“縁起の使徒” ドンモモタロウ 作:鰻の蒲焼き
プルチックの感情の輪をご存知でしょうか?
ほむ、知らない方が大半ですか……。
まあ、予測できていた結果ですね。
それでは、僭越ながら説明させていただきます。
プルチックの感情の輪とは──人間の感情は8つの基本と16の強弱派生、そして24の混同に分類できるという、とある心理学者が考案した感情モデルのことです。
このモデルはですね、それぞれの感情が他に一体どのような作用を齎すのかを視覚的に表現したものであり、理解を深めるにあたって極めて有効になり得るツールなんですよ。
む。いまいち反応が良くありませんね。この辺りで拍手喝采が湧き起こってもおかしくないのですが。
ものは試し、わかりやすく図にして説明しましょうか。
すみませんが、チョークをお借りしても? ありがとうございます。
それでは授業を続けましょうか。
先ほど私が言った、プルチックの感情の輪における8つの基本となる感情は──
喜び。
期待。
怒り。
嫌悪。
悲しみ。
驚き。
そして、恐れ。
感情の輪は、以上の組み合わせから成り立っています。ここテストに出ますので、覚えておくように。
冗談です。
強弱派生や混同は、文字通りな上に説明にちょっと時間がかかるので、今回は省かせていただきます。気になった方はぜひ調べてみてくださいね。知は力なり。身につけておいて、決して損はないですよ。
それは、学園からのはぐれものであるあなたたちであっても変わりありません。
知識は誰にとっても頼れる味方となり、誰にとっても手強い敵となり得る存在でもありますので。
……こほん、話がズレましたね。
なぜ皆さんにこの話をしたのかと言うと、今回の任務──連邦矯正局への襲撃を遂行してもらうにあたって、感情のコントロールが非常に重要になってくるからです。
過剰に喜ばず、過度に期待せず、過激に怒らず、過当な嫌悪を避けましょう。
過多に悲しまず、過敏に驚かず、過分に恐れずにいきましょう。
要するに、いつも通り、普段通りのあなたたちでいてください。
難しい?
できるわけがない?
普段から暴れてる。
こんな時ぐらい好き放題にさせろ?
ほむ、反対意見が出ることはあらかじめ予想していましたが──困りましたね。
できなければ、皆さんとの楽しい時間は、残念ながらここでお終いという形で……。
はい。ふふ、心地よい返事をどうもありがとうございます。皆さんならきっとわかってくださると信じていましたよ。
それでは話を続けますね?
さて、ではどうして感情のコントロールが重要になってくるのかと言いますと、理由はいたって単純。
今から行うのは、そういう平静な心でなければ、とても達成できないような作戦だからです。
もちろん一介の犯罪コンサルタントとして、不測の事態に備えた対策はいくつも立ててあります。
もしもの話をしましょうか。皆さんが作戦を成功させても、逃走にはあえなく失敗してしまい、監獄行きの車両に閉じ込められてしまった──
なんて、洒落にならない窮地に陥ったとしても、私にとってはさしたる問題ではありません。きちんと皆さん全員を助け出す手筈は、既に整えてありますからね。
まあ──成功したら、の話になりますが。
意外かもしれませんが、これは皆さんの身の安全を案じているが故の忠告でもあるのですよ?
袖振り合うも多生の縁、躓く石も縁の端くれ。
せっかくできた縁なのですから、いつまでも、末永くありたいと願うのは──当然だとは思いませんか?
もしコントロールできなかったらどうなる、ですか?
ほむ、難しい質問ですね。
何が起きるかはわかりますが、何がどうなるかはわかりませんので。
ですが、あえて言えることがあるとすれば──
誰だって、怪物になってしまいたくはないでしょう?
◯
先生は泣いていた。
今日到着するはずの荷物が──『合体変形ロボDXダン・ウォニダイジン・絶』が一向に届かなかったからだ。
配送便にはキヴォトスでも屈指の配達成功率を誇る『シロキツネ宅配便』を選んだし、一時間おきにポストはチェックするようにしていたし、配達完了のメールが無いか確認していたし、そもそも仕事で一日中シャーレにいたのだから、受け取り損なうはずがない。
だというのに、いつまで経っても届かなかった。
指定した時刻から、はや数時間が過ぎた今現在──キヴォトス全体を夜が包み込むような時間になっても、届かなかった。
「……だから泣いてたんですか?」
『だから泣いてたんだよ──』
事情を聞き終えた早瀬ユウカは、大丈夫かなこの大人、と心の底から心配し、次にそんなことを考えている場合じゃないことを思い出した。
雲ひとつない夜空の下に広がる、D.U.都心部である。
「──走る、雷の、エレメントォオオオッ!!」
前触れもなく無差別に落ちるはずの雷が、確かなタイミングと指向性を持たされて、ユウカに迫る。
それを放ったのは、クラウンとブリムがいびつに広がった形の帽子──魔法帽で頭部全体をすっぽり隠した、ヘイローに付いている異形。
その正体が魔法鬼であることは知らなくとも、欲望に取りつく怪物──ヒトツ鬼であることは知っていた。
「相変わらずデタラメなことをしますね本当にっ!!」
『ユウカ、シールド展開を。演算結果は今から送信する』
「了解、しましたっ!」
ノイズの走る通信機から飛んできた指示と、送られてきた演算結果に従って、ユウカは電磁シールドを展開。
可視化された光同士がぶつかり合い、立ち込める夜を切り裂いていく。
無限に続くと思われた攻防の末に、魔法鬼が放った雷は、わずかな残滓でさえ残らず完全に因数分解されることになった。
「──よし!」
それを視認したユウカはシールドを解除しつつ、自らの得物──ロジック&リーズンを両手に携えながら接近を開始。
彼我の距離から予測できる最適な射撃距離へと、時間ぴったりに到達しようとした直後。
「唸る大地のエレメントッ!!」
地中から飛び出してきた無数の蔦が、ユウカの右脚にしっかりと絡みついてきた。
「はあ!?」
「燃える、炎の──」
『ハスミ!』
「目標捕捉──」
「エレメントォ───ッ!!」
「──撃ち抜くッ!」
魔法鬼が構えた杖から、夜をも吹き払わんと意気込んだ豪火球が放たれるのと、後方支援役のひとりたる羽川ハスミが構えたスナイパーライフルより神秘の籠った銃弾が放たれるのは、ほぼ同じタイミングだった。
先んじたのは──ハスミの銃弾。
ユウカの脚を一ミリも傷つけることなく、蔦だけを排除するという目的を冷徹に果たした銃弾は、その勢いのまま怪物の胴体目がけて餓狼のごとく疾走する。
しかし、魔法鬼は慌てることなく、ふたたび杖を振り翳した。
「煌めく氷のぉ──ェレメント!」
光が猛々しく迸る。
次の瞬間には、魔法鬼を守るような位置に、巨大な氷の壁が立ちはだかっていた。
雄々しく分厚い氷壁は、戦車の装甲すら容易に貫くハスミの射撃を、己が身を削りながらも確かに受け止め切った。
「質量保存の法則はどうなってるのよっ!?」
「サボっているのでしょうね」
「信っじらんないっ!!」
あまりの理不尽さにたまらず吠えるユウカとは反対に、ハスミはどこまでも冷静に次弾を装填する。
次に狙い撃つべき位置は、先生が教えてくれていた。
そして、位置に追い込む役割を課せられた生徒が、トリニティ自警団のメンバー──守月スズミであることも。
「──」
ハスミが覗き込んだスコープのなかで、氷の壁を踏み台に高く跳躍したスズミは、魔法鬼の背後に降り立つまでに、黒々と照る筒のような何かを放り投げていた。
その正体は。
「──天罰の光を」
閃光弾。
息つく間もなく、魔法鬼の目前でそれは破裂する。
焼き尽くすような閃光と、180デシベル以上の大音量が、弾けたように撒き散らされた。
「グアアァァァァ!!」
不意を突かれてしまったことで、まんまと視界を潰された魔法鬼は、顔面をおさえながら苦しげに呻いている。
どこの誰がどう見たって、それは明らかな隙だった。
ユウカが踏み込む。
ハスミが引鉄を絞る。
スズミが振り返る。
「──」
先生の理性は、ここを『勝機』だと判断した。
先生の本能は、ここを『罠』だと判断した。
どちらに従うか、一秒の逡巡もいらなかった。
『みんな、後退!』
コンマの遅れもなく、指示に従った生徒たちは一斉にその場から飛び退く。
次の瞬間だった。
「猛る烈火の、エレメントォオオオオオオオオ!!!!」
魔法鬼の身体が大きく膨らみ──内側から喰い破るように生じた炎を全身に纏ったと思った刹那、なにもかも飲み込もうとするほどの爆炎が、辺り一帯を舐め尽くした。
辛うじて範囲から逃れることができたユウカとスズミも、無傷ではいられない。
爆風によって損壊した氷壁の残骸が、さながら散弾のごとき役割を果たしたからだ。
「い──ッ!」
「……!」
咄嗟の防御態勢こそ取れたが、それだけでは防ぎきれなかった鋭い痛みが、二人の全身を襲う。
わずかな時間の隙間を縫い、一瞬だけシールドを展開することが叶ったユウカはまだマシな方だったが、スズミはそういうわけにはいかなかった。
よって先生はチナツに指示を飛ばして、スズミの回復を最優先。
その間の隙はハスミに稼いでもらいながら、タブレットに映り込んだ戦場の詳細を改めて確認する。
自爆技のように思えた、先程の攻撃──しかし、魔法鬼は健在のままだった。
要するに、閃光弾を喰らった際の素振りは単なる演技で、それを餌に寄って来た生徒たちを一網打尽にするためのものだったのだろう。
(……いや)
本来の目的は、恐らく別にある。
さっきの爆発は規模こそ派手ではあったが、籠った威力自体はそこまででもない。
もちろん、敵と直接対峙しているユウカたちがキヴォトス人だからであって、先生にとっては洒落にならない威力なのだけれど、それはさておく。
だからこそ、と先生は思う。
あの爆発は、まるでここにはいない誰かに、自らの居場所を知らしめるためにも行った───
そう思えてならず、そして、その予感は見事に的中した。
「────ワーッハッハッハッハ!
ワーーーーーーーーーーーーッハッハッハッハァッ!!!!!」
立ち込める夜闇を切り払ってみせるかのような、爽快たる大音声の笑い声が突如として鳴り渡った。
それは、瞬きするよりも早く距離を詰めてくる。
笑い声に混じって聞こえてくるのは、鋭く重いエグゾーストノイズ。
「うわ来た……」
ユウカがうんざりと眉を顰める。
「……なるほど、彼を呼ぶために」
ハスミがゆっくりと肩の力を抜く。
「であれば、私達はここまでのようですね」
スズミが取り出しかけていた閃光弾を仕舞い込む。
「……委員長が知りませんように……」
チナツが胃の辺りを押さえながら願う。
「来たな! 来たなっ! 来たなぁっ!!」
魔法鬼が待ち望んでいたように吼える。
『──やっぱり、来たね!』
先生が歓喜で満ちた声を上げる。
その、すべてを受け止めて──
「────待たせたなァ、お前達ッ!!」
バイクの上で仁王立ちしたドンモモタロウは、高らかに戦場への参戦を宣言してみせた。
「さあ、飛ばしますわよっ!」
ドンモモタロウの声を背中で受け止めた運転役──七囚人のひとりたる栗浜アケミはひと際強くエンジンを噴かすと、一直線に怪物の元へと向かっていく。
ブレーキの気配が一切感じられない運転にもうろたえることなく、怪物は杖の先端をバイクに向ける。
「吹きゆく風の、エレメントォ!」
解き放たれるは、不可視の風の弾丸。
アケミはそれを野生の勘で察知しながら、巧みな運転によって次々と回避していく。
「ぬうううううっ!」
通じないと見てとった魔法鬼は、今度は風の弾丸を風の砲弾へと進化。
連射にラグがかかるようになった分、籠められた威力も着弾した際の規模も跳ね上がったそれを、怪物が放り投げようとした瞬間──
「甘いッ!」
ドンモモタロウが素早く片手銃──ドンブラスターを取り出し、矢継ぎ早にキビ弾丸を放った。
そのうちの一発が、怪物の手より杖を弾き飛ばす。
だが、くるくる、と回転しながら吹き飛んでいく己の得物に見向きもせず、魔法鬼は掌から何かを放とうとしていた。
「タロウさんッ!!」
それを察知したアケミが吼えたと同時に、ドンモモタロウは跳んでいた。
「!?」
一瞬遅れて反応した魔法鬼は、ドンモモタロウが跳躍した上空を見やる。
そこにいたのは、架かる月を背にして、大上段に刀身を虹色に光らせた得物──ザングラソードを構えたドンモモタロウの姿だった。
──あの斬撃は、問答無用で今の自分を消し飛ばす。
存在を揺るがすほどの危機感を覚えた魔法鬼は、咄嗟にその場から飛び退こうとする。
そこに、栗浜アケミの駆るエンヤライドンが、ブレーキをかけずに突っ込んだ。
「ご、オ──!?」
「
アケミは笑いながら、急ブレーキのかかったエンヤライドンを膂力によって強引に操って、魔法鬼の身体を空へと跳ね上げる。
狙った先は──ドンモモタロウ。
「よくやった、栗浜アケミッ!
さァ、ここまでだ!!」
そうして、ヒトツ鬼退治が終わりを迎えようとしたその時。
「──まだ」
魔法鬼の身体から。
「───まだ」
光の輪が弾けだされ。
「────まだ、これからだァアアアアアアアアア!!!」
文字化けした『