Mare Inbrium   作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ

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そよモーティスとのドキドキ同棲生活も長くなってきましたわ~! ある意味ドキドキですわ~!


二章Ⅹ:忘却

 匡導が睦の家へとやってきた時にはもう、そこにはそよもモーティスもいなかった。

 家政婦の山田の話によると、昨日同様に「RiNG」へと出掛けたらしく、しかもモーティスは昨日よりも随分乗り気に感じられるということだった。

 バンドがいい方向に作用するという予感はあったものの、ここまで劇的なのかと彼はそうですかと頷いてコーヒーを淹れ始めるのだった。

 

「……野良猫に懐いてる」

 

 その頃「RiNG」のカフェのカウンターではご機嫌で抹茶パフェを頬張る野良猫、要楽奈とそれを隣の席で嬉しそうに見つめるモーティスの姿があった。

 昨晩、彼女を追いかけて何があったのかまでは察することはできないが、どうやら相当に楽奈のことを気に入ったことだけは伝わってきた。

 

「私、三日三晩一緒だったのに」

 

 一緒に居て、外に連れ出す程にまで言葉を尽くした筈が、あっという間に楽奈に興味を向けているモーティスのそんな後ろ姿に、やや納得がいかないという風にそよが愚痴を吐き出す。ほぼ軟禁状態だったのに、苦手な匡導とコミュニケーションを取ってまでやってきたことをたった一晩でひっくり返された遣る瀬無い気持ちは、愛音から見ても同情すべきものだった。

 

「ねぇどうするの? このまま放っておけないよね?」

「ムジカのやつらは見放してるみたいだけど」

「なにそれ、どこ情報?」

海鈴(アイツ)

「え~、あ、ティモリス?」

 

 愛音は立希と繋がりがあり、かつ「Ave Mujica」のメンバーとなると祥子を除いて、後は以前そよがバンドの練習に来なくなった際にサポートとして来てくれた八幡海鈴のことだろうと、その気安い言い方から推察する。

 そんな議論にもならない言い合いを続けていると、いつの間にか楽奈はギターを構えてチューニングを始めており、モーティスはそんな彼女のギターに目を輝かせる。

 

「わぁ……ボロボロ」

「ギター弾く」

 

 観客(オーディエンス)に応えるようでもあり、自由気ままでもあるように楽奈は弦を弾き、音楽を奏でる。

 モーティスにとって間近で見たそのギターは衝撃的であり、また眠りに堕ちていた筈の、彼女の魂を揺り動かした。

 

「……歌ってる」

 

 それは、終ぞ睦が叶えられなかった、ギターを持ちたいと思うに至ったきっかけの人物と重なって見えた。奏でる音楽は異なっても、彼女にとってその姿は憧れそのものでもあり、目標でもあった。

 

「睦ちゃん……? 睦ちゃんが起きた! 睦ちゃん!」

 

 モーティスは歓喜の表情で自分の内側で遂に目を覚ました睦の名前を呼ぶ。長い眠りから目覚めたばかりであった彼女だったが、その視線はずっと、楽奈のギターを見つめていた。

 気持ちよさそうに歌うギターの声が、彼女には届いていた。

 

「よかった~! 本当に死んじゃったかと思った……睦ちゃん?」

 

 だが、そんな睦の視線に気づいたモーティスは楽奈から視線を外させるため、彼女への情報を遮断する。意識が居る空間は、まるで睦の家のスタジオで、そのモニターの電源を切ったモーティスは彼女に状況を教えていく。

 

「睦ちゃんずっと寝てたんだよ? お医者さんに相談しても起きなくて大変だったんだから……でも、これで睦ちゃんがギター弾いてくれればバンド元に戻るね」

「……え?」

 

 睦が疑問を抱いたその瞬間、モニターが再び明るく空間を照らし、自分が眠っている間に何が起こったのかが流れていく。

 ギターが弾けないモーティス、そして解散する「Ave Mujica」と、そして祥子や匡導との会話の数々、特に最後の祥子を怯えさせていた部分や、匡導を拒絶する姿に唖然としてしまう。

 

「……祥、匡」

「大丈夫、怖いことからは全部私が守ってあげる、だから睦ちゃんは安心してギターだけ弾いて」

「どうして二人にあんなこと言ったの?」

「え?」

「任せてって言ったのに、こんなの酷い……二人はどこ?」

 

 あれだけ酷い裏切りを受けたのにも関わらず未だに祥子や匡導を求める睦の姿にモーティスは怒りを感じる。睦にとっては大切な幼馴染たちであり、自分を理解してくれる存在でもある。彼女たちが居なければ、ギターを弾けるだけの自分は生きていけないのだから。

 だが、モーティスにとって二人はあくまでも敵という認識は変わらない。特に匡導は居座られているからなし崩し的に許しているだけで、顔を見せてくるから余計に悪感情を募らせていた。

 

「──ダメ! 睦ちゃんは何にも解ってない!」

「……どういうこと?」

「今、睦ちゃんって」

 

 そのやり取りは、若葉睦という身体、口から出力されてしまう。故に「MyGO!!!!!」のメンバーが心配や何が起こっているのかという不安で集まっていた。

 睦が起きたことで、主導権を奪い合う形になり、フラフラと「RiNG」の外へと向かっていく。

 

「お願いだから、祥に、匡に会わせて」

「──ダメ」

「二人と話がしたいの」

「ダメだって言ってるでしょ! そんな睦ちゃ──っ!」

「嘘」

「睦!」

「睦ちゃん!」

 

 内側での言い争いに気を取られて、階段から足を踏み外してしまう。

 だが、思いっきり転がり落ちたにも関わらず、モーティスと睦の言い争いは更に激化の一途を辿っていく。どれだけ傷つこうとも、二人を嫌うことなんてない睦に対して、モーティスは自身の存在意義としてそんな傷ついた原因を決して許しはしない。

 

「大っ嫌い! 二人に沢山傷つけられたこと、忘れたの!?」

「違う……! 」

「弱ってる睦ちゃんを追い込んで壊したのは祥子ちゃんだし、それを見捨てたのは匡導くんなんだよ?」

「祥にあんな顔、させたくなかった、匡は祥を守らないといけないから」

「だから、私が代わりに──!」

 

 一つの口から異なる二人の意見が衝突していく。追い詰められていたのは祥子も同じで、ただ余裕がなかっただけ。匡導はそれを解っていて、だから自分に手を差し伸べなかった、できなかった。睦に優しくするのは簡単だけれど、あの状況で自分の味方をしてしまえば、今度は祥子が裏切られた、見捨てられたと感じてしまう。どちらかしか救えないのなら、匡導は迷うことなく祥子を選ぶ、そんなことはずっと前から理解できている筈のことだった。

 

「どうして壊したの?」

「睦ちゃんが会いたくても、祥子ちゃんは違う! だって一度も会いに来なかったんだよ?」

「CRYCHICは壊れたから、今度はちゃんとやりたかったのに……」

「匡導くんだって、別に睦ちゃんに起きて欲しいわけじゃなかった! 祥子ちゃんと一緒に居られなくなったから、しょうがなく来てただけ!」

「……もうムジカしか、祥にはないのに」

「二人とも反省もしてないし何も変わってない! 会えばまた傷つけられるに決まってる! お願いだから解って!」

「……会いたい」

 

 衝突が「RiNG」の外で行われてしまったため、通行人が睦に気付き、何かのパフォーマンスか撮影かとスマホを構えていく。

 二重人格の言い争いだ、なんてことは誰にも解らない。それが女優、森みなみの娘がしているという色眼鏡があるならば猶更だった。

 今が異常な精神状態であることが本当の意味で理解できるのは、この場ではそよだけであり、故に彼女は身を呈して彼女をスマホから護っていく。

 

「撮らないでください! 撮らないでください!」

 

 それが「睦ちゃん」を守るためなのか「モーティス」を守るためなのか、それともその両方を含めた若葉睦を守っているのかは、そよ自身にも判断できなかった。

 ただ、そよと一緒に過ごしたのはモーティスであり、正常な状態というのは彼女が消滅している状態だと思うと、どうしても元に戻ることが良いとは言えずにいた。

 

「大丈夫だから……大丈夫」

 

 誰もモーティスを真の意味で独立した人格だと、あくまで今まで自分たちが関わってきた「睦ちゃん」とは違う人物なのだと認めることが出来ているのは、そよだけだった。

 唯一呼び分けを行っている匡導も、真の意味で人格をそれぞれ認めているわけではなく、睦ではないと自称しているから呼び分けているに過ぎない。それがなければ「A」と「B」などと仮称していただろう。

 

「……で、これですか」

「はい」

 

 そんな匡導は、まるで地面に転がってしまった食べ物でも見るかのような視線で、SNSに上げられた動画を見下ろしていた。

 睦とモーティスのやり取り、端から見ればひとり芝居の演技だとでも思われそうなやり取りを冷たく見つめる理由は主に二つ、一つはその話題性が「Ave Mujica」の復活という噂に直結していることだった。今は腫物かのように、という前提は付くものの学校で比較的、穏やかに過ごしている祥子にまで、この話題が届くことになりかねないことが彼には不都合でしかなかった。

 もう一つはこの言葉の中に自分の名前があることだった。マサミチという音だけならばどうとでも誤魔化せることではあるが、祥子が居る羽丘であるならば話は別だった。

 

「今は、どちらですか?」

「……モーティスちゃん、です」

「そうですか、そのままお任せしてもよろしいですか?」

「……睦ちゃんは、烏森さんに会いたがっていました、祥ちゃんだけじゃなくて、貴方にも」

「俺が睦を裏切ったのは事実です、それがお嬢の従者としての立場です。ですから、会って話をしたとしても謝ることはできませんし、謝りません」

「……っ!」

 

 例えそれで、睦にも恨まれたとしても、仕方がないことだと匡導は割り切っていた。そして、そよも今回の睦の言葉で、この幼馴染たちがお互いに抱いている感情を漠然と把握し始めていた。睦が匡導に抱いている恋慕、祥子と匡導の歪な関係、そして祥子と睦の関係が問題を複雑にしているように感じられた。

 

「会っても、睦が望む答えは出せません……彼女を徒に傷つけるだけです」

「そう……ですか」

「貴女も睦に寄り添うだけが、此処に居る意味ではないのではありませんか?」

「え……」

「随分学校もお休みされているみたいですが」

 

 それは紛れもない大人としての言葉だった。子どもとしての、複雑な感情を全て無視した社会性の話、あまりに無感情なその言葉にそよも顔を顰めてしまう。

 モーティスの感情、睦の感情、そよの想いや祥子の事情、諸々全てを考慮しないまま学校を休み続けるのはよくない、という杓子定規な答えはそよにとっては溜まらなく胸の裡でマグマのような怒りが湧いてくるものだった。

 

「豊川さん、おはよう」

「あのさ、これ知ってる?」

 

 ──彼の懸念通り、翌朝には祥子がクラスメイトによって睦とモーティスのやり取りが動画サイトにアップされているのを教えられてしまう。

 彼女にとっては恐怖の対象であるモーティスが自分の名前や二つのバンドのこと、そして匡導の名前を出している姿に目を大きく見開いた。

 

「この子、睦ちゃん……だよね?」

「サキ、って豊川さんのこと?」

「この一人芝居って、Ave Mujicaのパフォーマンス?」

 

 失っても、壊れてしまっても、過去という形になって祥子に襲い掛かってくる。穏やかさを取り戻した筈の学校ですら、こうして祥子の目の前に這い出てくるのだから。

 今の彼女にとって過去、バンドをやっていたことすら目を背けたくなる程に悍ましいものであり、いっそ忘れてしまいたいものだった。

 それとは裏腹に世間は未だ「Ave Mujica」を忘れない、忘れてはくれない。それどころか復活の兆しだと感じ、無意識に彼女を追い詰めていく。

 

「睦……匡導、わたくしは、わたくしがいなければ……」

 

 感情のまま怒鳴ったことで壊れてしまった睦の精神、そしてモーティスという存在が生まれたこと、そしてそんな彼女が今も苦しんでいること、教師を目指していた匡導が羽丘に来てしまったこと、自分と関係を持ち、そしてそれを捨てたこと。全ては、自分が「Ave Mujica」を始めたせいなのだという自責の念に駆られてしまう。

 

「祥ちゃん」

「あ……」

 

 そして、過去は何処までも祥子を追いかけてくる。友達のために、この問題に巻き込まれ、それでも彼女たちの為に何かをしようと動いている燈すら、今の祥子にはその追いかけてくる悍ましき過去でしかなかった。高松燈が以前と変わらぬ光を放っていようと、光を放っているからこそ──かつてはその輝きを燈に見せてしまった祥子は目を合わせることもできなくなってしまう。

 

「睦ちゃんが……睦ちゃんが、会いたいって」

「ねぇ、睦ちゃん大丈夫なの? ムジカ復活とか言われてるけど、ヤバいよね?」

「睦ちゃん、CRYCHICは壊れたから、今度はちゃんとって……祥ちゃんには、ムジカしかないから──」

「──わたくしには、何を言ってるのか解りませんわ」

「え……?」

 

 祥子にはもう、過去を振り切る力も、気力もなかった。過去も現在も、そして未来もなくただ生かされているだけの人間ですらない自分にはもう、どうすることも出来ないのだと。

 故に、豊川祥子は目を逸らす。どうすることも出来ない自分にはもう、()()()()()をすることしか出来ない。

 

「CRYCHIC? Ave Mujica? そんなもの知りません」

「でも、睦ちゃん」

「睦など──知りません」

 

 そう言って、逃げるように歩いていく祥子を燈も愛音も追いかけることはしなかった。追いかけても、また知らないと忘れたフリをされてしまえばそれ以上は堂々巡りでしかない。今はまだ、彼女を追いかける時ではないのだと。

 ──そして、千早愛音にはそこまで祥子を追いかける理由もない。ただ睦の問題に巻き込まれた側だとしても見て見ぬフリができる程、彼女は優しくはない。だからこそ祥子の視界に入らない場所で話を聞いていた人物を見上げて眉を上げる。

 

「終わりましたか?」

「烏森先生」

「踊り場を塞がれてしまうのは、困りました」

「……また他人のフリですか?」

「他人ですよ、自分以外は全て」

「そういうことじゃ……」

「長崎そよにどんな()を吹き込まれたのか知りませんが──俺には関係ねェよ」

 

 祥子が全てを忘れたいと言うならば、匡導もまたその意に従うのみ。それが主従関係だと彼は認識していた。

 ──たとえその言葉に隠し切れないやりきれなさ、怒りのようなものが含まれていたとしても。感情と理性は全く別のところで処理するべき問題なのだから。

 

 




匡導が大人しいですが、彼は身動きが取れない状況なので致し方ありませんわ。ここは祥子が頑張るところですので。
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