“縁起の使徒” ドンモモタロウ 作:鰻の蒲焼き
誰もが足りずに嘆いていた。
誰もが貪欲に飢えていた。
だから埋めてやった。
だから叶えてやった。
その行いを、悔やんだことはなかった。
だが。
初めから、埋める必要のない存在を目撃して。
初めから、完璧な存在を目撃して。
それからかもしれない。
申谷カイが、『桃井タロウ』を見上げ始めたのは。
◯
料理をあらかた食べ終えて、そろそろお開きという空気が漂いだしたところで、店主が手のひらを拳でぽんと叩いた。
「そういえば、新メニューを出そうと思ってまして〜」
「新メニュー、ですか?」
尾刃カンナが聞き返すと、店主はこくり、と誇らしげに頷いた。
「ラーメンやおでんみたいなメインじゃなくて、言っちゃえばデザートなんですけど〜。よければ常連さんの意見を聞けたらなと思いまして」
「ほう。面白い」
なにが面白いのかはまったくわからない。
カンナの疑問をよそに、腕を組んだ桃井タロウは、きわめて偉そうに顎を上げる。
「店主。その新メニューとやら、いただこうか。アンタはどうする?」
「……それでは、私も」
「毎度あり〜。ちょっと待ってね」
いそいそと準備を開始しだした店主をぼんやりと眺めながら、カンナは最後に注文した特製ウーロン茶を口に含む。
夜が近づきつつあるためか、夕焼けの自然的な光よりも、ビルや行き交う車が放つ人工的な光のほうが街を彩り始めるようになっていた。
聞こえてくるのは、まっすぐ帰路についていたり、途中でどこかの店に寄ろうとしていたり、今から夜遊びに出かけようとしている、多種多様な住民の声。
そんな、一日の終わりが近づきつつある気配を感じ取ったからかもしれない。
今日は色々なことが起きたな、と不意にカンナは物思いに耽り、その大半がこじんまりしたラーメン屋の屋台で起きたことに気づいて笑った。
色々なこととはもちろん桃井タロウと──それから、桃井タロウに対してなんらかの強い感情を向けていると思しき二人の少女のことである。
──あなた様は、どうかそのままでいてくださいまし。
趣味を理解しあえる友人──自称らしい──である桃井タロウ以外は、すべて塵芥に等しいと言外に告げていた、振袖姿の狐耳の少女。
──あなたの身体と、その清らかな心を、いつか頂戴しに参ります。
桃井タロウをまるで美術品として見ているように、籠った熱と危うい陶酔を瞳の奥へ常に秘めていた、真っ白な猫耳の少女。
思い返してみれば、良くも悪くも鮮烈な印象を与えてくる人物ばかりだ。そして、よそから見れば、おそらく自分もそのうちの一人として含まれるのだろう。
それがカンナにはおかしくてたまらない。
桃井タロウのそばにいるとき、“狂犬”は不良どもの恐怖の対象ではなく、彼を取り巻く変人の一人として認識されてしまうのだ。
これが、笑わずにいられるだろうか?
少なくとも自分には無理だ。
副局長あたりは、腹を抱えて爆笑したりなんかするかもしれない。
「……ふ、ふふ」
「やけに楽しそうだな」
床を転がり回りながら呵々大笑している部下の姿を想像して、つい堪えきれずに吹き出していると、タロウが話しかけてきた。
「楽しそうに見えますか?」
「でなければ、笑いなどしないだろう──そんなにデザートが楽しみか。意外だな」
「は? いえ、そういうわけでは……ふ、ふふ」
最もなことと頓珍漢なことを同時に言われて、カンナはまたおかしくなって笑う。
そんなことをやっているうちに、用意ができたらしい店主が自慢げに皿を置いてきた。
「へい、お待ち。特製スズちゃんアイスだよ〜」
なるとのマークが入った皿の上には、半月状のバニラアイスが乗っていた。
すぐそばには、紫に近い色のジャムがちょこんと添えられている。
バニラとの組み合わせから考えて、ブルーベリーかなにかだとカンナは思ったのだが、一瞥したタロウはまったく違った感想を口に出した。
「──なるほど、あんこか」
「当たり。よくわかったねー」
「あんこのジャム……ですか?」
驚いたカンナが呟くと、そーなの、と店主は朗らかに頷いた。
「知り合いのおでん屋さんに、あんこ玉、ってメニューを持ってるヤツがいてねー。 知ってる?
あんことだんご粉と上新粉をお出汁で練った、甘じょっぱいお団子なんだけど。
それを作る用のあんこが余ったから、欲しいならやるーってさ」
「わざわざジャムにした理由は?」
タロウの問いかけに、店主は照れくさそうに笑ってみせる。
「なんとなくかな。でも、ジャムって美味しいでしょ~?」
「──確かに、アンタの言う通りだな」
「……」
二人を見ていると、カンナは色々と思い悩んでいる自分が、ひどく滑稽に思えてくる。
世界はカンナが考えているよりも──ずっとシンプルにできているのかもしれないと、つい考えてしまう。
もちろん、それは錯覚だ。
けれど、自らの本音を一片だけでも吐露してみようと決められたのは──場の雰囲気に酔ったからかもしれなかった。
「……笑ったのは、あなたのせいですよ」
「?」
「あなたがいるから、私は──」
その言葉の先を紡いだのは、カンナではなかった。
すべてを見下し、蔑み、軽んじているような──冷めた声だった。
「ありふれた、なんの変哲もない凡夫としていられる──かい?
欠伸が出るほど下らない結論だねぇ」
〇
もはや、何があっても驚くまい。
二人目が去った後で、カンナは心にそう決めていた。
だからタロウの隣に、また見知らぬ姿の少女が座っていても、動揺しなかった。
ただ、その外見には瞠目してしまった。
豊かな谷間を開放している、改造された漆黒のチャイナドレス。
白と黒という、最も対照的な二色で構成された長髪。
往来の視線を丸ごと惹きつけてしまいそうな姿をした少女へタロウが示した反応といえば、ほんの僅かに片眉を上げるのみである。
「──アンタか」
「私だよ。息災かい? 桃井タロウ」
「息災だ。見ればわかるだろう」
「ククッ。ああ。確かに、見ればわかるねぇ」
素っ気ないタロウとは正反対に、少女は胡散臭い笑みを浮かべながら、タロウの肩を気安く叩いている。
それだけならまだ格好が奇抜なだけの、人懐っこくて距離感が近いだけの普通の生徒のように思える。
しかし、カンナに時折向けてくる眼差しは──
「……ふむ」
殺気を飛ばしこそしてきたが、認識自体はしていた狐耳の少女。
タロウに危うい視線を向けていただけで、カンナ自体は普通に捉えていた猫耳の少女。
しかし、この白黒の少女は──カンナを見ているようで、まったく見ていなかった。
床に落ちた空の薬莢を見つけたときのように。
使っていたボールペンのインクが無くなったときのように。
中身のなくなった菓子の袋をゴミ箱に放り込むときのように。
それは間違いなく、自身にとって一切の利用価値がなくなった物品を見つめる、ひどく冷たい眼差しだった。
「──」
そのような眼差しを作れる生徒が、一般市民として暮らしていけるとはとても思えない。
カンナが内心で警戒心を高めていると、少女が突然ククッ、と喉を震わせた。
「──萎縮はなし。怯えも……なし。
なるほど、例の渾名もあながち間違いじゃなかったわけか」
最後まで目を逸らさなかったカンナを、少女はどうやら気に入ったらしい。好奇心と関心を示しながら、話しかけてきた。
「おいおい、そう構えないでくれたまえよ。
君とは友人として仲良くしていきたいと……本気で思い始めているんだ、これでも。
信じられないのも、無理はないだろうがねぇ」
「アンタの言う友人は実験台という意味だろう。
それは、おれが知る人と人の良い関係ではない」
つまらなそうに話に割り込んできたタロウを、少女はにたにたとチェシャ猫のようにいやらしく笑いながら迎え入れた。
「相変わらず手酷いことを言ってくれるねぇ。
けれど、それが本質だろう?
利用するか、利用されるか。切り捨てるか、切り捨てられるか。
積み重ねなんて関係ない。友人関係なんてモノは架空の理論だ。
薄汚い自分の本心を、そうじゃないと信じ込みたい──凡夫どもの浅はかな発想だよ」
吐き捨てるように、嘲笑うように、呆れ返るように。
持論を紡いでいく少女から、一秒たりとも目を逸らさず、やがてタロウは淡々と答えた。
「確かに、アンタの言うことも間違いではない。
だが、おれは知っている」
タロウは言葉を切ると、なにかを思い出すかのように一瞬目を伏せてから、おもむろにカンナへ視線を向けた。
部下に気を遣われて、いつもより早めの時間に上がることができたカンナへと。
「損得勘定が、人間のすべてではないことをな。
アンタがそう断言するのは、アンタがそれしか知らないだけか。
もしくは──知ろうとしてないからなんじゃないのか」
「……」
少女の顔から、すでに笑顔は消えている。
あるのはただ、とぐろを巻いた蛇のごとく情念がぐるぐると巡る眼差しと、誰も彼もを寄せ付けようとしない能面のような無表情だけだ。
それに応じるように、声もまた、絶句するほどの冷たさだった。
「……なら、知ってどうなる?
凡夫と繋がれば、どんなメリットが私に齎される?
知っているから、君はそんなコトを言えるんだろう」
「そもそもアンタは凡人だろう」
「────」
今度こそ、少女は言葉を失った。
だが、タロウは止まらず話し続けた。
「そして凡人同士は、支え合い、助け合うものだ。
何故なら過ちを犯し、道を踏み外してしまうからな」
「……過ち? 過ちだって?
ハッ! 今の私が、いつ過ちを犯したっていうんだい?」
嘲るように肩を震わせながらも、どこか試すような口調で少女が問うと、タロウは突き放すような声音で事もなげに言った。
「不思議だと思わないのか? いつまで経っても、アンタの作った薬品が散布されないことが」
「──!」
タロウの言葉を聞いた少女は、一瞬だけ訝しむように眉を顰め、次いでハッキリと驚愕を露わにした。
それから顔を掌で覆い、驚嘆と憎々しさが混ざった眼差しで、タロウの横顔を見据える。
「いつから気付いていた? 違うな、最初からか……!」
「そうだ。
アンタの実験に付き合うのはやぶさかではないが──知人まで付き合わせるわけにはいかないからな」
「だが──手段は何を? 例の、妙な空間を使って?」
次の瞬間、小さな何かが高速で飛来してくる音が、タロウに目掛けて迫るのを少女とカンナは感じた。
それは決して気のせいではなく、タロウは右手をかざして、初めから軌道を察知していたかのように、その何かを軽々と受け止める。
正体は──
「……小豆?」
ただの小豆ではないとカンナが気付いたのは、カンナの目前にバニラアイスが置かれていたからだ。
そう──麺屋スズちゃんの店主が、知り合いから譲られたあんこを元に作ったあんこジャムを添えてあるバニラアイスを。
タロウは、脳人レイヤーのマンホールを飛び交った末に薬品の詰め込まれた爆弾の起爆装置を停止させ、ふたたび己の元に戻ってきた小豆を口に含む。
「こんな風に、アンタの企みはたった一粒の小豆に妨げられてしまう程度のものでしかない。
それを予測できていなかったことが、アンタの過ちだ」
「……無茶なことを言うねぇ」
「それがおれだと、既にアンタは知っているはずだ」
タロウは、堂々と胸を張った。
自分にできないことなど何もないと告げるように。
頂点に立つのは自分ひとりだけと宣言するように。
「おれからしてみれば、誰も彼もが凡人だ。
だからこそ、大いに失敗し、大いに学べ。
それが、おれには許されていない、アンタたちだけの特権なんだからな」
「──く、く」
はたから聞いていても、無茶苦茶なことを言っていると理解できた。
けれど少女は笑っていた。
「く。はは! ははは! あはははははっ!」
純粋に、無邪気に、心底から湧き出たであろう愉快さをもってして。
それが虚勢でもなければ偽りでもないことは、もしかすると、カンナが一番理解できたかもしれない。
やがて、ひとしきり笑い終わった少女は、まなじりに浮いた涙を拭ってふう、と息を吐く。
「──はあ。本当に、久々に腹から笑えたよ。
ククッ。君と縁ができたことは、追放された私にとっての、数少ない僥倖だね」
「当然だな。おれとの縁は超良縁。それは誰が相手だろうと関係ない」
「そうらしい。何せ、私のような存在にさえ降り注ぐのだから──筋金入りなのだろうさ」
くすり、と少女はまた頬を緩ませる。
「キサキにも見せつけてやりたいね。私は間違っていなかった。
『神仙』は──それに近い存在は、実在するのだと」
「神仙ではない。おれはおれだ」
「同じことだろう? ああ、クソ。私を笑い殺す気かい?」
少女はその場から逃げるように立ち上がると、そのまま立ち去ろうとして──何かに気付いたように足を止めた。
「──すっかり忘れてたよ。おつかいを頼まれていたんだった」
振り返った少女はにんまり、と悪戯っぽく笑うと、いきなり自分の顔をタロウの耳元まで寄せた。
「な」
驚いて耳をぴん、と立てるカンナに構うことなく、少女は今にも触れそうなほど近くにある男の耳朶へ自分の声を馴染ませるかのように、とろけるような口調で囁いた。
「──“嵐が来る”」
「……」
「『教授』からの伝言だよ。
またね、桃井タロウ。
今度は、混沌のなかで会えることを祈っているよ」
軽いリップ音を鳴らしてから、少女は今度こそ振り返ることなく、闇のなかに消えていった。
まるで月にまで跳んでいってしまいそうなぐらい、軽い足取りで。
申谷カイ→タロウのことを自分の理想(神仙)に最も近い存在だと考えている。凡夫どもに合わせていることが我慢ならないけど、だからこそ『桃井タロウ』たり得るのだということも理解していて感情がメチャクチャになっている
桃井タロウ→カイのことを努力家で負けず嫌いで寂しがり屋で凡人の面白いヤツだと思っている。矯正局時代からアホみたいに付き纏われているが特に気にしていない
尾刃カンナ→タロウがドンモモタロウだとまだ気付いていないが、そろそろ只者ではないことぐらいは気付いてきている。小豆で爆弾を止めた(らしい)ことについてはドン引きしてる