Mare Inbrium   作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ

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箸休め回ですわ~!


一章Ⅶ:自我

 ギターを間違えたことが直接的な原因となって睦がライブ中に糸が切れた人形のようにその場からピクリとも動かなくなるというアクシデントは、けれど祥子(オブリビオニス)の機転でなんとかパフォーマンスの一つとしてやり過ごすことが出来た。

 ──或いは、演奏中の事故だと認知された方が彼女たちにとっては幸福だったのかもしれないが。

 

「そんなことが」

「ええ、なんとかスタッフには納得してもらいましたわ……けれど、演奏を蔑ろにされては……あのライブがムジカにとってどれほど大事なものだったか……!」

 

 ライブが終わった後も方々に頭を下げ、観客には真実を告げないという方向で纏めた祥子が一息を吐けたのは日付が変わる頃だった。普段よりもあっさり目の食事をじっくり咀嚼し、口許をナプキンで拭きながら匡導に事情を説明していた。

 

「確かに反応はいいね、SNSでもまだトレンド入ってるくらいだし」

「演奏で評価されているわけではありませんわ」

「そうだなァ、演奏が良かったって感想が押しつぶされてる感じだ」

「……ところで、今日は睦のところへ行かなくてよろしくて?」

「なんで?」

「なんでって……」

「やだなァ、()()()()()()()()()お嬢を放っておくわけないじゃないですか」

「……烏森」

 

 昨晩睦の様子を見て、傍に居たのはあくまで祥子が事務所に居る間の、いわば暇つぶしだと匡導は捉えていた。悪し様に言えば睦は祥子を構う必要がなくなった時に初めて匡導の視界に入るだけの存在、勿論彼女から「睦の傍にいてほしい」と命令があれば話は変わってくる。

 だがあくまで烏森匡導は豊川定治の走狗であり、豊川祥子の飼い犬。優先順位(プライオリティ)が下なのは彼からすれば至極当たり前のことだった。

 

「忘れていましたわ、貴方はそういう男だったと」

「思い出していただけて何よりですよ……勿論、睦には申し訳ないと思う気持ちもありますが、俺個人の感情としても、改めて若葉の家に近づくのはリスキーなんですよ」

「……みなみさんは烏森を息子のように扱うから、ですわね」

「違うって言ってるんですけどねェ」

 

 打算的で、そこに人としての温かみなど微塵もない。狗という自称通り自我のない誰かの操り人形、そもそも豊川邸や若葉の家によく通っていた理由も彼の親である孝臣の打算から成るものだというのは、本人の口から知らされたことだった。

 ──無論、そんな彼にも例外というものは存在する。最も解りやすい例外は、飼い犬を名乗っておきながら主人をベッドで組み伏せるという無礼を働く点だった。

 

「わたくしが疲れている時に限って元気なのは、どうかと思いますわ」

「ごめん、割と久々だったから」

「明日もやることがありますし、明後日は睦の家でミーティング、スケジュールは詰まっていますのよ?」

「大変だ」

「貴方が余計に大変にしている自覚はおあり?」

 

 懇々と説教染みた愚痴を風呂場で聞かされた匡導は、それでも少しはリラックスしている祥子のうなじを見つめる。

 ライブの前の苛立つような様子は見せない彼女に、ほっとしているという事実があまりにも浅ましいと自嘲していると祥子が身体を彼に預けながら首を斜め後ろ、少し上に向けて目を合わせた。

 

「それで、睦とは……本当にしていませんの?」

「して……って、セックス?」

「明け透けすぎますわ……けれど、ええ、そうですわ」

「してないけど、なんで?」

「昨晩同衾したのでは?」

「ベッドには寝転んだよ、寝れないって言うから……けどそれも祥子が三角の家に泊まるって連絡来る前だし、その後事務所向かおうとしてたところだったよ」

「そう……そうでしたの」

 

 祥子は自分が早とちりと嫉妬で、当て付けのようなセリフを吐いたことを今更ながら恥じていた。ツアー前は特に睦のことばかり気に掛けているのも、自分が台本作りや新曲づくりを忙しくしていたため、気を遣って傍から離れてくれていた、いわば一つの忠誠だったのだと気づいて、少し迷ってからその唇にそっと口づけをした。

 

「祥子?」

「ちょっとした主人からのご褒美ですわ」

「駄犬だから調子に乗っちゃうなァ」

「いつものことですわ」

「抵抗しないんだ」

 

 抱きしめられ、先ほどよりも密着されて言葉なく頷く。彼のことを誤解していた、もっと言えば忙しくなって離れてしまうのではないかという不安が胸の裡にあったのだから、それが誤解だったことへの贖罪に近い気持ちだった。

 或いは、何をされてもいいと態度で示すことで一応はあった筈の遠慮を取り払う儀式のようなものでもあった。

 

「そういえば匡導」

「なに?」

「最近は特に思っていたけれど、教師の仕事は大丈夫なんですの?」

「大丈夫、ではないけど……まァ、いざとなれば会長のコネでなんとかするし」

「お祖父様頼りですわね」

「否定できない」

 

 一年目から不真面目だと思われているだろうし、少なくとも事情を知らない同僚には厄介者扱いはされるだろうが、そもそも無理やり羽丘女子学園の就職をさせた定治がなんとかするべきことだろう、と匡導は全ての責任を飼い主に投げていた。

 

「作業はなるべく日が出てるうちに、夜更かしなんてするもんじゃないから」

「解っていますわ」

 

 彼に抱かれ、喩え一時でも快楽に溺れ、性愛に酔う時間は満足感を得られるものだった。だがそれだけでは祥子は満足することはない。彼女が求めるのは「Ave Mujica」という代替品の成功を以って「CRYCHIC」を完全に捨て去ること。それは、性行為という快楽では絶対に忘れることが出来ないことを痛感していた。

 

「先生」

「はい、あァ……千早さん」

「大丈夫ですか?」

「いや、最近色々と忙しくて」

「ふ~ん……」

 

 翌日、結局明け方近くまで盛り上がってしまったこともあり職員室で舟を漕いでいる匡導に話しかけたのは千早愛音──祥子とも他人ではないが、知り合いという程でもない、だが彼女の過去と現在を語る上では重要人物ですらある、と彼がマークしていた。

 彼女が、とんでもなくグロッキー状態とはいえ態々担任でも、それほど話したことがあるわけでもない匡導に声を掛けたきっかけは「Ave Mujica」の武道館ライブにまで遡る。

 

「燈には言わないで」

「──切った!?」

 

 一緒に観に来ていた長崎そよとはぐれ「Ave Mujica」のメンバーにかつて「CRYCHIC」だった睦と祥子が居たことを椎名立希に伝えたところ、たったそれだけを言い残して通話を終えてしまった。

 それに呆れて、興奮冷めやらぬ人混みの中に烏森匡導の姿を発見した。

 

「……え」

 

 普段の彼とは似ても似つかない。几帳面な雰囲気をするスーツ姿、髪の毛も整っており、背筋も伸びているため一瞬よく似た別人かと思ったものの、なんとなく気になった愛音は老紳士と話す彼の後ろに滑り込んでいく。

 

「帰り、まさかこのまま電車なわけじゃねェよな」

「俺としちゃそれでもいいんだがな、会長殿に車出してもらってんだ、匡坊も乗んな」

「ありがてェ、そうさせてもらう」

 

 口調も別人だが確実に、匡導だと確信していた愛音だったがここで初めて自分がなんで彼らに目線が吸い寄せられたのかを理解した。

 ──凡そライブを聴いていた客は、仮面を剥がれた、人形達の中の人、と言ってもいい彼女たちの話題を喜色で語っている。音楽もよかったという一割が混じりつつもモーティスの話、ドロリスの話、アモーリスの話が中心だった。だが彼らは何処か神妙な顔で、それが愛音の目を引いていた。

 

「なァ匡坊」

「なんだよ」

「会長のご令孫のこと、頼むぜ」

「祥子のことか……俺に出来ることがあるとは思えねェけど」

「いいや、いい仲なんだろ? 隠してるつもりなんだろうがなァ」

「──祖父さん」

「あァ、会長には言ってねェよ、心配すんな」

「……悪ィ」

 

 謎の老紳士が放った言葉に、本来なら雑踏の声に紛れる筈の内容が確かに愛音の耳に届き思わず声を上げてしまいそうになる。

 祥子と匡導の関係、春に少しだけ噂があったものの七月に入る頃にはすっかりなくなっていたその噂が事実だったという驚愕の事実、そしてその二人が高そうな車に乗っていく姿を目の当たりにしたことで、彼の正体に疑念を抱くようになっていた。

 

「……それ本当?」

「マジだってば、この人!」

「写真見せられても」

 

 後日、ひとまずそよにはぐれた間にあった話をした。しかし当の彼女は祥子がそんな教師と恋仲になるようなことがとても信じられない上、教師としての写真を何枚か見せられても羽丘生ではない自分には解る筈がないと溜息を吐いた。

 

「っていうかこれ、盗撮?」

「……うん」

「バレたら反省文で済むかな~?」

「うっ、で、でもそよりんとかりっきーに相談しようと思って」

「はいはい……待って、今の」

「ん?」

 

 流し見をしていたそよだったが、その中にあった一枚、愛音からすれば後ろ姿だけだったため重要度が低い写真だと思っていたものに注目した。

 ──確かに、彼の姿は背中しか映ってはいない。だがそんな知らない人物の荒い画質の写真よりももっと重要な事実がその一枚には隠されていた。

 

「……この車」

「スポーツカーっぽいよね、ライブの時も思ったけど実はお金持ち──」

「──そうじゃなくて、この車……月ノ森の近くで見たことある」

「えっ!?」

 

 そよが注目したのは彼が車に乗り込む姿を映していたからであった。彼に見覚えがあるかどうかは解らないけれど、その車には見覚えがあった。見分けがつきやすいスポーツタイプの黒い車だったからこそ、ナンバープレートを覚えていたわけではないため違うかもしれないと前置きをした上で、この車種が六月ごろ、睦を迎えに来ていたことを思い出していた。

 

「じゃあ、その確率……高くない?」

「祥ちゃんと関わりがあるなら……睦ちゃんと関わりがあってもおかしくないかもね」

「だよね~」

 

 老紳士とも会話の雰囲気としては、おそらく血縁──祖父だと見てよさそうだと愛音は振り返ってそう思った。

 そよが睦から訊き出したことによると「Ave Mujica」の総指揮であり発起人は祥子だから教師ではあるものの何らかの形で関わっている、そう結論づけていた。

 

「忙しいって、祥子ちゃんに関係があることですか~?」

「……祥子?」

 

 ジャブとして訊ねてみるも、彼は困ったような反応をしている。

 そよに頼まれて──拒否できる雰囲気ではなかったとも言うが、彼からも事情を知りたいという話だったがやっぱり強敵だよね、と愛音は内心でため息を吐いた。

 

「B組の豊川祥子ちゃんですよ」

「あの子か、最近顔を見てない……なんかバンドやってるんだよね」

「詳しくないんですか?」

「そりゃあ、若者の流行にはついていけないよ」

「オジサンっぽい~」

 

 匡導はとぼけることで誤魔化そうと画策する。なんらかの確信を持って訊ねてきているというのは解ってはいたが、だからと言って簡単に認めるわけにはいかない。彼と祥子の関係が露見するというのは自分一人の責任でどうにかできるものではないのだから。

 

「でも、先生スーツびしって決めて、武道館ライブ観に来てたの、知ってますよ?」

「……あはは、そういう千早さんももしかして」

「はい」

「バレちゃったか……実は、恥ずかしながら祖父があのバンドのスポンサー企業に勤めていてね、呼ばれてしまって……できれば内緒にしていてくれると助かるなァ」

 

 後頭部を掻きながら苦笑いをする冴えない雰囲気に、愛音は堅牢で難攻不落の砦を感じていた。祖父が大企業の、おそらくはお偉いさん。その孫という立場に甘えてると思われるのが嫌だから誰にも身分を明かすことなく教鞭を取っている。そういう言外での匂わせ──この場合はブラフなので嗅がせに来ているとも言うかもしれないが、それによって追及する手札がなくなってしまった。

 

「はぁ~、めちゃくちゃ手ごわいんですけど、そより~ん」

「……あのちゃん?」

「あ、ともりん」

「どうしたの?」

 

 職員室を出て、とんでもない役割を押し付けたそよに、届かない愚痴を吐き出していく。待っていてくれた燈になんでもないよ、と首を横に振り愛音はやや足早に去っていった。

 ──同時刻、匡導はそれを早速祥子に報告していた。

 

「というわけで、俺とお嬢に繋がりがあることがバレてたっぽいです」

「……解りましたわ、愛音さんが動いたということはおそらく、そよが関係しているかと、月ノ森に近づくのはおやめなさい」

「畏まりました、睦にもそう伝えておきます」

「睦にはわたくしから伝えておきますわ」

「はい……では」

 

 通話を終了し、匡導は頭を掻いた。

 ──長崎そよのこと、それだけではなく「CRYCHIC」のこと、そしてその元メンバーが在籍しているというバンドメンバーである千早愛音のこと、祥子にとっては忘れたい程に焦がれる過去は彼女を逃がそうとはしない。

 或いは、祥子の裡に眠る声を聞こうと必死に耳を澄ませていた。それが祥子にとってどんなに目を背けたいことだったとしても。

 

「過去のことは、俺を巻き込まずに決着をつけてほしいもんだけどなァ」

 

 匡導は未だ知る由もないことだが、彼もまた数ヶ月前、高校生になった祥子を初めて抱いた日から既に過去の因縁に巻き込まれている。

 そうでなくとも、祥子や睦を気遣いバンド活動を見守っているという立場にあれば、必然的に「MyGO!!!!!」というバンド、そのメンバーと話をしなければならない。

 祥子が幾ら、それを先送りにしていたとしてもいつかその時は必ずやってくるのだから。

 




愛音を登場させると強制的に主人公持っていかれますわ、彼女は恐ろしい子ですわね。
油断すると闇属性は全て祓われますわ。
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