無形の剣   作:--

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人斬り6

 

「どうやら私の優しさが君には理解できないらしい。私がほんの少しでも加減を強めてやれば勝負にもなりはしないのだ。砕けろ『鏡花水月』」

 

 藍染が能力を使用する。卍解を習得している彼にとって、始解を使うためにわざわざ解号を言葉にする必要はないのだが、あえて知らしめるためにそう言った。

 

 突如として訪重郎が立つ地面に大穴が開く。幻覚であることは明らかだ。しかし、あまりにも現実味を帯びすぎていた。とっさに霊子を足場にしようとするものの、うまくできない。穴の底へと落ちていく。

 

 感覚だけを支配されているのだ。抗いようがない。落下する浮遊感、空気の抵抗、壁面に反響する音、全てが現実であるかのように訪重郎の脳へ情報が流れ込んでくる。高所からの落下に対する恐怖は生物として本能的に備わる機能だった。

 

 幻覚だとわかっていても狂わされた感覚の中で正常に行動することなどできるはずがない。藍染が接近する。斬りつけられても避けようがなかった。

 

 しかし、無理のある感覚の操作は長く続かないようだ。幻覚はすぐに消滅した。傷を回道で直しながら反撃に出る。刀を差し込もうとした時、藍染の前に人影が立ちふさがった。

 

「訪重郎!」

 

 花太郎の声だった。これも幻覚だ。わかりきっている。構わず剣を突き入れた。ずぶずぶと肉を斬る感覚が剣に伝わってくる。流れ出る血が刀身を伝いしたたり落ちる。

 

「な……んで……?」

 

 わずかに剣の動きが鈍った。その隙を見逃す藍染ではない。花太郎だったものの正体は藍染の刀だ。鍔迫り合いの最中に力を緩めた訪重郎は打ち負けた。何とか半身をひねって回避するも左腕を斬り飛ばされる。対処が遅れていれば首が飛んでいた。

 

「君は鏡花水月の能力を看破したつもりになっていたようだが、そんなことは不可能だ。誰もが感覚器を通してしか世界を感じ取ることはできない。私を敵に回すということはこの世の全てを敵に回すことに等しい」

 

 左腕の傷は止血したが戦闘中につなぎ直す時間はない。これ以上、幻覚に惑わされるわけにはいかなかった。しかし、その認識さえ不十分だ。藍染が繰り出した次の一手は鬼道だった。

 

「『破道の九十 黒棺』」

 

 鬼道衆ですら使える者はわずかしかいない九十番台の破道を詠唱破棄にて行使する。訪重郎の周囲を黒く巨大な箱が取り囲んだ。その内部は圧縮された重力の嵐が渦巻いている。捕らわれた者は原形すら残さず肉塊にされてしまうだろう。

 

 詠唱破棄によって本来の威力の三分の一程度しか出ていないが、活きの良い獣から血の気を抜くには十分だと藍染は判断した。この程度で死んでしまうようでは期待外れも甚だしい。その見立て通り、黒棺は内部から二つに切り分けられた。

 

 斬撃が藍染目がけて飛来する。直感的に危険を感じた藍染は迎え撃つことにした。この技は『無相』だ。反膜をも切り裂いた剣閃である。他の無形流の技とは別格。理を超えた領域の力だ。桁外れの霊圧を宿す藍染の体であっても傷つけることが可能だろう。

 

 しかし、藍染が霊圧を込めた刀で振り払えば容易に相殺されてしまった。不完全な威力だったからだ。無相は全霊を懸けた集中の果てにようやく放つことができる一撃である。このような実戦において使用できる技ではない。

 

 訪重郎は黒棺に囲われて姿が隠された状態であれば技を放つ時間を確保できると考えたようだが、結局は不発に終わった。超重力に体を蝕まれながら集中することなどできはしない。全身から血を流してその場に膝をついている。

 

 それでも剣から手を放してはいなかった。訪重郎は幽鬼のように立ち上がる。時を同じくして離れた場所から火の手が上がった。東仙と市丸が苦戦しているようだった。

 

 この戦いで藍染が最も警戒している敵は訪重郎ではない。山本元柳斎重國である。藍染をもってしても何の準備もなく正面から戦える相手ではなかった。その強すぎる力が一たび解き放たれれば瀞霊廷全域に影響を及ぼすほどだ。貴族たちも住まうこの場所でおいそれと力は使えまい。

 

 だが、業を煮やした山本が『流刃若火』を使おうとしているのであれば、そろそろ余興も潮時だろう。いつまでも訪重郎の相手をしている時間はない。

 

「もう十分だろう。私とこれ以上戦って何になる? 君が求める強さとは何だ?」

 

 藍染は飽きていた。これだけの力の差を見せつけてなお戦意を失わない訪重郎に呆れていた。強さならば示したはずだ。他に何を見せれば満足だというのか。

 

「某が受け継いだ無形流の剣理は『無』。我が師はそれを死と説きました。死に至る者だけが死を斬れるのだと」

 

 ある意味でそれは真理だった。彼が求めた強さとは、妻を守れなかった絶望に端を発する。虚を斬ることを目的とするなら死神となればできる。死をもって死を斬ると言い換えることもできるやもしれぬ。

 

 だが、果たしてそんなものが本当の『無』であると言えるのだろうか。

 

 人間だった時は死の先に続きがあるとは思っていなかった。死によって彼の剣は永遠に完成するのだと信じていた。だが尸魂界に来て、霊術院に入り、死神となり、同じ隊の仲間ができた。生きているのと何も変わらない。それのどこが『死』だというのか。

 

 命を落とした程度のことで死ぬことはできないのだと気づく。訪重郎にはもう、現世にいた頃のように何の疑いもなく剣の道を究めることができなくなってしまった。剣を握ることが怖くなってしまった。

 

 もはや誰かに頼るしかないと思うようになった。彼の剣を打ち破り、その先にある本当の『無』を教えてくれる強者を求めた。

 

 死とは何か、無とは何かが知りたかった。斬り合いだけがいつまでも埋まることのない彼の心をわずかに満たす。死に近づけるような気がした。

 

 朽木白哉、そして藍染惣右介。

 

 彼らなら教えてくれるのではないか。身を焦がすような期待があった。憑りつかれたように剣を振るった。その姿はまさに、己の死を望んだ彼の師の生き写しのようであった。

 

「愚かしい。私が死の何たるかを教えてやったところで君は納得するのか?」

 

 藍染は心底軽蔑したような目を訪重郎に向けていた。

 

「もし君がその死や無とやらを探究し、百年かけて剣の腕を磨き続けることだけに注力していたなら、少しは私と渡り合える次元に立つことができただろう。だが、君はそれをしなかった。努力を怠り、他者に自分の信念を委ねようとした」

 

 藍染は教えを乞うという行為自体を否定するつもりはなかった。それが向上心の発露であれば結構なことだ。しかし、訪重郎のそれは違う。

 

 “逃げ足の訪重郎”の二つ名通り、彼は逃げたのだ。自分からは何もせず、ただ答えが返ってくるのを待ち続けた。他人を騙し、自分を騙し、現状を維持することだけしか考えなかった。

 

 人の教えを鵜呑みにしたところで何になる。わからないことを知りたいと思うのであれば、それがどれだけ人の道から外れた方法を取ることになろうと自ら探究すべきだ。歩みを止めた者に先はない。藍染は訪重郎の評価を取下げた。仲間にする価値すらないと判断する。

 

 一瞬のことだった。訪重郎の目の前に現れた藍染が刀を振るう。反応が間に合わない。訪重郎の剣は、右腕ごと切り離された。両腕を失い、立ち尽くす。

 

「さようなら、死神の完現術者(フルブリンガー)。その身をもって死を知るといい」

 

「残念ながら貴殿の剣で某を殺すことはできません。まだ死には程遠い」

 

 藍染は眉をひそめた。世迷い事だ。しかし、訪重郎の表情には何かの確信が見て取れた。

 

「最後に一つ、無形流の技をお見せしましょう。これはできれば使いたくなかった最もくだらない技なのですが」

 

「くだらない技なら見せてもらわなくて結構だ」

 

「そう言わずに。これを見れば貴殿にもわかります。己の“弱さ”が」

 

 その直後、藍染はその場から飛び退いた。強烈な霊圧の波動を感じたからだ。訪重郎が放ったものではなかった。増援が来たかと舌打ちする。

 

 藍染をして警戒をあらわにするほどの霊圧の持ち主だ。隊長格の誰かだろう。山本か、あるいは享楽か。だが、そのどちらでもなかった。

 

「なんだ、これは」

 

 そこにいたのは血まみれの誰か。全身の皮が剥がされ、肉そのものが見えている。眼も潰されているようだった。その手には一本の浅打が握られている。

 

 

 

「無形流・外道『有象無象』」

 

 

 

 訪重郎が吐き捨てるようにつぶやいた。血みどろの助っ人が構えを取る。刀を鞘に収めて腰を落とした居合の型。藍染はそれを見たことがある。まずいと思った時には既に斬られていた。藍染の体から血が噴き出す。

 

 仮想の剣技『無相』である。助っ人の手に握られている剣は『松正』だった。抜いた本人にすら自覚のない剣閃が次々に走る。藍染を切り刻んでいく。

 

「『破道の六十三 雷吼炮』!」

 

 藍染は攻撃を受けながら鬼道を使う。防御したところでこの剣撃は防げない。とにかく手数で押すしかないと、巨大な雷の弾丸を次々に撃ち放った。その全てが敵に当たることなく斬撃を受けて放散する。

 

「待て」

 

 訪重郎が指示を出すと助っ人が手を止めた。居合抜きの姿勢のまま、斬撃の連射が止まる。藍染にそれまでの冷静さはなかった。肩で息をしながら訪重郎を睨みつける。

 

「これはどういうことだ!」

 

「まさかこれを堪え凌ぐとは思いませんでした。さすがです」

 

「答えろ! 貴様、何をした!?」

 

「はい。分けました。自分自身を」

 

 つまり、訪重郎の分身というわけだ。彼の能力があればクローンを生み出すことも可能だろう。そこまでは藍染にもわかる。だが、そのふざけた霊圧と戦闘力の説明にはなっていない。

 

 訪重郎は考えた。無の境地とは何だろう。多くの武術がそれを求めている。どうすれば至ることができるのか。剣を極めた先にあるのかもしれない。

 

 だから、そのための自分を作った。自分の骨、筋肉、臓器を切り刻み、複製した。省いたのは心だけだ。心さえなければ折れることもない。無限に修業することができる。

 

 彼は空間を切り分けて断界につながる穴を作ると、そこに分身を放り込んだ。断界とは現世と尸魂界との間に位置する広大な空間だ。拘流と呼ばれる霊体を捕らえる気流で満たされており、これを退ける手段なくして滞在はできない。かつては死神の流刑地でもあった。

 

 分身に能力で拘流を分ける結界を作らせ、そこで修行させた。食べ物はそのあたりにあるものを分解して霊子にして摂取させた。断界と尸魂界とでは時間の流れに二千倍の差がある。こちらでの一時間は、あちらでの二千時間だ。つまり、いくらでも好きなだけ修行させることができた。

 

 そして完成したものが、この剣を振るだけの機械だった。

 

 訪重郎は落胆した。こんなものが彼と父の求めた剣の極致なのだろうか。これが無か。否、断じて認めることなどできない。

 

 しかし同時に、自分ではどれだけ努力しようとこの人形の剣に敵わないことを悟った。彼には無理だ。悠久とも思える時間、剣のことだけを考えて修行し続けるなんてことはできない。分身が強くなればなるほどに、訪重郎は絶望した。

 

 訪重郎に呼び出され、藍染に手傷を負わせた分身体の練度は“百年”。百年もの間、絶えず押し寄せる拘流を退け、時空を掻き回す拘突の暴走を凌ぎ、地獄のような世界で剣の修行を積み重ねた個体である。

 

 その鍛え抜かれた剣技は、訪重郎にはできない『無相』の常時使用を可能とする。また、鏡花水月への対策として目を潰すように命令していた。念のために耳と鼻を潰し、生皮も剥がしておいた。そのような状態であっても藍染と渡り合える強さを持っていた。

 

「なん……だと……?」

 

 その説明を聞いた藍染は言葉を失った。そして思った。こんな技があるのなら、なぜ最初から使わなかったのか。藍染がその気になればいつでも訪重郎を殺すことができた。今になるまで奥の手を出し渋っていた理由がわからない。

 

「何か勘違いされているようですが、某は貴殿に勝つために闘っていたわけではありません。最初に申し上げた通り、貴殿の強さを知りたかったのです」

 

 訪重郎の目的は自らの剣を完膚なきまでに打ち破る相手に出会うこと。そして、その先にある真理を教えてもらうことだ。残念ながら藍染の強さは足りなかった。

 

「さえずるな、狂人が」

 

 藍染は瞬時に思考する。ここは撤退すべきだ。本気を出せば目の前の人形を片付けることはできるだろう。しかし、時間がかかりすぎる。

 

 屈辱だが仕方がない。浦原喜助の崩玉を手に入れ、ようやく本格的に計画が動き出したのだ。藍染の立てた仮説が正しければ、彼はあらゆる存在を超越した力を手にすることができる。こんなところで崇高な計画を邪魔されるわけにはいかなかった。

 

「この借りはいずれ返そう、十間坂訪重郎」

 

 藍染は黒腔を開く。意外にも人形が攻撃してくることはなかった。する必要がなくなったと言うべきか。

 

 藍染の背後に開いた穴は、虚界へとつながる黒腔ではなかった。空間を割くようにして三体のヒトガタが現れる。『有象無象』によって作られた分身は一体だけではなかった。

 

 一万年修行個体、三体が参戦する。拘流と同化したその霊圧は大気を歪ませ、蜃気楼のようにヒトガタの周囲で揺らめいている。まるで地獄の業火に焼かれる罪人。人でも死神でもない、修羅だった。

 

 その手には一本ずつ松正が握られている。彼らが望めば松正は現れる。どうやらこの成れの果ても訪重郎であることに違いはないらしい。

 

「ばかな……こんなことがあっていいはずが……ッ!」

 

 

 

 

 無形流において『無相』が最高の技であるとすれば、この『有象無象』は最低の技だ。最低にして最強の技だった。これは訪重郎が意図して作った技ではない。

 

 彼はある時、刃禅によって松正と対話するために用意した精神世界が、回道の修練の場として最適であることに気づいた。ここでなら他人の目を気にすることなくいくらでも自分を傷つけ、傷を直すことができた。

 

 やがて回道の技術が向上すると、切り分けた肉体を培養して結合し、自分とそっくりの分身を作ることができるようになった。しかし、ある問題が発生する。

 

 次の日になって精神世界に入ると、その修練の産物が消えずに残っているのである。害はないので放置していたのだが、日に日にその数は増えていき、人形は山積みにされていった。

 

 さすがに目に余るようになり、どうにか処分できないかと考えた。そこで空間を切り分け、断界へとつながる道を作ってその中へ捨てたのだ。物は試しと修行するように命令した上で。すると人形の数は減っていった。

 

 だが、これは全て訪重郎の心の中の出来事だ。言ってしまえば夢に過ぎない。もし現実にこのようなことをしようものなら、すぐさま技術開発局に突き止められてしまうだろう。現世と尸魂界をつなぐ穿界門の管理は厳重にされている。

 

 所詮は夢うつつの幻のようなものだと思っていた。しかし、斬魄刀との対話によって形成された精神世界は全てが偽りというわけではない。夢であり、現でもある。

 

 

 

 現在、廃棄した人形の多くが行方不明となっている。拘流に飲み込まれてしまったのだろう。松正を通して存在を確認できている分身の数は約三千体。もっとも古い個体の修行時間は十万年に達していた。 

 

 

 

「某は弱者だ。貴殿も弱者だ。生きとし生ける者、皆、弱者。

 

 誰もが死に向かって生きていながら、それが何かわからないのです。

 

 嗚呼、虚しいなぁ。藍染殿」

 

 

 

 裏切りの物語は終わりを迎える。藍染惣右介は七十四の肉片に切り分けられた。

 

 

 

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