Mare Inbrium   作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ

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ムジカ崩壊RTAはじまりますわよ~!


二章Ⅲ:赤灯

 9月19日の土曜日、福岡でのツアーライブ、その準備のために忙しさが増していく中、匡導は飛行機の機内でスマホを操作して出来る仕事をしていた。

 翌日の夜にはライブがあり、そのままホテルに泊まり翌日早朝の飛行機に乗っても学校の始業時間には間に合わない。午前中の休みを申請した時には教科主任から思い切り嫌な顔をされていたが、豊川家関連の事情を説明してしまえば却下される可能性は万に一つもなかった。

 

「会長の名前を()()したのは初めてだな……バレたらとんでもないことになりそうだな」

「──きっと大目玉ですわ」

「お嬢、起きてたんですか」

「匡導が煩いから」

「ごめん、結構無理してるから」

「……仙台の時はそんな素振りもなかったのに、どういう風の吹き回し?」

 

 隣の祥子に問われて少し手の動きを止める。

 気が変わったと言っても誤魔化されたとしか思われないか、と考えより最適で彼女が納得しそうな言葉を考えていく。

 だがどれも納得してくれそうな言い訳が思いつかず、再びスマホに視線を戻した。

 

「匡導?」

「祖父さんの家に行って、少し考えを変えたんだ」

「考えを?」

「ムジカに関わりすぎるのはよくない、そう思ってたんだけど」

「お祖父様に言われて、それだけでは不十分だと感じたんですわね」

 

 祥子からすれば匡導の関りが不十分だとスポンサーに思われたということはそれだけ、スポンサー側からの干渉が必要だったと言われているのと同義であり、総指揮を取っている彼女の立場としてはプライドを刺激される決定だった。

 ──現実に、もう「Ave Mujica」はコントロール不可能になってしまっている。今となってはただ、先方の要望に首を縦に振るだけ。妥協できないと議論しても結局は(モーティス)が先方の要望を勝手に汲み取って応えて、他の三人も睦を支持してしまう。事務所側であるマネージャーもまた、睦の味方であり、祥子は孤立無援に近かった。

 

「わたくし独りでは、無力でしたわ……でも」

「でも?」

「芸能界とは関係のない貴方の手は、借りるつもりなんてありませんでしたわ」

「……俺も、そう思ってた」

 

 烏森恒彦とまではいかずとも、その部下が裏方と緩衝材を担ってくれるのならまだ理解できる。だが派遣されたのが身内のコネであり、本来は只の羽丘学園に勤める教師である匡導なのだから。

 幾らコミュニケーションに障りがないと言っても業界のこともロクに知らない匡導がサポートというのは祥子の眉間の皺を取り除く要因には成りえなかった。

 

「あのヒトってさ、ムーコの家に初めて行った時に居た人だよね?」

「そうだよ、烏森匡導くん、私のお兄ちゃんみたいな人」

「お兄ちゃん、ですか」

「匡導くんは認めてくれないけどね」

「二人……何話してるんだろう」

「さぁね~、案外イチャイチャしてたりして?」

「え……」

 

 少し離れたところでは残りの四人、にゃむ、モーティス、海鈴、初華が突如同行してきた彼の様子を四者四様で見守っていた。

 にゃむの冗談に初華が不安そうな顔をしており、モーティスはあくまで表面上はにこやかに幼馴染としての立場を保っていた。

 

「匡導くんのお祖父さんがスポンサーの実質トップだからじゃない?」

「するとTGW物産の」

「七光りじゃん、だからムジカに口出しても許されるってこと?」

「それに、sumimiのプロデューサーの、息子」

「マジ!? 」

「お母さんはタレントの津上ゆいだよ」

「七光りどころじゃないじゃん、ってか津上ゆいの結婚相手ってプロデューサーだったの!?」

「“二人合わせて十四光”だね」

 

 祥子の付き人をしている人物が思っていたよりも芸能界にコネがありそうであるためにゃむは割と素っ気ない態度を取ったことで気に障っていたらどうしようかと顔を引き攣らせた。海鈴はスポンサー企業の重役の孫、という立場にも関わらず芸能界にも豊川グループにも所属していないどころか祥子や睦の送迎という下っ端扱いに不思議そうな顔をしていた。

 

「……今頃、貴方の噂をしていますわよ」

「あの四人?」

「ええ」

「言わせておけばいいんですよ、お嬢の付き人をやることに文句は挟ませませんので」

 

 力強い返答に祥子はやや怪訝な顔をしていた。少し前までのスタンスとはまるで違う、ある種開き直った態度を取る匡導は、心強いと同時にまた「Ave Mujica」の中で不和を生まないかという心配の種でもあった。

 睦には完全に、初華には凡その関係がバレているのだから余計に。

 

「そういえば全体練習ってしました? Mフロアの生放送後から」

「……いいえ、特に初華は殆ど、睦に至ってはあれから一度も一緒に合わせていませんわね」

「バラバラですね、バンドとしては最低だ」

「本当に」

 

 個人の仕事が忙しくなればそれだけ五人集まることが難しいのは、当然だろう。その時間の確保が難しくてもやっていけるくらい器用に立ち回るか、それでもバンドであるために方々に頭を下げることで時間をなんとか捻出するか、すれ違って解散するかの三択を迫られるところまで現状なってきている。そして「Ave Mujica」の場合は三番目の結果になることが濃厚であろうことは想像に難くなかった。

 

「ふぅ……慣れないことは肩が凝る」

「お疲れ様で~す」

「祐天寺さん?」

「ちょっとお話してもいいですか?」

 

 祥子に付き添い演出の最終チェックを終えた匡導が廊下を歩いていると待ち構えていたように「Ave Mujica」の衣装に着替え、台本を片手に持ったにゃむに呼び止められる。

 彼からすれば、祐天寺にゃむという人物の評価はそれほど高くはない。祥子の味方としての立場からも、スポンサー企業側としても、コンテンツの寿命を縮めた人物として見ているのが主な原因だった。

 

「なんでしょうか」

「普段は学校のセンセーしてるのに、どうして今更になってサキコの手伝いなんてする気になったんですか~?」

「元々、お嬢の付き人ですから……もっと早くこうするべきだったと、今では思っていますけど」

「てかなんでセンセーやってるんですか? 」

「親のこと言ってるんでしたら、結婚した経緯で察してください」

「あ~」

 

 当然、にゃむが生まれる前の話ではあるがタレント津上ゆいがまだ現役なのだから話くらいは聞いたことがあるだろうと判断して、自分では決して語ろうとはしなかった。

 その様子を見て彼女は溜息を吐く。彼女からすれば人気になった「Ave Mujica」に関わるため急に祥子や睦に取り入ったように感じたからだった。

 

「勿体ないって思ったことないんですか?」

「何のことでしょう」

「親のコネ使えばもっといいとこ就職するなり、芸能界入りもできたのに、教師()()()やってるなんて……それとも反抗期引きずってたりしてます?」

「そうですね、反抗期に進路を決めたまま、()()()()()()に成れてますから」

 

 一分の嫌味のない穏やかな微笑みを浮かべる匡導を、にゃむはその内側に()()があると気づいていた。年下の、ほぼ初対面の人物に自分の職業を「なんか」と貶められて、嫌な顔一つしない貼り付けた笑み、それは会話する気もないという拒絶でもあると彼女は認識していた。

 本音と建前は分けられて当たり前、それを咎める気はない。だが本音の一切見せない人物というのは胡散臭く、人間関係を築く上では信用できないという印象を抱いてしまう。

 

「サキコがアンタを信用してるの、意味わかんないんだけど」

「信用に個人の感情なんて、必要ないでしょう」

 

 信用や信頼といったもの、それは肚を見せることだけで得られるものではない。

 祥子は匡導のことを頼ってはいる。それは内面を知っているからだが、彼女が彼を信用するのはまた違った意味を持つ。

 ──それは徹底した飼い犬としての顔、そして実績を持つことだった。決して手を噛むことのない従順な彼を疑うことはしない。孤立している祥子にとっては彼のスタンスは信用に値するものだった。

 

「そろそろ音響や照明のチェックじゃないですか? どうぞ」

 

 不満げで、苛立ちを隠すことをしない彼女を振り返ることなく匡導は搬入口から外を目指していく。ここからしばらく時間が空くため、観光とはいかずとも現地でしか食べられないものでも探そうとスマホで検索しつつ、祐天寺にゃむの人と成りを少し整理していく。

 ──流行り廃りの速度が尋常ではないと言われる昨今のコンテンツ消費スピードについていくために特化した結果、太く短くというスタイルが当たり前になってしまっている。だから次々に新しいことをしたくて仕方がない。ライブでバズるような話題を提供しないといけないという焦りに似た感情が何処かにあるのだろう。

 

「流行りのグルメ……もいいけどやっぱラーメンかな、折角だし」

 

 だが、その感覚が祥子の戦略とは致命的に相性が悪い。絶対に売れてやると夢を見て上京してきて、バンドすらマルチタレントを目指している彼女にとってみれば通過点でしかない。一日でも、一秒でも早く女優業やタレント業に手を出したいという焦りの前では祥子のやり方は遅効に過ぎるだろうが、豊川祥子は言った筈だった。

 ──残りの人生、全てわたくしにくださる? と。それに頷いた以上、自分の生命を祥子のやり方に預けるべきだった。

 それで例え、女優には成れなくなったとしても祥子の人形として生きるべきだった。その程度のリスクは背負うのは当たり前の、謂わば悪魔との契約だったのだから。

 

「ギターいらな~い」

「睦、何を言ってるんですの?」

「だって、ギター弾けないし」

「え?」

 

 それから少しして、音響チェックの際、音合わせもさせてもらうことになった「Ave Mujica」だったがスタッフにギターを手渡されたモーティスがそれを拒否した。

 弾けないものを持っていても意味がない、彼女の中では至極単純な説明をしたものの、残りの四人は意味が解らないと驚くことしかできなかった。

 

「どういうことですの!」

 

 祥子の苛立ったような声が控室に響く。彼女からすれば前は当たり前のように弾いていたギターを突如、弾けないと言われたようで怒りよりも困惑が勝る。ふざけているのかとすら思ってしまう。だがモーティスはさも当然かのように、悪びれることなく口を開いた。

 

「だって、祥子ちゃんがムジカやりたいって言うからやってるだけ、ギターなんて持ったことないもん」

「えっ、弾いてたじゃん」

「弾けない、弾いたことないし」

 

 それは紛れもない事実だった。ギターは幼い頃与えられたその時からずっと「睦ちゃん」が決して離さなかったが故に、モーティスは持ったこともない。

 本人にそのつもりは決してないけれど、今日まで演技と話術だけで全ての人を騙してきたことになる。そしてライブ前日になるまで誰も気づかない程に、バンドとして崩壊していたことも彼女にとっては幸運とも言えた。或いは、それまでに能動的にギターが弾けないと相談できるバンドだったのならば、まだ対策のしようはあったのだが。

 

「指とか腕が痛いとか?」

「全然」

「ツアー初日で弾いた曲もですか? さほどセトリは変わっていませんが」

「ぜーんぶ弾けな~い」

「ちょ、マジ何言ってんの? 全然判んないんだけど」

「本気で言ってるんですの?」

「何がダメなの? ギターなんてなくても大丈夫だったでしょ?」

 

 そんな本来はあり得ない筈の問いかけに対して何も言えず、祥子は咄嗟に「ラーメン食べてくる」と連絡を残して何処のかも言っていかずに離れてしまった彼を思い浮かべてしまう。

 だが匡導も流石にモーティスがギターを全く弾けない、ということまでは想像もしていなかったため、祥子にそれを伝える術もなかったのだが。

 

「どうするの? この前のテレビは一曲だったから、睦ちゃんのギターなくてもいけたけど」

「全曲となると……」

「待ってよ、リハは?」

 

 動揺がメンバーに広がっていく。ここまで問題を放置してしまった状態、匡導を頼っても既に手遅れだったということに祥子は遅まきながら気づかされていた。

 立ち上がり、モーティスの手を強引に引いて控室を出ていく。事情は解らないけれど、嫌がっていた筈の演技を積極的にし始めた頃から何かがおかしい、問い詰める必要があると感じていた。

 

「烏森です」

「匡導、今すぐ戻ってきて」

「何かあった?」

「睦が……ギターを弾けないと」

「だって弾いたことないもん」

「事情は把握した、すぐ戻る」

「ええ、先に話していますわ」

「了解」

 

 電話を切って祥子はモーティスに向き直る。その表情は怒りと困惑、それから少しの失望が浮かんでおり、対してモーティスは相変わらずの微笑みを浮かべている。

 今までは殆ど笑わなかった睦の作り笑いに、今までとまるで違う彼女に祥子の不満が爆発していく。

 

「何考えているんですの!? 頼んでもいないアドリブで演奏をめちゃくちゃにした挙句、今度は弾かないですって!? あんなにもギターを大事にしていたのに! 貴女のことが解らなくなりましたわ!」

 

 捲し立てられても、モーティスの表情は変わらない。だが、確実に彼女は肚の内に豊川祥子という人物への怒りを抱えている。ふつふつと湧き出るそれを表には出すことなく、淡々と何を考えているのかを開示していく。

 

「Ave Mujicaのためだよ? 祥子ちゃん言ったよね“全部わたくしに言わせて”って、だから祥子ちゃんの代わりにみんなと話したの、初華ちゃんも海鈴ちゃんもにゃむちゃんも、みんなAve Mujicaが大好きだよ、このままの方が一生一緒にいられるよ、祥子ちゃん」

「……何訳の分からないことを」

「本当に分からないの? 祥子ちゃんがバンドに()()()()()()()のってそういうことでしょ?」

 

 口数が明らかに多い、そんな睦を怪訝に思っていた祥子だったがふと、違和感の正体に気付いた。

 幼い記憶の中には確かに彼女は居た。一緒に人形で遊んだ、匡導も巻き込んで一緒に遊んでいたけれど、違う。

 

「睦は、わたくしを祥子ちゃんなんて(そんなふうには)呼びませんわ……貴女、本当に睦ですの?」

「──睦ちゃんは死んじゃったよ」

 

 ショッキングな一言、睦が死んだというインパクトのある言葉に祥子は狼狽する。身近な人物の死、というものは彼女にとって、思わず呼吸を忘れてしまうくらいに辛く苦しいものだった。

 ──雲は月を覆い隠し始め、夜の闇は一層濃くなっていき、赤灯台の点滅だけが二人を照らしていた。

 

 




睦はスヤァですわ。
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