“縁起の使徒” ドンモモタロウ 作:鰻の蒲焼き
変身を解除した瞬間、桃井タロウの髪を強い風が掻き乱してきた。
先生が指定した避難地点は、とある高層ビルの屋上である。
今のD.U.には、怪物の意のままに操られた人々が、みな熱狂的な輝きを宿して、武器を片手にふらふらとゾンビのごとく彷徨っているからだ。
見つかれば銃撃か、爆弾か──いずれにせよ、害されることに間違いはないだろう。
それゆえに攻撃が届かず、もし発見されたとしても、実際に追いつかれるにはそれなりの時間がかかるビルの屋上は、一時的な避難場所として確かにベストな選択だった。
その分、高所特有の強く冷たい風が、遠慮も容赦もなく身体に吹きつけてくるのだが──タロウは大して気にした様子もなく、三方から囲んでくる少女達を眺めていた。
「……」
「……」
「……」
重苦しい沈黙の雲が立ち込めるなか。
口火を切ったのは──狐坂ワカモ。
「一度しか言いません。
邪魔者は、今すぐにこの場から立ち去りなさい」
艶やかな紋様が刻印された狐面の下から、地獄の獄卒でさえも裸足で逃げ出してしまうような、底冷えした声を放つ。
所々に肉感的な女性らしさが滲む総身から垂れ流すは、酸素を貪欲に喰らって揺らめく炎にも似た、思わず引き込まれそうなほど危うい殺気である。
応じたのは、申谷カイ。
「おやおや。自分のことを邪魔者扱いとは、随分と殊勝な心がけじゃないか。
あの“災厄の狐”も遠慮を覚えられるんだねぇ、感心したよ」
微かに顎を上げて、闇を吸い込んだように真っ黒な眸子を蛇のごとく細めながら、嘲り笑っている。
相手を値踏みするいやらしげな視線を、少しも隠そうともしないその姿勢は、自分は他者より遥か高みに座しているという確信がなければ生まれないものであった。
嗜めたのは、清澄アキラ。
「──いがみ合うのはやめなさい、お嬢さん方。可愛らしい顔が台無しですよ。
自らの美を自らの手で貶めることほど、無意味な行いはないというのに」
雪片を纏わせたように白い睫毛の下で、鮮やかなルビーを嵌め込んだような瞳を伏せて、静かに翳らせている。
それは彼女が、二人の少女が歪み合っている姿を心底から嘆いており、その類まれなる美しさが霞んでしまうことを本気で憂いているのだと、雄弁に示していた。
なのでワカモはキレた。
野良猫風情から褒め称えられたところで嬉しくもなんともないし、無粋な目を向けられること自体が我慢ならないからだ。
ワカモはカイに突きつけていた眼差しを、ゆっくりとアキラに据える。
視線に気づいたアキラもまた、ゆったりとワカモを見つめる。
金色の目と紅色の目が、仮面を透かして真っ向から火花を散らし始めた。
「よくもまあ、ペラペラと世迷言を宣えますね。
確か、“慈愛の怪盗”でしたか?
その慈愛すらも、出まかせのものではなくて?」
「──狐のお嬢さんは、冗談がお得意のようだ。
ですが、どうかご安心を。私の信念は嘘偽りなく本物ですよ。
それはタロウさんもよくご存知のはずです」
「その通」
「やはり、あなたはタロウさんの友人に相応しくありませんね。
彼をただ利用しているだけではありませんか。
あなたという美を、損なわせたくない?
ふはッ! ──自分を飾り立てていたいだけでしょう?」
「──」
ぎちり。
にこやかに笑うアキラの手に握られていたステッキ──のように見える銃身が極端に長い銃──が、不意に嫌な音をたてて軋んだ。
「──可憐な見た目に反して、鋭い舌鋒をお持ちですね。
けれど、狐のお嬢さん。口は災いの元とも言うでしょう?
貴方がその被害を被るのは構いません。
ですが、仮にもご友人であるタロウさんにまで齎そうとするのは……見境なしにも程があるかと。
少し、慎みを覚えた方がいい。そうすれば、貴方はより美しくなれる」
「──野良猫が」
ワカモとアキラのそんなやり取りを見ていたカイが、ふん、とつまらなそうに鼻を鳴らした。
「美だの、友だの、くだらなくて欠伸が出るねぇ。
凡夫どもの発想の貧困さには、つくづく呆れ果てるより他ない。
彼はその程度の枠組みに収まるような存在ではないというのに。
そうだろう?」
「確かに、おれは只者で」
「お嬢さん。
これは親切心による忠告ですが──自分が理解できないからといって、他者の解釈まで誹るのは如何なものかと。
どのような思想を持つかは個人の自由ですが、それが美を穢していい理由にはならないことを、知っておいた方がいい」
「──」
カイの笑みがかき消えて、一切の感情を消した相貌が露わになる。
だが、彼女がそれを外に曝したのは、ほんのわずかな間だけだった。
「……まるで、自分は理解しているとでも言いたげじゃないか」
「そう言っているのですよ。
彼の価値を真に理解しているのは──私だけなのですから」
残念なことに。
そう呟いたアキラの声音には、迷いも躊躇いもない。
「──」
ふたたび沈黙の帷がおり、辺りを静寂に包み込む。
風の音と、誰かの息遣いだけが木霊する空間のなかで、三人は同時に共通した思考を浮かべた。
──コイツと分かり合うことは、絶対にない。
よって、自然の摂理として。
互いが互いに、銃口を向けかけた瞬間。
「──人の話を聞けッ!」
タロウの芯まで響き渡るような声に、少女たちは揃って動きを止めた。
駐車場でドッジボールをしているところを、通りすがった大人に咎められてしまった子どものように固まる少女たちへ、タロウはすかさず語りかけていく。
「──アンタたちがおれをどう捉えていようが、それを否定するつもりはない。
せっかく結べた縁なのだから、どんなものだろうと大事にするのは当たり前だ。
だが、あえて言わせてもらおう。
アンタたちは、コミュニケーション能力に難があり過ぎる!」
お前が言うのか──
そういう空気が、瞬く間に満ちた。
しかしタロウはまったく気にせず、ピンと立てた人差し指を、まず手始めと言わんばかりにワカモに突きつけた。
「激しい視野狭窄!」
「ひゃいっ」
次にアキラ。
「極端な独善性!」
「……む」
最後にカイ。
「度を越した利己主義!」
「事実だねぇ」
そこまで言い切り、タロウは指をそっと下ろす。
そばで自分の番を待っていた栗浜アケミは、安堵と落胆の入り混じったため息を密かに吐いた。
気にせずタロウは腕を組み、納得した様子で頷いている。
「……考えてみれば、いがみ合うのは当然のことだ。
アンタたちは、自分に正直でい過ぎているんだからな。
もちろん、悪い意味で、だ」
お前が言うのか──
まさかパート2が来るとは思わず、少女たちは微妙に肩の力を抜く。
それに気付いたのか、タロウは不意に黙り込んだ。
そして。
「……ふ」
どこか。
記憶のなかにしかない懐かしい光景を眺めているかのような目で、ワカモたちを見回していた。
だが、それも一瞬のこと。
タロウは懐から桃印の入った扇子を、素早く取り出すと、勢いよく広げてぱたぱたと扇ぎ始めた。
浮かべる表情は、もちろん笑顔だ。
全力で世を謳歌していることが、一目見ただけで理解できる──爽やかな笑顔だ。
「だから、この世は面白い。
だから、この街は楽しめる。
だから、おれはアンタたちが好ましい!」
それは、少女たちが生まれて初めて浴びるかもしれない、眩く輝かしいまでの許容の光だった。
どれだけ道を踏み外したとしても。
どれだけ過ちを選んだとしても。
どれだけ失敗を積み重ねても。
それでも人は、必ずやり直すことができるのだと──愚かしいほど真っ直ぐに信じているものにしか作り出せない、清らかな光だった。
──バカを言っている。
カイは呆れた。
──今すぐに彼が欲しい。
アキラは焦がれた。
──やはり友人代表は彼以外あり得ませんね。
ワカモは明後日の方向に飛んだ。
「アンタは、どう思う? 尾刃カンナ」
タロウは、この場にはいない少女に向けて質問した。
「……?」
誰もが頭の上に疑問符を浮かべた瞬間、屋上の縁を五指が強く掴んだ。
外側からだった。
「───」
尾刃カンナの、指だった。
◯
単純な膂力だけで高層ビルの表面を這い上がっていき、何の問題もなく屋上に辿り着いた少女──尾刃カンナは、名に冠された刃のごとき眼差しを、ひたすらタロウに向けていた。
「──」
「……」
タロウはポケットに手を突っ込んだまま、カンナから目を逸らさず向かい合っている。
カンナから漂う、抜き身の刀めいた剣呑な空気を察したワカモは、稲妻よりも素早く己が愛銃を構えようとする。
それを阻止するために、タロウは制止の声をあげた。
「よせ」
「ですが」
「よせ、と言った。これはおれとヤツの問題だ」
「……………………承知しました」
ワカモはしばらく迷っていたが、やがて渋々といった感じで手を止めた。
おおよその事情を把握しているアケミ、そしてアキラやカイは事の推移を見守ると決めたようで、銃を抜くことなくその場から二、三歩後ろの位置にて立ち止まる。
自然と、タロウとカンナは二人で向かい合うような形となった。
「……」
「──」
言いたいことが沢山あった。
聞きたいことが数えきれないほどあった。
けれど、カンナはわかっていた。
今、桃井タロウに求めるべきは、純然たる真実だけなのだと。
「……ここに来るまでに、街の様子を見ました。
あれはすべて──あの怪物の仕業なのですか?」
「そうだ」
「あなたは……怪物の敵ですか?」
「その通り。
ヒトツ鬼を退治することが、おれのやるべきことだからな」
「あなたは──……ドンモモタロウは、誰の味方なんですか?」
「おれは、誰の味方でもない」
だが、とタロウは続ける。
「おれと縁ができたのなら、いつだって幸福を運んでやる」
例え、繋いだ相手が──
災厄を撒き散らしていても。
慈愛を振り翳していても。
五塵を支配していても。
伝説のスケバンでも。
「──この世は楽園なのだと、おれが教えてやる!」
桃井タロウと縁を繋いだことが、幸せだったと言わせてみせる。
そんな信念が言葉にされずとも、カンナに伝わってきた。
きっと、嘘ではないのだろう。
信じてもいいはずだ。
認めてもいいはずだ。
(──わかっている)
今の状況を打破するためには、桃井タロウ──ドンモモタロウの力を借りるのが最適解だ。
なぜか雁首を揃えている七囚人ともろとも捕らえることよりも、今まさに街に渦巻いている混乱を収めるのが、立場的にも気持ち的にも尾刃カンナが成すべきことだ。
だというのに、あと一歩を踏み出せないのは──
(──これは、感情の問題だ)
ワガママであることはわかっている。
それでも。
桃井タロウが嘘をついていない、という確証が欲しかった。
自分にすべてを曝け出して欲しい、という願望があった。
「……タロウさん」
「なんだ」
「あなたの言うことが、偽りではないという証拠をください。
あなたが嘘をつかないという……確固たる証を」
するとタロウは、珍しく若干のラグを置いてから話し出した。
「おれが、嘘をつけないという証拠があればいいんだな」
「ええ」
「タロウさん、それは……!」
ワカモが何故か慌てた様子で止めようとしてきたが、タロウはそれを横目で制してから、カンナに言った。
「わかった。証拠をやろう」
そしてタロウは、何度か深呼吸をしてから、不意にこんなことを尋ねてきた。
「尾刃カンナ、おれの性別はなんだ?」
「……? 男でしょう?」
「そうだ。
おれは女ではない。女と言えば、嘘になってしまう」
何を当たり前のコトを言っているのか、とカンナが怪訝に眉を顰めた瞬間、タロウは特攻する覚悟を決めた戦士のような、ひどく険しい表情で口を開いた。
「おれは! お…………………!」
「?」
「お────おん、っ……………」
そこで、言葉は途切れた。
苦しげに胸を押さえたタロウが、心配になるぐらいの勢いで地面にぶっ倒れたからだ。
「た───タロウさんっ! タロウさんっ!!」
「ああもう相変わらずですわねっ!」
ワカモは半泣きになりながら駆け寄り、アケミは呆れ返りながら容態を確認する。
「ふふ。やはり、彼は素晴らしい──あれだけ清らかな心の持ち主はいないでしょう」
「ククッ、はは、あははは! ダメだ、はは、何度見ても笑えるなぁ!
一体どういう身体構造をしているんだ? あはははははは!!」
アキラは恍惚とした表情を浮かべて、カイは腹を抱えて大爆笑している。
突如として顕現したカオスに、カンナがついていけずにいると、その様子を見ていたらしいアキラが、どこか誇るような声色で話しかけてきた。
「きっと不思議でしょうが、何も不思議なことではありませんよ。
彼は──タロウさんは、嘘をつくと死んでしまうだけです」
「は?」
思わず聞き返したカンナに、アキラはまるで幼子に語りかけるかのごとき口調で、もう一度言った。
「桃井タロウは──嘘をつくと、死ぬんです」
「────────────────────────────── ──────────────────────────── ────────────────────────────」
信じられるわけがなかった。
信じたいわけがなかった。
けれど“災厄の狐”は泣きながらペタペタとタロウの身体を触っていて、“伝説のスケバン”はため息を吐きながら脈を測っていて、“慈愛の怪盗”は顔を赤く染めながらタロウの顔写真を撮っていて、“五塵の獼猴”は飽きもせず笑い続けていて。
「……なんですか、それは」
そのうちカンナも諦めて、静かに自分の敗北を認めた。
だからかもしれない。
こんなにも月が綺麗な夜であると、気づくことができたのは───