狭間の虚空:あるいはポケット非次元(ポケットディメンション)。内部の空間は酷く捻じれており、物理法則や時間の速度も現実とは異なる。
「私、蛇の手に残るわ」
期待とは異なるが、予想はしていた答えだった。蛇の手の隠れ家に戻るなり、アニーから放たれた返答に嘆息する。とはいえ、止める気はないのだから粛々と仕事をこなすだけだ。
「分かった。落ち着いて考えた末に出した答えならとやかく言わないよ。それじゃあ、簡単な仕事を一つだけお試しでやってみたら、僕からの案内はそれで終わりだ」
「仕事?」
「そう。まあ、簡単な後始末なんだけど……今回、君にやってもらうのは魔術師の派閥から請け負った仕事だ。なんで魔術師派閥の仕事なのか分かるかい?」
「……私の立場的に、黒の女王の派閥の仕事でも、あなたを割り込ませたブライト家の派閥でも角が立つから?」
「そういうこと」
請け負う仕事を選んだのは黒の女王で、それをデイビッドが確認の上、両者の合意の下に決定されたと聞いている。回りくどいようにも思えるが、こういった措置は強固な指揮系統を持たない蛇の手にとって重要な段取りでもあった。お互いに相手を尊重していることを明確な形で示し合い、配慮しているポーズを取る必要があるのだ──たとえ内心どんな本音を抱えていようと。
「尤も、今回のようなケースに関わらず、蛇の手では派閥間で仕事を融通し合うのはよくあることだよ。僕は部外者だから、厳密に彼らがどういった意図で仕事をパスし合っているのかは断言できないけど……ざっくり言えば、体裁を守るべき場面では別の派閥に渡すことが多く、秘密を守るべき場面では内輪で処理することが多い」
「守るべき体裁って……身内に対して? それとも、他の派閥に対して?」
「それは派閥によるね。黒の女王とかはリーダーの求心力が強く、派閥内は問題が少ない。だから、他派閥への体裁に苦心することの方が多い。一方で、魔術師の派閥は内輪揉めが多い」
「え」
「最初に説明した通り、魔術師は血統によって素質が左右される部分が大きい。そして、世襲制は腐るというのが世の常でね……」
アニーとその母親然り、親子二代にわたって蛇の手に関わると思想が歪みやすい。それが血筋を重んじる家で、何代にも跨いでとなると余計に。
「正直に言って、今回の件は一般人基準でいうとあまり心地よい話題ではないと思う。けど、君が蛇の手に入るなら今後魔術師との付き合いは避けられない。魔術師がどんなものか事前に知っておくという意味でも、ちょうどいい仕事だと思うよ」
「魔術師ってそんなに変わっているの?」
「うーん……魔術師が問題というより、そもそも魔術というもの自体が多分普通に生きてきた人にとっては悍ましい側面を持っているというか……魔術は儀式を通じて行使するものがほとんどなんだけど、それらの儀式には血肉の生贄を用いることが多いんだよ」
「血肉、って……」
「キリスト教徒じゃないんだから羊とは限らないよ。勿論、羊などの家畜でも構わないことはあるけど……大掛かりな儀式であれば、大抵は人間だね」
生贄の伝承というのは、世界各地どこを探しても何かしらは見つかるものだ。ある時は洪水を鎮めるために清らかな乙女を川へ投げ込み、ある時は荒ぶる神を鎮めるために生まれたばかりの赤子を山中に置き去りにする。これらのいくつかは口減らしを誤魔化すための作り話だろうが、中には本当の話も含まれていた。
命を代価に奇跡を起こすというのは、人類が古くから学んできた危機回避手段の一つだ。そして、現代においても一定の有効性のある手段でもある。現実改変者や異能者は必ずしも懸案の状況に適した能力の持ち主がいるとは限らないし、科学では未だ追いつかない部分もあるからだ。この世の終焉に立ち向かうための手段は一つでも多いに越したことはない。
「尤も、今回の件に関して言えば本当に人間なのかは怪しいんだけど……」
「どういうこと?」
「今回、依頼されたのは毎晩同一人物を生み出すベッドの後始末なんだよ」
「……な、なんて?」
「とある大学の女子寮にあった二つのシングルベッドで、片方で人が眠ると、もう片方に謎の人型実体が出現するんだ。このベッドの由来自体は僕も聞いていない。たまたまそういうアノマリーを見つけて利用していたのか、それとも魔術か何かで人為的に作り出したのか……依頼を出した魔術師達は把握しているかもしれないけど、依頼の主題とはそれほど関係ないからと明かさなかったみたいだ」
「利用って……もしかしてそのベッドから生み出される人を生贄に、何かしら儀式を行っていたってこと?」
「そうみたいだね。ただ、蛇の手に籍を置いている魔術師達にとって本意ではなかったらしい」
「どういうこと?」
「大学にあったのは、実行者がそこに在学する学生だったからだ。その人物は母親が蛇の手の魔術師で、親に隠れて魔術の練習をしていたらしい」
子供が親に隠れて何か悪さをしでかすというのは珍しくもない話だが、親子揃って魔術師となるとそのスケールも桁違いだ。我が子のやらかしを知った時、親はさぞ蒼褪めたのではなかろうか。何せ、普通の学生も大量にいるただの学寮でそんなことをしていたとなれば、下手をすれば財団に我が子のことがバレていた可能性もあったのだ。そうなれば話は今とは比べ物にならないほどややこしくなっていた。
「ベッド自体はもう回収できない。財団が存在を嗅ぎつけているから、ここで無理に回収すれば財団に蛇の手が関与していたことがバレてしまう」
「財団に!? その魔術師だという子はどうなったの……?」
「彼女は無事だよ。というか、魔術師達は真っ先にその子の保護と隠蔽を優先したから、ベッドまで手を回す前に財団に出し抜かれてしまったんだ。魔術師の血統社会は悪い面も目立つけど、こういう時に一致団結して仲間を助けられるのは良い面だと言えるだろうね」
「そうね……けど、魔術師の子もベッドも回収しなくていいなら、私達が頼まれた後始末というのはどういうものなの?」
「その子がこっそり魔術の練習に使っていた場所の片付けだよ。あと、魔術師達の隠蔽が上手くいっているか一応確認しないと」
蛇の手が事態を把握した時、財団はすでに██████大学に夜な夜な不審な学生が現れることに気付いていた。財団に目をつけられている場所で欲張ってあれこれと動き回れば、今回の件に蛇の手が関わっていたことがバレてしまう。その関与が本当に蛇の手全体の総意だったのなら無理に隠蔽する必要はなかっただろうが、子供の独断専行となれば他派閥への体裁として露呈は許されない。
結局、魔術師達が手を回せたのはその子供が在籍していたという記録をこっそり消すことだけだった。今や書類上は勿論、子供と面識があった学生から職員に至るまで全員、そんな子供がいたということすら知らないだろう。
「隠蔽の確認は大した作業じゃないけど、問題は練習場の片付けだね」
「それも学寮の中なの?」
「いや、寮内だと十分なスペースが確保できなかったみたいで、練習場の方は古いビルの地下にある。薬学部が所有している旧実験棟なんだけど……不幸なことに最悪のタイミングで事故が起きた」
「事故? それも隠蔽の一環?」
「これは正真正銘ただの事故だよ。経緯もはっきりしていて、学生が遠心分離機を使う時に手順を間違えて実験室を破壊したんだ。普通ならそういう時は該当の実験室だけ閉鎖して、短期間で修理されるものだけど……さっき言った通り、そこは旧実験棟でね。薬学部はすでに新しい実験棟を持っているものだから、今回の事故を切っ掛けに旧実験棟の取り壊しが前倒しになってしまったんだ」
「つまり……放っておくとその地下にある練習場がバレてしまうのね」
「まあ、悪いことばかりでもないけどね。あまりにも経緯が明らかな事故だから、財団も旧実験棟の事故はベッドの件と無関係と判断したみたいだ。今のところ無理に調査する気配はないし、それこそ取り壊しのために業者が入ってくるまで猶予はある」
おそらく、遠心分離機を正しく扱えなかった学生はしこたま怒られただろうが、旧実験棟を怪しまれたくなかった蛇の手にとっては渡りに船だ。尤も、そのせいで旧実験棟が無人状態になってしまったのは、こっそりそこの地下に入りたい二人にとってあまり良い知らせではないのだが。
「黒の女王は人を集める時、基本的にその人に適した仕事しか割り振らない……人手に困ってない彼女らしいやり方だね。例えば、いくら強くても気弱な人に戦闘員になれといっても無理があるから、そういう人は他の人員が潜入する時の退路確保とか特定の役割に徹することになる。多分、君もそういう類の役割になるんじゃないかな」
「まあ確かに、戦えるような能力は持ってないわね……」
「それもあるけどね。ただ、君のポケット非次元へ自由に出入りできる能力は、ルート確保という観点から言えば極めて利便性が高いから」
「ポケット非次元……?」
「呼び方は色々だけど……君が水などの反射面を通して出入りする真っ暗な空間だよ」
「ああ、あそこのことだったのね。でも私、別にあそこから任意の場所に移動できるわけじゃないんだけど……」
緑青がポケットディメンションと呼ぶ場所、現場調整官が狭間の虚空と呼んでいた場所。財団から逃げ出す時、幾度となくアニーに重要な手掛かりを差し出してくれた場所だが、同時に底なし沼のように恐ろしい場所でもある。
思えば何度もあそこに入ったというのに、アニーはあそこについてあまりよく知らない。怪物のようなパトカーから逃げ延びた時のことを考えれば、おそらく上手くやれば別の場所へ移動できるらしいというのは事実だろうが──あの時は無我夢中で逃げている内に気付けばトンネルの外へ移動できていただけで、あれを自力で再現することはできていない。
「そこで僕だよ。僕が今回ついていくのは後始末のために現実改変者がいた方がいいというのもあるけど、一番はあの空間で自由に動き回れるからだ」
「あなたはあそこについて詳しいの?」
「何でも説明できるわけではないけどね。少なくとも、君に移動方法をレクチャーすることはできる。とはいえ、こういうのは座学より実践の方が呑み込みやすいだろうから……君さえよければ早速現地へ向かおうと思うけど、どうする?」
※Go Home Annieでは現場調整官のオフィスから虚空に入った際、赤い光の点ったコンソールに「ROB SCRANTON WAS HERE」と記されているのが確認できるため、本作では虚空=3001のポケット非次元として扱います。
タイトル: SCP-2931 - ツインベッド
原語版タイトル: SCP-2931 - Twin Bed
訳者: gnmaee
原語版作者: StopSquark
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-2931
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-2931
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: SCP-3001 - レッド・リアリティ
原語版タイトル: SCP-3001 - Red Reality
訳者: YS_GPCR
原語版作者: OZ Ouroboros
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-3001
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-3001
ライセンス: CC BY-SA 3.0