Mare Inbrium   作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ

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なんとなくふわっとしている匡導の内心掘り下げしますわ~! これから荒れる人間関係を描くには彼の内面は絶対的に共有しなくてはいけませんもの!


一章Ⅷ:回顧

 ツアーでの地方ライブ、東京が終わり次は仙台というスケジュールの中、祥子にとっては好ましくない状況に陥っていた。

 原因となったのは睦が東京公演のさなか、演奏を止めてしまったというもので、それをパフォーマンスとしてしまったせいで次の地方ライブやテレビ番組でも同じようなパフォーマンスを求められてしまっていた。

 

「つまり?」

「ムジカの音楽は求められていない、パフォーマンスのためなら演奏は必要ないということですわ」

「……そうなるか」

 

 武道館ライブで祖父と話した匡導としてはある程度予想できていたこととはいえ、より悪い方向に転がっていると感じた。

 音楽としてではなく、睦のパフォーマンスありきのグループ、それはもうバンドではないしなにより豊川祥子の世界を否定することと同義でもあった。

 

「で、どうするつもりですか?」

「勿論、演奏を故意に止めることなど致しません」

「でしょうね」

「何か言いたげですわね」

「いや、バンドなんだからそっちの方が正解じゃないかな」

 

 棘を感じる反応から、メンバー間での意見が分かれているのだろうと判断した匡導は当たり障りのない回答をしておく。

 実際、パフォーマンスや演技を主軸に置いて演奏しないとなるとバンドである意味はない。寸劇は演奏の休み、バンドによってはMCという形での繋ぎくらいの感覚であるべきではないかという個人的な意見もあった。

 

「てっきりまた、祐天寺さんの考えを肯定するのかと」

「また祐天寺にゃむと揉めてるんですか? つくづく、相性が悪いですね」

「そうかもしれませんわね」

 

 祥子が求めるものは音楽という媒体を用いて長く続く成功への道を歩むこと。いわば焚火に灯る炎を如何に絶やさずに、そして薪が尽きないように燃料を調整して長く燃やしていくか、という考えだ。そのためなら失敗と成功を繰り返して、薪が少なくなって下火になってしまう時も想定の範囲内だろうか。

 ──だが祐天寺にゃむの考えはそれとは真っ向から対立する。炎の勢いが大事で、そのためにすぐ燃え尽きてしまっても構わない。派手に燃え上がらせるのなら焚き火ではなく火薬を詰め込んで空に打ち上げてしまえばいい、そんな印象だ。

 

「肝心の睦は黙ったままですわ……どうして、すぐに首を横に振るだけでいいのに」

 

 祥子の嘆きに、匡導は目を細めた。すぐ首を横に振らないということは、にゃむの言うことの正しさも理解しつつ、ただそうすれば祥子が目指している「Ave Mujica」にはならないことを本質的に理解しているからだと感じているのだろうと予想を立てる。

 バンドを壊さないようにしたい。けれどこのまま祥子の味方を続けることでバンドを続けると自分が壊れてしまう。二つの意思がぶつかり合った摩擦で若葉睦が擦り切れ始めているのだとしたら。

 

「お嬢も随分と厄介なメンバーを見つけてきたもんですね」

「わたくしはただ、バンドとして最適な道を選んでいるだけですわ」

「だからですよ」

 

 祐天寺にゃむにとってバンドはそれほど大事なものでも特別思い入れのあるものではない。何もなかった自分が貰った初めての「自分にしかないもの」がギターだった睦や、幼少期から触れ、亡き母との思い出のあるピアノの派生形であり運命共同体としてその指を滑らせてきた祥子とは違う。

 ただトレンドだからやってみただけ、練習していたら才能があっただけ、才能があったから芸能界とコネのあるバンドからスカウトされただけ。彼女にとってみればタレントとして活躍するための前日譚でしかないのだから。

 

「祐天寺さんにとって、バンドなんて大したものじゃないですよ」

「なら、あの方は一体なんのためにドラムを?」

「実際、祐天寺さんはみなみさんに取り入ろうとしてたでしょう? あの人はああいう手合いは寧ろ歓迎しますから、好意的に見えるように接していましたけど」

「……そうでしたわね」

 

 事実として森みなみは「愛の埠頭」の上映終了後、隣で見ていたにゃむではなく立っていて真顔で「最高です」と評価した海鈴に対して喜んだ。

 若い頃から芸能界という坩堝で生き抜いてきた彼女は嘘や演技というものに非常に敏感なことを「息子役」を押し付けられそうになった匡導は知っていた。

 

「でも、彼女は長続きしない気がしますけど」

 

 匡導はぼそりと呟く。以前にも彼女に取り入って芸能人としての栄光を掴もうとした人物がいなかったわけではない。

 その人物がどうなったのか、彼はその末路を知っているが故ににゃむを憐れに思っていた。

 彼の言葉の意味が伝わったのか、祥子は静かに立ち上がり散らばっていた衣服を集めていく。

 

「……今日は早めに寝ますわ」

「明日にはもう仙台だっけ」

「ええ」

「お土産期待しとくね」

「期待にお応えできるかは、保障致しかねますわ」

 

 どれがいいのか迷ったら初華にでも相談しようと決め、祥子は自室のエアーベッドに身を預けていく。枕元には母の形見である人形があり、今でも母が見守ってくれているような気がしてしまう。きっとこの家で居候をしている自分を見たら母は困った顔をしそうだ、と苦笑しつつ。

 

 

 


 

 

 

 祥子を最寄りの駅まで送っていき、匡導は近くの喫煙所で煙草の先端にライターの火を点けた。道行く学生や社会人と思われる制服、スーツ姿の人を見送りながらぼうっと紫煙を吐き出しつつ、目指していた教師という職業に成ったのにも関わらず、職員室でパソコンに向き合うわけでも書類に向き合うわけでもなく、駅近くに車を置いて煙草を吸っているという現実に眩暈がしそうになっていた。

 

「一年でもズレてりゃ、なんとかなったのかな……いやねェな」

 

 もし一年ズレて、大学生だったのならおそらく私立高校の就職というエサをぶら下げられて飼われていただろうし、一年後で公立高校に就職していたとしても羽丘に無理やり捻じ込まれていただろうと予想する。恨むべきは烏森匡導として生まれてきた運命であり、アイドルと駆け落ちをした考えなしの父とプロデューサーと駆け落ちをしたバカな母の間に生まれてきたことだと結論を付けた。

 

「……クソ」

 

 独りになり、一時でも首輪が外れると嫌なことを思い出す。

 ──自分がどれだけ、豊川家と若葉家にいい思いを抱いていなかったのかということも、飼い犬になると決めた時に奥底に封じ込めていた嫌悪感が這い上がってくる。

 

「いつも睦と遊んでくれてありがとね~匡導くん」

「いえ、俺も暇なんで」

「睦も随分懐いているみたいだし、本当、お兄ちゃんになってほしいわ」

「ハハ……」

 

 懐かしい記憶、旧い記憶が呼び覚まされる。

 森みなみとのほぼ初対面の時、違和感はその時には既に顕在化しつつあったように大人になった後に振り返れば思い当たることもある。自分が周囲に疎まれるべき存在として、駆け落ちの末に生まれた子どもであったが故に愛想笑いをして、大人に従順な子どもでいた日のことだった。

 

「本当よ? ()()()親から生まれたなんて信じられないもの」

「ハハ……は」

「養子にならない? 睦ちゃんのお兄ちゃんに」

「本気ですか」

「ええ、勿論」

 

 彼女の視線に、当時はまだ身長が彼女よりも低かったが故か表面上の笑顔からは想像もできない程の圧を感じてたじろいだ。

 ──だが、怯んだのもほんの一瞬のことで、大人の言うことに逆らうことはしてこなかった匡導は、次の瞬間には笑顔を作る。

 

「大変光栄ですけれど……隆文さんは嫌がるかと」

「そうよね~、でも匡導がいてくれたら安心じゃない? たあくんも私も家、空けがちだし?」

「遠慮しておきます、あの子の相手を四六時中させられたら、俺までおかしくなりそうですからね」

「仮にも母親の前で言うセリフじゃないわね?」

「みなみさんこそ、正気を疑いましたよ」

 

 若葉睦を閉じ込めておくには、それ相応の贄が必要であり、その役に丁度いい存在というのは近場には彼しかいなかった。そんなくだらない理由を慇懃に断り、これで気に入られることもないかと諦観を感じていたが彼女はニヤリと微笑んだ。

 

「あなたはきっと、あの子を飼いならせる、そう思ったのよ?」

「俺じゃなくてペットか何かでも与えておけばいいじゃないですか、まァ俺とペットはこの場合同義語でしょうけど」

「全然違うわよ、あなたはお世話しなくていいもの」

 

 あっけらかんと恐ろしいことを言ってのける彼女に、匡導は苦い顔をすることしかできなかった。決定的な「自我」というものが恐ろしく希薄だった娘に、だったら「兄」という役を持った人物を宛がうことで「妹」としての役を獲得する以上の何かを求めていた。

 そしてそれは、睦と同様に「自我」が希薄だった彼が適任だということを理解していた。

 

「匡導、大丈夫ですの?」

「祥子ちゃん、こんにちは」

「ごきげんよう……ふふ♪」

「祥子ちゃんはいつも元気だなァ」

 

 否が応でも大人と関わらなければならないというストレス、そして睦の相手というストレスを抱えていた彼にとって、そんな睦を求めて会いに来る彼女だけが唯一の癒しと言っても過言ではなかった。

 打算や上辺では決してない、純真無垢で眩い輝きを持つお嬢様、豊川祥子との時間は彼を素直に、人間にしてくれた。

 

「すごいですわ! 匡導はなんでも知っていますわね!」

「おおげさだよ……それに、大きくなったら祥子ちゃんもこのくらいは簡単になるよ」

「そうなんですのね!」

 

 なんにでも興味を示し、遊びにも勉強にも目を輝かせる彼女が羨ましいと思うほどに眩しかった。

 彼女の純粋さに触れる度に、まるで自分が息の仕方を知らなかったような感覚に陥っていた。それは祥子ではなくてよかったのかもしれない。だが、彼にとっては豊川祥子という存在が救いだった。

 

「匡導のお誕生日はいつですの?」

「俺? 11月10日だね」

「もうすぐですわね、お祝い致しませんと!」

「祥子ちゃんが?」

「ええ、お誕生日というのはとてもめでたい日ですもの!」

「……それじゃあ、楽しみにしてるよ」

 

 そんな暖かい日々も長くは続くことはなかった。彼が大学の受験で忙しくなったことで疎遠になっていった。

 再会した頃には祥子は中学生になっていた。月ノ森の中等部へと進学した彼女の、成長した姿は彼にとっては衝撃でもあった。

 

「お久しぶりですわね、匡導……いえ、もう匡導さんとお呼びしなくてはなりませんわね」

「祥子……ちゃん?」

「ええ」

 

 20歳(ハタチ)の誕生日、森みなみの提案で成人を祝ってもらうことになり少女から、女性へと成長を遂げた祥子、そして睦と再会した。

 その時から、匡導は彼女を意識した最初のきっかけかもしれないと彼は振り返る。即ち、女性として七つも年下の筈の少女を()()()()()()に捉えていた。

 ──そしてそれは、祥子の方も同じだったということには気づくことはなかった。

 

「見違えたよ、祥子ちゃん」

「匡導さんの方こそ、もう立派な大人ですわね」

「……どうだろうね、年齢だけかもしれない」

 

 大人と呼ばれる年齢になったのにも関わらず、その実感がないため苦笑いをしてしまう。祥子が淑女として成長している姿を見てしまうとより、実感がなくなっていく気がした。

 その後、豊川瑞穂の葬儀の日、幼子のように嘆くこともできなかった彼女を抱いたことで二人の関係は拗れていくことになる。

 

「匡導、わたくし……あなたのことが」

「──祥子、今日のことはこれっきり、二人の秘密にしよう」

「……え?」

「祥子も俺も冷静じゃなかった、瑞穂さんのこと、まだ混乱してるだろうし」

「わ、わたくしは……けれど」

「解ってるよ、だからこそ秘密にした方がいい。無責任だとは思うけど、これは一時の過ちだから」

「……過ち、間違い、ということですのね」

「うん」

 

 この時、彼の脳裏にあったのは祥子のことなどではなく、ただの保身だった。豊川定治という大きな存在の反感を買えば、自分だけではなく両親、もしかすると祖父にまで迷惑が掛かるかもしれない。だったら隠してしまえばいい。母が亡くなった喪失感、その感情の波が立ったための一時の過ちだったということにしてしまえばいい。

 

「会うつもりは、なかったんだけどなァ」

 

 ──本当の意味で、葬儀で終わりにするつもりだった。意図的に避けてきたというのに、結局は大人の命令一つであっさりその罪悪感を捨て去ってしまえる自分は、やはりまだ子どもなのだろうと短くなった煙草を、灰皿に捨てていく。

 煙草や酒類といった大人にならないと口にすることは許されない嗜好品を好むのも、いわばそういったコンプレックスを誤魔化すためのものなのかもしれない。

 大人になれない大人、誰かの命令でしか動くことのできない不自由な自分を、少しでも大きく見せるための仮面なのかもしれないと。

 

「……ツアーが終わったら、ちょっと奮発してやるかな」

 

 そんな偽物しかない中で、けれど匡導が持つ確かな真実、それは自分が人間で居るためには豊川祥子が絶対条件であることだった。本人が自覚していなくとも、無意識的にあの幼い頃の彼女にもらった人間らしい温もりをずっと追い求めていた。

 ──それを、愛情と呼ぶのかどうかは誰にも解らないけれど。

 




匡導のまとめ
・大人の言いなりの操り人形、人間になりたいですわ~!
・光の祥子の被害者
・大人に成れてないというコンプレックスあり
・祥子の地雷を一度踏んでいますわ。

みなみちゃんは匡導のそういうところを指して「便利」と思ったことが息子として扱おうとしてくる発端ですわ、なにせ、そのために彼の父まで利用しようとしていますもの。
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