色々と疲れた俺は異世界島に辿り着き、獣人ヒロインと出会う【怠けると強化!強力スキルで異世界競技チャレンジ!】 作:幸福野郎
「……ふむ」
草が生い茂る大地に立った金髪の麗人。紫のスポーツウェアに覆われた肢体は、はっきりとその洗練されたボディラインを示している。色気と強靭さが同居した肉体美。
頭上に湖が浮かぶちぐはぐな光景は、まさに魔導場といった感じだ。
森林地帯と隣り合ったその場所で、彼女はある物を守っていた。
「【式の柱】……」
■ゼロの背後に在るのは、大きな石板のようなもの■
■そこには、読みとれない言語でいくつかの文字列が並んでいた■
■ゴール地点■
「儀式場の【終点】を守護する結界は、力技では易々と破れない」
彼女が言う通り、儀式場の核は強力な【守護結界】で守られていた。
守護結界の強度はすさまじく、破るにはそれなりの消耗が確実に発生する。
つまりそれは、隠れて奪取を狙っても阻まれるということだが。
「消耗しないで解除する方法……式の柱を狙ってくるはず。奴らの貧弱な手札から推測すると、それしかない」
式の柱とは、守護結界を支える複数の石板・盾。
この試合におけるその数は、全部で6つ。
これに触れることで、結界の解除行動を行うことが出来る……そう、ある程度近づきさえすればいい。
「まさか、二つ解除されるとは、なッ。正攻法ではあり得んッ」
■ぷるぷると震えるゼロの顔は■
■怒りと逆襲の色で染まっていた■
●■▲
「――まずは……一つ……」
■クライスやゼロとは別の場所にある、式の柱を解除したのは■
■疾風の勇士であるヒナ■
■どうにか防衛の隙を突き、ゴールすることが出来た■
(なにやら混乱……していた……ようですわね……)
ヒナ以外の味方の犠牲があったとはいえ、意外とすんなり突破できた理由。
クライスが最強の盾を撃破した、それによって士気が乱れたのが一因ではある。
それにしても、相手の動揺が大きすぎる気がしなくもないヒナ。彼女はそこに、誰かの策略の匂いを感じ取った。
(まあ……とにかく……やりましたわ……! クライスさん……!! うふフ……!!)
顔を歪ませ笑う彼女の姿は、あるいは狂気とも言えるものかもしれない。
軟らかい土を力強く踏みしめ、勢いよく加速していく姿見えぬ疾走者。
少女が向かう先は、最愛の勇士による称賛と愛を受ける無限の理想郷。そこに一点の穢れもなく・それを許さない。
「あぁ……なでなで……! もふもふ……!! めちゃくちゃ……にしてくださいまし……!! 勇士さま……!!」
自分がゴールした事実を噛みしめ、歓喜に震える肢体。
今すぐ身もだえしてしまいそうになる体を押さえ、最愛の男性と踊るこのSTAGEを楽しむ。
頭によぎる情景の数々は、幼き日々のものか。
■彼女のコンディションは絶好調■
■肉体を弾ませながら、次なる目的地へと疾走する■
●■▲
(ロビン達は……失敗したか)
なにごともなければ定期連絡を行うはずのロビーたちは、ゼロになんの連絡もしない。
それによって彼らが敗北した可能性を考え、ゼロは少し悩む。
今回の敵はそれほどの脅威ということになる。
守護の会本部で出会った際に、クライスに寒気を覚えたこともあるが、想定外の流れには違いない。
しかし、それでも。
「叩き潰すに相応しい相手ということ?」
最初の一手はロビーに譲ったが、それ以上は譲歩する気もない。
そもそも、敗北したにしても理由に心当たりがあった。
「あの森が悪い。そうに決まっている」
ロビーが戦った森林地帯。
あの場所には、炎魔導を抑制する効果があった。
そのせいでロビーの力が十全に発揮されなかった可能性はあり、それなりに納得は出来る結果ということになる。
(あいつめ……人の忠告を聞き流していたな!)
一応ロビーに言っておいたはずなのだが、彼はすっかり忘れていたようだ。
時々こういうことがあるので彼女はもう慣れたが、さすがに少しウンザリしている様子。
気持ちを切り替えて、今後の方針を決めることにした。
「フン……さて、敵は何人向かっている?」
ロビーとクリスを撃破したと仮定すると、敵方も相当な消耗が予想された。
クライス以外に脅威となりそうな存在はなく、ならば彼以外は特に考えなくてもいいだろう。
クライスの力量は未知数であるが、それならばいくら強くても、残る三人で一斉にかかれば簡単に倒せるだろう。
「……ないな」
即座にその選択を放棄する。
あまりに舐めすぎていると、自制したのだ。
さすがの彼女も、ロビーを倒したTEAMをそれなりに警戒している。
「それに……」
■周りにある、お菓子の家を見遣る■
「……」
■彼女は右手を動かし■
「――視えているぞ」
瞬間、空気が裂かれた。
彼女の右手にはいつの間にか、鋭く光るレイピアが握られている。
「へえ、やるな」
気の抜けた声が響く。
同時に空間に発生する異常。
無色透明な空気に色が付着していき、確かな人の形が現れていく。
覇気のない顔で、無職の勇士がそこにいた。
「……変わらずの雰囲気。強くなったようには見えないが……」
「そうかい」
早くも対峙する因縁の二人。周囲に他の選手はいない。
ゼロの方は相変わらずクライスを見下している様子で、その両目を向けている。
クライスはだるそうに立っていた。
「ははは、ロビンを倒したかと思ったが、どうやら考え過ぎか。こんな死んだ目をした奴に、負けるわけはない。あってはならない」
「……」
じりじりと間合いを計りながら、二人は互いにとって気に入らない相手を睨み、攻撃の時を狙う。
見下しているものの、それなりの警戒を構築しながらゼロは武器を構える。
青く丸い鍔のレイピアが、静かに揺れた。
うかつに動けない。クライスをもってしても、そう思わせる威圧感。
「覇気のない……腐った眼。私が激しく嫌悪するものだよ。人生というのは、それ相応の気概を持って臨むものだろうに」
「はいはい」
「……」
ゼロの上から目線の言葉に、クライスは全く反応せず、適当に聞き流して返事を行った。
いまさら気に入らない相手の有難い言葉など聞くのも面倒だし、どの道ここで撃破するのだ。
これ以上は面倒。
ロビーの戦いで消費して、休んで補充した本気ゲージを解放していく。
「……!」
■ゼロの目に映る、クライスの能力値が■
■激しく上昇して■
(ありえない……。速力が【1万】を超えた——!!)
驚愕の能力値に目を見開いているゼロ。
能力値の一つが万を超えたという事実は、彼女の常識を壊すほどのものだ。
何故なら【能力超過】する就職者は、数少ない存在なのだから。
■能力超過とは■
■能力値のいずれか一つでも、一万以上になることを言う■
(最強の盾でもそうなったのは、わずか【四人】……!!)
自分自身ですら至っていない領域に、目の前のいけ好かない人物が踏みこんでいると?
その事実に怒りすら抱きながら、クライスが何らかの特殊スキルを使用している可能性を考えた。
つまり素の能力値ではなく、補正を受けた結果の数値であると……。
考えたが、そもそも個人のスキルや魔導で超過している時点で、能力超過には違いないのだ。
自分の中で言い訳しているだけである。
「なんなんだお前はっ。ただのクズが!!」
「……俺が何かって?」
うろたえた様子のゼロに、クライスは飄々と答える。
「ただの無職さ」
■突撃するクライス■
■迎え撃つゼロ■
■空気が破裂し・振動がお菓子の家を震わせる■
「オオッ!!」
「おおっ」
気合いと共に放った、レイピアによる一閃。
それから放出された黒色の斬撃が、草むらを削り飛ばし、大地に鋭い傷跡を残した。
クライスは斬撃を難なく回避。
かわした斬撃はおおよそ100m直進した後、空気に溶けて消えてしまった。
(私の【斬撃魔導】を軽く避けたッ。おのれ!! 本当にッ!?)
クライスの速度はゼロの目から見ても速く、易々と攻撃を与えられない。
そして相手の攻撃速度も自身以上なため、対処は難しく、結果的に彼女は屈辱の展開を余儀なくされた。
「どうした? 遅いな」
「な、なにをッ!?」
「のろま」
クライスの繰り出す拳や蹴りを、レイピアで防いでかわして、なんとか対処は出来ていた。
しかし、誰が見ても防戦一方な有様で、ゼロのプライドはズタズタになっていく。
彼女の表情に、強い恥辱によって赤みが差した。
「ならばッ。斬撃◆拡散!!」
「おっ」
再び放たれた黒き斬撃は、上下左右に分かれながら襲いかかる。
速度が速くても、避けるのが困難な拡散攻撃。
そして、実際にクライスに効果はあった。
「うおっ」
襲いくる斬撃を避け切れずに、クライスの服と肌が浅く斬られる。
その切れ味は流石と言うべきか、たとえ高能力値の敵であろうと、容赦なく刻む斬撃嵐。
拡散した場合は魔導の威力が落ちるはずなのだが、それを感じさせないのはゼロの力量が隔絶しているからだろう。
彼女はロビーに匹敵する強者であると、しぶしぶながら認めざるをえない。
「ははは! さっきの威勢はどうした! ナマケモノ!!」
「調子にのるな。無理か」
次々と繰り出される突き攻撃は洗練されており、クライスを手こずらせる。
それに加えて斬撃の嵐が放たれるので、速度で勝る彼も翻弄されてしまう。
ならばと、クライスは隙を突いて突撃した。
「ぐッ!! このォ!」
斬撃を発生させるためには振る動作が必要になり、それさえ阻害出来れば攻撃を防げる。
連続で拳を繰り出して、ゼロの動きを封じるクライス。隙を突き、彼女の顔に向けて渾身の右を放った。
「ッ甘いッ!」
顔の前で構えた左手で、拳を受け流すゼロ。
剣術だけではなく無手の扱いも優れた彼女は、すかさず突きを繰り出し、クライスの喉を貫こうとした。
「……ッ」
辛うじてそれを避けたクライス。顔は苦々しい。
ゼロの動きは磨き抜かれた宝石のごとき、流麗で優雅に、クライスを苦戦に導いていく。
突き出される剣はさらに速度を増し、彼に及ばないまでも、着実にその差を埋めていった。
さきほどまでのゼロは、本気を出していない。
いやこの瞬間もそうだ。
(このようなクズに、全力などあり得ない!!)
彼女を支えるプライドが、クライス相手に本気を出すことを禁じる。
だが、その抑止の鎖は徐々に壊れ、プライドを捨てる時が来ていることを感じた。
やはり目前の敵は稀有な強敵であった。
歯ぎしりしながら、彼女はそれを認めている。
(本当に何者だッ。これほどの力を持ちながら無名とはッ)
最強の盾にも匹敵する実力者。
つまりは世界でトップクラスの怪物。
悔しいがそれは認めざるをえないと、ゼロは思う。
本当に悔しくて・胃に穴が空きそうだが。
「だが、勝利するのは私だ!! くたばれ!!」
それでも、勝ちは譲らないと剣を振るう。
どう見ても、何処から見ても、気に入らない宿敵・天敵。
覇気のない瞳には、何の情熱も宿ってはいない。
彼女にとってクライスは、正反対の決して相容れない存在。敬愛する覇道の勇士とは違う。
自身が見下すべき社会のゴミ・クズ・決して認めてはならない汚物同然であった。
「――だから気付かない」
クライスは軽く言った。
ゼロはその意味を理解できず、攻撃をひたすらに続けて。
「!?」
彼女の視界の端で光が起きる。赤と青の光の乱舞だ。
それは自身がさっきまで守っていた、儀式場を守護する式の柱から出るもので。
ようやくゼロは事態を理解した。
「お前……! 囮かッ!!」
「ちょろいな」
「……!!」
式の柱の周囲に人影は見られないが、とにかく結界の解除行動を誰かが行ったのは事実。
クライスは最初からゼロを足止めする目的で、勝負を行っていたのだ。
わざとゼロを挑発するようなことを言ったりして、見事に彼女の注意を逸らすことに成功した。
(サーシャの言った通り。たやすく誘導成功)
■幼なじみのサーシャ■
■彼女の推測はより精度を増し、ゼロの弱点を突く■
「――助かったよ、サーシャ。お前の言った通りだ」
「な、なにィ。サーシャッ!? そんな……ッ」
「……」
「おのれッ。サーシャの策か……!?」
思っていたことをあえて言ったのは。
クライス自身、よく分からない行動だった。
だが、なんとなく満足気分。
「後はまかせた」
「……残り一つ――!!」
■事前にクライスに頼まれたことをなした、疾風の勇士は■
■王手に向けて疾走した■
■現在のチームにおいて、彼女とクライスの果たす役割は大きい■
■そのことを考えたヒナは・一瞬だけ逡巡し、すぐにまた調子を戻した■
「おのれぇええええッ!!」
「うるさいぞ」
まんまと策にはめられたゼロは目を見開き、突きを乱れ撃ちする。
空気をくり抜くかのような鋭い攻撃は、敵対者を容赦なく抉るだろう。
「隙だらけ」
しかし、さきほどよりも隙が多かった。
放たれた突きを屈んで避けたクライスは、左拳を強く握り、ゼロの腹に力の限り撃ち込んだ。
まともに受けたゼロは、口から大きく息を吐き出す。
そのまま強力な衝撃に翻弄されながら、後方へと勢いよく吹き飛んだ。
「ぐ、あうァっ!?」
空中を何回転もしながら、転がっていく。
滅茶苦茶に回る視界の中で、状況を理解しようとするが、頭にあるのは認めたくない屈辱のみだ。
クズと見下す人間に殴り飛ばされた。
気に入らない人種にしてやられた。
舐めていたサーシャに、まんまとしてやられた。
「ッッ!!」
歯ぎしりが止まらない。
認めたくないのに現実はこの様だ。
彼女は初めて、自身にとってのゴミに、これ以上ないほどの屈辱を味わわせられている。
この戦闘の記録が回収されていると考えると、恥ずかしさで顔が赤くなっていく。
「……おのれッ!! うぅうッ」
敵意を炸裂させて剣を強く握った。
受け身を取るべく、肉体を動かそうとする。
まずは剣を地面に突き立てて、勢いを殺す。
「遅い」
「!!」
レイピアを握っている右手首が、強い力で掴まれた。
そのまま空中へとゼロの肉体が放り投げられて、更に更に地面から離れる。
何が起こっているか分からないまま彼女は。
「じゃあな」
■地上のクライスが構えた掃除機から■
■灼熱の、超絶火炎が発射された■
(ロビン、のッ!?)
魔導具に残っていたロビンの火炎。
それを全て放出した一撃が、空中のゼロを飲み込む。
本当はもう少し温存しておくはずだったが、ゼロが本気を出そうとしないので、速攻で片を付ける方針に切り替えた。
まだ掃除機のストックは残っているが、これほどの威力を持った攻撃はもうない。
「……」
燃えさかる炎・それを注視するクライス。
灼熱のカーテンが消え、ゼロの姿が見えてくる。
彼女は。
「――ふはは」
■歪な笑い声が響き■
「ッ」
クライスは悪寒を感じて即座に後退した。
その判断は間違いではなく、さっきまで立っていた場所に、異常は現出する。
現れたそれに見覚えがある彼。
(薔薇……。あの店で見た奴か)
地面に発生した無数の赤い薔薇と茨。
そのどれもが尋常ではない雰囲気を纏っていて、触れば痛い程度で済まないことは明白。
まるで世界を塗り替えるような力の発動に、クライスはその時が来たのだと悟った。
そうつまりは……。
「まさか、お前のようなクズに……!! あぁもうッ。本当にうっとうしいッ!! なんなのッ!?」
薔薇の群れの中心でゆらりと立つ女王は、裂けた口を歪めながら、なんとも判断に困る笑いを漏らした。
怒っているような、泣いているような、殺意を抱いているような、敵意を持っているような、あらゆる感情がぐちゃぐちゃになった、闇鍋のような笑い。
彼女の着ているスポーツウェアが所々破れているのも相まって、恐怖感を与える少女の狂気性。
「まさかまさか……本当に私の【究極】を使うとはッッ」
叫びと共にさらに広がる薔薇の庭。多人数の敵でも、容赦なく飲み込む魔境。
その侵食速度は異常と呼べるLEVELで、あっという間にクライスの足元まで迫った。
速度を急速に上げて逃げるかどうかを一瞬ためらった、彼の判断の結果は。
「う、おッ」
途端に、脳髄を侵食する重々しい鉛のような感覚。
気分を害するというよりは、気力を根こそぎ奪うかのような、その異常にクライスは片膝を突いた。
間違いなく発生した薔薇の群れの影響だが、いかなる攻撃なのか正体が掴めない。
ただそこに立っているだけで、精神を削られる。
ゼロの思惑通りの展開になった。
「融合魔導:【薔薇領域(ロ・ズート・ランディッシュ)】」
狂ったような笑いを漏らしながら、彼女は己の切り札を誇示した。
その様子はボロボロで、今にも倒れそうな有様。焼け焦げた服は、彼女の研ぎ澄まされた宝石のような肌を露出させる。
どうやら、レイピアの魔導具もさきほどの灼熱業火で灰になったようだ。
「よくも、よくも、よくも。最強の勇士にまるで及ばないクズが、ここまでコケにしてくれたものだよッ。……もうッ。こんなことになるなんてッ。私はッ」
「最強の勇士……?」
「そうだよ! 私が敬愛する【覇道の勇士】様……!! 素敵な人なんだから……!! 私のすべてッ。夢ッ」
「へえ、強そうな名前」
ゼロが口にした名は、勇士伝説の中で最強と疑いなく言える存在。
悪辣王を撃破したという伝説の内、ほぼすべてが覇道の勇士主役のもので、その勇名は最も轟いているといって過言ではないだろう。
語るゼロの顔は赤く染まり、それは恋する女性のものという風体だ。
事実、彼女は覇道の勇士に恋い焦がれていた。まるで一途な少女のように。
「……ぐッ」
徐々に重くなる脳髄と精神。
目に見えない重圧は、クライスの根幹を挫き、そのまま戦闘不能に追い込もうとしていた。
彼の能力値をもってしても、動けない束縛の鎖。
つまりそれは肉体を縛るものではなく。
(怠けたい……頑張りたくない……。のがいつもより強いッ)
人間なら誰もが持つ怠惰系統の精神。
薔薇の世界はそれを助長させて、彼の精神を無気力の底へと誘い、破滅させる。
ゼロが語る社会のクズであればあるほど、その影響は重くのしかかり、逃れられない。
まさしくこれは。
(天敵だ……この女ッ)
彼女にとっての天敵はクライスで。
クライスにとっても彼女は、天敵の一種である。
しかしだが。
本当の天敵は。
【うおおおおッ!!】
「……?」
重い思考の中でよぎる声。
不可思議な感覚。
疑問しか感じない心の恐怖感に、クライスは身を固める。
こんな時に余計な不快感が発生した。ああ、どうにも胸がざわつく。
「この薔薇世界はな……!! 相手の心を砕き、精神を削り、肉体すらも消滅させるッ。このまま敗北を叩きつけてやるからッ。ゴミめ!! 絶対に許さないよッ!」
怒りの言葉を発しながら、勝ちを確信したゼロ。
クライスは動けないまま、だんだんと力を奪われていく。
まるで動けない・動きたくない・考えたくない。
思考すらも停止していき、何も出来ないまま彼は敗北しようとしていた。
(これは、まずい)
なにもかもが薄れていく。
始まりの敵意も、ジンの誓いも、散っていった仲間達の姿も。
この試合に掛ける想いの力を削られて、跡に残るのは、ただ無気力なだけの心。
しかし自分は最初からそうだったと、彼はそれを受け入れようとしてしまう。
もしこれがジンならば、乗り越えられたと思うクライス。
友の熱意は薔薇の世界すら焼き尽くし、その足で立ち向かっていけただろう。
(ああ……だめだッ)
敗北はすぐそこに。
完全に心を支配されたクライスは、そのまま薔薇の養分と化して、みじめにも消滅しようとしていた。
なんの考えも浮かばずに、クライスは倒れて……。
「――ハハ、バカなサーシャ。無職の勇士なんかを敬愛するなんて、バカバカ」
嘲笑の声が。
倒れそうになった体を支えた。
本当に無意識の内に、力が入った。
「所詮、この手の人種はこんなものだッ。根性もなく、気概もなく、すぐに諦めて終わる! 偉大な何かを成し遂げようとする気力がない!」
(うるさい)
「そうだあの女自身も――その手の人種だったんだッ!! はは!! わたしとは不釣り合いだったんだ!」
(どいつもこいつも……)
■クライスは壊れる意識の中で■
■【乱れ】を感じた■
■鼓動が大きくなっていく■
【マサル】
(俺の平穏を・みんなを馬鹿にするなよ――ッ)
■確かな怒りが思考を戻し■
■その原因を排除せんと、動き出す足■
「なにィ!?」
ゼロの驚愕の視界に映るのは、再び疾走するクライスの姿。
すでに意識は折れかけているはずなのに、薔薇の世界を走り抜ける。
その異常事態にゼロは慌て、状況を理解しようとする。
なぜ、クライスのような人間に効果抜群の魔導が効いていないのか?
(勇士スキル——スリープモード・戦闘式)
■答えは彼のスキル■
■意識が折られそうなら、無意識の中で戦えば良い■
(排除スル、排除スル、排除排除排除)
無職の勇士は平穏を乱す要因を定め。
己のために戦闘を再開した。
その動きは、全力にほど遠いが充分。
「とどメだ、迷惑野郎」
ゼロに接近するクライス。
無意識に放った一言は、頑張れない・怠惰なる者の怒りも乗せて、あくまで無気力に。
彼女の思想の過剰な押し付けに対して、絶対否定の想いを、拳と共に叩きつけた。
「うあ、待っ——ごふッうッ!?」
吹き飛ぶ敗者と怠惰なる勝者。
ここに勝敗は決した。
「図々しい」
クライスはそう言った。
自分の領域を無遠慮・不覚悟に超えた者への、怒りと諦めを込めて。
■ああ・そうなんだ■
■自身は確かに怠惰だが■
(お前は、何も知ろうとせず、ただ見下したいだけだろう)
この島に来る前のことを、強く思い出す。
覇気と熱意の消えた生活の中で、ただ消耗していくだけの毎日。
今はそれとは違い、心の中に安寧や余裕が生まれている。それがどれほど得難い世界なのかを、よく知っている。
だからこそ、彼女の言っていることを否定した。
この世界に来て得た、ちっぽけでも確かにある・明日への一歩を踏み出す力で。