無形の剣   作:--

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人斬り2

 

『下手人、十間坂訪重郎(じゅっけんざかほうじゅうろう)。その方、実の父である十間坂松正(じゅっけんざかまつまさ)を斬殺せしめたる罪状に相違ないか』

 

『相違ありません』

 

 

 * * *

 

 

 つまらない夢を見た。まだ日も昇らぬ早朝に目を覚ますと、枕元に置いていた丸眼鏡をかけて着替えを済ませた。

 

 訪重郎が尸魂界に来て百数十年あまりの年月が経った。霊圧を扱えることがわかった彼は真央霊術院の門戸を叩き、今では死神として護廷十三隊に属するまでになった。

 

 時刻にして午前四時。いつものように起床した彼は修練のため隊舎を出る。

 

 死神とは現世と尸魂界を循環する魂の管理者である。死者の魂の導き手であり、同時に虚と呼ばれる悪霊を討つ戦士でもある。死神である以上、どの隊士も武芸を磨く責務がある。

 

 とはいえ、早朝からの鍛錬を強制されているわけではなかった。あくまで彼が個人的にうち込んでいることだ。

 

 死神と一口に言っても戦闘能力に優れた者ばかりではない。例えば訪重郎が所属している『四番隊』は特にその傾向が強く、補給や負傷者の治療に長けた後方支援部隊である。

 

 逆に言えば、戦いが得意ではない者たちの集まりとも言えた。訪重郎は真央霊術院を卒業したが、その成績はお世辞にも良いとは言えなかった。一部の鬼道の適性とやる気を買われて何とか四番隊に滑り込めた次第である。

 

「一……二……三……四……」

 

 朝の鍛錬はまず瞬歩から始まる。隊舎を離れ、瞬歩で郊外の森へ出向く。瀞霊廷は広大だ。人目につかない山野などいくらでもある。

 

 修行場に着くと、三十メートルほど離れた地点を瞬歩で行き来する鍛錬を始める。毎日のように蹴られ続けた地面は、その着地点だけが草も生えずに均されていた。

 

 瞬歩とは霊子を用いた高速移動術だ。脚部から霊圧を発し、この世界の構成要素たる霊子に干渉することで爆発的な速度を得る。慣れれば空中を走ることすら可能となる。

 

 ただ三十メートルの直線距離を一足飛びに行き来するのであればそこらの死神にもできるだろう。だが、木々が立ち生えた森の中で同じことをするとなると話が変わる。木々を避けるため、連続した複雑な軌道変更を一回の瞬歩の中に組み込まなければならない。

 

 勢いが肝要だった。慣性をうまく利用しなければならない。無論、速度を求めればそれだけ制御は難しくなる。失敗しては何度も木に体をぶつけ、打ち身を作っていた。

 

 彼はこの歩法についてのみ霊術院の同期の中で最も評価されていた。『逃げ足の訪重郎』と半ば馬鹿にされながらも異名を与えられ、隠密機動へ入隊する道もあり得たほどだ。

 

 そこで彼はわずかにしか取れない修行の大半を、自分の長所を磨くために費やすことにした。実際に戦闘において機動力は重要だ。速さで負けていてはどんな攻撃も当たらないし、避けられない。逃げることすらできない。

 

 逃げ足だけを鍛え続けた。それ以外は考えないことにした。

 

 死神の基本的な戦術概念として『斬・拳・走・鬼』がある。斬とは武器である斬魄刀の技術、拳とは体術全般を指す白打、走とは瞬歩、鬼とは霊力を用いた呪術『鬼道』である。

 

 全てを極める必要はないが、一通りをこなせる実力は要求されるし、足りない分はそれを補って余りある他の技能が求められる。訪重郎の場合はこれが基準にも満たなかった。

 

 まず『斬』。これは論外だ。彼はこの百年、一度としてまともに斬魄刀を振るっていない。最初から選択肢に入っていなかった。

 

 次に『拳』。これも芳しくない。もっとも一部の例外を除いて虚との戦闘は斬魄刀を使わない白打戦を想定していないので、これは多くの死神にとって基本的な体術の習得に留まる。その意味で彼の成績は至って平凡だった。

 

 そして『走』。前述の通り、彼の取り得である。

 

 最後に『鬼』。これに関しては少し適性があった。

 

 鬼道のうち『破道』と『縛道』の適性はほぼなかったが、『回道』だけは多少あった。回道はその特殊性から成り手が限られていたこともあり、晴れて四番隊への入隊が認められたというわけだ。

 

 ただ四番隊は一番入隊条件が緩く、大抵の志望者は入れてしまうという理由もあるが。

 

 瞬歩と縛道の練習を少ししたところで時間が来る。仕事があるため修行にばかりかまけてもいられない。最後に近くの川で水行をして体を清めてから隊舎に戻った。

 

 

 * * *

 

 

 午前六時、訪重郎は食堂の厨房にいた。大勢の死神が朝食を求めてやって来る。その食事の用意が彼らの仕事である。

 

 正確に言えば四番隊の仕事だった。瀞霊廷は神聖な場所であり、死神以外にも人はいるが貴族など高貴な身分の者が大半だ。こういった雑用を任せられる人材は限られている。身分に関係なく実力によって選ばれることが多い死神がその役目を任せられているわけだ。

 

 特に四番隊は廷内の雑用のほとんどを押し付けられる部署である。彼らは医者というよりも身分的に言えば衛生兵だ。治療専門部隊ではある彼らが普段から前線に出向くことはなく、その労働力を有効に活用するための采配である。

 

 と言えば聞こえはいいが、要するに戦地に赴く度胸もない腰抜けどもには雑用仕事がお似合いだということらしい。彼らとて特別暇というわけではないのだが、古くから慣例的に虐げられてきた。

 

 しかし、裏方仕事もなくてはならない大事な役目だ。四番隊隊長はそのことを卑下せず、誇りをもって取り組むようにと隊士に命じている。

 

 不満を持つ者もいるが四番隊だけが不遇な扱いを受けているわけではない。例えば虚の出現頻度が高い危険な担当地に配属される死神は戦闘が専門の十一番隊から選ばれることが多い。また、技術開発局を兼任する十二番隊では一般隊士を人体実験の道具にしているなど、まことしやかな噂もあったりする。

 

 五体満足でいられるだけで幸せなことなのかもしれない。訪重郎は配膳をしながら思った。包丁を握ると手が震えて仕事にならないので汁物の煮炊きや配膳を任されていた。

 

 食堂の客足も少なくなり、ようやく一息ついて遅めの朝食にありつく。

 

「いや、すまない。途中で薪が足りなくなって遅くなった。先に食べてくれていて良かったのに」

 

「いいよ。どうせこの後、厨房の後片付けもしなくちゃいけないし、早く上がったって仕方ない」

 

 同じ四番隊の山田花太郎と一緒に食事を摂った。序列にして四番隊七席の席官である。かく言う訪重郎も八席であり、実はこのクラスの隊士なら別に雑用に従事する必要はない。

 

 死神としての歴は訪重郎の方が長いのだが、優秀な回道の使い手である花太郎は入隊してすぐに訪重郎の席次を追い抜いた。何でも彼の兄はかつて四番隊の副隊長を努めたほどの死神だったらしい。

 

 ただ前評判とは裏腹に花太郎の出世は伸び悩んだ。実力はともかく性格がいけない。丸すぎるというか、端的にいえばヘタレだった。

 

 席官とは単なる実力だけで選ばれる地位ではない。有事の際は下位の死神の指揮を執ることもある要職だ。花太郎の性格はお世辞にも人の上に立つ者としてふさわしいとは言えないし、本人も出世を望んではいなかった。

 

 そして、それは訪重郎も同じである。回道の腕だけは立つが何十年も護廷に勤めていながら八席に収まっている。毎日瞬歩の訓練をしていることも知れ渡っており『逃げ足の訪重郎』の二つ名は今でも健在だ。そのくせ頼みごとをされると逃げきれない性格から余計に軽んじられていた。

 

 最初は他人行儀だった二人も雑用仕事を一緒に押し付けてられているうちに投合した。尸魂界では見た目と実年齢が一致しないということもあり、二人とも同じくらいの背格好をしていたからか、今では四番隊のヘタレコンビとして認知されている。

 

 朝食を終えた二人は食堂の片付けを終えた後、廷内の清掃活動など諸々の雑用をこなしていく。いつもの代わり映えしない業務だった。

 

 

 * * *

 

 

 雑用の後は書類仕事だ。死神本来の仕事は現世における魂の浄化であり、戦闘に関わらずとも組織としての業務は多岐に渡る。席官であれば当然これに従事する義務があるので雑用まで任されている花太郎と訪重郎のスケジュールはぎちぎちだった。

 

「全く、あなた方はまた遅刻ですか。雑用もほどほどにしてください」

 

「すみません」

 

 伊江村三席から叱責を受ける。昼休みを削って書類を片付け、昼飯を掻き込む。午後からは回道の実地訓練が予定されていた。

 

 実地と言っても現在、虚との戦闘による負傷者の報告はない。限りなく実地に近い訓練と言うべきだろう。技術開発局より貸し出された『義骸』を使うのだ。

 

 義骸とは死神が必要に応じて使用する依り代である。その構造は物質的にも霊子的にも人体に酷似しており、言い換えれば生身の人間と遜色ない人形だ。義骸の本来の用途とは異なるが、これを回道の練習用に調整したものを演習で使用する。

 

 この演習には技術開発局の協力が不可欠であり、そのため少なくない費用がかかっていた。頻繁に行うことはできない貴重な機会だ。四番隊副隊長、虎徹勇音による直々の監督のもと執り行われた。

 

 訪重郎は演習を受ける側というより、教える側にいた。ずらりと並べられた手術台の一つを担当し、新米の隊士に手ほどきしていく。

 

「ああっ! ごめんなさい!」

 

 間違って太い血管を切ったのか、勢いよく噴出した血が訪重郎の顔にかかる。眼鏡についた血を拭き取りながら、落ち着いて処置を続けるように指示した。こういう機会だからこそ失敗を恐れず治療に慣れた方がいい。

 

 治療に長けた四番隊といえども霊術院を出たばかりの新人は実際に怪我人を治療する経験にも乏しい。うまく治せなかった部分については訪重郎が修繕し、次の隊士の番へと回していく。新人を育てると同時にその後始末をこなすことで熟練者も腕を磨く機会になるというわけだ。

 

(さすがは十間坂八席……速いですね)

 

 虎徹副隊長は演習を見回りながら訪重郎の手際を見ていた。特に、訓練用義骸の修繕速度について彼はベテランの中でも群を抜いている。それは才能もあれど努力の賜物だった。

 

 他の鬼道と同じく回道の腕は知識や修練によって地道に育まれるものだ。一部の天才的な例外もいはするが、基本的に一足飛びに覚えていくものではない。悪戦苦闘している新人たちのように訪重郎も最初からうまく回道を使えたわけではなかった。

 

 血の滲むような研鑽と情熱がなければできないことだ。それだけ努力しても万能というわけにはいかず苦手な分野はある。例えば彼は、傷を治す速度については一級品の腕前を持つが、体力や霊圧の回復については他に一段劣る。

 

 一流の使い手は傷を治すだけでなくその対象の霊圧までも回復させることができるのだ。戦場において実際の戦闘に耐える死神はごく一握りだ。限られた戦力を有効に活用するためには負傷者を遊ばせておく余裕などない。再び戦える状態に戻すことこそが最善である。

 

 もちろん命をつなぎとめるために傷の治療は最優先ではあるが、時にはそれ以上の成果が期待される。総合的な回道の技術で言えば訪重郎を凌ぐものはいた。彼の腕前もいまだ道半ばであるにすぎない。

 

 今回の演習もまた四番隊にとって有意義な時間となった。惜しむらくは訓練用義骸の提供にあたって技術開発局がもう少し融通を利かせてくれればもっと演習がはかどるのだが、なかなかうまくいかないものだ。虎徹は例の局長の個性的な顔を思い出してため息をついた。

 

 

 * * *

 

 

 演習が終わり、疲れ切った様子で隊士たちが会場を片付けていく。回道の使用にも霊圧を使うため、とにかく疲れる。連続で義骸の修復を行っていた担当者たちは特に疲労も大きかった。

 

「通達です! 十一番隊より治療要請! 十一番隊より治療要請! 手が空いている者は救護に向かってください!」

 

 ようやく一息付けそうかという頃合いになって、また面倒事が舞い込んできた。治療要請とは言っても誰も緊迫した様子ではなかった。十一番隊と言えば護廷十三隊の中でも最も血気盛んな武闘派部隊である。どうせ喧嘩か修行で怪我人が出たのだろう。日常茶飯事だ。

 

 ただでさえ億劫な仕事である上に今は誰もが疲れ切っている。行きたい者などいるはずがない。こういう時に貧乏くじを押し付けられる者は大抵、決まり切っていた。周りから向けられる視線に耐えられず、訪重郎が折れる。

 

「で、では(それがし)が……」

 

 皆がほっと胸を撫でおろした。唯一、花太郎だけが心配してくれたが、彼には彼の仕事があるので代わりを任せるわけにはいかなかった。

 

 朽木ルキアという極囚の世話である。具体的に何をしたのか知らないが大罪人であり、やんごとなき身分の死神らしい。花太郎は最近、その囚人が拘置されている六番隊隊舎の掃除係を仰せつかっていた。

 

 その大役に最初はビビり散らしていた花太郎だったが、今ではすっかりやる気になっているのか自分から進んで引き受けているようだ。何が面白いのかわからないが、その密かな楽しみを邪魔しては悪い。

 

 訪重郎は自分一人で出動要請に応じた。十一番隊舎の近くまで来ると威勢のいい雄叫びが聞こえ始める。

 

「やいやいやい! さっさと起きろ! もやしの方がまだ歯ごたえがあるぞ!」

 

 修練場では班目一角が木刀を振り回しながら叫んでいた。他の部隊の席官の名前などあまり覚えてはいないのだが、その見た目のインパクトから訪重郎もこの人物のことは知っていた。

 

 まあ、よくある光景だ。修練場の片隅に粗雑に積まれている負傷者の群れを介抱していると怪我人の方から群がってきた。いつもは四番隊というだけで馬鹿にされることもあるのだが、今回は手ひどくやられた者が多いらしく悪態をつく余裕もないようだ。

 

 明確にいつもと異なる点は、隊長の存在だろう。更木剣八。前任の隊長を殺してその地位を得たという筋金入りの戦闘狂だ。いつも優しく柔和な四番隊の卯ノ花隊長とはまるで違った。まさに剣鬼と呼ぶにふさわしい風格である。そこに存在するだけで気圧される気分だ。

 

「きょ、今日は更木隊長がお見えなんですね……」

 

「そうなんだよ! だからいつにも増して鍛錬がハード! 怪我人続出だぜ!」

 

 いつもは部下の訓練を見に来ることなどないのだが、何の気まぐれか居合わせているようだ。実際に戦っているのは班目三席であり、隊長自身が口を出す様子はなかった。その近くでは草鹿副隊長が団子を頬張っている。

 

「おい、こそこそ何やってんだ!? 四番隊を呼んだ覚えはねぇぞ!」

 

 班目の檄が飛ぶ。部外者が立ち入っていることに気づいたようだ。負傷者の手当をさせるつもりはないらしい。

 

「……いや、やっぱり治した方が効率がいいか。元気になったんなら十本でも百本でも打ち合えるだろうからなあ!」

 

 強面の男たちがたちまちぞっとした顔になり、訪重郎のそばから離れていく。班目に睨まれて居心地が悪くなった訪重郎は縮こまった。出動要請に従ってここまで来ただけなのにとんだ災難である。

 

 その時、初めて更木と目が合った。寒気が背筋を駆け上る。ぞわぞわと虫が這い上がってくるような怖気がする。手がさまよった。本能が何かを求めた気がした。

 

「使う?」

 

 いつからそこにいたのか、気づけば草鹿やちるが隣に立っていた。何かを差しだして来る。誰かが使っていた木刀だった。

 

「なにやってんすか、副隊長」

 

「だってこの人、ずっと“奮えてる”から」

 

 そうだ、彼は震えていた。申し出を否定するように医療鞄を握りしめる。

 

「……おたわむれを……某は、これで失礼いたします……」

 

 逃げるように踵を返した。怖い人だ、更木剣八も草鹿やちるも。まるで心の奥底を見透かすように覗き込んでくる子供の視線を振り切った。口元を手で覆い隠しながら。

 

 

 * * *

 

 

 隊舎に戻り今日の分の書類を片付け、食堂で夕餉を食べて部屋に帰った。四畳しかない狭い部屋だが、一応は個室だ。夜は短い自由時間。明日の朝も早いので寝た方がいいのだが、最後に一日を締めくくる日課が残っていた。

 

 刃禅である。

 

 霊術院を卒業し、晴れて護廷十三隊へ入隊した死神たちには『浅打』と呼ばれる斬魄刀が与えられる。虚を倒し、魂を導くための死神の力の根幹と呼べる武器である。

 

 浅打とは“何にでもなれる刀”だ。死神はこの刀と寝食を共にすることで自らの精神を写し、刀に宿る名前と力を扱うことができるようになる。

 

 刃禅とはその修行の一つだ。やり方は簡潔で、膝の上に刀を置いて座禅を組む。後は精神統一するだけだ。刀と対話する上で最も基本的な修行法である。

 

 実は訪重郎も始解は習得していた。すなわち斬魄刀の仮の名を聞き出し、封印状態である通常の刀の姿から第一段階の力の開放を行うことができる。とはいえ席官クラスとなれば当然の話である。

 

 その能力については隊に嘘偽りなく報告している。少しばかり特殊なことができるものの、実質的な能力はありきたりな直接攻撃系の斬魄刀であり、入隊してからと言うもの一度も実戦経験のない彼にとっては無用の長物だった。

 

 ただ、彼はその刀を非常に気にいっていた。自分にはもったいないくらいの優秀な相棒だと思っている。使ったことはないものの相性は良いのか刃禅も得意で、少し目を閉じて気を休めるだけですぐに精神世界へと潜ることができるほどだ。

 

 そこは殺風景な砂浜だった。大きな一本の松が立っていることを除けば他に何もない。波の音がするだけの静かな世界だ。

 

 斬魄刀は所有者の精神を映し出す鏡である。ここは彼だけの世界だ。人によって斬魄刀が持ち主に見せる姿かたちは様々らしいが、彼にとってはこの松こそが相棒である。これまでにただの一度も会話したことはなかった。相手は植物なのだから仕方ない。

 

 ただそこに“在る”だけだ。名前もわからない。それだと普通、始解はできないはずだ。しかし、試しに適当な名前をつけてみたところ反応があった。解号も適当に作った。それでも気に入ってもらえたのか、力を貸してもらえた。

 

 この調子ではとても卍解などできそうもない。だが、それは最初から諦めていた。斬魄刀の第二段階開放である卍解を習得する死神は尸魂界の歴史を見ても数えるほどしかいない。過ぎた力だ。訪重郎にとっては今のままで十分だった。

 

「また今日も終わった」

 

 潮風にさらされ、歪に曲がりくねった松を見上げる。刀は何も言わない。果たして彼は本当に主として認められているのだろうか。何もわからない。松の根本に突き立てられた、一本の刀を引き抜く。

 

「また今日も何事もなく終わった」

 

 その刀身を己の腹に押し当てた。すらりと刃を滑らせていく。臓器を切り出し、血を吐きながら目の前の地面に並べていく。その様子は丁度、昼間に演習でやった義骸を扱うかのようだった。

 

「終わってしまった」

 

 復習する。何度も自分の体を切り分けながら回道の手順を繰り返す。その痛みだけが彼をこの世界につなぎとめている。果たしてその姿を見て、この世界は何を思うのだろう。

 

 さざ波と、押し殺した笑い声と、血痕が砂に吸われて消えていった。

 

 

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