Mare Inbrium   作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ

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これで五話は終わりですわ~! 六話も七話もじっくりやるので十話超えそうですわ~!


二章Ⅶ:幸福

 再び烏森匡導が豊川祥子に仕えることになったものの、送迎をするわけでもないため学校でお互いの時間が合えば雑談をする、事務所の内情を知りたい時に質問するという程度の関係を続けていた。

 特に祥子が気にしていたのは睦、家に引きこもり出てこなくなってしまったモーティスのことだった。

 

「俺も門前払いでして、みなみさんが迎えるようにって言っても無理っぽいです」

「ならわたくしも、受け入れてはいただけないでしょうね」

「そう思います」

 

 祥子も匡導も、睦を傷つけ悲しませてしまったためモーティスからは蛇蝎の如く嫌われている。故に彼女が今どうなっているのかというのは全く解らない状態だった。

 最終手段として匡導が森みなみに連絡をして、モーティスに彼を通すようにと言ったがそれでも匡導とは会いたくない、の一点張りだった。

 

「いい方法を探しておきます……そろそろですね」

「ええ、では」

「お気を付けて」

 

 音楽室から帰路につく祥子を見送り、匡導は溜息を吐いた。豊川定治の命令とはいえ、合わせる顔がないとすら思っていた祥子のために色々とやっている現状が、彼にとっては気まずかった。その上、何処かで今の関係に充実感を覚えてしまっていることもまた、言葉にならない微妙な胸の裡を表していた。

 

「すっごー! 本当にお嬢様だったんだ!」

「……あれは」

 

 校門側の教室の窓からリムジン車に乗り込む彼女を見送っていると、真下で響いた千早愛音の声に視線を移す。どうやらクラスメイトでバンドメンバーでもある高松燈と下校する最中らしく、リムジン車に乗った祥子の話をしているようだった。

 

「ほら、デビューした時にネットで話題になったでしょ? オブリビオニスが豊川グループの……」

「とがわ、グループ?」

 

 先の一件で知れ渡った豊川祥子、オブリビオニスの正体が豊川グループ経営者一族の娘であること、その話をかつては「CRYCHIC」として共に過ごした燈に振るものの、その豊川グループのことすら知らなかった燈は不思議そうな顔で愛音を見つめ返していた。

 

「え~、CMで森みなみもやってたじゃん」

 

 CMソングを振り付きで説明したものの燈の興味はあくまで「豊川祥子」個人に向けられるものであったため大した感想は得られなかった。

 かつて「MyGO!!!!!」がその名前を得たライブの後、彼女に気持ちを伝えるために差し出したノート、それを受け取ることなく絞り出すような声で言われた言葉がずっと、燈の胸に刺さったまま抜けずにいた。

 

「──お幸せに」

 

 かつてダメになってしまったバンド、ずっと一緒だと思っていたのに自分が上手く歌えなかったから、ライブが成功しなかったから愛想を尽かされたと思っていた。

 だから今度は一生一緒にバンドをするため、もう二度と離れないためのバンドを組んだ。それが幸せだというのなら、祥子にとっての幸せとはなんなのだろうか。

 考えても答えは出ない。いや、そもそも。

 

「……幸せってなんだろう」

「えっ!?」

 

 バンドの練習中も集中しきることが出来ず、いつも通り椎名立希との帰路、自宅のすぐ目の前にある歩道橋で燈は呟いた。

 幸せ、幸福、祥子のだけではなく自分にとっての幸せとはなんなのだろうか。どうしてあんなにも辛そうな顔をするのだろうか。

 

「わ、私は……今、幸せだけど」

「……え」

「な、なんでもない! じゃ」

 

 立希はそんな悩みの中にいる燈とは違い、今を幸せと言い切った。それはどうしてだろうと考える。勿論、彼女が燈と居られること、傍に居られることに幸せを感じているという結論には至らず、バンドとして皆で一緒に居ることが幸せなのではないかという仮説を立てていく。少なくとも「MyGO!!!!!」としての立希はいつも優しくて、不器用ながら笑顔を向けている。

 それを祥子に当て嵌めると、かつて「人間になりたい」という叫びから生まれたバンドとして「CRYCHIC」という名前を付けた。

 あの頃の彼女は楽しそうに笑っていた。バンドとして過ごす時間も、二人で星を見上げる時間も、すごく特別なもののように感じていた。

 ──羽丘に入ってからの祥子はいつも、苦しそうな顔をしている。少なくとも、燈の前では決して笑顔は見せなかった。それは「Ave Mujica」として演奏している間も、動画で観た限りは苦しそうにすら感じていた。

 

「ともりん、また貼ってるの?」

 

 翌朝、燈は()()()()()()()彼女の下駄箱に付箋を貼る。愛音も慣れてきたため、それを日常のこととして流していた。

 その付箋に書かれているのは、高松燈の「言葉」たちであり「詩」の欠片たち。輝くような春の陽だまりの中にある思い出ではいつも彼女が褒めてくれた、口下手な自分の言の葉たちだった。

 

「──っ!」

 

 祥子が下駄箱を開け目に飛び込んできた、そこに書かれていた言葉、それは「祥ちゃんは、幸せ?」という何気ない、燈のありのまま、純粋で何も着飾っていない生の言葉だった。

 故に、その言の葉は彼女にとって胸を抉られる鋭利な刃物となって襲い掛かってくる。

 ──幸せなど、と吐き捨てたくなる。母を喪い、父が豊川から追い出され「CRYCHIC」を失い、そして今「Ave Mujica」と、()を失った。

 丁度その、少し前のこと、音楽室で祥子は甘い微睡みを求めて、彼の腕の中にいた。

 

「匡導は、もうわたくしを祥子と呼んでくれないんですのね」

「……やめてください、お嬢」

「貴方が、匡導がいたから、わたくしはムジカを終わらせる選択ができた……例えあの甘い夢から醒めたとしても、貴方だけはずっと、共犯者でいてくれると信じていたから」

「俺は、俺はずっと……共犯者には成れていませんでした」

 

 壊れていく「Ave Mujica」すら、彼にとっては対岸の火事でしかなかった。自分はあくまで祥子本人のことを守るだけで、他は関係ないと切り捨ててしまった。

 ──その結果が、モーティスという人格を表出されることに繋がった。あの場で「Ave Mujica」を守ることを選択することが出来れば、或いは睦は未だギターと匡導というよすがに縋っていられたのかもしれないのに。

 

「お嬢はもう、豊川の人間です。その立場を忘れてはいけないんですよ」

「匡導」

「……じゃあ、少しだけ本音で話してもいいしょうか?」

「ええ」

「俺は豊川の婿なんてまっぴらごめんだ、あんな……俺なんかよりずっと傀儡じゃねェか」

 

 父、清告のことを言っているのだろうというのはすぐに解った。豊川という家は巨大な一つの組織だ。定治でさえコントロールしきれない部分が確かに存在することを匡導は知っていた。祥子は知らない、豊川という怪物の恐ろしさの片鱗を、匡導は知っていた。

 ──故に、匡導は祥子を突き放す。自分という存在が彼女を不幸にする。豊川という家が彼女と匡導が幸せになることを許す筈がないのだから。

 

「お嬢は、幸せになってください」

「……わたくしの、幸せ」

「はい、少なくとも俺との関係の中にソレはありませんから」

 

 突き放され、決して従者としての仮面を外そうとはしない匡導の態度に、祥子は涙が溢れてしまう。彼を裏切ったのは自分だと、所詮自分もまた籠の中の鳥でしかない。なのに烏森匡導という人と知り合って、鳥籠のドアを開けられた気になっていただけだった。

 現実はまだ、翼を失い地面に叩きつけられる、その途中でしかない。

 ──そしてその帰り道に突き付けられた言葉、全てを失った祥子に向けられた鋭利な刃物、思わず衝動的に、ペンを取り出して「もうやめて」と書きなぐり、乱暴に靴箱のドアを閉める。

 

「はっ……祥ちゃん! 祥ちゃん!」

「ちょっと」

 

 その音を聞いた燈は彼女の心の叫びを、ぐしゃぐしゃになった付箋に書きなぐられた言葉に、彼女ともう一度話すために燈は靴を履き替えることなく校門へと走り出した。

 だが下り階段の存在を失念していたため一歩は空を切って倒れ込んでしまう。

 

「ともりん、大丈夫?」

 

 唐突に走り出し、そして躓いた燈に対して愛音が駆け寄る。だがその瞳がまっすぐ前を、祥子の方へと向いていることに気付いたことで、燈は彼女を追いかけたいのだということを、絶対に追いつかなければならないことを察した愛音もまた、祥子の背中を見据えた。

 

「──任せて」

 

 愛音にとって「CRYCHIC」のことも、豊川祥子という存在も所詮は対岸の火事でしかなかった。彼女と彼の関係も、そよが気にしていたから、もっと言うならば「CRYCHIC」の解散に彼が何か関係しているかもしれないという疑いを持っていたからだった。その意図を汲みとって、愛音はそよの為に烏森匡導という教師の許を訪ねていた。

 愛音にとって今のバンドは、見栄を張ることも、虚勢を張ることも必要ない。言いたいことを言い合って、でも同じ路をみんなで歩いている。正しいかどうかは解らなくても、間違っていたとしても。

 だからこそ、彼女は駆け出すことを選んだ。祥子に追いついて、彼女の真意を直接彼女の口から訊きだすことが、燈にとって必要だと思ったから。

 

「私、中学三年間、クラスでアンカーだったから!」

 

 そんな様子を、聞きつけた匡導は燈の後ろで短い距離を走る愛音を見ていた。関係ない筈なのに友達のために、仲間のために駆け出す勇気を持つ、祥子の内面に踏み込む勇気を持てる千早愛音という存在が、彼には羨ましいと感じていた。

 

「祥子ちゃん、ちょっと待って!」

 

 なんとか車の扉が閉められる前に追いついた愛音だったが、当然運転手を務めている執事に止められる。

 オブリビオニスであったことが露見してしまった以上、害意のある一般生徒となるべく関わらせたくない、そんな意図が見えたものの、愛音はハッキリと祥子のことを「友達」と言い切った。

 その勢いに圧されたのか、道を開けた運転手に会釈をした愛音と、後から息も絶え絶えになりつつも追いついた燈が車に乗り込んでいく。そして、祥子が目を見開いて驚いた先には困惑する運転手と話す彼の姿があった。

 

「烏森さん、これは」

「お嬢様の友達です、俺が保証しますから」

「では……」

「はい、このまま学友も家まで」

「……畏まりました」

「……ま、烏森」

 

 匡導、と言いかけて向かいに座る愛音が視界に入ったことでなんとか呼び方を訂正する。

 だが彼女の呼びかけに顔が向くことはなく、ドアを閉められて羽丘から離れていってしまっていった。

 

「……さて、祥子はあの二人に任せて、もう一つの償いもしなきゃだなァ」

 

 祥子が塞ぎこんでしまっている原因の一つ、それは若葉睦が眠ったままということだった。モーティスという人格が身体を動かしているが、祥子は自分勝手な思いつきで彼女を追い詰めたことをずっと後悔し、自分を罰し続けている。

 ならばそれは、そんな祥子の走狗となった自分が突破口を切り開くべきものだと考えていた。モーティスが拒絶しようとも、家主である森みなみの言葉があればお手伝いの山田を言いくるめることが出来る。彼としては使いたくなかった手だが、いつまでも放置しているわけにもいかない問題だ、と匡導はスマホを取り出し、連絡を取った。

 

「貸しにしておくわね」

「わざわざ釘を刺していただかなくても、いずれ返すつもりですよ」

「じゃあ、なんでも聞いてくれるってことかしら?」

「勿論、対価に見合っているお願いをしてくれるって、みなみさんを信じていますから」

「そんなに警戒しなくてもいいのに~」

 

 彼女との電話を終え、そのまま睦の家に向かう。モーティスの、睦の部屋には近づけないことは解っているが、すんなり通してもらい、我が家の如くコーヒーを淹れていると、再びの来客を知らせる呼び鈴が鳴った。

 

「……はい」

「睦ちゃんと同じクラスの長崎です」

「あ……えっと」

 

 既に匡導という来客が居るため困った顔をしたお手伝いに目線だけで通してもいいことを伝えた。

 彼女と同じクラスの人、前は教師が様子を見るという目的もありつつ、プリントなどの必要書類を手渡していたのを、何かしらの理由で家が近い人物にでも託したのだろう。彼もそう考えていた。

 ──これがもしもフルネームで名乗っていたなら、彼は気づけていたのかもしれない。訪ねてきた相手が祥子から伝えられていた「CRYCHIC」の元メンバーである、長崎そよであるということに。

 

「え……どうして、貴方がここに?」

「……キミは、確か」

 

 だからこそ、鉢合わせしてしまった。お互いに初対面であるのにも関わらず、その存在だけは知っていた。

 ──片方は豊川祥子から、顔は「CRYCHIC」のSNSでの様子から知っていた。

 ──片方は千早愛音から、顔は以前、若葉睦と話していた時に、素性は彼女の隠し撮りで。前から祥子と関わりがあることでどういう人物なのか、どういう関係なのかを探っていた相手だったのだから。

 




祥子は一旦休憩入りますわ、やはり千早愛音を出すと主人公になりますわ、危険ですわ。
遂にそよと匡導が邂逅ということで、この二人がモーティスをどう扱うのか、これが六話の主な内容になりますわ
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