Mare Inbrium   作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ

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五話途中ですわ~!
オリジナル展開が増えていくと思うので原作完全準拠がお好みの方は申し訳ございませんわ!


二章Ⅵ:失意

 バンド解散後、祥子は再び赤羽のアパートに戻り「Ave Mujica」結成前と変わらない生活を送っていた。バンドとして関わった全てと連絡を絶ち、何者でもなかった、心を殺していた頃の生活に戻って一ヶ月が過ぎていた。

 夜も明けない時間から家を出て、学校で一日の大半を過ごし、バイトをして夜遅くに帰る。なるべく家に居ないために。

 

「……烏森先生」

 

 そんな彼女が呼び止めたのは、教師であり幼馴染、そして一言で言い表せない関係を紡いできた人物であり、彼女が唯一連絡を遮断していない烏森匡導だった。

 鍵盤に触れることもなくなって、音楽室での密会もなくなってしまったことで、教師と生徒としてほぼ毎日顔を合わせるのにも関わらず、彼との距離はかつてよりも遠くなってしまっていた。

 

「豊川さん、どうかしましたか?」

「い、いえ……なんでも、ありませんわ」

「そうですか、もし授業で解らない部分等ありましたら、遠慮なく職員室までお越しください」

「……ええ」

 

 二人きり、周囲には人の気配すらないというのにこの対応をされてしまうと祥子は言葉が続かなくなってしまう。彼のぬくもりも、笑顔も、全てが手から零れ落ちてしまった。自分の選択によって、解散という結末を選んでしまったのだから仕方ないと理性で自分を納得させようとしても、他人行儀な対応が彼女の胸をジクジクと痛めつけていた。

 

「睦は、まだですか」

「そうなのよ~、思ってたよりショックだったみたい」

「一ヶ月、長いですね」

「でも睦ちゃんのことだから、匡くんがちょ~っと優しくすれば」

「……そう、簡単じゃないでしょう。流石の睦だって」

 

 一方の匡導は、裏切ったという後ろめたさから祥子と顔を合わせにくく、またこの一ヶ月で豊川定治や森みなみから呼び出されることも増えていた。

 前者からは祥子の様子を前よりも更に高頻度で、後者からは睦が引きこもっていることに関しての解決を期待されて。

 ──彼もまた「Ave Mujica」以前の、意思を持たない走狗へと戻ってしまっていた。

 

「睦さん、匡導さんがいらっしゃいましたよ」

「……追い返して、匡導くんの顔なんて見たくない」

 

 だが特に後者はモーティスの嫌悪のせいで門前払いを食らう始末、前者も特に代り映えのしない日々をただ報告するだけの、作業と化していた。

 一ヶ月で、世間は大きく変わってしまったように感じる。祐天寺にゃむは最近、バラエティー番組に出ることが増えていたし、三角初華は「sumimi」として、八幡海鈴も他のバンドのサポートで忙しくしている。

 そして睦を含めた四人はいつしかこう囁かれるようになっていた。お嬢様のバンドごっこの被害者、と。彼女たちのツアー中止によって、事務所はかなりの損失を被ったのだから不平不満が漏れるのは理解できないわけではない。

 ──その賠償請求を豊川定治が肩代わりする、という事実を知っているものは特に。

 

「祥子が背負う筈だった損害賠償は私が補填することで話が纏まった」

「はい、それで……私はどうすれば?」

「これ以上、豊川の人間でなくなった清告(アレ)の許には置いてはおけん……よって、匡導、お前の役目も終わりになるだろう」

「では、ご令孫を此方に戻して、監視は終了、ということでしょうか」

「ああ、とはいえこのタイミングで辞職するのは先方にも迷惑が掛かるだろう。そのまま羽丘で働いてもらう」

 

 すぐに退職、ということにはならなかったものの口ぶりからしていずれはそうなるかもしれないという可能性を秘めている。

 年度末まで、何年か勤務してから、それは解らないがひとまず羽丘に留まれることに彼は内心でほっとしていた。

 

「キミもご苦労だったな」

「いえ」

「だが監視という程ではないとはいえ、今後は教師として、羽丘で様子を気に掛けてやってほしい」

「畏まりました、失礼します」

 

 教師として、という言葉にもしや同棲の話が知られているかもしれない、少し警戒をしたものの特に何事もなく豊川邸を後にする。

 首輪は取れたものの、半端に任務を全うしてしまったが故に、今後もこうして呼び出される日々が続くのかもしれないという事実に彼は運転をしながら眉根を寄せた。一度決められた主従というのは、覆ることはないのだから。

 街の広告には至るところに睦が使われている。事務所内では半ば忌むべきものとして扱われている「Ave Mujica」も、世間では一ヶ月経った今も伝説のバンドとして名前が散見される。

 ──故に人々は未だ、忘却を赦しはしない。

 

「一連の報道は見ていた、いい勉強になっただろう」

 

 翌日の放課後、帰ろうとする祥子の目の前に黒いリムジン車が停まり、そこから祖父の定治が顔を出し、車で送迎される。

 祖父が学校まで来たということはやはり、彼はもう役目を終えてしまったのだろう、だから声を掛けても意味はない。そう理解した祥子は大人しく車に乗り込んだ。

 

「もう何も心配することはない、ツアー中止に掛かった損害賠償金は、払っておいたよ」

「──っ!」

「戻ってきなさい」

 

 既に払われていた賠償金、祖父が立て替えてしまったという事実に目を見開いた。

 それはかつて、そして戻った後に何処か冷めた目で見てしまった父、清告と同じ路を辿ってしまっているのだから。金額の問題以前に結局は自分で責任を取ることもできずに祖父の、豊川グループの力で無理やり解決してしまった。その事実は、自分も所詮父と同じ、鳶は鷹を生むことなどないのだと突き付けられたようなものだった。

 

「……アレはもう豊川の人間ではないと言っただろう」

 

 ──違いは、祖父と血が繋がっているかいないかというだけ。愛娘が遺したものだから、父と同じことをやっても自分は生き残ることが出来る。父と同じように落ちぶれることは絶対にない。

 それに例え祖父が許さなかったとしても、これまで一切金銭の援助を受けなかったとはいえ彼がきっと自分が惨めな生活を送ることを良しとはしないだろう。そんな気がして、自分が如何に優しすぎる、甘すぎる世界で独り相撲をしていたのかを知ってしまった。

 

「三分待つ、支度してきなさい」

 

 狭いアパートで暮らしてまで父親を追いかけ、酒に溺れる彼を支えている一方で自分が()()()()()()()()()()()()と、支えるべき父親を下に見ていたこと、そしてそんな父と結局は同じだったことに気付いた祥子はもう、抵抗することもなく黙ったまま荷物を纏めていくしかなかった。

 出ていく時に持ち出した服や荷物、ジャージや教科書といった学校に必要なもの、他には生活に必要なもの、そして母の形見である人形とキーボード、キャリーバッグとカバン、キーボードケースの三つで済んでしまう荷物を抱えた祥子は一瞬だけ後ろを振り返った。

 

「全部、解っていましたのね……匡導」

 

 思えば彼は決して何かをプレゼントすることはなかった。出かけた時、服を見ていた時に欲しいかどうかを聴かれたくらいで、首を横に振った。下着は幾つかバリエーションを増やしたものの、それも彼の家に置きっぱなしとなっていた。

 全てはこの日を予見していたからこそ、祥子はそう感じていた。烏森匡導はもう一緒に堕ちてはくれない。

 

「おかえりなさいお嬢様」

 

 豊川の家で、ばあやに出迎えられた彼女は軽く会釈をする。戻ってきた、戻ってきてしまったのだ、という整理のつかない感情のままに、もはや懐かしさすら感じる部屋に足を運ぶ。

 ビリヤードの台が並ぶその奥、西日を浴びるピアノの蓋をそっと撫でた。

 変わらない、けれど埃が積もったそれに、嫌悪と僅かな安堵を抱いてしまっていた。

 

「わたくしは……わたくしが嫌いですわ」

 

 ──豊川祥子は、人間に成りたかった彼女は、結局人間に成り損なったまま。

 運命だと思っていた「CRYCHIC」は自分が終わらせた。前に進むために組んだ「Ave Mujica」は、ダメになってしまった。

 沢山の人間を巻き込んだ、睦は未だ部屋から出てこない生活を送っている。燈はずっと、祥子に言葉を投げかけ続けている。匡導は、自分のために就職先まで変えることになり、その後も教師に集中は出来ていなかった。

 だからこそ、彼女はもう何かを主張することもなく、只生かされるだけの人形に戻ることを選んだ。

 

「そうかい、祥子嬢は結局家に戻って、睦嬢は一ヶ月ずっとか」

「訪ねてみたけど、門前払い食らったよ」

「爪痕は深ェな、お前にもしっかり食い込んでやがる」

「ムジカのことは、残念だと思ってはいるけど、遅かれ早かれって感じだったし……そう見えるなら、祥子のことだろうな」

「けど祥子嬢とは学校で会えるだろ?」

「いいや……もうお互い、他人だ」

 

 祥子からは最後にメッセージで、直接ではない形で「改めてお世話になりました」とたった一言のメッセージのみ、返事をしたものの既読すらつかないとなるとおそらくブロック機能を使ったと匡導は予想していた。

 学校ですれ違っても、もう生徒と教師というだけ。音楽室での密会もなくし、今はもう完全に距離が空いてしまっていた。

 

「俺も祥子を裏切ったんだ、もう合わせる顔もねェよ」

 

 そう呟いた彼自身、思うところがないわけではない。だがその思いを否定するように、敢えて匡導は会わないという選択をしていた。

 彼もまた「Ave Mujica」を否定し、祥子の見ていた世界を真の意味で理解し寄り添うことができなかったのだから。

 

「匡坊は悪ィ方向に考えすぎだな」

「そうかもな……けど、俺は俺を赦せそうにないんだよ」

 

 もう「Ave Mujica」はなくなってしまった。彼女の望んだ世界は壊れて消えた。

 それを対岸の火事として関わることしかできなかった。もっと早く関わっていれば、違う未来があったかもしれないのにと後悔するあまり自罰的になっていた。

 ──祥子からすれば、モーティスがやってきた時点で匡導の意図をある程度察していた。他のメンバーのように世界観を否定することも、バンドであることを否定することも絶対にしなかった彼を糾弾することなど、ましてや裏切り者だと蔑むことも決してないというのに。

 

「祥子、匡導はどうだった?」

 

 同日の夜、彼が祖父である恒彦に会っていた時間、祥子は自身の祖父定治の部屋へ通されていた。どうだった、という曖昧な質問の意図を掴みかねていると、そんな彼女に向かって彼が自分の命令で羽丘の教師になったと告げた。

 

「……存じておりますわ」

「あの男は忠実だが主体性がない、だが手綱を握れば使えるだろう」

 

 突如として匡導の評価を話し始めたことで、何を言っているのかいまいち理解できずに固まっている祥子だったが、最悪の場合は関係が祖父に知られているのではないのかと警戒する。自分が家を追い出されることを恐れての警戒ではなく、匡導が何らかの不都合な目に遭うのではないかという恐れだった。自分が頼って、甘えてしまったばかりに彼に何か良くないことが起きるのは望ましいことではなかった。

 

「それも、烏森自身が自覚していましたわ」

「ならばこれまでは儂の命令で匡導を動かしていたが、これからはお前が匡導を使いなさい」

 

 だが祖父の口から出た言葉に、祥子は耳を疑う。

 どうやら匡導との関係を知られたという訳ではないことが解って安堵していたがそうすると何故、彼を自分に使わせようとしているのかが理解できなかった。

 学校と家との往復は執事がしてくれることが決定事項となっている、それ以外は外出するつもりもないため、ますます意図が理解できずにいた。

 

「烏森先生、少しよろしいでしょうか」

「豊川さん……今は、ちょっと」

 

 その翌日、羽丘の職員室前で彼を待ち構えていた祥子は、警戒し他人のフリで目線を逸らした匡導に一瞬だけ悲しげな表情をしてからその腕をやや強引に引っ張り、顔を近づけてから口調を変えた。

 

「来なさい、烏森」

「……はい」

 

 祥子の表情から何かがあったのだと察したことで、匡導も諦めて彼女の言う通り音楽室へとついていく。

 それ程でもない筈なのだが久しぶりに感じてしまっていると、祥子が祖父に言われたことをそのまま彼に伝え、何か知っているのかと問いかけた。

 

「いや、俺は何も聞かされてませんが」

「ならお祖父様はどうして……?」

「予想ですと、ムジカからお嬢を遠ざけたい……とかですかね?」

「ムジカから?」

「はい──睦はライブ以降一度も学校にすら行っておらず、祐天寺にゃむはバラエティ番組に出てはいますが舞台のオファーを断り、八幡海鈴と三角初華は解散後にも度々ムジカのことを訊かれているそうです」

「それと、今の話に何の関係が?」

 

 祥子は訝しげな顔をするが彼は関係がないわけがないと首を横に振った。にゃむの舞台、俳優としての挑戦を断ったということは祥子にあまり関係がないものの、全員が「Ave Mujica」のメンバーだったということで大なり小なり、人生を変えられてしまっている。

 その矛先がいずれ向く先は勿論、発起人であり仕掛け人、総指揮をたった一人で担ってきた彼女であることは想像できるのだから。

 

「だから俺は接触せずにムジカの情報を得られる便利な存在ではありますね、祖父や両親が事務所と関係がありますから」

「……そういう、心配しなくても……もうムジカと関わる気なんてありませんのに」

「転ばぬ先の杖ってやつですよ」

「匡導──烏森は、それでいいんですの?」

「会長がそう命じたのなら」

 

 あくまで祥子と関係があり、幼馴染だった烏森匡導としてではなく、烏森の人間として、走狗として返事をした匡導から祥子は顔を逸らしてしまった。

 ──彼もまた、この件で人生を狂わされている。矛先を向けられてもおかしくはないと。だからこそ、彼がまた傍に居てくれるのを喜んでなどいけないのだと。

 

「では……これからまた、よろしくお願い致しますわ、烏森匡導」

「はい、仰せのままに──お嬢様」

「……ええ」

 

 もう二度と、優しい声で名前を呼んでくれなくとも、彼が自分の意思を持って自分に接してはくれないのだとしても。

 そんな彼を肯定することが、豊川祥子の犯した過ちに対する罰だと言うのならば背負っていこう。彼女はそう決めて頭を下げた彼の前で手を差し出した。

 

 

 

 

 

 




情報収集はしつつも流石に初華の過去までは調べられませんわね匡導は。
どれだけお互いを裏切ったとしても離れられない、それもまた愛ですわ。素敵ですわね。
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