―ラング・バウ―
首都の北東、宮殿にほど近い場所にある三軍本営において、来たるべき大作戦に向けて最終的な軍議が行われていた。
会議は重々しい様相で、とてもこれから出陣するという高揚感は見られなかった。
「では、第3軍のうち、5万をリーザス城へと……それで宜しいですな。皇子」
三軍の将、トーマ・リプトンは重い声で会議の主であり、臨時将軍を拝命したパットン皇子に念押しを行った。
「うむ。良いぞ。よくぞここまで引き出したな。締まり屋の評議委員どもをよく説得できたものだ」
パットンは高く笑いながら、トーマにねぎらいの言葉をかけた。
「リーザスには宿縁があるのに加え、相手も全く予想しないところからの奇襲です。勝利の公算が高いとみたのでありましょう」
「フフフ……。普段私をバカにするあいつらにもようやく、その値打ちが分かったということか。がっはっは」
パットンはその恵まれた体を震わせ、有頂天となっていた。まだみぬ豊かな大地、リーザスに既に心は行き、自然と気持ちは高揚していく。
「将軍!!」
会議の空気に比して浮かれきっている皇子を見て、居た堪れなくなったのか、一人の男が立ち上がった。
「なぜ、私は残らなければならないのですか。私も将軍と共にリーザスを……!!」
「ん……? えーと、お前は確か……」
パットンが名前を思い出そうとしてると、トーマが間に入る。
「カールよ。まだ分からぬのか」
大隊長であり、三軍副将のカールに、トーマは鋭い視線を投げかける。
「将軍も副将も欠けてしまえば、変事が起こった時に、シーラ殿下を誰がお守りするのだ」
「それは……そうかもしれませんが」
「後事を託せるのはお主しかおらん。気持ちは察するが、ここは呑んでくれぬか」
カールは不承不承ながら、席に復した。
「大事な妹だ。宜しく頼む」
パットンはカールに声をかけ、妹の事を託す。
「よし、私は決行に備えて、英気を養うぞ。それでは各々、余念なくな」
そう言ってパットンは一人、会議場から退出した。立ち去ってもしばらく、パットンの機嫌良さそうな鼻歌が会議場にいる三軍重鎮の耳に響いた。
聞こえなくなった後、トーマは口を開く。
「ガイアス。結集はいつ頃終わりそうだ」
「はっ。マイクログラードなどに派遣していた軍は既に動いており、24時間以内には」
「うむ。そうか。ともかくこれは機先を制さねばならん。リーザスに嗅ぎつけられる前に、虚をつかねば効果は薄れていく。このことを一兵に至るまで周知せよ」
「承知」
ガイアスはトーマの言葉を細大漏らさずに受け止め、その重厚な鎧から発する無駄のない音を以て応える。
「将軍。あの魔人どもの言う事を、本気で信じておいでなのですか」
「過信はしておらん。だが、利害は一致しておる」
「彼奴らは我々人類のことなど、虫けら未満にしか思っていません。”利害”など成立するのですか」
「せぬだろう」
トーマはそう言うと、反論を許さないかのように、口を固く閉ざした。
その様子を見て、カールはようやくトーマの底意を受け取り、目線を作戦書へ戻した。
「カール副将。最早賽は投げられたのです。我々は進むしかない」
「ああ。どうやら、そのようだ」
ガイアスの言葉に、カールは全ての認識を切り替え、最善を尽くす決意を固めた。
会議は粛々と進み、侵攻計画全体の総仕上げが詰められていく。
――
3時間後、会議を終えてトーマは軍営内にある私室に居た。
もはや、次に出れば生きてここに帰ることもあるまいと私物の整理を進めている最中だった。
そうしていると、ドアが叩かれ、トーマは客人を迎え入れた。
「来てくれたか。レリューコフ」
「全く。口実を作るのに苦労したわい。わざわざ帝都まで呼びつけるとは、まさか軍棋の誘いでもあるまい?」
レリューコフはどっかりと、そのあたりにある椅子に座り込み、トーマの返事を待った。
「うむ。実はな」
トーマはこれから翌日までに行われる、リーザス侵攻作戦について打ち明けた。このことは軍内部でも3軍の上層部しか把握しておらず、トーマに並んでヘルマン軍の柱石であったレリューコフであっても今の今まで知らされていなかった。
「トーマ……。お主、正気か?」
「戯れでこのような事は、言わん」
話し終わったトーマは決然とした目でレリューコフの眼を見る。
「あまりにも無謀すぎる! 国王が居ると確証があるわけでもないのに、王城だけ取ったところで何に成るというのじゃ。あまつさえ、それほど危険な作戦に、あの皇子を大将に据えるなど……。無駄に兵を散らすだけであろう」
「うむ。お前ならばそう言うと思っておったわ。グワッハッハッハ」
トーマは予想通りのレリューコフの言葉に闊達に笑ってみせた。
「トーマ。お主はこの国を変えたいと言っていたではないか。君側の奸や佞臣が国に巣食い、民が明日の生活をも案じねばならぬ世を変えたいと。それなのに、あの皇子を引き剥がして2つに割るような真似をするなど……。かえって亡国の道を歩むようなものじゃ」
「儂はのうレリューコフ。あの皇子に全てを賭けたのだ。ヘルマンの外の世界に連れ出し、世界を知らしめ、ヘルマンを
トーマは滔々と、語って聞かせるようにレリューコフへ自身の信条を吐露した。
「安逸を貪り、日々を快楽と遊興に費やすあの皇子に、そのような値打ちがあるというのか? 儂には信じられぬわ」
「ある。だから儂は、命を賭して、この計画を進めておる」
トーマは短くも、寸鉄の響きをもった言葉でそう決意を語った。組んだ腕からは、その決意の深さを伺わせる。
数分ほど時が流れ、レリューコフはようやく、説得が無駄であると悟った。
「それで。儂に何をせよというのだ」
「万が一にも、リーザスが逆侵攻しないよう、4軍と連携して東方国境を固めよ」
「そのようなこと、お主にいわれんでも分かっておるわい」
「レリューコフは分かっていても、兵の隅々まで意識させるのは時間がかかろう。それとなく、早いうちに徹底するのだ。国王はともかく、バレスは油断がならぬ」
トーマにとってはこれが最大の懸案事項でもあった。計画が失敗し、万一リーザスが盛り返した時に、防衛線を抜かれるようなことがあっては戦争が長引き、今後に大きな禍根を残すことは目に見えているからだ。トーマはあくまで、どう事態が転んだとしても短期間に事を決し、ヘルマンの人民や経済を必要以上に疲弊させないことを念頭に置いていた。
「安心せい。中央に行っとったお前さんよりも、バレスのことは、よっぽど心得ておる。一分の隙も与えさせはせんよ」
レリューコフは体を揺らしながら軽く笑い、その自信を伺わせた。
「そうか」
友の力強い言葉を聞いたトーマはそう言って、戸棚からウォッカを取り出し、2人分のショットグラスに注いだ。
「飲め」
トーマから押し付けられたショットグラスを、レリューコフは黙して受け取った。
そして、そのまま焼けるようなそれを一気にあおり、グラスを床に叩きつけ、粉々に割る。
これが最期の盃であることを、暗黙に了解し、レリューコフは席を立ち、自らの本営へ戻っていった。
一人残されたトーマは故国で過ごす最後の夜を、じっと味わうように過ごす。
―宮廷―
「以上が報告となります。陛下」
「そうか。いよいよか」
三軍の本国で行う最終会議の報告を受けたステッセルは、そのまますぐに宮廷にあがり、皇帝へ奏上する。年齢相応に刻まれた皺と、疲れ切った眼をしている皇帝。しかし、それでも世界一の軍事大国のトップに立つ威厳だけはその威容が物語っていた。
「これが成れば、ヘルマンの、そして陛下の御威光に人類は恐懼し、ひれ伏すことになりましょう」
「元々は我らのものであったのだ。誤った筋が正され、還るだけのこと。そのことをリーザスの兵や民、草木一つ一つに至るまで徹底的に叩き込まねばならぬ」
皇帝はしわがれた声で、ステッセルにそう語った。冷涼な気候のヘルマンにあって、さらに厳粛な空気に支配されたそこは、何者をも底冷えさせかねない圧が、確かに存在した。
「放埒に育った不肖の子、パットンもこの戦いで、この世で最も貴き血を受け継いだ自覚を持つであろう。戦勝の暁には褒めてやらねばな」
「陛下。既に皇嗣はシーラと定まっております。あんな妾腹に皇位など……」
皇妃のパメラは横から口を挟んだ。
「何もそうは言っておるまい。シーラも、パットンも等しく我が子である。子が事を為せば褒めてやるのは道理であろう?」
「陛下は未だ、あの妾腹に未練をお持ちであります故」
パメラは厳しい視線を、老皇帝に注いだ。
ステッセルはそんなやりとりを、鉄面皮の上に張り付かせた薄い笑顔で眺めていた。
―寝室―
ステッセルは今日も、パメラの求めに応じて抱いた。情愛などなく、ただ権力の為の交わりであった。
「陛下は未だ、あれに思いを残しておられるわ……」
パメラは衣服を正しながら、ステッセルへそう零した。
「侵攻がはじまれば、我々は一切、一兵たりとも軍は動かせません。評議会は抱き込みますが、そのあたりをパメラも口添えを頼みますよ」
評議委員会の決定は政策に重要な影響を与えるものではあるが、皇帝の鶴の一声でひっくり返され得るものであるのには違いがなかった。
「ええ。陛下がどのような叡慮であろうと、リーザスに閉じ込め、そのまま見殺しにさせます」
「これでパットンと、トーマが消えれば。後は私とパメラの世……。もう一歩のところまできているのです」
もちろん、ステッセルはパメラとの世など、微塵も望んでは居ない。彼の心中にあるのはあくまで実子のあの少女と、黒き野望だけである。
「ええ、そうね……。ステッセル。ようやくここまで来たんだもの。今更後にひけない」
パメラとステッセルによる黒い陰謀は、これからも更にその度合いを増していく事となる。
―翌朝 奥の院―
そんな陰謀など露知らず、シーラはここで皇帝となるための教育を受けている。
名目上はいち皇女に過ぎないが、パットンが見限られた数年前から事実上皇嗣教育に切り替えられて、起きている時間の大半が勉学と稽古事に向けられていた。
そんな中、わずかに与えられる、休憩時間に奥の院の窓から臨める景色をみることだけが、シーラの数少ない楽しみであった。
(あ、にゃんにゃんが毛づくろいしてる……かわいい……)
すぐ近くの屋根にいる茶斑のにゃんにゃんを見ながら、シーラは今日はそれを眺めることを慰みとした。
しかし、聞こえないふりをしているのか、聞こえてないのか定かではないが、ラング・バウの各所では既に第3軍が動き始め、粛々とした軍靴の音がけたたましく曇天の空になり響いている。
リーザスの、そしてヘルマンの運命を大きく変えることにもなる大事件の幕が、開かれようとしていた。
―終―