“縁起の使徒” ドンモモタロウ   作:鰻の蒲焼き

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しちふくそくしょう
その①


 

 

 今でも、覚えている。

 

 

「今、おれと目が合ったな? 

 これでおれとアンタには縁ができた!」

 

 手錠を取り出すべきか、本当に迷った。

 ギリギリこらえることができたのは、今の尾刃カンナは職務中ではなかったことと、数少ない気を休められる場所でまで銃を持ち出したくないという気持ちが綺麗に重なったからだ。

 だからカンナはたじろぎつつも、暖簾をかきわけて、男から遠く離れた座席に腰を下ろした。

 店主からおしぼりと水を貰い、ひとまず落ち着いてから、ちらりと視線を送る。

 うわぁ、と思う。

 男はまだ、こちらをじっと見つめていた。

 

「……」

 

 意志の強さを感じさせる太い眉に、真ん中でわけられた茶髪。

 澄み渡る青空のごとき爽やかな笑顔。

 まっすぐとこちらを見据えてくる、眩いまでの眼差し。

 

(民間人……なのか?) 

 

 職業柄で、カンナは相手の顔を見れば、どういった性格をしているのかをそれとなく把握できる。

 男には、後ろめたさを抱えている人物にありがちな翳った部分が一切なかった。

 いや、欠けている──と断言してもいいかもしれない。

 それほどに、男からは薄暗い気配を微塵も感じられなかった。

 それでもハッキリと判別をつけられずにいるのは、自分たちと同じ見た目をしている輩を、これまで一度たりとも目撃したことがないからかもしれない。

 言葉は通じるが、容姿は初めて見るタイプ──もしかすれば、キヴォトスの外から来た人物なのだろうか?

 だとすれば、一体なんの目的があってキヴォトスに来たのか?

 わざわざ屋台に居座っている理由はなんなのか?

 考えを深めようとして、カンナは我に返った。

 

(……いけない。悪い癖だ)

 

 頼まれてもいないのに分析などし出して、我ながら呆れてしまう。

 この有様では、副局長であるコノカから「姉御マジ仕事人間ってカンジでガチヤベーっすね」とため息を吐かれてしまっても仕方がない。

 首を振って、余計な思考をたちまち吹き飛ばす。

 そうしていると、不意に男が話しかけてきた。

 

「──どうやら、なにか悩みを抱えているらしいな。

 これも縁だ。おれに話してみろ」

 

「は? いえ、別に……」

 

「安心しろ! おれとの縁は超良縁! 決してアンタに損はさせない」

 

 今まさに「行きつけの屋台で変人に絡まれている」という損をしている最中なのだが。

 

「──」

 

 普段ならその場から立ち去っていたはずだ。

 けれど今日のカンナは、色々と疲れていた。

 だから──つい、誘われるがままに口を開いていた。

 

「……仕事で、少し悩みがありまして」

 

 カンナが吐露した悩みとは、最近キヴォトス全土に出没するようになった、噂の怪人──ドンモモタロウについてだった。

 ヴァルキューレ警察学校だけでなく、各学園の自治組織を嘲笑うかのように暴れ続けている、謎の怪人。

 

 銃弾を切り落とし、砲弾を弾き飛ばし、戦車すら断ち割ってしまう、常軌を逸した強さ。

 

 もうひとつの悩みの種である怪物が出現した場所であるならば、そこがどのような学園であれ必ず一瞬で現れる、常軌を逸した行動範囲。

 

 ありとあらゆる勢力と敵対しておきながら、今日この日に至るまで豪快に高笑いを続けられている、常軌を逸した態度。

 

 そんな存在が、あくまでも噂程度で落ち着いているのは、連邦生徒会が「無用な混乱を避けるため」とある種の情報統制を行なっているためである。

 カンナもそのことについて異論はなかった。

 いつ何時目の前に現れるかもわからない、得体の知れない存在。

 そんなものが実在すると断言してしまえば、ただでさえ悪化の一途を辿っているキヴォトスの治安がさらに深刻さを増すのは、目に見えていたからだ。

 だから、男にもそのようにした。

 ドンモモタロウの名前は出さず、自分の頭を悩ませる存在がいて、そいつはなかなか捕まらずに好き勝手やり続けていて、それが許せないのだと話した。

 

「──そういう悩みが、あるんです」

 

 カンナはどこかスッキリした気持ちのまま、話を黙って聞いていた男に視線をやる。

 腕を組んでいた男は、ふむ、と鼻息を漏らすと、案じるような目つきでカンナを見つめた。

 

「なるほど。アンタも苦労しているんだな」

 

「はい。それはもう」

 

「そいつは、強いのか?」

 

「……ええ、強いですよ。気に食わないですが」

 

「ならば、次からはおれを呼ぶといい」

 

「は?」

 

 思わず聞き返したカンナに、男は答え直した。

 

「次からはおれを呼ぶといい。

 おれは強い。だから、そいつにも必ず勝つ」

 

「…………」

 

 ひょっとして、かなり可哀想な人なんじゃないだろうか。

 カンナは思ったが、しかし提灯の明かりを照り返して光る男の目には、ふざけたところが一切なく真剣さしかなかった。

 真剣に、カンナの悩みを解決しようという目だった。

 何をどう言うべきなのか迷いに迷った末に、カンナは正直な気持ちを伝えることにした。

 

「民間人を巻き込め、というのですか?」

 

「困った時は助け合いだろう。それはおれが民間人だろうと、アンタが何であろうと関係ない」

 

「……はあ」

 

「この世のなかは、無数の縁で満ちている。だから時には、悪縁と呼ばれるものと繋がってしまうこともあるだろう。

 察するに、そいつとアンタの関係はそれだ。

 そして悪縁は断ち切るに限るっ」

 

 男はからっとした調子で、自らの胸を張りながらそう言い切った。

 一体いつ、自分は悪縁がどうたらという話をしたのだろうか?

 屋台に来たはずだったが、下手くそな占い屋に足を踏み入れてしまったのか?

 色々な思考を頭によぎらせていたカンナは、男の顔を改めて眺めた。

 どこまでも真っ直ぐな、偽りのない顔。

 

「──ふはっ」

 

 思わず吹き出し、「マズい」と思った次の瞬間には、カンナは笑いを堪えきれなかった。

 やはり、疲れていたのだと思う。

 笑いの泉は次から次へと湧いてきては、濁流と化してカンナの口から飛び出していく。

 初めのうちはどうにか抑えようとしたのだが、自分の笑い声を聞いているうちに諦めた。

 

 おかしかった。

 愉快だった。

 痛快だった。

 

 自分の頭とキヴォトスの治安を散々に悩ませている存在は、言い換えてしまえば悪縁でしかないのだということが。

 まったく見知らぬ奇人から「おれが勝つ」と簡単に言われてしまう程度の存在でしかないことが。

 

「ふ……く、ふふ、は」

 

「……何故笑う?

 だが、笑うのはいいことだ!

 笑え笑え! 悩みなど吹き飛ばせっ」

 

「……はは、はははっ!」

 

「わーっはっはっは! わぁーっはっはっはっ!」

 

「お客さん、ご注文は〜?」

 

 夜のしじまを払うように、カンナは男と笑い続ける。

 笑えただけで、何かが解決したわけでもない。

 いずれまた、頭を悩まして疲れ果てるだろう。

 それでもカンナは──笑っていた。

 力の限り、笑えていた。

 

 

 ◯

 

 

「───動くなッ!」

 

 桃井タロウの口から「自分がドンモモタロウ」だと認める発言が飛び出した瞬間、カンナは銃を抜いて構えていた。

 客観的に見て、随分とひどい構えだった。

 照準は定まらず、銃口は震えて、照星はぼやけていたからだ。

 それでもカンナは、決して銃を下さなかった。

 下ろしてしまえば──二度と持ち上げられないという確信があったから。

 

「……彼女は、友人では?」

 

「友人ではない。知り合いだ」

 

「知り合いでしたら、なぜ銃をこちらへお向けに?」

 

「分からない。だが──どうやら只事ではなさそうだ」

 

「それは見ればわかりますわ」

 

 知人から銃を向けられているにもかかわらず、タロウは普段と同じ調子で。栗浜アケミと話している。

 いつもなら、呆れながらも笑えていた。

 だが今は、どうしようもなく憎らしかった。

 

「──っ、あ──う、く……」

 

 すっかり乾いて張りついた喉を動かすと、とても自分のものとは思えない、ひきつった掠れ声が響いた。

 言いたいことが沢山あった。

 聞きたいことが数えきれないほどあった。

 そのすべてが、カンナの頭のなかで血みどろの殺し合いを繰り広げる。

 やがて生き残った最後のひとりが、カンナの唇からそっと抜け出して、桃井タロウに矛先を定めた。

 

「───私を、騙していたんですか?」

 

「……」

 

「私を……嘲笑っていたのですか?」

 

 ──初めにぼやかしたのはお前だ。

 

「あな、あなたに振り回されて、苦悩している様を……愉しんでいたのですか?」

 

 ──そんな人じゃない。

 

「滑稽でしたか? 不倶戴天の敵だと気づかずに、あなたを拠り所にしかけていた私が──」

 

 ──勝手な思い込みを押し付けるな。

 

「初めからすべて……嘘だったんですか?」

 

 ──その通りだ。

 

 脳味噌のなかで、冷徹な目をした自分が、下らないと言わんばかりに冷ややかに笑っている。

 構うものか。

 まるで縋るような目をしていることに気付かぬまま、カンナはタロウに問いかけた。

「さっきのはちょっとした冗談だ」と。

「栗浜アケミとはたまたま知り合っただけだ」と。

 そう言ってくれれば、元の関係に戻れるのだから。

 

「……おれは」

 

 やがて、タロウは口を開く。

 平素となにひとつとして変わらない、屋台で話していた時とまったく同じテンションで。

 揺らぐことなき真実を、淡々と紡ぎ始めた。

 

「アンタに、ひとつも嘘をついたことはない。

 しかし、結果的に騙す形になってしまったことは謝罪しよう」

 

 その上で、とタロウは続けた。

 

「改めて、自己紹介だ。

 おれは桃井タロウ、またの名を──ドンモモタロウという」

 

 瞬間、甲高い効果音がどこからともなく鳴り響き、カンナとタロウの中間地点に黄色い片手銃が突如として出現した。

 それは──

 カンナにとって、酷く見覚えのある銃で。

 

「──」

 

 尾刃カンナは、そこで躊躇いを捨て去ることができる少女だった。

 あれほど重かった引鉄を、電撃を流されたかのごとき素早さで動いた指が軽々と引く。

 マグネシウム色の火花が散った瞬間には、すでにゴム弾が相手の行動力を削ぐ軌道を疾走し始めていた。

 それはそのまま誰にも止められることなく、桃井タロウの右足に当た──

 

「──疾ッ!」

 

 る直前に、栗浜アケミの丸太のごとき右足が蹴り飛ばした。

 ノーモーションから放たれたにもかかわらず、凄まじい威力が籠った右足に迎撃されたゴム弾は、呆気なく明後日の方向へ吹き飛んでいく。

 アケミはそれをしっかりと見届けてから、タロウを庇うような位置へ移動した。

 

「……事情はよくわかりませんが、丸腰の相手を撃つなどと──ヘルメット団と同じ品位にまで堕ちるつもりですか? “狂犬”」

 

「黙れ。

 貴様にも用はあるんだぞ、栗浜アケミ」

 

「矯正局を脱走した件──以外にありませんわね。

 しかし、私にはやり遂げなければならないことがあるのです」

 

 カンナの殺気をそよ風のように受け流したアケミは、タロウに目をやった。

 

「いかがいたしますか?」

 

「──ヤツの言っていることは全面的に正しい。

 一度は従ったのだから、次も従うべきだろう。

 だが、おれにも成すべきことがある──今はまだ、捕まってやるわけにはいかない」

 

「では──」

 

 タロウの返事を聞き届けたアケミは、拳をぶつけ合わせながら、圧力さえ持っているように感じられる莫大な戦意を、全身から解き放った。

 目前に立ち塞がる障害を排除することに異論はないらしい。

 上等だ──と、カンナは覚悟を決める。

 ずきんずきん、と痛みを訴えてくる頭と心臓を無視して、わずかに残っていた手の震えを握り潰す。

 

 状況は、極めてシンプルだ。

 ドンモモタロウ──桃井タロウ。

 七囚人──栗浜アケミ。

 両者を捕らえ、矯正局にブチ込む。

 

 絶対にできるとは思っていない。けれど、例え何があろうと喰らいつく覚悟だけはあった。

 今までもそうしてきたように──今回もまた、そうするだけだ。

 そうするだけで、いいのだ。

 

「──」

「──背筋が震えるような、素晴らしい気迫ですわね。

 まったく、もう少しマシな形で向かい合いたかったものです」

 

 カンナに呼応するように、アケミは背負っていた重機関銃──エリザベスをどっしりと構える。

 

 片や、ヴァルキューレの“狂犬”

 片や、七囚人の“伝説のスケバン”

 

 互いに尋常ならざる力を持った生徒たちの激突は──

 

「誰が闘うと言った」

 

 同じく、尋常ならざる力を秘めたもう一人……桃井タロウの手によって中断されることとなった。

 

「へ? 

 ───きゃあっ!?」

 

 タロウに腕を引っ張られて、見た目に似つかわしくない悲鳴をあげながら姿勢を崩したアケミは、いつの間にかそばに置かれていた大型バイク──エンヤライドンの後部座席にすっぽりと収まった。

 

「ちょっとっ! いきなり何しやがりますのっ!」

 

「アンタが妙な勘違いをしているからだ」

 

「だからと言って、力任せに引っ張るなど──乙女の扱いがなっていませんわっ! 紳士として恥を知りなさいっ」

 

「紳士になった覚えはない──尾刃カンナ!」

 

 最もな怒りを露わにしているアケミを放って、タロウはカンナに声をかける。

 

「おれはこれから、やるべきことをやりにいく。

 あの怪物──ヒトツ鬼を、キヴォトスに放っておくわけにはいかないからな」

 

「……」

 

「だから、アンタもアンタがやるべきことをやるといい。

 きっと、誰も咎めはしない」

 

 言うだけ言って、タロウはエンヤライドンの運転席に跨った。

 ハンドルが捻られ、エンジンが震えるたびに、先ほどヘルメットたちが乗っていたオンボロとは桁違いなレベルのエグゾーストノイズが吐き出される。

 鼓膜が無限に震えるなかで、カンナは確かに聞き取った。

 

「──アンタと食べたおでん……なかなか悪くなかったぞ」

 

 どこか寂しげな、桃井タロウの最後の言葉を。

 

「──タロウ、さ」

 

 その真意を、問いただす前に。

 桃井タロウと栗浜アケミは、あっという間に目の前から消えていった。

 誰よりも執念深いと称される“狂犬”さえも、振り切ってしまうような速度で。

 

 

 取り残されたカンナは、思う。

 追いつきたくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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