ランス短編・中編集   作:OTZ

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かなみ、学校へ通う〈上〉

―リーザス第一初級学校 教室―

 

「じゃあ、ここは誰に解いてもらおうかな……」

 

 LP3年のある日の昼下がり。春めいた陽光のもと、リーザス城下町にある学校の校舎では授業が行われていた。

 周囲にいるのは7歳から8歳という、小さな、まだ幼い子どもたちばかりである。

 そんな中に、一人明らかに場違いなまでに背が高く、大人びた容姿をしている少女がいた。

 

「よーし。じゃあかなみちゃん。黒板に出て、リウネちゃんの隣のところに、問4から先の答え、かいていこうか」

 

 30代くらいの青年の教師はかなみを指名し、黒板を指さした。

 かなみは「はい」と短く答えて、ノートを持ちながらゆっくりと足を進めた。『なんで、私がこんなことを……』と、年齢差による羞恥に耐えながら、かなみは黒板に向かい、チョークを持って自身のノートに書かれた解答を写し始めた。

 書き終えたところで教師が軽くチェックを行う。

 

「うむ。よろしい」

 

 かなみはほっと一息をついて席に戻った。

 しかし、同級生からの『それくらい、できて当たり前だろ。おとななんだから』ではと言わんばかりの疑問と辛辣さの混じった視線で容易くその安心はかき消されてしまう。

 席についたかなみは、次の授業や本当に学びたい分野の内職をすすめている。

 隣の席の子どもが好奇心からか、開いた参考書を覗き込んできた。その無垢な瞳は、なおさらなぜ自分がこんなところにいるのかと思いを想起させ、ついこの間の情景に意識を委ねていった。

 

―リーザス城 女王執務室―

 

「まだ見つからないの?」

 

 リアは苛立ちをあらわにした顔を浮かべて、かなみに不快感をあらわにした。右手の人差し指で絶え間なく机を意味もなく叩き、そのさまは明らかである。

 

「申し訳ありません。自由都市もゼスも、JAPANも、ヘルマンも、できる限りのところを飛び回ったのですが一向に行方がつかめず……」

 

 LP3年のまだ肌寒さがのこる3月はじめのころ。

 昨年末から行方不明になっていたランス。リアはかなみに捜索を厳命して世界中を飛び回っていたが、捜索は難航し、めぼしい手がかりは掴めずじまいだった。

 

「この役立たずっ! もう3月よ、ダーリンがいなくなって何ヶ月だと思ってるの!?」

 

 リアは立ち上がって、持っていた扇を鋭く突き出して感情をあらわにする。

 普段の彼女は怒るにしてももっと皮肉や静かに怒ることが多いのだが、ここまで感情を爆発させることは並大抵のことではない。

 

「リア様。お気持ちは分かりますが、少しは落ち着いてください、焦ってもランス殿が出てくるわけではありませんよ」

 

 筆頭侍女のマリスは手を前に広げながら、制止のジェスチャーを行った。

 

「そんなこといったって……!!」

 

 リアは不興顔のまま、様々な怒りの感情がないまぜになった表情でかなみをじっと見据えている。

 

「ひとまずは状況を整理しましょう。かなみ、最後にランス殿がいた場所はどこかわかるわね?」

 

 間を取り持ったマリスが強い視線でかなみに問いかける。

 

「は、はい。昨年12月にゼスのアダムの砦近くにあるパルサイ村という辺境で活動が確認されたのが最後です」

「その近くは探したの?」

 

 リアは苛立った声のまま、食い入るように尋ねた。

 

「探したは探したのですが……、手に入った地図が読みづらく、捜索は思うようには行きませんでした」

「その地図、見せなさい」

 

 マリスの言葉にかなみは一も二もなく即座に応じて、装束の襟から1枚の古地図を手渡した。

 

「見た限りではそこまで高度な知識は必要ないように思えるけど……」

 

 そう言ってマリスはリアにも手渡し、地図を共有する。地図は道路や簡単な自然物の色分けに加え、等高線や、明示された縮尺、簡便な地図記号など、むしろ親切な部類にまで入りそうなものであった。

 

「簡単な地図じゃないの。こんなのそのへんの初級学校の子でも読み解けるわよっ」

 

 リアの蔑んだ視線と言葉がかなみに突き刺さる。

 

「その……、距離感や、高さなどを見誤って、効率的な探索ができなかったといいますか」

 

 その言葉にリアの怒りはさらに燃え上がり、今度は机を強く叩いた。

 

「何言ってるの! かなみは忍者でしょう? それをこんな……こんな基礎的なことで仕事に差し障りを起こすなんて」

 

 リアはそう言うと、椅子に座り直し、額に手をやりながら、わざとかなみに横顔を向け、しばらく視界から外した。

 

「も、申し訳ありませんでした……」

 

 かなみは額を床につけ、誠心誠意謝罪の意を表す。

 

「リア様、いかがいたしますか」

「……」

 

 マリスの言葉にも、リアは全く応じようとしない。かなみは遂に愛想が尽いて、見限られてしまったのかと最悪の事態をも彼女は覚悟する。

 

「かなみ。今日はとりあえず私室に帰りなさい。処分は追って伝えます」

 

 マリスの処分という言葉にかなみはすべてが決してしまったかと、諦めにも似た境地に至る。リアは答えないものの、その様子からマリスは大意を受け取ったのだろうとかなみは推し量った。幼少のみぎりからリアを観てきた彼女の眼が狂うことはまずない。

 

「承知……」

 

 そう言ってかなみは意気消沈とした足取りで執務室の出口へと向かった。

 

ーー

 

「あの時は、折檻も覚悟したものだけど……」

 

 かなみは小さく呟いて当時の回顧を締めくくった。

 あの翌日、マリスを通じて一方的に入学許可証とリアの名前が入った王令でかなみの初級学校行きが決まった。それ以来、リアには謁見すら許されていない為、どういう意図かはかなみは知る由もなかった。

 何はともあれ、いい年、本来ならば応用学校に通っている年齢なのだが、初級とはいえこうして通わせてもらっているだけありがたい。かなみ自身はそう割り切ろうとしていたのだが、一つ厄介な事情があった。

 

「ねー。かなみちゃん、なんで別のきょーかしょ開いてるのー?」

 

 左隣の机に居た女の子がかなみが内職している様子を見て、そう口にした。

 

「あなたには関係ないでしょ」

 

 そう冷たくあしらってしまったが、斜め前にいる男子児童が囃し立てる。

 

「うわなんだよナマイキだなあ。リア様にとんでもないことしたクセに!」

「うっ……」

 

 そう。入学してきた名目が彼女にとっては大きな重しになっていた。

 

「大事なかほーをこわしちゃったんでしょ?」

「いや、オレはリア様をインラン? って眼の前でバカにしたってきいたぜ」

 

 そう口々に児童たちが口にしはじめる。もちろんかなみには全く身に覚えのないことであったが、入学時に王家への粗相の懲罰として、初級学校で再教育を施す。と、特にその粗相の詳細も明言されずに放り込まれたので根も葉もない風聞が飛び交ってしまっているのである。

 『家宝を壊したなんてとんでもないわ……。そりゃちょっとはリア様が持ってる服を見て、着てみたいかもとは思ったけど。それに、淫乱だなんてリア様の前で、思ってても言うわけないじゃない!』と、かなみは喉にまで言いたいことが迫っていた。しかし、かなみには一切の反論が許されない。

 

「はいはい静かに! かなみちゃんも、今は授業中だから、算数の教科書を開いて」

「す、すみませんでした」

 

 教師は厳しい目つきでかなみを一瞥すると、黒板に向き直り、再度問題を書き始めた。この教師が曲者であった。かなみのクラス担任である彼は定期的に王宮へ報告書を送っており、学校でのかなみの態度や生活を一挙手一投足細かく伝えているのである。

 ただでさえリアが何を考えているのか直接うかがいしれない状況下である。下手なことをいわれれば身が危ないのはかなみも、リアとの長年の付き合いでよく理解していた。

 

「ううっ……なんで、こんな目にばっかり」

 

 かなみは渋々内職をやめて、1年生向けの算数の教科書を開いた。先ほど解かされた問題の一つが目に入る。

 

 〈たかしくんは、おかあさんにおつかいをたのまれて、せいろがんをかいにやっきょくにいきました。せいろがんは4つうられており、たかしくんはおつかいのメモのとおりに2つかいました。のこったせいろがんはいくつあるでしょう?〉

 

 このとおり、いくら普段勉強する時間がとれないとはいえ、かなみにとってはあまりにも簡単な内容である。そもそもファッション雑誌などを息抜きに読んでいるのだから最低限の読み書きは彼女にはこなせるのだ。かなみに必要なのはもう少し高度な中学年から高学年レベルの内容である。

 あまりにも無意味な時間と彼女は感じる他なかったが、それでもノートを取り、聞いているフリをするほかなかった。

 

――

 

 休み時間になった。本来ならば一息つけるはずの時間だが、かなみにとっては勉強に取り組まねばならない時間である。

 校庭に出たり、室内でおしゃべりしている他の子をよそに、かなみは入学前に仕入れた、リーザス王立図書館で()()()()年度末だからと、廃棄処分になって外に放り出されていた応用学校で用いられている教科書や参考書を開いた。分野は大陸地理学の概論や、GI年間の政治史、測量学や弾道学の基礎など多岐にわたった。

 かなみにとっては高度な、応用学校でもさらに上級生向けの内容で読むだけでも四苦八苦していたが、学校の図書室で借りた国語辞書なども片手に無理矢理進めていた。

 

「この器具……どういう仕組みなの? 説明読んでもピンとこないし、これで勾配を考えたうえでの距離なんてわかるのかしら……。使いこなせれば小さいし任務にも使えそうだけど」

 

 かなみは小型の象限儀とよばれる道具の図解を見ながらブツブツ考え込んでいた。すると、児童の一人が話しかけてきた。

 

「かなみちゃん、なによんでるのー?」

「あーうん……。そうねぇ」

 

 基礎学校の、それも一年生に到底理解できる内容ではない。ましてや自分ですらいまいち分かっていないというのに聞かれてもかなみは返答に窮するばかりであった。

 

「大きくなったらわかることよ」

 

 と、上手く煙に巻いた風にかなみはようやく答えを絞り出した。

 

「ふーん……。あ、さっきせんせーが職員室までこいって」

「そう……。ありがとう」

 

 答えを聞くと、児童はさっさと走り出していく。

 どういう用事かはわからないが、またろくでもない小言かなにかだろうと、かなみは参考書を片付けて陰鬱な気持ちで職員室へ向かった。

 

――

 

「これ、次の時間に使うので、あらかじめ配っておいてください」

 

 かなみは教師からクラス全員分の紙を渡された。5月のわたしというタイトルが書かれており、毎月の目標ややりたいこと、今後の課題や家での出来事などを書き込み、教室ごとにある掲示板に張り出すのである。

 

「まだ5月を考えるには早いと思いますが……」

 

 第2週のはじめに入学式がおこわなれ、かなみが入ってからまだ一週間も経過していない。そう考えるのは当たり前のことであった。

 すると教師ははぁとため息をつく。

 

「あのね。4月はまだみんなあったばかりでしょ? みんなお互いに人となりを知ったうえで、来月の自分を書くの。そのフレッシュな印象を持ったまま書かせるのを考えたら、早いうちに来月の自分を考えたほうがいいってこと。わかった?」

「わ……分かりました」

 

 はっきりいって筋が通っているようで通ってない理屈であるとかなみは考えた。だったら4月のわたしのほうがいいのでは。とも考えていたが、反論するだけ無駄にこじれるだけだと思い、言葉を飲み込んだ。

 かなみはプリントを持って立ち去ろうと体を動かそうとしたが、その前に呼びとめられる。

 

「君、応用学校のテキストで内職してるんだってね」

「ええ……まあ、本来はその歳ですし」

「自習する内容までとやかくはいわんけど、他の学童や、保護者の目もあるんだから、もっと気を使いなさい」

 

 教師は冷ややかな目で言う。

 

「それは、どういう事でしょうか……?」

「どういう事……? 応用学校のテキスト持ち込んでる癖に、その程度の考えもつかないの?」

 

 教師は蔑んだ目線でかなみをいびる。これである。まだ教室で教えているときは繕っているが、かなみ相手の時はどういう意図かはわからないがやたら高圧的である。

 

「いえ……わかりました」

 

 考えが読めない以上、下手に逆らうべきではないとざわつく心を落ち着け、この場は引き下がり、プリントを持って立ち去った。

 

「ったく、王宮にゴマすって、オレに特児なんか押し付けやがってあのハゲ校長……」

 

 職員室の去り際、タバコを吸いながらそんな愚痴を彼は同僚にこぼしていた。特児というのは『特定取扱児童』の略語で、かなみのような特別な事情を持つ児童を指す隠語であるが、かなみは知る由もない。

 

――

 

 数日後、かなみは国語の授業を受けていた。

 『女神ALICEと正直者のハニー』という寓話の感想文を書く時間で、ハニーが、トライデンというよく持っている武器を泉で落としてしまい、途方に暮れていた。すると、女神ALICEが泉から出てきて「そなたが落としたのは金のトライデンか、銀のトライデンか」と尋ね、正直に「どっちもボクのものじゃないよー」と正直に答えたハニーが、ご褒美としてどちらも貰えた。というありがちな子供向けの話である。

 

「感想……感想ねぇ」

 

 かなみは無意識にペンを回しながらどうしたものか考え込んでいた。

 周囲の子どもは熱心につたない語彙で思いを形にしようと、教師から配られた紙に取り組んでいる。ちらりと見えた金釘流でありながら、懸命さがつたわるそれを見て、純真さに感動すると共に、なんて自分の心は荒んでしまったのかと少しだけ後悔の念にも苛まれる。

 リーザスのみならず、大陸全土では女神ALICEは善良な女神であると信じられ、この寓話から正直さは美徳であると、この国の大半の人間が信じていた。

 

『本当かしら? あの女神様は正直さだけを見て斧を渡したのかしら……? ハニーたちが幸運だっただけじゃないの? それか何かしらの報酬、見返りを期待してるとか……。いや、神様を疑うなんてそもそも罰当たりよね』

 

 JAPANでは天志教が主流なのに加え、忍者という血なまぐさく、黒い部分もある職務に就いてきた彼女にとってはこの話を額面通りに受け取ることが出来なかった。いくら神でも、そこまで慈愛の御心に溢れているならばこんな悲惨な世の中にはなっていないだろうと、冷めた思考している自分を消しされなかった。

 

『ALICE様凄い! 優しい! なんて無邪気にはかけない。けどかといって、ALICE様には他にも思惑があるなんて書こうもんなら……』

 

 かなみは他の子の感想を見て好意的な評価をしつづけてる教師をちらりと見る。間違いなく彼にネチネチと詰られるだろうと確信した。

 なんとか無難に切り抜けようと当たり障りがなく、かつ咎められない言葉をひねり出そうとするが、かなみの筆は進まなかった。

 

『いっそのことハニーがトライデンをそもそも落とさなければ……なんて、駄目に決まってるわね。どーしろっていうのー!?』

 

 試行錯誤を繰り返しながら四苦八苦書いていると、教師がかなみの机にまでやってきた。

 

「さてと。じゃあまずはかなみちゃんから発表してもらおうか」

 

 教師は張り付かせたような笑みを浮かべながら、かなみに促した。

 

「えっ……でも、まだかきかけで」

「おやぁ? 年長者であるあなたがこの程度の課題でそんなに苦戦してるんだぁ。君にはまずお手本に成ってくれなきゃ困るんだけどなぁ」

 

 教師は穏やかな口調ながら、赤い先端のついた指示棒をペチペチと何度も机に叩きつけた。

 

「っ……。はい。わかりました」

 

 かなみは渋々書きかけの原稿に頭の中でそれを補完し、読み上げをはじめた。

 

「女神ALICE様は」

「そんな蚊の鳴いてるような声じゃみんなに聞こえないでしょう? もっと張り上げて」

 

 教師はねちっこい声でかなみに強要する。

 

「女神ALICE様は、きっと、ハニーさんの正直さだけでなく! トライデンを大事に思う心、すなわち物を大切に思う心を試されていたのだとおもいます! 物を大事にする人は、きっと、良い人にちがいないから、ごほうびをあげたのかもしれないです!!」

 

 かなみは要望通り大きな声で一気呵成に読み切った。羞恥はピークに達し、かなみの顔からはまさに火が出るかのようであった。

 

「あーもう! 声を出せとはいいましたけどね、そんな言霊(ことだま)や、ドラゴン族みたいなバカでかい奇声をあげろなんて言ってないでしょう! なんでそう極端なんですかあなたはっ」

 

 教師は折れんばかりの勢いで指示棒を叩きつける。子どもたちも何人かは耳をふさいでおり、確かに思った以上の声量だったようである。声を調整する余裕すらいまのかなみには失われてしまっていた。

 

「す、すみませんでした……」

「んでもって、なんですかその感想は。ALICE様の御心をはかろうだなんて分をわきまえないにも程がある! 斜に構えて目立とうという浅ましい魂胆じゃないでしょうね?」

「そ、そんなつもりは……」

 

 しかし、児童からは「よくわかんなかったよねかなみちゃんの感想……」「へんなのー」というやや否定的な感想が相次いでしまっていた。どうやら失敗に終わったようである。

 

「書いてある方も、変に漢字使って間違ってる箇所がたくさんあるし……、明日までに書き取りをこのノート30ページ分、自分で間違っている漢字を調べてそれをひたすら書きなさい。いいですね」

 

 では次の人と、あからさまに声色を変えて、教師はかなみの前の人に発表の番を回した。

 かなみは崩落するように椅子に座り、しばらく放心状態にならざるを得なかった。

 

『これなら……、まだランスに襲われてたほうがマシ……、かも』

 

 かなみの心中にはふとそんな思いが去来していた。

 

――

 

 放課後、図工の授業で気に食わないデザインの絵を描いたと図工担当の教師からクレームが入ったことで更に罰が追加され、一人で教室掃除までさせられることになった。

 

「かなみちゃんばいばーい!」

「う、うん。ばいばい……」

 

 幸いにも、変わった子とは思われても児童からはそこまで嫌悪感は持たれず、少し年齢や言動でいじられる程度で児童間のコミュニケーションはおさまっていた。このように、何人かの女児は必ず帰りのあいさつはしてくれているし、休み時間ではもっぱら聞き役だがたまに話し相手になる程度の子もできた。

 だが、それを大いに補って余りあるほど教師からの責め苦は地獄としかいいようがなく、校庭で遊んだり、いきいきと過ごしている子どもたちを見てなんともいえない名状しがたい感情がふつふつとかなみの中に鬱積していっていた。

 掃除が終わっても、担任がチェックしに着て細かいホコリがあればまた神経質に責められ、14時頃に放課となったというのに学校からでた頃にはカラスがかなみを嘲笑うかのように鳴いていた。

 

――

 

 下宿先である和風旅館の氷砂糖に帰ってからは、書き取りをやったことでもはや精魂尽き果ててしまい、自習する余裕はなくなっていた。

 

「かなみさん、大丈夫ですか……? 学校に通われてから目に見えてやつれているように見えるんですが……」

 

 リーザス陥落以来の旧知であり、女主人である堀川奈美は布団を敷きに来た際、見かねてかそう言葉をかけた。

 

「だ、大丈夫ですよ。ちゃんと勉強できて嬉しいですし、身に入りすぎてるだけです」

 

 かなみはなんとか取り繕って対応した。こんなところからマリスに伝わるとも思っては居ないが、それでもやはり必要以上に他人に心配はかけさせたくなかった。

 

「そうですか……。同郷なのですし、困ったことがあれば遠慮なく言ってくださいね」

 

 奈美は貝、かなみは坂東地方と離れてはいるものの、同じJAPANに生まれた同士である。

 

「ありがとうございます」

 

 救いであるはずであったが、それでもかなみの心にはそれをそう認識できるほどのゆとりは失われつつある。

 

――

 

 こんな日が一週間、二週間と続いていった。桜は葉桜となり、目に痛いほどの緑葉が支配する時節になると、かなみの精神や身体も限界が迫ってきていた。体重が見たこともない数値にまで減少し、宿題に追われる中無理して自習まで続けたせいで睡眠時間も減り、不調が明らかになってきていた。

 

「こら! かなみ! 授業中に寝るな!!」

「す、すみません」

 

 4月の頃は曲がりなりにもちゃんづけをする最低限の配慮をしていた担任も、もはや遠慮はなくなっていた。マリス(リア)からの指示なのか他の素行の悪い児童にするような鞭をふるった体罰など、手だけは絶対にださなかったが……。

 

「それだけ船をこぐってことは気合が足りん証だ! 授業が終わるまでそのまま立ってろ!」

「はい……」

 

 授業中にこうして衆目の中立たせたり、わざとかなみの前で大きな音を立てて威迫するなどはもはやない日がないほど常習化してしまっていた。

 リーザスでは体罰もそれなりに容認されており、教師の権力は強いとはいえ、さすがにかなみへのこの男の仕打ちは子どもから見てもいささか引いてしまうほどになっている。名目上彼女には教師に怒鳴り込んでくるような保護者がいないことも拍車をかけていた。

 

「リーザス王国の人口は5122万3200人、ゼス王国は3211万1000人、ヘルマン共和国は5098万6000人、君主はそれぞれリア様、ラグナロックアーク・スーパー・ガンジー、シーラ・ヘルマン、ゼスの主要都市は東からテープ、オールドゼス、サバサバ……」

 

 かなみはそういう過酷な仕打ちを受けているあいだ暗記した自習内容をひたすら聞こえないようにブツブツというのがもはや習慣になっていた。教師も最初は注意していたが、おそれをなしたのか、諦めたのか、もはや何も言わなくなった。

 かなみの心はもはや、完全に壊れる寸前まで追い詰められていた。

 

――

 

 この日の夜、氷砂糖に帰ると奈美が出迎えのあいさつと共に一言言伝があると言ってかなみを呼び寄せた。

 

「昼にあるお人が、これをかなみさんにと」

「えっ……はい」

 

 疲労困憊になりながらも、なんとか聞き取って手紙を受け取る。

 部屋に帰って手紙の入っている封筒を見ると、差出人は書いておらず、上質な紙が遣われていることだけが分かった。

 封を開けて中身を改めると、そこには手書きの文字で

 

「今夜、10時、中央広場南東部、東から三番目の植え込みにある桜の木の下に来られたし」

 

 と簡素に書かれていた。その手書きの文字には見覚えがあったが、状況と人物がどうしても結びつかなかった。

 少しだけ不審に思いながらも、断れない圧を感じたため、夕食を食べて少しだけ自習をした後約束の場所へ向かった

 

――

 

 中央公園の約束の場所にたどりつく。時計こそないものの、時間には少しだけ余裕があった。

 しかし、誰も居なかった。気配を殺して探ってみたが、誰の気配も感じ取れなかった。風が少し強いせいもあったかもしれない。

 担がれたのかなと思って、帰ろうか検討し始めると、突如視界が塞がれた。

 

「っ……!」

 

 あまりにも突然の出来事に狼狽していると、聞き慣れた、しかしひどく懐かしく求めていた声がかなみの耳に入った。

 

「だーれだ!」

「えっ……」

 

 そのあまりにも陽気で、鍛えられつつも、どこか柔和さが残る声でかなみはすぐにピンと来た。

 

「えっ……、メ、メナ……ド?」

「駄目だな~。かなみちゃんは。リア様のおつきなのにボク程度の気配感じ取れないんじゃ」

 

 何度も、何度も似たようなことは言われたはずなのに、その声には一切の悪意はなく、むしろ温かい気持ちがほわほわと湧き出てくるようであった。

 そう言って、視界が晴れると、両肩に手が這わされ、くるっと180度かなみの体が回転された。

 

「お久しぶり、かなみちゃん! ごめんね、なかなか連絡とれなく……」

 

 言い切る前に、かなみはメナドの胸に顔をこすりつけ、思い切り泣き腫らした。赤の軍の鎧を着たままで、感触は硬かったが、そんなものはかなみにとってはさしたることでなかった。

 

「メナドぉっ……ひっく、……、ずっと、ずっとあいた……えっぐ」

「かなみちゃん……」

 

 軽いノリで会ったつもりが、予想を大きく上回る反応がなされ、メナドは一瞬当惑したが、やがてかなみを受け入れ、両手でかなみを抱きしめた。

 五分か、十分だったか、ひとしきり泣いた後、ようやく会話が開始された。

 

「ごめん。かなみちゃん……、こんなになるまで追い詰められてるなんて、ボク全く知らなくて」

 

 メナドはゼスで先年発生した12月革命への対応で、暴徒の侵入など万一の事態に備えたリーザス国境の警戒と配備で副将という重責故になかなか前線を抜けさせて貰えず、ようやく数日前に帰還の許可が貰えて、まっさきにリーザス城へ向かったということであった。革命自体はすぐに沈静化したものの、残党がゼス東部に残り、バレスやリックといった上層部がタガを緩めなかったのである。

 

「いいの。来てくれただけで嬉しいから」

 

 かなみはにっこりと笑ってメナドに言葉をかける。

 

「なら良かった。それで、かなみちゃんは、どう? なんて、きくまでもないか……」

 

 メナドはやつれきったかなみの体を見て、多くのことを察したようである。

 

「学校があんなに辛いものだったなんて、私は知りたくなかったよ」

「手紙で読んだ程度しか知らなかったけど、本当に辛かったんだね……」

 

 メナドはかなみの手を見ながら言う、筆記具を握りすぎたことによるマメダコがいくつか出来ており、痛々しさすら感じるものであった。メナドに余計な心配をかけさせないため、校内のことについて必要以上の内容は書いていない。

 

「でも、いいの。メナドがこうして来てくれたおかげで、私はまだがんばれそうだから」

 

 これはかなみの心の底からの本心であった。壊れかけていたかなみの心は確実に修復がはじまっている。

 

「リア様の命令っていうのはわかってるけど、それでも……」

 

 メナド自身、赤軍副将として王国に仕える身という自覚があるからか、直接の非難はしないものの、顔色からみて心中は明らかであった。

 

「リア様も……、きっと私に思うところがあってわざわざ学校に通わせてくれてるんだし、全く何も思わないかといえばそうじゃないけど……、でも私はリア様を信じてるわ」

 

 責め苦を受けている時にリアを恨んだことがまったくないわけではないどころか、幾度となく敵意すら覚えていた。しかし、それでも総合的に見れば、かなみ自身のためを、ひいてはリーザスの為を思っての試練であると自分に言い聞かせ続けていた。

 

「偉いよかなみちゃんは……。本当に」

 

 メナドは半ば尊敬の意すら含んだ眼差しを、かなみに送った。

 

「メナド、そういえばその籠って……」

 

 かなみはメナドのすぐ横に置かれていたバスケットに注目する。

 

「ああこれ、かなみちゃんと食べようと思って、かなみちゃんの好きなもの色々作ってきたんだ。口に合うといいんだけど。あと、少し遅れちゃったけど、かなみちゃん誕生日だから、これあげる」

 

 メナドはバスケットをかなみの前に持ってきて、パカッと中身を見せる。そして、誕生日プレゼントとして、カエル柄の小物入れを手渡した。

 

「ウソ……、ホントに!? ありがとーメナドこそ、私の女神ALICE様だよー……」

 

 そう言って再度、かなみはメナドに抱きついた。

 

「あーもう大げさなんだからかなみちゃんは。ほら、遠慮しないで食べて食べて」

 

 メナドは少しだけ困ったような顔はしたが、全く嫌そうな気配は見せず、むしろ友人の立ち直りを心から喜んでいた。

 それからしばらく、時間にすればさほどではなかったがかなみとメナドは会話を楽しみ、そして別れた。かなみからすれば非常に心強い精神的支柱が、ここに形成された。

 

――

 

 メナドと会った後の帰り道、中央広場を抜けないうちに、不意にかなみは呼び止められた。

 

「かなみ」

「へっ……」

 

 かなみが視線をむけると、闇から浮き出るように一人の見慣れた女性が目に入った。

 

「マ、マリス様」

 

 かなみは思わずひざまずいたが、マリスは同じくらいの目線にかがんで見せる。

 

「随分と、お楽しみだったようね」

 

 マリスはかなみの顎に細い手をやりながら言う。

 かなみの未だ締まりきっていない顔をみて、マリスはそう読み取ったようである。しかし、その声色からは特に非難の色はなく、どちらかといえば好意的なものだった。

 

「い、いえ。そんな」

 

 かなみはすっくと立ち上がったが、マリスは少しだけ笑って、髪をかきあげながら同じように立ち上がった。

 

「いいのよ。……少し、歩きましょうか」

 

 そう言ってマリスは公園の出口に向かってゆっくりと歩き始める。

 かなみは黙って従い、マリスの後を追う。月光に照らされ、新緑の風にたゆたう彼女の緑髪や、リアに勝るとも劣らないほどの美しい目鼻立ちと、筆頭侍女としての申し分のない所作に基づく歩き方は、同性のかなみであっても時折恍惚とさせられる耽美さがあった。

 歩き出してからしばらく経つと、マリスは再び口を開き始める。

 

「一度しか言わないから、よく聞いて」

「は、はい」

 

 かなみは真剣な顔つきになって、マリスに視線を合わせる。

 

「これだけは誤解しないでちょうだい。リア様は決してあなたを見捨てたわけじゃない」

「えっ」

「聞き返さない」

「は、はい」

 

 相変わらずの厳しい視線にかなみは恐縮する。

 

「リア様は……そう。()()苛立ってるだけ。例えるなら、かなみを埋まらない穴の栓として使ってらっしゃるのよ」

 

 マリスは慎重に言葉を選んだ様子で、そう一見謎めいたことを言った。

 

「少し……ですか」

 

 かなみの言葉には答えず、マリスは一方的に続ける。

 

「いずれ……。穴が塞がるときがくるわ。その時こそ、今あなたが日夜取り組んでることが、きちんと意味を成し始める時よ」

「そ、そうなんです……か」

 

 マリスは振り返り、かなみの顔に向き直る。

 

「だから、せいぜいそれまでに、挫けず、怠けないことね……。飴は、もう十分あげたでしょう?」

 

 マリスは不敵に笑って見せる。かなみはその言葉で全てを察し、にっこりと笑みを浮かべた。

 

「はい! いただきました」

「……。その(やに)さがった顔。再びリア様に会うまでに、なんとかしときなさい」

 

 そう言ってマリスは今度こそ公園を去っていった。

 メナドに加え、マリスの言葉で、かなみは完全に立ち直り、今後の活力とした。

 

―つづく―

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