ルルワ:カインの双子の妹、セスの異母姉。神に呪われた兄を助けようとした末に、自身も金属の体に変じて生き続けることになった。現在居場所が判明しているきょうだいの中では、唯一普通の社会に溶け込んで暮らしている。
本棚を背に振り返ったアニーが、少しぎこちない笑みを浮かべる──別れ際の光景はしばし緑青の脳裏に焼き付き、何とも言えない居心地の悪さを感じさせていた。その感覚は目の前にいる相手にも伝わったのか、ころころと笑い声と共にコーヒーが差し出される。
「心ここにあらずといった様子ね。そんなに後味の悪い仕事だったのかしら?」
「ルルワ……セスに手紙を書くと言っていたのは僕の勘違いですか? あなたが急いで返事を書くから少し待っていてくれ、と言ったからここに残ったはずなんですが」
「あら、お喋りしてからでも遅くないわよ」
「……はあ」
新人の案内という仕事を終えた後、緑青はセスに頼まれた通りルルワの元を訪れていた。新人の指導兼見張りという仕事に比べれば、こちらは届け物をすればいいだけの簡単な仕事──だったはずなのだが、何故だかルルワの仮住まいに訪れるなり少し滞在していけと言い包められ、気付けば簡素なキッチンでコーヒーを飲む羽目になっている。
セスもそうだが、人は長く生きると他者の都合に配慮する感覚が薄れるのだろうか。一生が終わりの見えないほど長いとなれば、一々他人を気遣うのは馬鹿らしくなるのかもしれない。何せ、どんな他人も自分にとっては瞬きほどの時間で過ぎ去っていく存在なのだから。
「いつも飄々としているあなたが、ここまで微妙な顔をして現れたんだもの。気にするなという方が無理があるでしょう?」
「日を置いてから来るべきでしたね……」
「時間を空けたら忘れられそうな問題?」
「ええ。ずっと付き合いがあるような相手でもありませんから」
「ほんの少ししか付き合いが生まれなかったのに、そこまで思い悩むなんて……何があったのか益々気になるわね」
どう言えば興味を失くしてもらえるんだよ、というツッコミを呑み込んだ。古代人の考えを細かく推察するのは難しい。別にどうしても隠しておきたいわけでもなし、もう素直に話した方が早いだろう。あまり良い話でもないので、まるで陰口のようで少し気は引けるが──
「先に断っておきますが、期待されているほど劇的な話でもありませんからね。ただ単に、蛇の手の新人を案内してほしいと頼まれただけです」
「へえ、どんな子なの?」
「ポケット非次元への穴を開けられる異能の持ち主で……所謂二世です」
「あら、一世は……母親? 父親?」
「母親です。ただ、母親については詳しく知りません。黒の女王の下にいたので、彼らなら何か知っているかもしれませんが……」
「ああ、あの子ね……」
「何やら微妙な反応ですが、黒の女王と何かありましたか?」
「いいえ、特には。ただ……長く生きているとね、時代が変わったと実感した瞬間についこういう顔になるものなのよ」
年寄りのような発言だ。いや、古代人なのだから年寄りではあるのだが、見た目だけは妙齢の女性なのでどうにも調子が狂う。
「セスも黒の女王とは距離を取っているんですけど、古代人的にああいう人は何かしら思うところでもあるんですか?」
「うーん……彼女に限らず、急進的な人間とは距離を取る癖ができてしまうのよ。大抵は関わっても碌なことにならないから」
「たとえそれが良い変化かもしれなくても?」
「変化が良いものかどうかは、その時は分からないのよ。それを決めるのは必ず後世の人間なの。世の革命家が存命中は圧倒的求心力で人々の尊敬を集め、死後にあれは悪逆な振る舞いだったと散々に罵られるのを何度も見てきたわ」
「まあ、人間って好き勝手言うものですからね……」
革命家自身には何の問題もなくとも、当人の死後に理想を受け継がなかった組織がやらかしてしまう場合もある。そうなると芋蔓式に革命の意義にも疑念が生じてしまうため、変革を齎すというのは本当に難しいことなのだ。黒の女王の派閥の体質的に、最も危惧すべきはこうした未来の可能性かもしれない。
ブライト家の派閥はたとえクレアがいなくなっても、彼女自身の後継者やデイビッドがいる。クレアという極めて強力な助言者がいなくなったことで色々あったようだが、それでも十分に対応可能な問題しか起きなかったとも言える。
だが、黒の女王の派閥には彼女以外に目立ったメンバーはいない。秀でた一芸を持つ者は多いが、各々の事情を折衝して組織を取りまとめられる人間となると難しい。その辺りの事情を考慮すると、まず間違いなく女王より長生きするであろう古代人達が関わりたがらないのも何となく理解はできる。
「ともあれ、あの子が関わっているのなら何か変わったことが起きたのは間違いなさそうね」
「変わったことというか、変わった新人というか……新人の異能は母親が人工的に植え込んだものらしくて」
「……なるほどねぇ。今の蛇の手の体制とは相反することが起きてしまったのね。そして、それはあなたにとってもあまり面白くないことだったと」
「僕は別に……部外者ですし」
「それは口出ししない理由であって、たとえ傍観者であっても人はいろんなことを考えるものよ。例えば……何故進んで要らぬ苦労を背負うのか、とか」
見透かされている。ルルワの言う通り、最初の会話以降ずっと気になっているのはそこだった。
アニーは異能者といえど荒事に慣れているわけでもなければ、戦いに適性があるタイプの異能者でもない。おまけに、異能者揃いの蛇の手の中ですら特殊な立場にいて、今後様々な偏見や疑念に晒される可能性もある。加えて、アニーは母親が熱狂的に語っていた理想が然程現実的ではなく、蛇の手もまたただの人の集まりだという事実に少なからずショックを受けていた。
立場的にも心情的にも、蛇の手にいれば苦労は絶えないだろう。なのに、アニーは他の道を模索することなく蛇の手を選んだ。それが緑青にとっては些か信じ難いことだった。部外者として「よく考えて決めたのなら」とは言ったが、本当に考えた末の回答なのか少し疑ったほどだ。
「本当にちらっとも蛇の手以外の生き方は考えなかったんですかね? 確かに、財団に目をつけられている以上、蛇の手の助け無しに一般社会へ溶け込むのは難しいでしょうが……今回に関しては強引に横槍を入れたわけですし、蛇の手に入るのを止めてもデイビッドはちゃんとアニーが暮らしていけるよう手助けしたでしょう。それに、どうしても蛇の手が助けなければエルマ外教が助けることもできます。まあ、その場合はこの世界にいることを諦めてもらうことになるかもしれませんが……」
「そうね。でも、その可能性を受け入れるためには他人を信じる必要があるわ」
「……確かに僕やデイビッドは他人かもしれませんが、アニーが見つかってすぐ呼び出されたわけですし、ジェフ含む黒の女王の派閥も同じぐらい他人じゃないですか? それとも、母親がかつて所属していたという事実はそこまで重いものなんでしょうか?」
「人によっては重いでしょうね。良くも悪くも、親の影響は大きいものよ。私だって未だに去っていった母のことや、無茶苦茶だった父のことを思い出すもの」
「そういうものですか……」
「それに……財団に目をつけられているなら、もうとっくに人を信用できなくなっているんじゃないかしら。彼らは澄まし顔で近づいてきて、あれこれと都合の良いことを囁いてくるもの」
「……まあ、確かに」
財団の恐ろしいところは、どの組織よりも密接に社会と繋がりを持っていることだ。GOCにも潜入エージェントはいるが、彼らは結局のところ殺害が目的なので対処はしやすい。だが、財団の目的は殺害とも限らず、時には思いもよらない搦め手を使ってくるので厄介だ。財団に追われるようになったが最後、玄関先で少しばかり顔を合わせることになる宅配業者すら疑わなければいけなくなる。
「なら、あなたはその子に助けを求めてほしかったのかしら?」
「そういうわけでもないんですが……まあ、大した感想があるわけじゃないんです。ただ、組織特有の泥沼具合に軽く巻き込まれて、自然と憂鬱な気分になっただけですよ」
「あら、そう?」
「そうですよ。エルマ外教はこういうごたごたがほとんど起きないですし、慣れない出来事で疲れました」
ルルワからの含みがある眼差しに晒され、どうにも居心地が悪くなる。自分でも意識的に把握していない部分まで見透かされているかのようだ。
「……ルルワ、そろそろ返事を書きませんか?」
「ふふ、そうね。あなたの日常に起きたささやかなハプニングの顛末も聞けたし、約束通り返事を書きましょうか」
ようやくペンと便箋を手に取ってくれたルルワに安堵し、ダイニングの窓から外に広がる街並みを眺める。今日も世界は平和だ──たとえそれが表面上のものだけであったとしても。
タイトル: SCP-7673 - Luluwa
原語版著者: IvanNavi
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-7673
ライセンス: CC BY-SA 3.0
※余談
本作タイトルの「無垢の花、花陰の蛇」はマクベス1-5の台詞が元ネタ。
「世間を欺くには、世間のように振る舞いなさい。目、手、言葉で歓迎を示すのです。無垢な花のように見えて、その下に蛇を忍ばせなさい」