無形の剣   作:--

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人斬り3

 

 旅禍が現れた。

 

 尸魂界に正規の手続きを経ず侵入した者をそう称する。死神以外の者が現世と尸魂界を隔てる『断界』を越えて侵入することはまず不可能だ。従って、旅禍とは法に背いた死神か、それらの手引きを受けた者たちということになる。

 

 いずれにしても、ただ事ではない。古くからその存在は災いをもたらす凶兆とされ、『旅禍』と呼ばれるようになった。

 

 旅禍たちは不逞にも瀞霊廷への侵入を企てたようだが、三番隊隊長市丸ギンが撃退。ひとまず騒ぎは収まった。中央四十六室は不測の事態に備えて瀞霊廷の警護を優先とし、行方をくらませた旅禍の捜索はできていない状況だった。

 

 そして、その厳重な警戒態勢の最中、二度目の襲撃が起きる。

 

 瀞霊廷の上空を守る遮魂膜に高濃度の霊子体が衝突した。遮魂膜によって勢いを削がれながらも完全に止めることはできず、空中にて四散し、内部にいたと思われる旅禍たちの侵入を許してしまった。

 

 未曽有の失態である。全隊士が総力を挙げて侵入者確保のために動いていた。とはいえ、瀞霊廷は広い。霊圧のぶつかり合いは確かに感じ取れるため実際に戦闘が起きているものと思われるが、隊の指揮と連携がうまく取れているとは言えず、大局は混乱していた。

 

 花太郎と訪重郎も救護に当たっていたが、具体的な戦闘箇所の情報は得られておらず、霊圧感知を頼りに駆け回るしかなかった。とにかく情報の共有が後手に回っている。伝令役を務める離廷隊も戦地の末端にまで手が回る状況ではなかった。

 

 ゆえに訪重郎たちは予想もしていなかった。まさか自分たちが旅禍の手によって人質として捕らえられることになろうとは。

 

「オラァ! てめーら道をあけろォ! 仲間をブッ殺されたくなかったらなァ!」

 

 旅禍と隊士が戦っている現場に巻き込まれてしまったのだ。運悪く人ごみに呑まれた花太郎とそれを追いかけた訪重郎は、凶悪な旅禍の前まで放り出された。

 

 オレンジ髪の死神と、その仲間のごろつきらしき男に捕まった二人だったが、残念ながら自分たちに人質としての価値があるとは思っていない。

 

「弱すぎて救護しかできねぇ四番隊なんざ、どうなろうが知ったことかよ!」

 

「殺したきゃ殺せ!」

 

「ギャハハハハハ!」

 

 案の定、周りにいた十一番隊の死神たちは構うことなく斬りかかってきた。どうにかこうにか逃げ出した一行は当てもなく廷内を迷走する。

 

「ど、どうしよう訪重郎!? これ僕たち逃げた方がいいんじゃない?」

 

「い、いや、敵前逃亡は重罪だ! このまま見過ごすわけには……!」

 

 人質に取られはしたが、訪重郎はさしてこの旅禍のことを危険視していなかった。向けられた刃に全く殺気がこもっていなかったからだ。確かに尸魂界にとって不利益をもたらす者たちなのかもしれないが、少なくとも十一番隊よりは話が通じそうな気配すらある。

 

 ひとまず放っておくことはできないので、二人は旅禍たちに同行した。隠れられそうな倉庫に潜伏する。

 

「で、お前らついてきてるけど何なんだよ」

 

 花太郎も最初は狼狽していたが、持ち前の呑気さが出てきたのか平然となっていた。訪重郎の方が緊張で震えているくらいだ。

 

「山田花太郎です」

 

「えっと、じゃあ、十間坂訪重郎です……?」

 

「……いや、自己紹介してる場合か? 俺ら一応、敵同士だろ」

 

 一方、旅禍たちは見た目からして弱そうな死神二名を脅威とも思っていない様子だ。何やら重大な目的があって瀞霊廷に侵入したらしく作戦会議を開いている。二人はまるでいないもののような扱いだった。

 

 もちろんこれだけの騒動を起こしているのだから相応の目的があるのだろう。訪重郎は聞き耳を立てた。

 

「その白い塔にルキアがいるらしいが……どうやって行く?」

 

「馬鹿正直に真正面から行ってもどうせ邪魔が入るだろうしな。無駄な戦闘で消耗なんかしてる余裕はねぇぞ」

 

「ルキア……?」

 

 花太郎が唐突に反応した。ルキアとは、花太郎が掃除係を任されていた牢の囚人だ。死神として最上級の刑罰を科せられた極囚である。

 

 花太郎が納得がいかなかった。ルキアと話せば話すほど、なぜ彼女が死ななければならないのかわからない。罪はあれど、それに釣り合う罰ではなかった。

 

 極刑を下した四十六室には花太郎のような下っ端には計り知れない深奥なる判断があるのかもしれない。そんなものわからなくて結構だ。花太郎はルキアを助けたいと思っていた。

 

 ルキアから話は聞いていた。このオレンジ髪の死神こそが“黒崎一護”なのだと気づく。

 

「僕、知ってますよ。懺罪宮への抜け道」

 

 

 * * *

 

 

 謎の死神、黒崎一護

 無頼の花火師、志波岩鷲

 四番隊士、山田花太郎

 同じく、十間坂訪重郎

 

 かくして寄り集まった奇妙な一行は、瀞霊廷の全域に張り巡らされた地下水道を通って朽木ルキアが囚われている懺罪宮を目指した。補給路としても使われるこの道は非常に複雑で、その構造を隅々まで把握しているのは四番隊だけだ。

 

 懺罪宮に一番近い地下水道の出口まで来た。ここまでは順調。旅禍の目的も知らない死神側は、懺罪宮の守りを特別に固めているわけではなかった。

 

 ここに現れる敵がいるとすれば、それは必然的に目的を知る者ということになる。

 

「久しぶりだな。俺の顔を憶えてるか?」

 

 懺罪宮へと続く階段に前に、六番隊副隊長、阿散井恋次が立ちふさがる。

 

 恋次としても何か確信があってこの場所に来たわけではない。現世で会った一護は死んだものと思っていたからだ。まさかここで再会するとは思わなかった。

 

 だが、前例のない朽木ルキアに対する処分や、それと時を同じくして発生した旅禍など、一連の不審な動向から胸騒ぎを覚えた彼は誰にも告げずここへ来た。何もなければそれでよかった。

 

 その賭けは悪い方に当たったようだ。ルキアを極囚にした、その元凶である黒崎一護が現れたのだから。

 

 副隊長を務める死神の霊圧は圧巻だった。岩鷲たちはその気迫に思わず後ずさる。ただ、一護だけが歩を踏み出していた。

 

 そこから始まる闘いは息を飲む鮮烈さだった。手出しなどできようはずもない。それはただの斬り合いではなかった。信念のぶつかり合いだ。

 

 例えどんな強敵が立ちふさがろうとも、一護が足を止める理由にはならない。無駄な足掻きだと笑われようと、全てはお前が招いた結果だと罵られようと、手を緩める理由にはならない。

 

 全てを背負って斬り抜ける。恋次は敗れた。悔しさがあるとすれば、それは負けたことに対してではない。本当の願いを一護に託した。自分にはできずとも、この男なら成し遂げてくれる気がした。朽木ルキアを助けてほしいと。

 

 これほど美しい闘いがあるだろうか。訪重郎は見入っていた。

 

 しかし、感傷にばかりふけっていても仕方ない。ここは戦場だ。これだけ大きな霊圧の衝突が起きれば直に周辺の死神が集まってくるだろう。岩鷲たちは負傷した一護を抱えて地下水道へと撤退した。

 

 阿散井恋次の怪我も気になるが、そちらは他の救護班が治療してくれるだろう。それよりも一護の状態は深刻だった。放っておけば命に関わる。訪重郎と花太郎はすぐに治療に取り掛かった。

 

「お前ら下っ端だと見くびってたが、すげぇじゃねぇか! みるみる傷が治っていくぞ!」

 

 実際に花太郎も訪重郎も四番隊の中では上位の回道の使い手である。二人がかりで治療すれば傷を治すこと自体はそう難しくなかった。

 

「ひとまず外傷の治療は終わりましたが、まだ安静にしていないと傷が開く恐れがあります。霊力を回復させて万全の状態に戻す必要もあるので一晩は寝かせておいた方がいいでしょう」

 

「ああ、そうだな。考えたくはないが、これから先も隊長級の敵と戦う可能性は十分あるからな。一護が倒されちまったら終わりだぜ」

 

「……」

 

 気まずい空気だ。岩鷲もうっかり口にしてしまったが、この集まりの戦力のほぼ全てが一護頼りと言っていい。副隊長の恋次ですらあれだけの戦闘力をもっていたのに、隊長ともなればどれだけ強いか想像もできない。

 

 一護の容体が落ち着いたので花太郎は岩鷲にも治療を施そうとした。岩鷲は断ったが、彼も無理をしている。これまでの戦闘で負った傷は決して軽いものではなかった。なんとかなだめすかして治療した。

 

 追われる身で潜伏している地下水道ではなかなか気を休めることはできないが、少しでも体力の回復に努めるべきだ。幸いにも四番隊に支給されている医療鞄に携帯食料が入っていた。

 

「ゲェッ! くそまじぃぞ! なんだこれ!?」

 

「霊糧丸です。栄養満点ですよ。あ、噛まずに飲み込んでください」

 

「先に言えよ!?」

 

 本当は交代で休憩した方がいいのだろうが、しばらくは誰も眠る気になれなかった。不安を紛らわすように訪重郎は昼間の闘いのことを語り始めた。

 

「あんなにすごい闘いは初めて見ましたよ! なんというか二人とも譲れない思いがあったというか、敵でありながら互いを認め合っていたというか……うまく言葉にできませんが年甲斐もなく興奮してしまいました」

 

 花太郎はこんなに子供のように熱く語る訪重郎の姿を見たことがなかった。付き合いは長いが知らない一面だ。

 

「いいなぁ、あんなふうに闘ってみたいなぁ……」

 

「無理だ、無理。現実を見ろ」

 

 そこでハッと気づく。花太郎は急に改まった様子で訪重郎の方へ向き直った。

 

「訪重郎」

 

「な、なんだ?」

 

「もう十分だ。これ以上、君に迷惑はかけられない。後のことは僕たちに任せてくれ」

 

 思えば成り行きで協力させる形になってしまったが、訪重郎にはルキアを助ける理由がない。それどころか旅禍に加担している現状はマイナスでしかないだろう。どうしてこんなことにも気づかなかったのだろうかと花太郎は後悔した。今ならまだお咎めなしで済むかもしれない。

 

「なんだ。改まって何を言い出すかと思えば、そんなことか」

 

「そんなことって……ルキアさんと君とは何の関係もないのにこれ以上、手伝わせるわけには……」

 

「いいんだ、某がそうしたいんだ」

 

 友人が困ってるんだからね、と訪重郎は何でもことのように言って笑った。たったそれだけの理由で、これから先、自分の死神としての地位も失うことになるかもしれないのに。雑用を押し付けられて仕方なく引き受けるのとはわけが違う。

 

 納得がいかない様子の花太郎に、訪重郎は少し補足することにした。と言っても、友人を助けたい理由なんて言葉にして形にできるようなものでもないが。

 

「幼い頃の某にとって、世界の全ては“剣”だった」

 

 取り戻した前世の記憶だ。彼は生まれた時から父に育てられた。母親は彼を産んで間もなく死んだらしい。父は武士だった。剣の達人であり、その技を子に教えることだけに傾倒した。

 

「だが、某は出来の悪い子供だった。生まれつき目も悪かった。父の教えなどわずかばかりも理解できなかったよ」

 

 来る日も来る日も剣の修行。それ以外には何もない。狂ったように剣を振った。現に狂っていたのだろう。父は愛する者を守れなかったのだ。その後悔に支配されていた。そして幼くして訪重郎は命を落とし、尸魂界へと来た。

 

「だから初めてできた友人が、花太郎、君だった」

 

 頼み事をしてくる知り合いはいくらでもいるが、友人と呼べる者は花太郎だけだ。友人だから知っている。

 

 ドジで呑気で疑い知らず、気が弱くて流されやすい。しかし、時に芯を見せる。“誰かを助ける”ということに懸けては人一倍だ。回道の腕もそのために磨いている。

 

 訪重郎も最初は彼が極囚の脱走を幇助するなんて大それたことを言い始めるとは思わず驚いたが、もう手助けすることにためらいはなかった。

 

 花太郎はぽかんとした表情で話を聞いていた。自分がそんなふうに思われていたとは露とも思わなかった。

 

「別にいいんじゃねぇか? 大層な理由なんて必要ねぇだろ。俺だって別にルキアって奴のことは何も知らねぇしな」

 

「ええっ!?」

 

 岩鷲が口を挟む。彼も首を突っ込む必要のない面倒事を引き受けた立場だ。それどころか死神嫌いの彼が手を貸す理由など最初からなかった。

 

 ただ、一護たちが間違ったことをしているとは思わない。悩みはしたが、見極めることにした。なぜか一護の姿が、今は亡き兄と重なっていた。志波海燕は誰よりも仲間を大切にする男だった。

 

 ここにいる全員が思惑はそれぞれ異なれども共通している感情はある。理屈ではない。誰かを助けたいという気持ちだ。

 

「ごちゃごちゃうるせぇんだよ! 乗り掛かった舟だろうが! ここまで来て引き返せるかってんだ!」

 

「岩鷲さん、声抑えて! 叫ばないで!」

 

 

 * * *

 

 

 翌朝、ついに決行の時は来た。一護の怪我は完治している。警戒しつつ地下水道を出た一護たちは小競り合いも覚悟していたが、予想に反して懺罪宮の前に敵の姿はなかった。

 

「なんか不自然に誰もいないな。逆に怪しい気もするが」

 

「まぁ、一晩経ってまだ俺たちがここにいるとは誰も思わなかったんだろ」

 

 僥倖だった。一行は今度こそルキアのもとを目指してひた走る。塔の外周にたどり着いても見張りの姿はなかった。このまま何の障害もなく目的地まで行けるかもしれない。

 

 そんな甘い考えをあざ笑うかのように霊圧が叩きつけられた。空気が重くのしかかってくるような圧迫感。間違いなく隊長格の霊圧だった。

 

「とにかく走れ!」

 

 霊圧だけは感じるが、敵の姿はまだ見えない。どうやらこちらの位置を捉えているわけではないらしい。まるで獲物を探して嗅ぎまわる獣のような気配がまとわりついて来る。捕捉されるのは時間の問題だ。

 

 気配は見る間に濃くなっていく。霊圧に中てられ、花太郎が倒れた。背後まで迫る影が問いかける。『お前は食うに値する強者か』と。その霊圧を訪重郎は知っている気がした。

 

「黒崎一護だな?」

 

 疑いは確信に変わる。

 

「十一番隊、更木剣八だ。てめえと殺し合いに来た」

 

 行く手を阻まれた。しかし更木の目当ては黒崎一護との勝負であり、それ以外の取り巻きには何の興味も持っていなかった。

 

「岩鷲! 花太郎たちを連れて先に行け! こいつは俺が何とかする!」

 

 一護は一人で戦う覚悟を固めた。しかし、まだ剣すら抜いていないにもかかわらず敵の強さは明々白々。阿散井恋次など話にならない桁違いの霊圧だ。本当に一護一人に任せていいのか。

 

「訪重郎、何やってんだ!」

 

 気を失った花太郎を岩鷲が背負って走り出す。

 

「で、でも……」

 

「行くぞ! 俺たちがいても一護の邪魔になるだけだ!」

 

 これもまた昨日の闘いと同じ。両者ともに生き死にを超えた、余人をもって代えがたい覚悟を抱えて闘っている。きっと汚されたくはないだろう。後ろ髪を引かれながらも、訪重郎は岩鷲の後に続いた。

 

 本当は一護自身がルキアを一番に助けたいと思っていたはずだ。その思いを岩鷲たちに託したのだ。幸いにも追手がかかることはなく、ルキアが囚われいる四深牢までそう長い道のりではなかった。 

 

 牢の鍵についても問題はない。昨晩、地下水道より続く牢錠保管庫から予備の鍵を拝借している。花太郎も訪重郎も、今さらながら後の重罰は避けられないだろう。

 

 誰もがルキアを必死に助け出そうとしていた。ようやくその願いが叶おうという直前、岩鷲の決意は、しかし揺らいだ。

 

「お前が朽木ルキアだと……!?」

 

 朽木ルキアとは、岩鷲の兄、海燕を殺した死神だった。

 

 兄の仇だ。その顔を忘れるはずもない。殺したいほど憎んだ相手だ。それを今まで助け出そうとしていたのか。

 

「一護さんが命懸けで戦って、僕らに決意を託したんじゃないんですか!? 岩鷲さん!」

 

 真っ白になりそうな岩鷲の思考は、静かに呼び戻された。落ち着きを取り戻したからではない。足元から沈み込むように重い霊圧を浴びせられたからだ。

 

「そ、そんな……あれは……!」

 

 昨日、襲撃を受けた懺罪宮の警備がなぜ手薄だったのか。理由の一つは、昨晩起きた大事件の影響だ。五番隊隊長が何者かに殺害された。多くの人員がそちらの対処に回されている。

 

 また、隊長格の死神“二名”がこの場所を見張っていたことも理由の一つだ。更木剣八と、もう一人。戦力だけを見ればあまりにも過剰と言えた。

 

「朽木白哉……六番隊隊長……!」

 

 四深牢と外とを結ぶ唯一の道、塔をつなぐように架けられた橋の向こうから死神がやってくる。ゆっくりと、ルキアたちを追い詰めるように。

 

 誰が見ても勝ち目はなかった。途端に岩鷲は馬鹿らしくなる。ルキアを助ける気も失せた上に、岩鷲ですらその武名を聞き及ぶ朽木白哉との戦闘など願い下げだ。

 

「やってられるか。命乞いでもした方がまだ利口ってもんだぜ」

 

「何言ってるんですか!? ルキアさんと一緒に逃げましょうよ!」

 

「逃げ場なんかあるか! 道はこの橋一本だけだ! 戦ったところで勝てるわけもねぇ!」

 

 

 

「『錆びた陽光 骨と土 堅牢として戴天し 礼を排し 令を拝せ』

 

 『縛道の七 (じん)』」

 

 

 

 言い争う岩鷲と花太郎の傍らで、訪重郎が一人、前に出た。その手には鬼道をもって霊圧を剣の形に押し固めた得物が握られている。

 

「ははは、いよいよ某の出番が来たようですね! 岩鷲殿、ここは某が食い止めます。花太郎とルキア殿を連れて逃げてください。どうか頼みます」

 

「馬鹿か……てめぇに何ができるってんだよ!?」

 

「そうだよ! 君ってば手術刀でさえ手が震えてまともに使えないじゃないか!」

 

 見てくれだけは武器のようなものを作り出してはいるが、縛道とはそもそも攻撃のための術ではない。それも明らかに低級の術だ。隊長相手に通用するはずがなかった。

 

「なに、某も死神の端くれ。心配には及びません」

 

 震える手で剣を握りしめ、白哉に立ち向かおうとする訪重郎を、そのまま放っておけるほど岩鷲は薄情でいられなかった。壁に自分の頭を叩きつけて気合をいれると、訪重郎を押しのけて自分が前に出た。

 

「どけ。俺がやる」

 

 勝算がないことは百も承知だ。それでも、我が身可愛さで仲間を見殺しにできるような性格をしていたなら岩鷲はここまで来ていない。

 

「いくぜ坊ちゃん! てめーの相手はこの俺だ!」 

 

 白哉は静かに敵の様子を観察していた。その視線は岩鷲を素通りし、背後にいるルキアたちに向けられている。

 

 剣を抜いて向かってくる岩鷲に対して一瞥もくれることはない。そのような羽虫にかかずらっている場合ではなかった。まずは牢から脱走したルキアを拘束することが第一だ。

 

 そして、次に脱走に加担した隊士二名の処分。四番隊の隊士二名が人質として旅禍に捕らわれているかもしれないという情報は白哉も聞き及んでいた。だが、状況を見るに人質としての振る舞いではない。

 

 旅禍に協力して朽木ルキアの脱走を助けようとしたのであれば、護廷の名を背負う隊士としてあるまじき規律違反。万死に値する。

 

「オラァ、くらえぃ、血涙玉ァ!」

 

 小賢しい真似をされる前に、白哉はすれ違いざま岩鷲を撫で斬った。瞬歩で背後を取られた岩鷲はその姿を目で捉えることもできなかった。容易に殺すこともできただろうが、軽く一撃を浴びせるにとどまる。

 

「失せろ。私の剣は貴様のごとき羽虫を潰すためにない」

 

 その剣に殺気が宿っていないことは訪重郎の目から見ても明らかだった。まるで路傍の石のような扱いだ。白哉はルキアの方しか見ていない。

 

「はあっ、はあっ、失せろだと……? 笑わせるな! この程度でビビッて逃げる男はいねぇんだよ! 志波家の男の中にはな!」

 

 その言葉は白哉の琴線に触れた。関わるまでもない匹夫だと思いきや、志波家の人間であるというのなら話は変わる。今や没落しているが、かつては朽木家と同格の五大貴族に名を連ねた一族である。

 

「志波家の者か。ならば手を抜いて済まなかった。貴様は生かして帰すまい」

 

「おやめください、兄様!」

 

 異様な霊圧が膨れ上がる。岩鷲は距離を取って警戒した。しかし、その程度の間合いは白哉にとって無きに等しい。

 

「散れ『千本桜』」

 

 風に舞う花弁のように刀身がほどけていく。その剣は、岩鷲を斬るために放たれたのだ。白哉の手には刀の柄だけが残っていた。

 

 今、白哉の手もとに刀はない。そして岩鷲と対峙するため、ルキアたちに背を向けている。それが意味することはすなわち、致命的な隙だった。

 

 

 

「御免」

 

 

 

 背後から、ぬるりと殺気が忍びよる。白哉はそれを本能で察した。刀を呼び戻している猶予はない。手にしていた柄で振り向きざまに攻撃を防ぐ。

 

 訪重郎の剣とかち合った。そして訪重郎が鬼道で作り出した剣は砕け散った。白哉との霊圧差を考えれば当然の道理である。たとえ白哉が何の防御を取らなかったとしても傷一つつけることすらできなかっただろう。

 

 そうなるはずだった。白哉が目を見開く。どう考えても打ち負けたはずの訪重郎の攻撃が白哉の腹部を切り裂いていた。自らの血の温かみなど久しく覚えのない感覚だった。

 

「……これは死神の力ではないな。貴様、何者だ」

 

「お初にお目にかかります。某は四番隊第八席、十間坂訪重郎と申します」

 

 斬られる寸前で事なきを得た岩鷲は何が起きたのかわからず困惑する。ルキアも花太郎も唖然としていた。

 

「『縛道の七 刃』」

 

 訪重郎は再び剣を構築する。だが今回は詠唱破棄をしたことにより剣を形作る霊圧の制御が安定せず、歪んでしまっている。回道以外の鬼道の適性が低い彼にとってはこれが精一杯の成果だった。

 

 果たしてその無様な術を笑う者がここにいるだろうか。雷のように形を変える歪な剣の切っ先が白哉へと向けられる。

 

 手の震えは止まっていた。

 

 

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