれるであろう少女は、さっきまで浮かべていた笑顔をどこかに放り出したように真顔だ。
美人の真顔はやけに迫力があるな──と、カンナが蛇に睨まれた蛙よろしく固まっていると。
不意に。
背筋が。
ざわめいて──
「──!」
「よせッ!」
カンナが瞬発的に腰の拳銃に手を伸ばしかけたのと、タロウが少女に制止の声を投げたのは、ほとんど同時だった。
すぐそばに起爆寸前の時限爆弾を置かれたかのようにばくんばくん、と心臓が五月蝿い。
バケツいっぱいの氷水をぶっかけられたかのように身体の芯まで冷えている。
喉を麻縄で締めつけられているかのように息苦しい。
カンナは公安局長として、幾つもの修羅場を駆け抜けてきた。
当然、命に危機を感じるような窮地に追い込まれた経験など、両手の指では数え切れないぐらいある。
しかし、たった今感じた謎の悪寒は、これまでにないほどカンナの本能を刺激した。
揺れる炎のごとく。
光る刃のごとく。
迂闊に触れただけで傷を負ってしまいかねないモノに相対したかのように。
密かに戦慄しているカンナをよそに、タロウは珍しく呆れを露わにしながら、少女に話しかけた。
「──相変わらず礼儀のなってないヤツだ。
おれは構わない。だが、見知らぬ他人にいきなり殺気を向けるなと、何度言わせればわかる?」
「殺気? うふふ、ご冗談を。今のはちょっとした火遊び、いわゆる児戯でございます。それがわからぬあなた様ではないでしょう?」
「論外だな。そもそも、おれに知り合いがいることの何がそんなに気に食わない? アンタの行動は支離滅裂だ。理解に苦しむ」
本気でわからない顔をしているタロウを見て、少女はひどく可愛らしいものを見たかのように、そっと眼差しを緩めた。
「──わからなくて良いのです。
あなた様は、どうかそのままでいてくださいまし。
この私に勝る混沌を秘めておきながら……どこまでも純粋で、無垢で、孤独なあなた様。
ああ! ああっ!
理解し合える友人がいる日々とは──こんなにも素晴らしかったのですねっ!」
「アンタの友人になった覚えはない」
タロウの冷静な反論を無視して、少女は全身で喜びを表現している。
間違いなく変人の類だと、カンナは確信した。
だが、殺気を向けられたことに慄きはしても、桃井タロウにそういう妙ちきりんな知り合いがいることには驚かなかった。
それは多分、桃井タロウがどんな相手でも立ちどころに受け入れてしまうと思わせる、只者ならざる雰囲気を漂わせているからだろう。
いや。
事実、受け入れているのだと思う。
でなければ、あれほど濃厚で禍々しい殺気を放てる相手と、平然と言葉を交わせるはずがない。
少なくとも、カンナには無理だ。
殺気を放たれた瞬間、拳銃に手を伸ばしてしまうような、カンナには。
「──あなた様とは、いつまでも、いつまでもお喋りしていたいのですが……今日はお伝えしたいことがあってこちらに参ったことを、思い出してしまいました」
カンナを放置して、タロウとばかり話していた少女はそこで言葉を打ち切ると、それまでとは打って変わった真面目な様子で語り出した。
「……伝えたいことだと?」
怪訝そうにタロウが聞く。
ええ、と少女は頷き、なぜか頬をぽっと赤らめた。
そのまま両手をほっぺに添えて、恥ずかしそうに身を捩らせ出す。
カンナは嫌な予感がして、そっと身体を離した。
タロウは逆に興味を持ったのか、腕を組み直して場に居座る。
正反対な二人をよそに、少女は桃色の唇を躊躇いがちに開けていく。
「じ、実はですね。
友人であるあなた様に、どうしても──どうしてもご報告したいことが、ありまして」
「ほう。友達ではないが、聞いてやろう」
「実は、実は。私──」
聞きたくないのに聞こえてしまう。
かといって席を外せば、それはそれで目をつけられてまた面倒くさそうなことになりそうな気がする。
ラーメン屋の店主が、最後の頼みの綱としてどうにかしてくれないだろうか。
期待を込めてカンナが横目を送ると、店主はハンカチを片手にすっかり話に聞き入っていた。
もうダメだ。
「私、実は好きな殿方が──!」
もうどうにでもなれ、とカンナはヤケクソじみた勢いでウーロン茶を飲み干す。
液体が高速で喉を通り抜けていく音が、少しでも少女の話を遮ってくれることを期待して。
その切なる願いは──違った形で果たされた。
「…………」
何も聞こえない。
急激に戻ってきた静寂を訝しんだカンナは、おそるおそる湯呑みを置いて、少女の方に視線をやる。
そして思わず、息を呑んだ。
ここではないどこかを睨みつけていた少女は、自分に勝るとも劣らない恐るべき形相を、その端正な相貌に刻みつけていたからだ。
「──どこまでも、無粋な野良猫ですね」
「どうした」
「なんでもありません。ただ、気分が白けてしまいましたので……お話は、また次の機会にするといたしましょう」
怯むことなく話しかけてきたタロウに、素っ気なく返事してから、少女は緩やかに立ち上がる。
「それでは、桃井タロウさん。
次にあなた様と相見えるときは、災厄渦巻く戦場であることを、願っていますわ」
「面白い──その時は、おれがアンタの相手をしてやる」
タロウの不敵な宣言を聞いて、少女は心の底から嬉しそうに笑いながら、足音も立てず闇のなかに消えた。
それから、しばしの沈黙。
初めに均衡を破ったのは、誰であろう店主だった。
「ウーロン茶のおかわり、いる?」
商売上手である。
ワカモ→タロウのことを無二の友人だと思っている。もし先生との結婚式を開くことになったら友人代表としてスピーチして欲しい
タロウ→ワカモのことを強くて妄想が逞しくて派手な祭りが大好きな面白いヤツだと思っている。友達になったつもりは一切ない
カンナ→タロウがドンモモタロウとは一切知らない。変人同士は惹かれ合うんだな…と内心引いている。タロウと過ごす時間が割と好き