“縁起の使徒” ドンモモタロウ   作:鰻の蒲焼き

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その③

 

 

 

 謗る輩はいた。

 理解を放棄する輩はいた。

 けれど。

 例え相容れなくとも、すべてを理解してくれた輩はいなかった。

 それに気づいた瞬間だったかもしれない。

 清澄アキラが、『桃井タロウ』に魅入られ始めたのは。

 

 

 ◯

 

 

 もも肉のジューシーさとねぎの甘みや独特の食感を備えたねぎま。

 味がシンプルな分、しっかり整えられた下味を存分に堪能できるもも塩。

 たれをつけてカリカリに焼かれたためか、先の二つとはまた違った味わいを持つかわタレ。

 その三つをゆっくり味わってから、尾刃カンナは特製ウーロン茶を一気に飲んだ。

 

「───ぷ、はぁああああ……っ」

 

 隣に桃井タロウがいることもすっかり忘れて、思わずといった感じに感嘆の声を吐き出す。

 はしたないとは思っているし、みっともないとも理解している。

 けれど、こうして流し込んだウーロン茶が、口のなかの脂と一日の疲れを一緒に持っていってくれているような気がして──有り体に言えば、カンナはやみつきになっていた。

 

「いい飲みっぷりだな」

 

 感心の声を漏らしたのは、箸で切り崩したおでんの大根を咀嚼し終えたタロウだ。

 彼と食事を一緒にするのは、別に初めてではない。

 しかし「それはそれ、これはこれ」というやつで。

 ほのかに好ましさを覚えている異性相手に隙を曝け出すのは、何度やっても慣れないモノなのだ。

 

「……ごほん。その、今の痴態は、わ、忘れていただければ」

 

「無理だな。おれは一度あった人物や出来事を忘れない」

 

「忘れていただければっ」

 

「無理だと言っているだろう」

 

 カンナの必死の懇願に、しかしタロウはにべもない。

 

「フリでもいいから忘れてください! それでなんとか納得しますので! 簡単な話でしょうっ」

 

「あったことをなかったことにはできない」

 

「そういう話ではなくて……ああもおっ!」

 

 嘘でもいいから「わかった忘れる」と、そう言うだけで済む話なのに、ここまで拗れてしまうのはいったい何故なのか。

 それはきっと、桃井タロウが桃井タロウであるためだ。

 カンナはそのことを、よく理解している。

 そして、おそらく誰にも、桃井タロウの在り方は捻じ曲げられないことも。

 理解しているから、はあ、と深い溜息を吐いて、自らの痴態が桃井タロウの脳内フォルダに保存される道を、大人しく選んだ。

 

「なぜ溜め息を吐く」

 

「……先ほどのような振る舞いなど、私に似合わないでしょう。

 そんな姿が記憶されてしまったのですから、溜め息のひとつやふたつ、吐きたくもなりますよ」

 

 カンナがあてつけるような口振りで呟くと、タロウは不思議そうに首を傾げた。

 

「難儀な性格をしているな。

 だが、気にする必要はない。

 アンタの姿には、どこにも恥じる部分がなかったからな」

 

「まさか。私のような女には、到底相応しくありませんよ」

 

「アンタは飯を食べる度に、いちいち外面を気にしているのか? 重症だな」

 

 驚くなかれ、煽りではない。

 彼は純粋な疑問から、そう尋ねているのだ。

 カンナは青筋をたてつつ、それでもタロウの言うことには一理があるなと、どこか冷静に考えていた。

 職務外──気を休めている時でも、片隅に自身の役職にあった立ち振る舞いを忘れないよう意識してしまうのは、確かに重症と言われても無理がないのかもしれない。

 けれど、当然だろう。

 なぜなら尾刃カンナは、不良生徒たちにとっての恐怖の対象であり続けなければならないのだから。

 

(それに)

 

 桃井タロウは知らないからだ、とカンナは思う。

 桃井タロウは、尾刃カンナの職業を知らない。

 ヴァルキューレ警察学校の公安局で局長を務めていて、犯人に対する執念深さから“狂犬”と恐れられているという情報を知らない。

 だから、そんなことを気軽に言えるのだ。

 カンナの胸に過ったのは、やつ当たりめいた思考。

 

「──アンタが今、何を考えているかは知らないが」

 

 それを見透かしたかのごとく、タロウはいつもより晴れやかな声色で言った。

 

「アンタの飲みっぷりは、見ていて気持ちがいい。

 アンタの食いっぷりは、見ていて感心する。

 アンタは目一杯……今を楽しんでいる。

 要するに、自分に正直でいるということだ。

 それは誰にでもできることだが──誰にもできるわけではない」

 

「……」

 

「だから、自分を卑下などするな。笑え。

 でなければ、アンタが今感じているすべてが嘘になってしまうぞ」

 

 上から目線で。

 高圧的で。

 しかも笑いを強要してくる。

 そんな、側から見ればどうしようもない言葉を、しかしカンナは最後まで、あますことなく聞き届けた。

 

 自分に正直でいる──

 

 それはきっと、今の自分からは一番かけ離れた評価だろう。

 立場を隠しているからだ。

 素性を秘めているからだ。

 素顔を偽っているからだ。

 けれど、と思う。

 嘘をつかない桃井タロウが、そう言ってくれるのなら。

 今の自分はそうであると──正直でいられていると、ほんの少しだけでも、信じてやってもいいのかもしれない。

 

「……そう、でしょうか?」

 

「それを決めるのはアンタだ」

 

 伝えるべきことは伝えたと、タロウは素っ気なく告げて、最後のひとかけらになった大根にからしをつけてから口に含んでいる。

 

「……本当に、あなたは……」

 

 いったいどういう情緒をしているのだろうか。

 そう考えて、久々に大笑いしそうになった直後だった。

 

「──素晴らしい御方だ」

 

 鈴の音を鳴らしたかのような、惚れ惚れしてしまうほど涼やかな声が割り込んできた。

 声の主は、いつの間にかタロウの右隣に座っていた少女だった。

 

 

 ◯

 

 

 少女は純白を纏っていた。

 

 

 そう見えた理由は、ファッションと髪と肌の色がおおよそ一致していたからだ。

 縦のリブが入ったベージュのニットと、オフホワイトのフレアスカートの組み合わせという、いわゆるワントーンコーデ。

 日頃から丁寧に手入れされているのだろう。妖しくなめらかな光沢と艶を放っている、絹のごとき白い長髪。

 シミや凹凸の一切ない、まるで降り積もったばかりの雪のような、侵しがたい静謐さを漂わせている肌。

 まるで一流の絵画からこっそり抜け出してきたかのような姿をした少女は、またもやタロウの知り合いらしい。

 ただひとつだけ違うのは、カンナと目を合わせた瞬間にほんのわずかに目を見開いたところか。

 まるで、会ってはいけない相手に、運悪く出くわしてしまったかのように。

 

「……なにか?」

 

「ああ、いえ。申し訳ありません。少し知人と似ていたもので、驚いてしまいました」

 

 わずかに感じた違和感は、少女が微笑んだことで有耶無耶になった。

 先の振袖姿の少女が、出会い頭に殺気を向けてくるような輩だったこともあってか、カンナは「そうですか」と言って会話を打ち切る。

 そのタイミングを見計らっていたように、タロウがすかさず白い少女に向けて話し出した。

 

「それで、何の用だ」

 

「用がなくては、会ってはいけませんか?」

 

「そうは言っていない。だが、ここはおでん屋だ」

 

「ラーメン屋です〜」

 

「……ラーメン屋だ。

 席に座るのなら、何かひとつは頼んでいけ」

 

 タロウの言葉に、少女はふむ、と唇に指を当てて考え込む。

 

「──確かに、あなたの言う通りだ。

 それでは、おすすめを教えていただけませんか?」

 

「当然、おでんだ! 

 おでんを食ったことはあるか?」

 

「いえ。初めてです」

 

「──そうか」

 

 アンタも、初めてか。

 年齢に似合わない、嬉しさと懐かしさが入り混じった幼なげな表情を不意に浮かべたタロウに、カンナと少女は一瞬だけ息を呑む。

 タロウは視線を気にかけず、店主についさっきの自分の注文をそのまま繰り返した。

 

「──おれのおごりだ。存分に味わっていくといい」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 ちょこんと縮こまった少女に、甲斐甲斐しく箸や器を用意してやっているタロウに、カンナは話しかけた。

 

「以前からそうじゃないかと思っていたのですが……おでんが好きなんですね、タロウさん」

 

「ああ。お供とも、よく食べに行った。キヴォトスにもおでん屋があったのは幸運だったな」

 

「お供……?」

 

 聞き慣れない響きの言葉に引っかかるカンナをよそに、タロウは出来上がったおでんを受け取ると、それを少女の前に置いた。

 

「なるべく熱いうちに食べたほうがいい。おでんは出来たてが一番美味いからな」

 

「そうですか……では、有り難く」

 

 箸を持ち、少女はぱちんと手を合わせて「いただきます」と呟く。

 そして流麗な動きで無駄なく大根を四分の大きさに断ち割ると、ひとかけらを摘み、小さな口を精一杯ひらいて含んで───

 

「──は、ひゃふ、あふ、熱っ!」

 

 吐き出さなかったのは、おそらく意地かプライドによるものか。

 取り落とされた箸をすかさずキャッチしたタロウの隣で、少女は口を両手で覆いながら、くねくねと悶え苦しんでいた。

 見た瞬間に感じられた神秘性は、すっかり底の底まで枯れきっていた。

 

「……猫舌なら猫舌だと先に言え」

 

 呆れ果てた表情のタロウが交換してもらった箸を置きなおしていると、少女は口を庇いつつもごもごと喋りだした。

 

「──秘密とは、隠してこそ輝きを増すもの。

 しかし次からは、そうすることにしましょう」

 

「意味はわからんが、そうするといい」

 

 回復した少女はふうふう、と息を吹きながら、ゆっくりと切り崩した大根を食べ進める。

 警戒混じりだった表情が、たちまち驚愕と感動がない混ぜになったものへと切り替わるのに、大した時間はいらなかった。

 その様子を見て「いける」と判断したのか、タロウはからしを少女の皿に入れる。

 

「これをつけて食べてみろ」

 

「……こちらは?」

 

「からしだ。おでんをさらに美味くしてくれる」

 

 タロウの言葉を聞いて、少女はごくり、と喉を鳴らしている。

 そして、箸でつまんだこんにゃくの端に、躊躇しながらからしをつけた。

 覚悟を決めるように目をつぶり、口に含んだ。

 瞬間。

 

「──!」

 

 少女の頭についている猫耳とゆらゆら揺れる尻尾が、ぴいんと音を立てて張り詰めた。

 大きく見開かれた瞳は潤み、頬は紅潮している。

 大丈夫か、とカンナは思いながら、タロウに視線をやる。

 しかしタロウは予想通りといった風に、不敵な笑みを浮かべたままだった。

 二人が見守るなかで、少女はゆっくり咀嚼を終えると、かすかに震えが伺える声で話し出した。

 

「これは……なんと言えばよいのでしょうか……」

 

「美味いか?」

 

「美味しい、です。

 繊細で、しかし時には大胆に。忠実で、しかし時には気まぐれに──どこまで追いかけても、決して捉えらない蜃気楼のような……」

 

「……」

 

 とてもおでんを食べた感想とは思えない。

 カンナはちょっと引いていたが、しかしタロウは違ったらしい。

 

「気に入ったのならいい。

 おでんは良いものだ。

 一人で食べるのもいいが、誰かと食べると──より美味さが増す」

 

 そこでタロウは、珍しく考え込む仕草を見せてから、溌剌さを取り戻して言った。

 

「──おれとアンタには縁がある。

 美味いおでんが食べたくなったら、いつでもおれを呼ぶといい」

 

 嘘ではないのだと思う。

 カンナは確信していた。きっと桃井タロウは、いついかなる状況であっても、呼べば必ず来るはずだと。

 少女にも、それはわかったらしい。

 

「…………」

 

 カンナは思わずゾッとした。

 少女はおよそ人間に向けるべきではない目を、桃井タロウに向けていたからだ。

 老若男女が見惚れてしまう超一流の美術品を目撃したかのような。

 焦点のあっていない恍惚とした危うい光を、赤い目の奥に宿しながら。

 奇妙な沈黙が満ちるなか、少女は唐突に話し出す。

 

「美しさとは、決して形あるものばかりに宿るわけではありません。

 形なきもの……。

 行動、言葉。

 或いは──心。

 ありとあらゆる万物に備わるものと言っても、過言ではないでしょう」

 

 情を隠さず。

 艶を秘めず。

 熱を剥き出しにして。

 

「今。

 あなたという美の価値を、真に理解できているのは、私だけ。

 ──故に、私は私の信念に従って」

 

 少女は、己が本音を桃井タロウに叩きつけた。

 

「あなたの身体と、その清らかな心を、いつか頂戴しに参ります。

 ──店主、ご馳走様です。おでん、とても美味でした。

 くれぐれも体調にはお気を付けて」

 

「あい〜。また来てね」

 

「是非」

 

 にっこりと笑い、少女はその場を後にした。

 去り行く少女の背中を呆然と眺めている最中、カンナはスカートのポケットに何かがあることに気づく。

 目を尖らせて、よく見てみれば。

 

(……ボイスレコーダー、か?)

 

 なぜ。

 どうして。

 なんのために?

 

 すべての疑問は、解決されることなく。

 近づきつつある夕闇のなかへ、音を立てずに消えていった。

 

 

 

 

 

 




アキラ→タロウのことを無二の宿敵/唯一の美だと思っている。ご飯食べに行く約束をしたしいっぱい録音できたしで超ご満悦。一緒に美術館観に行こうと誘いに来たけどおでん食わされて忘れた。猫舌

タロウ→アキラのことを強い信念を持っていて寂しがり屋で少しソノイに似た面白いヤツだと思っている。宿敵になったつもりは一切ない

カンナ→タロウがドンモモタロウとは一切知らない。何人変人の知り合いがいるんだ…と若干戦慄している。自分以外にも同じ態度をしていることに若干モヤついている
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