Mare Inbrium 作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ
お気に入りが100件越えましたわ〜! ご愛顧賜り、恐悦至極ですわ〜! 今夜は熱燗ぐいっといっちゃいますわ〜!
生放送で全国に発信していた「Mフロア」で睦が突如として豹変した日から「Ave Mujica」の様子は一変した。これまでグループ単位であるならば
「どうしたっていうんですの?」
「なにが~?」
和気藹々と差し入れのマカロンを手にはしゃぐ四人を前に、祥子が訝し気な顔をする。
バンドが崩壊寸前となるまで、駅のホームや生放送のCM中にまで言い争うような関係だった筈の雰囲気が、生放送を境に全くなかったような、普通のバンドのような緊張感のない関係になっているのだから、驚いて問い掛けたくなるのも無理はなかった。
「少し前まで、みなさんあんなに……」
「いいじゃん別に~、せっかく今、一番いい感じなんだから~」
「え?」
「そうだよね、いい雰囲気になったって言うか……あのまま解散しちゃうのかなってちょっと不安だったから、睦ちゃんのおかげだよね」
「そうですね、圧倒的なパフォーマンスで雑音を消し去ったのは見事でした」
「解散説もなくなったし」
「ね~」
困惑が祥子の頭の中を混乱させていく。今までは良くも悪くも、メンバー間で緊張感があった、同じ方向を向いていなくても共に同じ「Ave Mujica」という世界を音楽で創り上げていく共犯者、それを壊したのは紛れもない豹変した睦だった。
だがそれを肯定する三人は、祐天寺にゃむはともかく残りの二人まで賛同していることに祥子は納得が出来ていなかった。
「ですが、先程の取材のような緩い雰囲気で望まれては困ります!」
「豊川さんが望むAve Mujicaからは外れるかもしれませんが、世界観という意味では若葉さんが独自のアプローチでの表現に、成功しているのではないでしょうか」
「だから特集組んでもらえたんじゃん」
決定的な食い違い、武道館ライブ辺りで顕在化していた長期的目標の相違、それが今度は四対一という構図で祥子に襲い掛かってくる。
バンドという形で、仮初の命を宿した人形達による
「“これからわたくしたちはバンド、共に音楽を奏でる運命共同体となるのです、Ave Mujicaに相応しい曲を書いてみせますわ”」
「──っ!?」
肌が粟立つような嫌悪感、だが祥子はそのセリフが記憶にひっかかった。
──バンドは運命共同体、それはかつて自分が「CRYCHIC」を形容した時の言葉、そして「春日影」を作る上で語ったセリフたち、だが所詮共犯者で、同じ穴の貉でしかない「Ave Mujica」を前にすると陳腐で安っぽいセリフだと思い知らされる。
「運命共同体ってこういうことでしょ?」
「運命共同体かぁ……」
「あは、おおげさだよ~」
「私、今のムジカ好きだよ」
「ありがとう、初華ちゃん!」
「なぁなぁにするおつもり!? わたくしの話は終わってませんわ!」
確かに、運命共同体と称した「CRYCHIC」は時には五人で寄り道をしたり、関係のない話をしたり、そうやって明るい雰囲気を楽しんだ時もあった。
けれど、所詮アマチュアでしかなかった「
「やっと集まれたというのに、この腑抜けた空気! あまつさえツアー中なのにロクに練習もできていないんですのよ?」
「そうですね、
「いつできんの~? アタシだって早く練習したいんだけど~」
海鈴とにゃむの返しには言葉に詰まるしかない。ツアー最終日に披露する筈の新曲、その進捗は芳しくなかった。
初華は燈とは違う、歌詞が内側から湧いて出るのではなく求められたニーズに応えた歌詞が書けるタイプだった。だからこそ燈の詩からインスピレーションを得るのではなく、自分の世界観を音に変換し出力、それを初華によって歌詞をつけるという手法を取っていた。
「さきちゃん、最近バタバタしてたし……」
初華のフォローも、祥子からすれば憐れみとしか捉えられない。確かに忙しく、というか睦のパフォーマンス以来、また仕事が増えたことによる先方との調整、音楽以外の仕事が増えてきたことによる吟味も、もはや意味を成さなくなった。
それでも作曲に掛ける時間が捻出できなかったか、といえばそうでもない。その時間をどう使っていたのかは、祥子自身と、そんな彼女と暮らすもう一人だけが知っていることだったが。
「三角さん、若葉さん、そろそろでは?」
海鈴の言葉で四人が立ち上がる。二人は雑誌の表紙撮影、にゃむはコラボ配信、世間からの声は追い風でもある筈なのだが、そんな四人と対峙している彼女にとっては目を開くのも億劫になってしまいそうなくらいの向かい風だった。
「まだ事務所に残る? 打ち合わせは終わったんじゃないの?」
「作曲が滞っていますので、迎えはいりませんわ」
「そう言われてもなァ……ぶっちゃけ進捗、殆ど進んでないだろ?」
「……烏森、今貴方には何も言われたくありませんわ」
「畏まりましたお嬢、けど迎えには行きますんで」
それだけ言うのを待っていたかのように電話を切られた彼、烏森匡導は祥子の態度にため息を吐く。少し前まで逃避していたと思ったら久しぶりにメンバーと顔を合わせて泊まり込み宣言、ただそんな精神状態で彼女の内面にある世界を音に出来るかと言われれば絶対に違うだろうと匡導は首を横に振った。
「
睦と連絡を取ろうとはしてみたものの、仕事が忙しいのか既読されても返事が来ることはなかった。あの、という形容をしてみたもののそれが前まで会話をしていた若葉睦と違う人物であるという表現が合っているのかも彼には判断がつかない。ただ確実に言えることは、黙々とギターを弾いて、芸能人の娘という扱いを受けることに忌避感を抱いていた頃の彼女とはもう決定的に何かが違っているということだけだった。
「さきちゃん、疲れてるのかな? 前はそういうの絶対見せなかったのに」
その頃、撮影の仕事に向かうタクシーの中で初華がそう呟くと
三角初華の行動原理には彼女の存在がある。彼女のために、ただ祥子と一緒に居るために、そんな初華が呟いた言葉を解釈したモーティスは、彼女が喜ぶ言葉を選んでいく。
「ライブ演出とか台本とか、見えないところの仕事全部やってくれてるから」
「少しでも負担軽くしたいんだけど、この前も事務所で夜遅くまで曲作ってたし」
「──“ケンコウによくない! ”って言ってあげて、ちゃんと家に帰ってって」
指をクロスして「×」を作りながら、初華にアドバイスをしていく。事務所で寝泊りこそしていない──同居人が許す筈もないが、終電の時間を過ぎても作業をしている姿を目撃したことのある初華は度々、彼女に声を掛けて、時には自動販売機のコーヒーを渡していた。
感謝しつつ、それを口につけるどころかプルタブに指を掛ける瞬間すら見たことがないということには気付くことなく、勿体ないとそれを飲んでいるのが誰なのかすら知らないが。
「やることが多すぎると自分のことに気付けなくて、色々おかしくなっちゃうから、誰かが気付いてあげないとだよ」
モーティスの助言は、事実として「睦ちゃん」が経験したことだった。仕事の積み重ね、ストレスによって眠れなくなり、精神的に追い詰められていった。
それを誰にも気付いてもらえなかった、気付いていながら自分の役割ではないと放置されたことで今、モーティスは現実の肉体を得て、こうして初華と話しているのだから。
「睦ちゃんって、なんかまなちゃんに似てる」
「sumimiの?」
「うん、睦ちゃんと一緒に居ると気が楽だし、みんなを繋ぎ止めてくれてるし……初めて会った時はあんまりしゃべってくれなかったから、解らなかったけど」
その気が楽、という言葉はモーティスにとっての本懐だった。バンドというものが祥子の言っていた「運命共同体」ならば、少なくとも祥子が勝手な言葉でダメにするまでは続いていた「CRYCHIC」ならば、或いは自分が知る優しくて気遣いのできる人物ならバラバラになったバンドを繋ぎ止めるために何が必要だと言っていたのか、それを参考にしていた。
「初華ちゃん、前にメンバーが辞めるのはバンド解散と同じだって言ってたでしょ? 私も同じ気持ちだったから」
事実として、祥子が辞めたことで睦の知っているバンドは壊れてしまった。
だからこそ、祥子には「Ave Mujica」を続けてもらわなくてはいけない。喩え、どんなに苦しんでも、演出を考えて、曲を考えて、ずっと裏方をやってもらわなくてはいけない。世界を維持してもらわないとモーティスの存在意義に関わるのだから。
「……今、メンバーの中で祥子ちゃんの一番近くにいるのは初華ちゃんだから」
「あっ……!」
「祥子ちゃんのこと、よろしくね」
「──うん!」
幼馴染、自分が持っていたと思っていたものと同じアイデンティティを持ち、そして自分よりも遥かに長い時間共に過ごしている若葉睦からの太鼓判に、初華の目が輝いた。
当然、睦ならば彼の存在も知っている筈、それでも睦がよろしくね、と言ったのは自分なのだという嬉しさに顔が綻ぶ。
もし今日も残っているのなら、早速話しかけてみるつもりで。それが自分に任されたのだという喜びを以って。
「初華ちゃん」
「ん?」
「今の祥子ちゃんには内緒だよ? ふふっ♪」
人差し指を口許に当て、悪戯に成功した子どものように笑うモーティスの真意は、もはや誰にも予測することは不可能だった。それは幼馴染として長い時間を過ごした祥子も、若葉睦の本性を朧げながら知っている匡導にすら。
突如としてギターを演奏するのではなくパフォーマンスを選んだ睦の様子が気になって手が止まっている祥子が、それに気づいてスマホを手に取ろうとした時、事務所の明かりが全点灯する。
「やっぱりまだいた……さきちゃん」
「初華……曲を作らなくてはいけませんから」
「──“ケンコウによくない! ”」
祥子の様子を見に来た初華は、夜遅くまで残っていた彼女に向かって指をクロスし「×」を作ってそう告げる。
「……健康?」
「寝不足なんだよ、今日はもう帰ろう? 寝ないといい曲浮かばないよ?」
「ですが……」
「さきちゃん? それとも、また私の家に泊まる?」
「いえ……きっとそろそろ、迎えが来ますわ」
「そっか」
初華の暖かい言葉に祥子は微笑みで返す。チラリと点いたスマホの画面には同じように心配しているのか問答無用で事務所に向かっている旨を記したメッセージが送られていた。
──睦のことは気がかりだし、曲が出来ていないという焦りはある。だけど、確かに集中力は途切れ途切れであることは事実であるため、一旦整理した方がいいと判断した。
「三角さん、どうも」
「あ……烏森さん」
「烏森、初華の家まで頼めますわね?」
「え、私の家ここから近いし、大丈夫だよ!」
「もう夜遅いし、女性が夜道で一人は危ないからさ」
「は……はい」
初華自身は睦の家以来となる匡導と顔を合わせ、祥子の押しもあって強引に後部座席に座らされる。祥子は一瞬だけ助手席に座ろうとしてから、匡導に視線で促されて初華の隣、後部座席のドアを開けて乗り込んだ。
「ありがとう、初華」
「ううん」
「俺からも感謝しますよ、三角さん。放っておくと不健康な生活しますから、お嬢は」
「うるさい、黙って運転していなさい烏森」
「はい」
以前、睦の家での様子や初華の家に泊まっていた時の話から想像していた関係とは少し違う、と初華は安堵していた。仲はいいのだろうけれど、彼女のことを「お嬢」と呼び敬語を使う匡導と彼を「烏森」と呼ぶ祥子は正に主従関係というべきものに見えていた。祥子の家の執事ではない、とは言っていたものの運転手をしているため近しいものなのだろうと初華は感じていた。
「ありがとうございました」
「いえいえ、これからもお嬢をよろしくお願いしますね」
「──はい!」
おなじく幼馴染であり、祥子を支えてきた彼にまでよろしくと言われた彼女は上機嫌でマンションのドアを潜る。
その死角で助手席に乗り込んだ祥子と匡導がどんなやり取りをしているのかを知らずに。
「家まで少し寝ますわ」
「眠いんなら早く帰ってきたらいいじゃねェの? 俺だってこの時間に運転すんの嫌なんだけど」
「素が出てますわ」
「……コホン、じゃなくて、誤魔化さないでもらっていいかな?」
「ふふ、早く帰りますわよ」
祥子にとって束の間の平穏、それは狭い車の中でシートを倒した時なのかもしれない。
車の揺れが心地よく感じて、穏やかな眠りに誘われていった彼女を睨みつけながら夜中に運転をさせられている彼はそれでも彼女が笑っているのなら、と溜息一つで許してしまうのだった。
モーティスが肉体の主導権を握っている以上、確かにメンバーの中で一番祥子のことを考えているのは初華ですわね
メンバーの中では