朝は苦手だ。
けれど、苦手なだけで嫌いではない。
寧ろ、好きか嫌いかで言えばかなり好きな方に入っているのではないかと思う。
暗い空が人工の光で白んでいく様とか、人や車の通りが少なく冷えた空気が満ちる時間とか──まだ騒がしくなる前の静けさを独占出来るのが、何とも心地好いのだ。
「ほら、朝だぞ。起きろー」
最近まで殆ど閉じたままだったカーテンを引いて陽光を室内に取り込みながら、
時刻は七時手前──些か早めではあるが、健康的な生活リズムを保つなら申し分ない時間帯。
程よく調整された光が差し込むには、すぅすぅと寝息を立てるドゥーの顔があった。
一度声をかけた程度では深い夢から目覚めない、眠りの世界にいる穏やかな表情──自分を人ではなく心臓と定義していた少女の、安らかな寝顔だ。
「……」
彼女に触れたりはしない。
起きろとは言ったものの、ただゆっくりと上下する掛け布団を見守るだけ。
だが、ドゥーがただそこにいるだけで不思議と心が落ち着く気がするのだ。
ここ数日……と言うか二週間ほど、彼女と暮らし始めてから朝の時間はそうやって過ごしていた。
「……」
買ったばかりの電気ケトルが湯を沸かし、ゴトゴトと音を立てている。
もう作業を始めているらしい現場の工事音が響く。
そうして七時に差し掛かる頃、最近になって漸く生活感が芽生えてきたマンションの一室で、少女はゆっくりと瞼を開いた。
「おはよう、ドゥー。よく眠れたか?」
「うん……」
そばかす面がふにゃりと緩み、俺の姿を認めて薄く微笑む。
一目見て分かる範囲では、体調の不安は無さそうだった。
(……良かった)
今日も、彼女は生きている。
サイコガンダムの頭部ごとドゥーを連れ去って以来、彼女の体調は著しく不安定だ。
走り回っても全く平気な日もあれば、起き上がるのも難しい日もある──時には、死んでしまうのではないかと思うほどに。
恐らく、強化人間として手術を受けた弊害だろう。
殆ど栄養失調に近いほど華奢な体つきをしているし、呼吸器を常備していなければならないほど心肺機能にも問題がある。
そんな状態で多大な負担がかかるサイコガンダムに乗り、機体が破壊される際のフィードバックまで受けたのだから体調が安定しないのも当然だ。
しかし、今日は比較的落ち着いているらしい。
「これから飯作るけど、先にシャワー浴びてくるか?」
「うん、そうする……」
しょぼしょぼと目を瞬かせながらドゥーはベッドから降り、覚束ない足取りで浴室へと歩いていく。
そうしてシャワーヘッドから溢れる水が床を打つ音が聞こえるまで待ってから、俺も自分の作業──朝食の用意に戻った。
──しかし、これが中々
今日のメニューはパンと目玉焼き、サラダにヨーグルト。
ここイズマコロニーは日本文化がかなり濃いが、流石にムラサメ研育ちの子供にいきなり納豆は厳しいかと思い、朝はパン食をメインにしている。
そしてサラダは昨晩の取り置きがあるから、後はパンが焼けるのを待ちながら目玉焼きを作るだけ──なのだが、先ずはフライパンへと割り入れた卵の黄身が崩れなかったことにホッと一息。
ここ数年間独り暮らしを良いことにずぼらな生活をしていたものだから、いざこうして料理をするようになると簡単なものでも大分手間取ってしまう。
それでもまあ、欠けていた生活感を取り戻すことに俺は不思議な充足を覚えていた。
一年戦争が終わって以来、ずっと「流れ」のことばかり気にしていたから、実は真っ当な暮らしに飢えていた部分もあるのだろう。
今のこんな俺をアマテが見たら、果たしてどう思うだろうか。
少なくともツキモリの親父さんは「子煩悩な親みたいだ」と呆れ顔で言っていたが────
「ミカボシ、髪乾かして」
「あいよ」
シャワーを浴び終えたドゥーが、白い半袖Tシャツにスラックスと言った出で立ちで出てくる。
ただ、ボリュームのある白髪までは中々手が回らない──ドライヤーで乾かしてやってから朝食に移るのが、健康な日のモーニングルーティンだった。
「今日もアイス、食べたいな」
「今日もか?またお腹壊すから止めとけって……」
ドライヤーの熱風を当てて艶やかな白髪から水気を飛ばしながら、俺は溜め息を吐く。
どういう訳か、ドゥーはコンビニのアイスをとても気に入っている。
特に苦めなチョコフレーバーには目がないようで、苦い苦いと言いつつも何かあれば必ず買おうとするのだ。
「そうかも。でも食べたい」
「まあどうしても食べたくなる時はあるよなぁ」
「そうじゃなくて、あの苦くてキーンとする感じ……ミカボシのキラキラみたいなんだ」
「そうかい……」
一体俺のキラキラはどんなものなんだ。
と言うかキラキラに味とかあるのか。
一度EXAMの力を借りてキラキラと繋がった身ではあるが、こうして「本物」のニュータイプと接するたびに何か実感のない話のように思える。
だが、ドゥーと暮らす内に、現象についてのみ考えているからこそ「なりそこない」なんだろうな、というのは何となく分かるようになってきた。
彼女たちが言及するキラキラは非常に曖昧で言語化しにくいものではあるが、それ故に口を衝いて出る言葉は本質を捉えている。
ロジックで知るのではなく感性で悟るからこそ、本物は本物足り得るのだろう。
まあそれはそれとしてビターチョコみたいなキラキラ、というのには一言物申したくなるが。
「よし、乾いた……今日は朝飯食べられそうか?」
「うん、すっごくお腹空いた」
「そっか、なら夕飯はカレーにでもするかな」
「朝から夜の話をするの?変なミカボシ……」
それもそうか、と思いながらドゥーと共にリビングへ戻り、着席した彼女の前に皿を置いていく。
そうして、目を輝かせる彼女の対面に自分の分も置き、椅子を引く。
「お待たせ。今日は失敗しなかったぞ」
「そうみたい……良かったね」
珍しく手際良く行った結果に満足しつつ、二人で「いただきます」を言って箸を取る──ドゥーは日本文化と馴染みが薄いと思っていたが、この手の風習は難なく受け入れてくれた。
そうして始まる朝食中の会話は何てことはない、ごくありふれたもの。
最近は失敗することも少なくなったんだ、とか。
今日の仕事も付いて行きたい、とか。
その日のことあれこれ話しながら、トーストや目玉焼きを口の中に放り込んでいく。
「紅茶は?おかわりするか?」
「うーん……貰おうかな」
「はいよ、ちょっと待ってな」
改めて紅茶を淹れ、ドゥーの目の前に置く。
だが、自分が離すより速く少女の小さな手が伸ばされ──こつん、と指先が触れてしまう。
「あっ」
「うん?」
時々こういうことがあるが、どうにも身体接触には慣れないものがある。
この前はキスまでした癖に、と言われれば何の言い訳もしようがないのだが、ここ数年誰かと露骨に触れ合うことがなかったものだから、どうにも気まずい感じになってしまうのだ。
しかし、気にしているのはこちらばかり。
ドゥーの方は俺と接触することを何とも思っていないようだから、俺も何でもない振りをするしかない──具体的には、別に大して頭に入ってこない新聞を読んだり、とか。
ただ、最近はこうやって時間を浪費するのも中々悪くないことのように思えてきた。
所謂「GQuuuuuuX」が始まって以来ずっと張り詰めていたものが解けてきたと言うべきか、自分の力ではどうにもならない物事を前にして過剰に怯えている意味がないことに気付いた言うべきか。
だが、決してただ無駄にしている訳ではない。
二杯目の紅茶を飲むドゥーを横目に、新聞で得られる範囲の情報収集は欠かさない。
「……」
「……」
そんなだから、食事中はそこまで会話が弾む訳でもない──まあ俺は元々口下手だし、ドゥーはドゥーで独特の感性をしているから、この沈黙は起こるべくして起こったものだろう。
けれども、それが不快ということもない。
人には人の距離感というものがあって、俺とドゥーの場合はこの程度が丁度良い、それだけの話だ。
などと考えている内に、彼女はお代わりの紅茶も飲みほしたようだった。
「ごちそうさま。食器はやっとくから、身支度整えてきな」
「ん……ごちそうさま」
皿をシンクに持っていきながら声をかけると、ドゥーは立ち上がってとたとたと洗面所に消えていく。
彼女はあまり自分に頓着していないが、それでも野郎よりはセッティングに時間がかかるものだ。
その間に皿を洗ったり洗濯物を干したりするのも、今や生活の一部と化していて──そうして二十分もすれば、お互い準備を終えて玄関に立っていた。
「ミカボシ、ネクタイ曲がってるよ」
上から下まで俺を一瞥したドゥーが、ボソッと囁く。
相変わらず、自分には無頓着なのに他人のことはよく見ている──或いは強化人間としてキラキラにしか向けていなかった意識が他にも向いてきた証なのか。
どちらにせよ、まだ二週間の付き合いなのに彼女は俺よりもずっと俺のことに敏い。
「よし、じゃあ行くか」
「うん」
ネクタイを整えて、扉を開く──爽やかな風を浴びて、今日も自宅から一歩踏み出す。
けれど廊下から見えるイズマの中心街は、活気のある街並みからクレーンが林立し大型トラックがひっきりなしに出入りする慌ただしい世界へと変化していた。
そう、先日のテロから二週間が経ったがこの街の正常化は未だ半分も成し遂げられていない。
それだけ、被害が甚大だったのだ。
いくらビーム撹乱幕を散布して流れ弾を減らしたとは言え、市街地の真ん中でモビルスーツ戦をやってタダで済む筈がないのは当然の話だった。
そして──隣家の事情も。
「……」
チラ、と視線を送ったユズリハ家は今日も沈黙を保っていた。
家主であるタマキさんは、ここ数日深夜に帰ってきて早朝に出勤するサイクルを繰り返していた。
どう考えたって無理をしているが、仕事に没頭しなければ、行方不明になった娘を思い出してしまうのだろう──その責任の一端を担っている身として、ただ黙っているしかない己に嫌気が差す。
それでも、今は。
全てが終われば幾らでも咎は受けるから、今だけはアマテがソドンに収容されたことを明かす訳にはいかないのだ。
「……どうしたの?」
「──いや、なんでも。遅刻しないように、さっさと行こうか」
暗澹とした心境とは裏腹に、制御された偽りの空は底抜けに青く澄み渡っている。
どうやら俺は、とことん不義理な人間のようだった。
「今日もあの子は来てるんだな」
「ええ、ここ数日はかなり調子が良くて……このまま安定するといいんですけどね」
「そうだなあ……しかし連邦も酷い事しやがる」
「全く……ジオンも連邦も結局似たようなモンですね」
工場の隅っこ、ぼーっとした表情で行き来するメカニックたちを眺めるドゥー。
そんな彼女を横目に親父さんは深い溜め息を吐く。
まあ、ツィマッドの下請け企業の社長でしかない彼からすれば、ドゥーはとてつもなく頭を悩ませる存在なのだろう。
とは言え、彼女の諸々は既に全社員の知るところな訳で──明らかに工場にはそぐわないソファに座るドゥーとその隣に置かれた菓子受けを見れば、如何に彼女がツキモリで「姫」扱いされているか分かるだろう。
「しかし、何が悲しくて野郎共の気色悪い姿を見なくちゃなんねえんだか……」
「ああ……」
確かに、作業服姿見の屈強な男たちが小さな子供にああでもないこうでもないとデレデレしている様は中々に見苦しいものがある。
それでも、憎悪の視線を向けられるよりは余程マシだが。
そう、諸々が知られているということは、当然彼女が
にも関わらずツキモリの従業員の対応が穏やかなのは、ひとえに彼女の儚さと幼さ故。
マトモに栄養を摂取出来ているのか疑わしいほど痩せぎすな背格好と連邦の強化人間という過酷な背景、そして明らかに未成熟な情緒を目の当たりにすれば、「何故こんなことをしたのか」と問い詰める気も失せてしまったのだろう。
要するに、赦すのではなく先送り。
責を問うのであればもっと人格が育ってからにするべき、というのが社員たちの総意だ。
そして真っ当に人格を育てるのであれば、真っ当な愛を注ぐ必要がある──そんな訳で、今やツキモリはその全体でドゥーの親代わりをやっているのだった。
まあ人間に戻してやると豪語した手前ツキモリに拒絶されたら素直に退職してイズマコロニーを離れるしかなかったので、これは決して悪くない話だ。
それでもって、ここからが本題だが。
「やはり気に食わんな、キシリアのやつ」
「気に食わないですね、ツィマッドも」
こうして態々口にするまでもなく、俺と親父さんの──否、ツキモリ株式会社の不満は一致していた。
そう、善し悪しではなく「気に食わない」のだ。
ツィマッドの連中がデータを売り渡していたことも、キシリア派が既にギャンを採用していたことも、それを報らされていなかったことも──突き詰めれば「気に食わない」の一言に尽きる。
確かに法的には何の問題もない。
それにデータの盗み盗まれは宇宙世紀の常だが、よもや連中にここまで矜持が無いとは思いもしなかった。
どうやらツィマッドの上層部はキシリアの顔を窺ってばかりで、下にいる者の顔が見えていないらしい。
いや、ギャンを採用するセンスだけは認めるべきか?
──まあ、どちらでも構わない
結局、俺たちのやることは変わらない。
これまで通りギャンを運用し、そのデータを渡すだけ。
尤も──どんなギャンを使うかは、こちらの勝手にさせてもらうが。
「連中、これを知ったらひっくり返るでしょうね」
「だろうな」
そう、あくまでキシリア派ともツィマッドとも表面上は直接関係していないのが仇となる。
両者共に
それどころか、様々な武装をテストさせるためかこれと言った縛りすらなく──それ故に、こんな「無茶苦茶」も罷り通ったりする。
「……何度見ても、これは酷い」
「そうかい?俺はMSの歴史に載るような凄いモン作っちまったと思うがな……」
見上げる先──何人ものメカニックが取り付き整備を続けているそのモビルスーツは、確かにギャンだ。
騎士然としたシルエットも、特徴的な鶏冠頭も、俺が散々乗り回したギャン・クリーガーそのもの。
ただ、肩に付いている
「提案したのは俺ですけど、よく形になりましたね?」
「いや、大分苦労させられたぞ……あれこれ注文つけやがって」
「まあ言うだけならタダですからね」
そう、俺は転生者として宇宙世紀の知識がある。
そのため、試行錯誤する中で時代を何年か先取りしたアイデアを出すことが出来たのだ。
とは言っても所詮は素人の知識な上、この世界は本家宇宙世紀と色々異なる部分があって実現したものは少ないが──それでも、このように開発に至ったオプションもある。
「ヴァリアブルシールド展開中の火力はどうやって確保するんです?ランチャーシールドは併用出来ないでしょう」
「肩部ミサイルポッドに右腕部のグレネード、後は携行型のビームライフルだな。これで中距離戦の火力は以前より大幅に増加する」
……まあ、今回のような形になったオプション装備全部載せ、と言うのも中々珍しいが。
胴体こそギャン・クリーガーそのままだが、肩はR・ジャジャ、右腕部はZガンダム、携行武装はハイパー・ナックルバスターなどという──言ってしまえば第一次ネオ・ジオン紛争までのキメラみたいなモビルスーツは、後にも先にもお目にかかれないだろう。
しかし、今度の魔改造はこんなものではない。
「で、あの背負いものは……アレですか」
「おう、放置してたニュータイプ用の『アレ』よ」
アレとは大っぴらには口に出せないもの。
つまり戦後作ったものの、肝心の部品が手に入らず倉庫で埃を被っていたネティクスのバックパックだ──外見はいくらかジオンナイズされているが。
この度サイコミュの目処が立ったから、ついでとばかりに引っ張り出してきたのだろう。
そのせいでゲテモノMSのゲテモノ具合が飛躍的に高まっているが、そう言う意味ではサイコガンダムの頭は良い拾い物だった。
連邦製故規格は異なるが、サイコミュはサイコミュ──オールレンジ兵器を使用するための最後のパーツを、全くの偶然から手にしたのだから。
そんな訳で、このモビルスーツにYMS-15のパーツはもう殆ど残されていない。
ただでさえキメラ染みた本体にネティクスのバックパックを背負わせ、コックピットには解体したサイコガンダムの頭部をそのまま移植──もう「ギャン」と呼べるのは、胴体と流体パルスアクセラレータ周りだけだろう。
だが、これでいざとなればソドンにカチ込みをする準備は整った。
エグザベ少尉のギャンとシャリア・ブルのキケロガを同時に相手取るのは難しいが、最悪アマテだけ奪還するのも不可能ではない筈だ。
などと考え込んでいると、親父さんから声をかけられる。
「それで、名前はどうする。命名はいつもお前に任せてたが……」
「……」
確かに、これを「ギャン」と呼んでいいのかは非常に悩ましいところだ。
素体は間違いなくギャンだが、此処まで本来の姿から逸脱したMSの名前をそのままにしていいものか────
「──お、おい!誰が動かしてるんだ!?」
と、不意にメカニックの慌てた声が飛び込んできた。
ハッと見上げれば──確かに、動いている。
コックピットに誰も収めぬまま、交換したばかりの右腕がミシミシと軋みながらゆっくりと持ち上がっていく。
──やはり、サイコミュの導入は早計だったか
折角手に入れたのだからと親父さんは組み込む決断を下したようだが、このように暴走するのでは仕方ない。
だが、何故今動く。
これが単なる誤作動ではなく本当にサイコミュの暴走だとして、一体何に呼応して────
(──いや、まさか)
そんな筈がない。
もう既に彼女との繋がりは断ち切れた筈だ。
そう願いを込めて振り返るも、そこに白い少女の姿はなく──いつの間にか二階に登っていた、ドゥー・ムラサメ。
彼女の触れれば折れそうな肢体に、その五指は伸ばされていた。
「ドゥー、何してるんだ!」
「早く逃げろ!」
少女がふと意識を逸らせば、ミカボシや親父さんたちの必死な声が耳に飛び込んできた。
そればかりか、他のメカニックたちもどうにかして勝手に動き始めたモビルスーツを止めようと右往左往している。
(……そんな事言われるの、初めてかも)
だが、不思議とドゥーの心は落ち着いていた。
それは、これが彼女にとって人生で初めて他者から身を案じられる経験だったからだろう。
確かに、ムラサメ研にいた頃も心配するような発言をする者はいた。
だが、それはドゥーがサイコガンダムとして所定の性能を発揮できるかの心配であって──況して、逃げろと言われたことなど一度もない。
そんな未知の体験に、少女の心は不可解な熱を持ち──同時に、対峙するモビルスーツも同じものを宿していると理解する。
そう、このモビルスーツはドゥーを害そうとしているのではない。
現に、目の前に差し出された右手は平手に揃えられ、彼女に手のひらに乗ることを求めていた。
抗う理由は、ない。
ドゥーは誘われるがまま金属製の手すりから手を離し、ゆっくりと──五指の上へ。
「EXAM用のダミーセンサーが……どうして……」
下から、呆然としたミカボシの声が聞こえる。
そう、手のひらに立ったドゥーを見詰めるモビルスーツの瞳は通常のモノアイではなく、不気味に輝く赤い四眼。
EXAMシステムのインストーラーを挿入していないにも関わらず、このモビルスーツは自律稼働しているのだ。
その理屈を説明出来る者は存在しない。
先のEXAM発動がギャンに搭載された学習型コンピュータに影響を与えたのかもしれない。
丸々移植されたサイコガンダムの頭部が、未だに主を求めているのかもしれない。
何れにせよ、ツキモリの人間は一人としてこの怪現象を理解出来ず──ただ一人、強化人間の少女だけが「それ」の意図を理解していた。
「へぇ、見定めてるんだ」
見られている。
量られている。
ドゥー・ムラサメという人間が、自身に利をもたらす存在なのか──
その資質を、証明する必要があった。
「うーん……」
ミカボシと、このモビルスーツに乗る。
これは既にドゥーの中で決定事項だ。
ミカボシはサイコミュ操作と機体の操縦が同時に出来ないと聞いているし、彼と一緒のモビルスーツに乗ればきっとこれまでにないキラキラが見れるだろう。
この前のようなせめぎあいではなく、互いの色が交ざり合った未知のキラキラ──それに出逢える確信があった。
しかし、その為にはこのモビルスーツを納得させる必要があって。
自分が出来ることは、何か。
否、そもそもこのモビルスーツは、「何」なのか。
(……)
暫し、悩む。
自身の定義をムラサメ研に刷り込まれ、優良人種という受け売りを疑いもしなかった少女が、他者の定義を考える。
それはきっと、彼女にとって小さくも大きな一歩である。
そうして悩み、考え──パチリ、と碧眼が瞬く。
「
ミカボシが前に進むための「動力」。
このモビルスーツはただ敵を殺して勝利を得るのではなく、襲い来る苦難を退けるための力であると、ドゥーは結論付けた。
そして、先程ミカボシが命名に困っていたことも思い出す。
「──
故に、四眼の真ん中に指先を突き付け。
彼女は宣告する。
「ギャン・キネティクス」
「それが、キミの名前だよ」
少女の名付けを受け入れるように、ギャンはその四眼を瞬かせた。
──冷たい。
独りってこんなに冷たかったっけ、とアマテ・ユズリハは独房の中で呟いた。
シャリア・ブルの操るキケロガに捕獲されてから数日、アマテは一度もこの狭く暗い空間から出ることを許されていなかった。
普通であれば、解放してくれと泣き叫んでいたかもしれないが、向こうだって自分に訊きたいことがある筈だ。
何時になるかは知らないが、必ず外に出されるだろう──そんな確信が、彼女の混乱を防いでいた。
(……皆、どうなったんだろう)
けれど、そうして孤独に苛まれるほどに他者への想いは強くなる。
消えたというシュウジは、軍警に追われるニャアンは、決別したカネバンの皆は、自分に猶予をくれたお母さんは無事だろうか。
それに、ミカボシも────
(……あ、死んだんだっけ)
そう、あまりに唐突過ぎて、あっけなさ過ぎて現実味が未だに伴わないが、ミカボシは死んだ。
どういう訳か軍警に追われ、抵抗する暇すら与えられず、銃弾の雨に打ちのめされて──最後はハッチの中に転がり落ちて、ギャンと共に消えたのだ。
だが、きっと彼はそれも覚悟していたのだろう。
何せアマテに戦うことの危険を説き、クラバで試すような真似までしたのは他ならぬミカボシだ。
一年戦争の経験者であり、戦後も海賊狩りやクランバトルで戦い続けてきた彼は死が唐突に、理不尽に訪れるものだとよく理解していたのだ。
だから、ミカボシは最期まで自分に近付かないよう懸命に伝えていた。
あのままジークアクスが助けに入ればどちらも助からない、せめてアマテだけでも、と。
結果的にその判断は正しく、虜囚という形ではあるがアマテは命を繋いでいる。
それでも。
(寂しいよ、ミカボシ……)
自分と宇宙を繋ぎ、シュウジやニャアンと繋がる支えになってくれた彼がいない宇宙は、あまりにも冷たく寂しい。
それこそ、伏せた瞳の端からじわりと涙が滲んでしまうほどに。
と、そんな彼女の感傷を断ち切るようにスライド式の扉が開く。
「泣くくらいなら、最初からあんなことしなきゃ良かったでしょ」
「……」
入ってくるなり正論を叩き付けてきたのは、ソドンに捕獲されてからほぼ唯一と言ってもいい会話相手──コモリ・ハーコート少尉。
至極真っ当な言い分を受け止めたアマテは、目元から溢れた涙を拭って彼女と向き合う。
「はい、今日の着替え」
「ありがとう……ございます」
ビニール袋に入った衣服を手渡すコモリの態度は、非常に素っ気ないものだ。
だが、まあ妥当と言わざるを得ない。
ソドンのクルーからすればアマテは特別なモビルスーツを持ち去った犯罪者なのであって、しでかした事の大きさを考えれば寧ろ温情的な接し方とすら言えるだろう。
(……)
それ故に。
ふと、頭に過るものがあった。
「あの」
「なに?」
「銃、返してもらえませんか。弾とか抜いていいんで」
あの、銃。
あれはミカボシとの間に遺された、最後の縁だ。
今はあれに縋りたい、その一心でアマテは頼み込む。
「無理よ。ヴァルタP08なんてこの艦内に何丁あるか分かんないし、弾を抜いた程度じゃ安全を証明出来ない」
けれど、コモリの返答はごく当たり前のもので──半ば「そうなるだろうな」と納得しつつも、やはり肩が落ちるのを抑えられない。
「大切な人から預かった……大切な、ものなんです」
「……そう」
最後の懇願もすげなく切り捨てられ。
しかしコモリの目にほんの少し憐憫の情が宿るのを感じたアマテは、膝を抱えて自分の思考に閉じ籠った。
◯ギャン・キネティクス(YMS-15K/NT-X)
武装:ハイパー・ナックルバスター、肩部三連装ミサイルポッド、右腕部グレネードランチャー、有線式大型ビット×2、ギャン用ビームサーベル×2、ビーム・ランス、ランチャーシールド
胴体:ギャン・クリーガー
肩:R・ジャジャ
右腕:Zガンダム
背部:ネティクス
コックピット:サイコガンダム
ライフル:ガ・ゾウム
というギリギリガンダムブレイカーか実物のプラモで再現出来そうなゲテモノキメラMS。
ランチャーシールド及びビームランスはリアスカートにマウントされており、ヴァリアブルシールド破損後の使用が想定されている。
ネティクスの有線ビットは保持するアームが稼働することで背部キャノンとしても使用可能。
また、ある種ギャン(GQ)に対抗意識を持って改造されたMSであり、武装に推進器を搭載するのを避けスラスターは背部に集約することで大推力による一撃離脱を可能にしている。
要するに物凄い勢いで突っ込みながら射撃兵装をばら撒いて弾切れになったら今度はランスやサーベルで突撃するこの世の終わりみたいな強襲型MS。
意思があるかのような挙動を見せるが、実際の所は不明。
単にEXAMに汚染された教育型コンピュータがサイコミュの干渉でバグっているだけかもしれないし、本当に意思が宿っているのかもしれない。
しかしドゥーはこれを「ギャンの意思」と判断した。
◯ミカボシ・ツヅラ
薄幸系強化人間と同棲するロリコン(言いがかり)系ニュータイプのなり損ない。
ちょこちょこ宇宙世紀の知識を先取りしてるせいで乗機がとんでもないゲテモノになってしまった。
ちなみにドゥーとの距離がちょっと微妙なのはニュータイプ特有の初手ゼロ距離をかましてしまったせいで逆に適切な距離感が分からなくなってしまっているため。
当初は魔改蔵されたギャンでソドンに殴り込みする予定だった。
◯ドゥー・ムラサメ
一命を取り留めた人の造ったニュータイプ。
現在はミカボシ家に居候中。
重度のキラキラ中毒なのは相変わらずだが、ミカボシとの感応によって多少は他の物事に興味を示すようになっている。
魔改造されゲテモノと化したギャンの名付け親となった。
◯アマテ・ユズリハ
独房の中。
ミカボシは自分との繋がりがバレるとアマテの立場が危うくなると思ってメッセージを送っていないが、そのせいでメンタルに大ダメージを負っている。