Mare Inbrium 作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ
一話飛ばして投稿してましたわ~! 誠に申し訳ございませんわ~!
モーティスを「MyGO!!!!!」に紹介することによる荒療治、そよが思いついた最終手段だったが、やはり躊躇いがあるため彼女を寝かしつけた後、リビングで匡導と対峙することにした。彼には苦手意識があるものの、現状として協力関係にあるのだが報告と相談を怠っては不義理だと自分を奮い立たせていた。
「長崎さんは紅茶派? それともコーヒー?」
「え?」
「話をするんですから、必要でしょう?」
「あ……じゃあ、紅茶で」
「用意します」
敵対するような気持ちだったのに、思っていた以上に穏やかな顔でそう問われてそよは毒気を抜かれてしまう。匡導からすれば、自分に出来ないことを全部やってくれる彼女に思うところはあっても労うことまで否定しては信頼関係の破綻を意味するための行動だった。
他人の用意したものを口に運ぶという行為は、信頼の証である。彼はそう考えていたこともこの行動の一因であった。
「そうですか、モーティスもそれには頷いたと?」
「はい」
「では、俺としては止める理由はありません。元より彼女を外に出すことが第一目標ですからね」
「……烏森、さんは……睦ちゃんを、モーティスちゃんをどうしたいんですか?」
紅茶を一口啜り、その温かさと丁寧さを感じられる味に一瞬だけ警戒を緩めて、そよは彼に問いかけた。
匡導もまた紅茶を一口運びながら考える。正直なことを言えば、彼にモーティスを、若葉睦をどうにかするという意思はない。ただ、彼女が引きこもっている原因が自分にある、と祥子が考えているから、単純に睦として学校へ行き、以前のような生活を送ってくれることを願っているだけだった。
「俺は、お嬢の判断が間違っているとは、考えていません。しかし、睦があのままではお嬢が後悔し続けることになります……だから」
「祥ちゃんの、ためですか?」
「そうですね、お嬢のため」
「それで、モーティスちゃんが居なくなってしまっても?」
「はい」
「……解りました」
迷うことなく言い切った、祥子のためならばモーティスが消えてもいいという彼の考えを理解したそよはそれ以上紅茶には口を付けずに立ち上がった。
苛烈なまでの忠誠心、いやそれ以上に何かが根底にあるような感覚にそよは腕を抱き込んだ。
──もし、と意味のない仮定だったとしても考えずにはいられない。もし祥子が本気でモーティスも睦も邪魔だからいなくなって欲しい「CRYCHIC」のことも思い出さなくていいように消してしまいたいと願えば、彼は迷うことなく実行しそうな危うさがあった。匡導の目はそういう覚悟を平然と決めてしまいそうな人物なのだと。
「もう三日だよ? 既読もつかないってヤバくない?」
そして翌日の夕方になり「MyGO!!!!!」のホームであるライブハウスとスタジオのある「RiNG」では愛音の声が響いていた。
そよがモーティスに捕まったことで連絡が取れなくなり、思うようにライブ前の練習が出来なくなっていた。
「これ絶対アレだよね、そよりんまーた一人で病んでるよね?」
「……はぁ、落ちる時はあいつ、とことん落ちるから」
「だよね、もうさ、そよりんち行くしかないって! それか学校押し掛けてさ──」
「──きた」
「えっ?」
以前の経験もあり、何とかそよと直接会う方法を提示していた愛音の言葉を遮ったのは要楽奈だった。
先頭を歩いていた彼女の視線の先、そこにはベースを背負った制服姿のそよが丁度自動ドアを潜るところだった。
「そよりん!」
「練習終わったん……?」
「睦、ちゃん……」
「睦ちゃん?」
そして、そんなそよの後ろに隠れるようにして睦、モーティスがギターを抱えて顔を覗かせる。睦にとって知り合いでもあり、大事なバンドメンバーでもあった立希、燈はともかく、ほぼ初対面の愛音にはやや警戒気味の視線を、もっと言うならば彼女が手に持っていたスマホを警戒していた。
「なんでなんで? なんで睦ちゃん? ヤバ~、すっごいかわいい! 初めまして!」
「……睦?」
思わぬ人物、それも有名人の登場に喜色満面の愛音とは裏腹に、立希が普段の睦との違い、その違和感に怪訝な表情を見せる。椎名真希の妹として見られることを嫌っていた彼女は同じように芸能人の娘として見られることを嫌っていた睦をよく見ていたからこそ抱けた違和感だった。
「寝てる」
「あ……っ」
「は? 寝てないけど……」
「二人いる」
「楽奈ちゃん解るの?」
だが楽奈がそれを一目見ただけで、初対面である筈なのに言い当てた。
モーティスが言っていたこと、そして匡導が言っていたこと、言い当てた楽奈は特徴的なオッドアイで若葉睦を注視していた。
「いる」
「睦ちゃんのことわかるの?」
「えっ?」
「──いかなきゃ、ばいばい」
「え、待って!」
「ちょっと、睦?」
楽奈はあくまでマイペースに、自分の目的地に向かうことを優先する。初めて現れた理解者、何も言っていないのに、何も知らない筈なのに自身の内面で起きていることを口にした楽奈はモーティスにとって得難い存在だった。故に、彼女もまた楽奈を追いかけて「RiNG」から出て行ってしまった。
残されたのは何一つ理解できないやり取りを見ていた愛音、燈、立希、そしてそんな彼女を連れてきたそよの四人だった。
「──モーティスちゃんって言うんだって」
「モーティスって、待って待って、どういうこと?」
「睦ちゃんは今、あの子の中で眠ってるの」
信じがたい話だが、事実であるためメンバーにも説明していく。彼女が「Ave Mujica」で芸能人の娘として振舞うための、演技をするための存在であること、故にモーティスと自称していること、だがどういう訳かギターは弾けず、そのために「Ave Mujica」が解散してしまったこと、そよが知った睦に起こった全てを打ち明けた。
「睦とは違う、もう一つの人格ってこと?」
「ええ~?」
「話した感じだとね……睦ちゃんを起こしたいんだって」
「それで、そよりん軟禁?」
「自分じゃできないわけ?」
「できないから軟禁なんだよ」
「……睦ちゃん」
それだけではない、睦を起こしたい本当の目的をそよは知った。これは匡導にも話していないこと、話せば確実に彼はモーティスという人格を否定する。もう三日も関わってしまったそよにはそれを肯定するわけにはいかなかった。
間違っているからといって、生まれたことそのものを否定していい理由など、誰にだってない筈なのだから。
「……あの子が言ってた、睦ちゃんとAve Mujicaを壊したのは祥ちゃんだって……後」
「後?」
「……ううん、それだけ」
彼の存在を語ろうとして、押し黙ってしまう。
睦を壊したという名前に烏森匡導という人物が関わっていること、それが羽丘の教師であるということは愛音を介した情報交換で知っていたことだった。彼からはその上で祥子や睦と幼馴染であったこと、家族ぐるみでの付き合いがあったこと、そして彼が羽丘の教師になった理由と祥子との本当の関係まで知った。
だが、これはもう愛音にすら言えるものではなかった。勿論、燈や立希の前では話せない秘密だった。
「愛音ちゃん」
「ん?」
「……あの烏森って先生のこと」
「え?」
「もう、何も聞かないで」
「……どうして?」
「あの子から、聞いたことなんだけど」
だからこそ、愛音には幾つかの事実を伏せて話していく。それがきっと巡り巡ってモーティスの、そして祥子の為になるのだと信じて。
愛音と別れ、そよは少し迷ったもののやはり報告は必要だと睦の家へと戻っていった。
「そうですか、モーティスは……その要楽奈という人を」
「はい……それから、あの子のことをMyGO!!!!! のみんなにも」
「長崎さんがそうする必要がある、と判断したのなら否定することはありませんよ」
「……はい」
やはり、モーティスに対して何処か冷徹ささえ感じられる程に匡導の反応はドライだった。こうして睦の家に泊まり込んでいるくらいには責任を感じて、彼女のために何かをしようとしている筈なのに、逆に言えばその責任感しかない。その過程や方法に頓着していない、或いは関与しない態度が、ドライだと感じさせるものだった。
「こんなこと言うのは無責任かもしれませんが、明日もモーティスのこと、よろしくお願いします」
「──任せてください」
三日、彼とももう三日間同じ家で寝泊りをして、短くもあるが話をしていて気づいたことがあった。
──彼の瞳の奥には、たった一人しか映っていない。モーティスも、そよも、そこにはいない。或いは、全てが同じに見えている。見えている世界が歪で、自分とは違うということ。
辛うじて長崎そよと認識されているのは、自分が豊川祥子と関わりがあるからなのだということだった。
だからこそ彼にモーティスを任せてはおけない、自分がなんとかするしかない。そよは改めて若葉睦という人物と向き合う決心をした。
「やっぱり鍵はバンドか」
そよが居なくなった後、匡導は呟いた。睦と記憶や大まかな経験を共有しているにも関わらず、モーティスがただ一つだけ共有していなかったもの、それがギターだった。
彼女はギターが弾けない、睦は弾けるものが何一切、それは即ちモーティスが「睦ちゃん」と呼ぶ若葉睦はこのギターに依存した人格であるということではないかと仮説を立てていた。
それは彼女が弾けない筈のギターを大事そうに寝室に置いていたこと、出かけた時も大事そうに抱えていたこと、そよから聞いたモーティスの行動の意味とも合致する。
「みなみさんが言ってたことが事実なら……あの睦は」
若葉睦という人物に内包される二つの人格、モーティスと睦ちゃん、どちらにも核となるアイデンティティ、或いは
ギターに依存している「睦ちゃん」と、そんな彼女が苦手なものを一手に引き受ける「モーティス」という役割、そのためだけの存在、そこの差は自我の強さだ。
匡導の知る睦はかなり我が強い、と感じることがある。太々しいとすら思った記憶すらある。自己主張は苦手だが自分のやりたくないこととやりたいことがはっきりしており、やりたいことだけを選ぶ、そんな人物像だった。
「最近、随分足早に帰っていきますが、何をしているんですの?」
「ん? いやまァちょっとした雑事ですよ、お嬢には関係ない──」
「──貴方の今の主はわたくしですわ、まさかお忘れではなくて?」
「いえ、そんなことは……ですが」
その日の朝、呼び出されたと思ったら苛立ち気味の祥子に詰められた。
何があったのか、などと聞くこともできずに言葉を詰まらせていた彼だったが、その話さないという様子に、彼女は苦しそうな表情をする。
主人を気取って、匡導に詰め寄るのが望んだ関係ではない筈、こんなことをしても彼の心が戻るわけではないという事実に追及の言葉も止まってしまった。
「お嬢……?」
「なんでもありませんわ、雑事というなら手早く終わらせてくださる? もう四日目ですわ」
「良く見ていらっしゃいます、流石はお嬢様」
「お世辞なんて、聞きたくありませんわ」
もう、匡導の目すらまともに見られなくなってしまった。かつてはその中に自分が映っていることが嬉しかった。子ども頃はへりくだることもなく畏まることもない彼が特別に感じられた。中学に入ってからはふとした瞬間に見つめられると動悸が早くなる感覚が心地よかった。
同じベッドで眠っていた間は、この瞳に自分以外が映らなければいいとすら思っていた。それほどまでに彼の瞳を覗くことができていた筈が、今は目を合わせられないでいた。
「では、本日もすぐ帰りますので」
「ええ……解りましたわ」
「何かありましたら、遠慮なく申しつけください──俺はお嬢の従者ですから」
従者なんて必要なかった、匡導とはそんな関係で一緒に居たかったわけじゃない。あの頃の彼に戻ってきてほしい。そんな我儘を、ぐっと堪えて祥子はもう一度、悲しみに顔が歪まないように頷いてからすぐに彼から背を向けた。
「……失ってしまいますわ、何もかも」
母も父も、温かった家族も「CRYCHIC」も「Ave Mujica」も、睦も匡導も、全て指の間から零れ落ちていった。
残ったのは空虚な「豊川祥子」という器だけ、中身を満たしていた、人間にしてくれていた筈の全てはもう彼女の中には残っていなかった。
六話半分くらいしか進んでいませんわね、けれど祥子が再び立ち上がるためには睦を丁寧に書かないといけませんわ、これがジレンマですのね。