デイビッド・ブラインドマン:マイケル・ブライト(O5-6)の息子であり、予知能力者。ブライト家の非嫡出子を保護しているが、初代クレア(叔母)が生きていた頃はそれらの活動について意見が対立することもあった。
気が動転しているアニーを蛇の手が持つ隠れ家の一つへ連れて行った後、緑青はその隠れ家の近くにあるコーヒースタンドで時間を潰していた。何となくだが、自分を探して例の知人が会いに来るような気がしたからだが──
「やあ、隣に座っても?」
「どうぞ、デイビッド」
気取った言い方と共に現れた盲人が、了承するか否かのタイミングでさっさと隣に腰掛けてしまう。余裕ぶった態度とは裏腹に若干忙しない行動テンポに、両者の関係性が透けて見えるかのようだった。
「新人はどうだった?」
「説明は一通り終わりましたよ。気が動転していたようなので、落ち着くのを待ってから改めて答えを聞き、気が変わらないようであれば簡単な仕事に同行して終わり……で、いいんですよね?」
緑青が頼まれたのはたったそれだけ。だからこそ緑青も引き受けたのだ。もし蛇の手に入るのを思い止まらせてくれ、と直接的に頼まれていたら断っていたかもしれない。そこまでいけば明確な妨害行為として、黒の女王派閥と事を構える事態になりかねないからだ。
緑青は黒の女王派閥とはほとんど関わりを持っていないが、ただの他人であるのと敵になるのでは全く訳が違う。今後も放浪者の図書館を利用したいのならば、蛇の手で台頭しつつある黒の女王派閥と事を構えても得することは一つもない。特殊な来歴の新人に公平な観点から案内役を務める、というのが波風立たせないギリギリのラインだ。
「新人の気は変わりそうだったか?」
「うーん……どうでしょう? 他人の機微に特別敏いわけではないので……」
「そうか。まあ、おそらくは変わらないだろうな……」
「何か予知したんですか?」
「いいや。ただ……親から受けた影響というのは、そう簡単に消えるものじゃない」
緑青は手に持ったコーヒー入りのタンブラーを揺らしながら、どう応えたものかと逡巡した。ほんのわずかに好奇心が首をもたげたからだ。
聞いた話によれば、デイビッドがブライト家の非嫡出子を保護して回っているのは、異能者を嫌う父への反発もあるという。傍目には単なる人道的観点からの援助にしか見えないが、財団との鼬ごっこのような保護作業は時にクレアから諫められるほどだったらしい。
おまけに、デイビッドは同性愛者だ。これもまた子種を撒いて異能者の非嫡出子を量産しておきながら、何の世話もしてやらない父に嫌気が差したためだと聞く。彼があらゆる面において父親から強い影響を受けているのは明らかだ。
そんなデイビッドが、母親から人工的に異能を与えられ、望まれるまま蛇の手にやってきたアニーに対して今回のような行動を起こした。勘繰るなという方が無理がある。問題は、湧き上がった疑問を実際に口にするかどうかだが──
「新人を異能者にしたのが実の親でなければ、首を突っ込まなかったんじゃないかと考えているのか?」
「どうやら僕よりも他人の機微に敏いようですね」
「いくら何でもこの流れで黙り込まれたら誰だってわかるだろう」
「……まあ、答えたくないなら無視してください。ちょっと気になっただけです」
見透かされてほんの少し気まずい心境に陥ったが、どうせ元からそこまで親しい間柄でもないのだからいいかと思い直した。デイビッドが答えたがらなければ話はここで終わるはずだったが、意外にも彼はこの話題に乗ってきた。
「どちらにせよ、口出しはしていただろう。たとえ作った側と作られた側が親子関係でなかったとしても……蛇の手に所属していた人間が異能者を作り出し、それを二世として所属させるのはそう易々と看過していい問題じゃない」
「ふむ……その言い方からして、製造側も蛇の手の人間なのが問題なんですか?」
「……正直なところ、来歴の怪しいメンバーがこれまで全くいなかったとは断言できない」
「毎度黒の女王側の問題に口出しできないからですか?」
「いや、もっと前……黒の女王が現れる前からだ。これは俺自身が見てきたことではなく、叔母から聞いたことだが……祖母が財団から追放されてから少しすると、蛇の手に怪しげな新入りがちらほらと現れるようになったそうだ」
「あなたの祖母というと……」
「エヴリン・ナヴォン……遺伝子学者にして、初代O5の一人だった人物だ。俺はほとんど関わったことはないが、祖父母は彼女の行いが原因で殺し合うほどに険悪な仲へと変じ、叔母達は両親の関係にかなり頭を悩ませていた時期もあったらしい。結局、祖父が隠居したことで今は静かな状態が保たれているが……」
「……思ったより込み入った話になってきたんですが、これって僕が聞いてもいい話なんですか?」
「構わない。喧伝して回っているわけじゃないが、どうしても隠しておきたいほどのことでもない。変に好奇心を持て余して探られる可能性を残すぐらいなら、自分から正しく話した方がいい」
嫌なら答えなくていいと言った手前、“余程のこと”がない限り勝手に事情を探ったりはしないが──こういうところに現実改変者への偏見を感じてしまう。緑青は少しむっとして口を噤んだが、何も言わずデイビッドに話の続きを促した。疑いを持たれるのはいい気分ではないにせよ、最初に露骨な話題誘導をしたのはこちら側なのだから文句は言えない。
「その頃、俺はまだ両親と関わりがあったし、蛇の手の中の問題は概ね叔母が片づけていた。だから、実際のところ怪しげな新入りとやらが祖母の差し金だったのかどうかは分からないが……重要なのは財団ができる時代にもなれば、多くの人々が異能者への態度を変えつつあったということだ。祖母はその内の一人に過ぎない」
「科学技術が発展し、どんな生き物が生まれるのかすら試験管の中で操作できるようになり始めた時代ですか……」
財団ができたのは、人類の文明において科学技術が飛躍的に発展し始めた頃だ。それ以前にも全米確保収容イニシアチブのような前身組織はあったが、財団になって以降あそこまで巨大化したのはひとえに科学技術の進歩が関わっている。
強力なアノマリーですら容易には破れないコンクリートの建物。製薬技術の発展によって生み出された記憶処理剤。高度にネットワーク化された社会における緻密な監視。人類が次々とこの世の暗闇を暴き、その奥に潜むものへの恐怖を忘れていった時代だ──当然、異能者を取り巻く環境も目まぐるしく変わっていった。
「その頃も全く問題視されなかったわけじゃない。異能者だからと無条件に誰も彼もを受け入れるなど、スパイを自ら招き入れるようなものだ」
「倫理観を捨てた科学者なら、寧ろそういった用途の異能者ぐらい作り出しそうですしね……」
「かといって、人工的な異能者だからというだけで突っ撥ねるのはあまりにも非情だ。だから、来歴が曖昧な異能者だろうと、蛇の手の理念に準じる気さえあれば受け入れることが多かったんだが……今回は蛇の手に所属していた人間が、放浪者の図書館の知識を利用して異能者を作り出したのが問題なんだ」
異能者がどれだけ生き難い世の中か、蛇の手の人間ならばよく知っているだろう。にも関わらず、自分の娘にその生き辛さを押し付けたのだ。蛇の手が公然と今回の事例を受け入れたら、今後同様のことを考える者が出ないとも限らない。それはどの派閥にとっても避けたいことだろう。
「君も知っての通り、蛇の手は財団のように強固な縦社会じゃない。放浪者の図書館という後ろ盾が極めて強力だから何とかなっているだけで、小規模な集団の寄り合いというのは組織としては脆弱だ……だからこそ、我々は同じ理想を抱いている必要がある」
「だから、異能者のためを掲げながら、異能者を弄ぶような真似はおいそれと見過ごせないと」
「実行した当人は、弄んだつもりはないと言うだろうけどな……しかし、重要なのは当人がどう主張するかではなく、周囲からどう受け取られるかだ。何らかの組織に所属する人間ならば余計に」
アニーが長らく蛇の手と関わりなく過ごしてきたことからも、彼女の母親の行動は蛇の手にとっても寝耳に水だったのだろう。だが、そうして組織を出し抜くこと自体がおかしいのだ。
己の行動が真に世界のため、異能者のためと胸を張って言えるのなら、何故自身が所属する組織に隠れて行ったのか──蛇の手は比較的に規則の緩い組織とはいえ、さすがに真っ向から理念に反する行いは許容されない。それが分かっていたから、なし崩しに認めさせてしまえばいいと周りの理解を得ずに実行したのではないか。そういった疑いの皺寄せが、今になって娘のアニーにいっているのだ。
「……実際のところ、彼女の母親はこうなることを予想してなかったんですかね?」
「してなかったかもしれないな」
「自分から言っておいてなんですけど、そんなことあり得ます……? 蛇の手の理念を考えたら、必ずしも賛成を得られるわけじゃないのは分かりそうなものなんですが……」
「人間は何かを正しいを思いこんだ時、それ以上他の可能性について考えられなくなるものだ」
デイビッドは独白するように呟き、もう存在しない眼球をなぞるように瞼に触れた。かつて父は「目を失えば息子から予知能力がなくなるだろう」という曖昧な思い込みによって、彼から永遠に光を奪ったのだ。彼は『自分は正しい』と思いこんだ人間の恐ろしさをよく知っていた。
「……とにかく、新人の案内は頼んだぞ。彼女の方もそろそろ気分が落ち着いてきた頃だろう」
「分かりました。まあ、案外気が変わってすぐ終わるかもしれませんからね」
「……そうだといいがな」