友人の
リーリヤは友人達に別れの挨拶をすると、早々に教室を出た。別棟に入り、そのまま、『事務所』へ向かう。
──センパイは、まだ来ていないのかな……?
窓から室内を覗き見る限りでは、無人だった。
──中に入って、良いん、だよね……?
キーホルダーから鍵を取り出しながら、リーリヤは少し不安に思った。
この教室が自分達だけの『事務所』である事は説明をしっかりと受けているが、初めて一人で入るとなると緊張してしまう。
呼吸を整え、リーリヤは鍵穴に鍵を挿入する。
「葛城リーリヤ……行きます……ッ!」
「それは某有名アニメの台詞のオマージュでしょうか?」
「──ひゃあっ!?」
背後からの突然の声に、リーリヤは思わず悲鳴を上げた。
身体をビクンと震わせ、その場で小さくジャンプしてしまう。振り返ると、そこには静かに佇んでいる自身のプロデューサーが居た。
「失礼。驚かせてしまいましたか」
申し訳なさそうに頭を下げる──表情は一ミリも動いていないが──歳上の男性に、リーリヤは慌てて両手を振った。
「い、いえ! 大丈夫、です……! ──こんにちは、センパイ……」
「こんにちは、
リーリヤはセンパイと挨拶を交わして、ようやく、ホッと胸を撫で下ろした。そして、おずおずと尋ねる。
「いつから、居たんですか……?」
「葛城さんが真剣な表情で室内を覗いている時からですね」
「さ、最初から……!?」
「ええ、まあ。それで、先程のセリフはやはりオマージュなのでしょうか?」
「えっと、それは……──」
ごにょごにょとリーリヤは誤魔化した。
恥ずかしい姿を目撃されてしまった事実にリーリヤが動揺していると、センパイはそんなリーリヤの内心を露知らず言った。
「さあ、葛城さん。中に入りましょう」
「は、はい……」
センパイに促され、リーリヤはドアを施錠した。
冷気が肌を伝っていく中、センパイがすぐに暖房をつける。機械の稼働音と共に、温風が出始める。
「さて、それでは改めて『N.I.A』について話しましょう。準備は良いですか?」
「は、はい!」
「良い返事です。──葛城さんは『N.I.A』についてどこまで理解していますか?」
リーリヤは
「えっと……その、わたしなりに、調べてきました」
「流石葛城さん、勤勉ですね」
「あ、ありがとうございます……。『N.I.A』──『NEXT IDOL AUDITION』は、不定期に開催される大きな大会で、複数のアイドル養成校が出資して行われます。だからこの大会の出場者は初星学園の生徒だけじゃない……そう、ですよね?」
「その通りです。これは、『N.I.A』の目的である『次世代のアイドルの頂天を決める』為であるとされています。その為、既に名の売れているアイドルは出場しないのが暗黙の了解となっています」
「例えば、もし『
「俺達のような、中々芽が出ずに悩んでいる人間にとっては救済措置と言えるでしょう」
「救済措置、ですか……」
「ええ。逆に言えば、この『N.I.A』が最後の
一昨日、センパイが言った言葉は決して大袈裟な表現ではないのだと、リーリヤは胸に刻んだ。
「その、『N.I.A』は学園同士の対抗戦だって、聞いたんですけど……」
「そのような風潮は確かにありますね。特に極月学園と初星学園は犬猿の仲です。まあ、とはいえ、俺達には関係のない事です。同じ初星学園の生徒だろうと、『敵』である事に変わりはありませんから」
「『敵』……」
「少なくとも、プロデューサーの俺はそのように考えています」
センパイの言う事は尤もだった。
今のリーリヤ達に、そんな事を考える時間も、振り回される余裕もない。
「『N.I.A』の大会ルールはとてもシンプルです。まず大会期間中、出場者は各々自由に活動します。そして活動していく中で、大会期間中限定のファンを作っていきます」
「ファン……。わたしに、出来る、でしょうか……?」
「少なくともここに一人居るから大丈夫ですよ。心配せずともファンは必ず出来ます」
力強い断言に、リーリヤは少しだけ笑った。
センパイが説明を続ける。
「ファンが出来たら、投票して貰います」
「投票、ですか……?」
「『N.I.Aランキング』と呼ばれるものです。出場者全員の順位が可視化されます」
「なるほど……この『N.I.Aランキング』を上げていくんですね……」
「ええ。『N.I.A』はこのファン投票数の奪い合いなんです」
それはともすれば、残酷とも言えるかもしれない。
ファンの数がランキングに反映されると言うのなら、それはそのアイドルが如何に応援されているのかという事と同義である。
「大会期間中、『N.I.A』には幾つかの『オーディション』が開かれます」
「オーディション……?」
「定期公演『
リーリヤは拳を強く握った。
果たして自分にオーディションが突破出来るのか、それは分からない。
否、本音を言えば難しいと思う。
評価項目が『
そんなリーリヤの内心を、センパイは見透かしているようだった。
「全てのオーディションに勝つ必要はありません。言ったでしょう。『N.I.A』はあくまでも、ファン投票数の奪い合い。例え何回オーディションに落ちたとしても、最後に勝ってさえいれば良い」
「……?」
「最終オーディション『FINALE』。これが『N.I.A』の優勝者を決めるオーディションです」
そして、とセンパイは最後に締め括った。
「優勝者には優勝ライブを行う権利が授与されます」
「優勝ライブ……」
「ええ、その規模は『H.I.F』本戦に決して見劣りしません。アイドルとしての『箔』がつくことは間違いないでしょう」
リーリヤは、ゴクリと生唾を呑み込んだ。
『N.I.A』の概要は理解した。
そして、思う。
最終到達地点はなんと遠いのだろうか。
本当に、自分はファンを作れるのだろうか。
本当に、自分はファンから投票されるだろうか。『N.I.A』の出場者は『H.I.F』の比ではないだろう。沢山のアイドルの中から、ファンはわざわざ自分を選んで応援してくれるだろうか。
本当に、自分はオーディションに臨めるだろうか。試験官の前に立ち、演技する事が出来るだろうか。きっとオーディション当日はお腹が痛くなって声も細くなって、膝も震えるだろう。
少し考えただけで、これだ。
様々な懸念事項が、リーリヤの頭を
「不安ですか?」
センパイが静かに尋ねた。
それは、最終確認であった。
今ならまだ引き返せると、その『夜』のような瞳で伝えてくる。
それを見て──葛城リーリヤは首を縦に振った。
「不安は、あります」
肯定する。
不安なんて、あるに決まっている。
「でもそれは、前提だから。諦める理由には、なりません……!」
一昨日と同じように、リーリヤは宣言する。
「──センパイ。『N.I.A』に、わたしは出ます!」
センパイは静かに笑った。
「初めからそんなに気負う必要はありません。葛城さん、一緒に頑張りましょう」
「一緒に……」
「アイドルとしての実力が問われる『H.I.F』と、『N.I.A』は違う。葛城さん、例えあなたがアイドルとして成熟していなくとも、方法によってはファンを獲得出来る」
「センパイ……」
「俺が、葛城リーリヤというアイドルとしての魅力を、その才能を魅せてみせます」
そこで、リーリヤは理解した。
プロデューサーと、そのアイドル。
『N.I.A』はあくまでも、その二人によるタッグ戦なのだと。
「よろしくお願いします、センパイ……!」
数日後。
『NEXT IDOL AUDITION』──『N.I.A』が開催される。
百名にも及ぶ出場者。全員が優勝を狙っている。
そして出場者名簿の中に、その