Mare Inbrium   作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ

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そよ主人公もそろそろおしましですわ~!
そしてアニメも本日終了致しましたので、来週からは全て14:14で投稿致しますわ~!


二章Ⅺ:真実

 事態は悪化していく一方だ、と匡導は感じていた。全てが悪い方向へ転がっていく。祥子の選択も、睦とモーティスの分離も、自分が過去してきた行いも含めて全て。

 ならば自分が睦の家で寝泊りしていることも、事態を好転させるものではないのだろうか、彼はふと出口の見えない迷路に閉じ込められている気分に陥っていた。

 若葉邸のリビング、そこでコーヒーの匂いで少しでもリラックスしようと、マグカップを左隣に置いて、彼は教師としての仕事をしていた。ノートパソコンのキーボードを指で叩いていると、上階から降りてきた長崎そよと目が合う。

 

「長崎さん、()の様子は?」

「……いえ」

「そうですか」

 

 モーティスと先ほど話した中で「嫌なものをぶつけて閉じ込めた」と語っていたことをそよは隠すことにした。彼はもう、モーティスを見ていない。或いは最初から見ていなかったのかもしれないが、睦が一時でも目覚めた今、彼は既にモーティスという彼女の固有名詞すら呼ぶことはなくなっていた。

 

「それよりも、お出かけでしょうか。よろしければ車を出しますよ」

「いえ……祥ちゃんと話してきます、あの子と話して何も言わないのは、もう無理ですから」

「は……な、ちょっと待て!」

 

 そよの言葉、その内容の危険さに匡導は思わずと言った様子で立ち上がり、彼女の腕を掴んで強引に引き留める。

 今、祥子を誰かに会わせるわけにはいかない。それは、つい今朝の様子からも容易に予想できることだった。激情が表面に出ず、穏やかなままの燈や、ある意味部外者でもあるため主観的ではない愛音だから今朝はなんとか衝突まですることはなかった。

 ──だが目の前の彼女はどう考えても二人のように穏便に引き下がってはくれない。そんな焦燥のあまり、彼は遂にそよの前で常にしていた「大人」という仮面を、外していた。

 

「今の祥子と話して、なんとかなると思ってんのか」

「……離してください」

「祥子のことを知ろうともしなかった、自分勝手な解釈で祥子を捨てたお前が話したところで、なんになるんだよ」

「なら……貴方が教えてくれるの? 祥ちゃんのこと」

「……それは」

 

 腕に籠っていた力が抜けた瞬間に、そよはその手を振り払い、再び玄関へと向かっていく。

 祥子の過去を知ろうとしなかった、それは確かに事実だった。だがそれは全員に同じことが言える。睦は顔が割れていたからみんな知っていただけで、祥子がどういう過去と悲しみを背負っていたのか、どういう理由で「CRYCHIC」を立ち上げ、また壊したのか、椎名立希がどういう想いでドラムを叩いているのか、姉のことを語りたがらない理由は何か、そして──長崎そよが()()そよとなった理由と、彼女がどうして頼られる人物を演じてきたのか。誰も、何も知らないのだから。

 

「烏森さんこそ、祥ちゃんのことばかり考えることが、此処に居る意味じゃないと思います」

 

 最後にそう言い残し、そよは迷うことのない足取りで駅へと、そして赤羽のアパートへと歩き出していった。閉じられた玄関を苦々しく見つめることしか出来ない匡導、そして同じ頃、出ていくそよを不安げな顔で窓から見つめていたモーティスは、閉じ込めた筈の睦が這い出てきていることに気付いた。

 

「……どうして、どうして教えたの?」

「ダメ、勝手に出てこないで! 」

「そよを止めて、祥の家に行かせないで」

「睦ちゃんはギターを弾く時だけって言ったでしょ、後は全部私がやるから」

 

 抑え込もうとしても、自我の強い睦をモーティスは抑えきれなくなっていた。ギターを弾くという役を与えようとしても、それ以上を望む。祥子や匡導に会いたい、会って話がしたい。ギターを弾く以上に、再び三人で過ごすことこそ、睦の本当の願いなのだから。

 

「お願い」

「うるさぁああい!」

 

 逆にモーティスは自分の役割、睦の嫌なものは全て引き受ける、という役に苦しめられ始めていた。彼女も強い自我を持つが故に、都合のいいゴミ箱のような、睦の人形でしかない自分の存在意義を疑い始めてしまっていた。

 傷つきたくない、嫌なことは全部感じたくない。でも二人とは一緒にいたい。そんな睦の我儘に振り回されて、モーティスは涙を零した。

 

「──私、なんのために」

 

 その嘆きは誰にも届かない。同じ若葉睦である筈の彼女にすら。

 頭の片隅では理解している。もう「Ave Mujica」はなくなってしまっている、元に戻すのは睦がギターを弾くだけでは足りないこと。

 そして若葉睦にとっては、祥子と匡導という存在は切ることなどできはしないということ。過去は捨てることは出来ない、例え裏切られたとしても傷つけられたとしても、睦にとっては二人の存在というのは生きている証でもあるのだから。

 

「モーティス、祥子の家を教えたのか……それは()()()の?」

 

 そよが去ってしばらくしてから、匡導ははっとする。すっかり失念していたことだったが睦は彼と豊川家以外で唯一、祥子が生家から離れていることを知っている人物、つまりはアパートを知っている人物でもある。そして一ヶ月引きこもり、祥子とも顔を合わせていないのだから当然、今は彼女が豊川邸に戻っていることを知らない。

 

「──まさか」

 

 感情的になってしまったため熱された頭を冷やしていたせいで、長崎そよと豊川清告が鉢合わせする可能性に思い至らなかった。()()は祥子だけでなく、豊川家にとっても都合が悪い事実だ。そうなった事件も調べようと思えば、掘り起こすのは比較的容易である。全てを知ってしまえば、祥子は増々逃げることは出来なくなる。

 

「……祥ちゃん」

 

 だが匡導は気付くのが致命的に遅かった。既にそよは赤羽のアパートで豊川清告が、彼女の父が落ちぶれている姿に出くわしてしまったのだから。

 混乱する頭でそよは無意識に匡導の連絡先に指先を合わせて、はっとする。問いかけたいことが沢山ある、あの住所のアパートはどういうことなのか、あそこに本当に祥子が住んでいるのか、だとしたら豊川のお嬢様ではなかったのか、何があったのか、後から後から湧き出てくる疑問、その全ての答えを知っているのは祥子本人、そして彼だというのは間違ってはいない。

 

「違う、あの人は……監視って言ってた」

 

 ──豊川祥子様の監視を祖父の豊川会長に仰せつかったからです。色々とあるんですよ、豊川という家は。

 初めて会った時の彼の言葉が頭を掠める。睦の変化、祥子と関係がある匡導がその家に当たり前のように居たことなどでよく見ていなかったが、思い返せばそう語った彼の目には、諦観と少しの嘘が混ざっていたように感じた。

 皮肉にもある程度共同生活を送ってしまったが故に、警戒していたが故に、そよは烏森匡導という人物の僅かなクセを知ってしまった。

 そして恐る恐る、そよは豊川家に何があったのかをスマホで調べることにした。彼が祥子の祖父を「会長」と呼んでいた、つまり彼女は豊川グループ会長の孫、ということになり、アパートで出会った彼は息子──実際は婿であるため血縁はないが、それでも彼は次期会長になる筈の人物だったことは確かである。そんな人物がこんなところに居る理由、その答えが必ずネットの海に漂っているのだろうと。

 

「……野良猫のやつ」

 

 そして「RiNG」では「MyGO!!!!!」が次のライブのために集まっているところだった。立希はスマホを見つめ、楽奈が来ないことに腹を立てていたが、そこにそよが入室した。その顔は全てを知り、腑に落ちたという表現が正しいものとなっていた。

 

「ねぇ、練習前にちょっといい? 祥ちゃんのことなんだけど……」

 

 彼女が三人にスマホの画面を見せる。そこには豊川グループ傘下である豊川地所が土地の所有者を装って他者の土地を勝手に売却し代金をだまし取る、所謂「地面師」の詐欺被害に遭っていたことがネットニュースになっているものだった。

 その被害額の数字を見た愛音は目を一層大きく見開いた。

 

「168億? 168億!?」

「何度も言うな……豊川グループって祥子の?」

「日付を見て」

「……これってCRYCHICのライブの」

 

 そこで漸くあの日「CRYCHIC」でライブをしたあの日の楽屋で祥子がスマホを握りしめて顔を曇らせていた本当の理由にたどり着いた。

 彼女はあの日、父を招待していた。だが、彼は豊川地所の社長という立場を追われて、豊川家からも追い出されていたのだった。それは誠実さを長所としていた清告が他者を信用し過ぎてしまったためか、どうしてこんなミスをしたのか、祥子にも誰にも解らないことだった。

 

「バンド辞めるって言ったのも、私たちに言えない事情があったのかも」

「……マジか」

「あれって……そういうことかぁ」

「何?」

 

 一応の話は燈やそよから聞いてはいる愛音は、祥子の言動がやっと理解出来た気がしていた。初めて会った時は優しそうで、羽丘に居てもお嬢様然とした人物だった。バンドという単語に顔を曇らせたのも「CRYCHIC」という悲劇を知った今では納得できる。

 その後、彼女は愛音を見つけて態々声を掛けていた。普段は誰とも関わろうとしなかった祥子が、愛音の背中に向けて。

 そんな祥子も、愛音が燈やそよ、立希と関わっていると知ると眉を寄せるようになった。その意味を、目立ちたいがためにイギリス留学という進路を取った愛音は理解してしまった。

 

「祥子ちゃん、CRYCHICもAve Mujicaも知らないって」

「……は?」

「睦ちゃんのことも、睦など知りませんって……でも解るんだよね、無かったことにしたい気持ち、祥子ちゃんにもきっと──」

「──本当に祥ちゃんが言ったの?」

「え?」

 

 祥子ちゃんにもきっと何か事情がある、一ヶ月もしないうちにイギリスから逃げ出した愛音が理解を示そうとしたものの、それをそよが遮る。彼女が最も「CRYCHIC」を大切に、特別に思い、陽だまりのような五人に救われてきたからこそ、長崎そよの怒りが、内側から溢れ出してくる。

 

「CRYCHICもAve Mujicaも睦ちゃんも知らないって?」

「……うん」

 

 語調が荒くなる、愛音にはそんなそよに見覚えがあった。かつて「CRYCHIC」を復活させようとし、それが徒労に終わってしまい、全てを投げ捨てて逃げたそよを連れ戻すため、愛音が彼女の家に乗り込んだあの時と同じ、だが怒りという意味だけで言えばそれ以上だと愛音は感じていた。行き場のない怒りや苦しみ、迷子の感情ではなく、明確にぶつける場所を知っている怒りなのだから。

 

「明日、祥ちゃんをそっちに連れていきます」

「知ったんですね、祥子に何があったのか」

「……はい」

 

 電話口で匡導は諦観の籠った溜息を吐いた。豊川定治から最後に下された、祥子を守るという指令は果たせないという諦め、だが同時にこの歪んでしまった状態を元に戻すためには、祥子と睦が再び話す必要がある。例え「Ave Mujica」が戻らなくとも、モーティスという歪みを正す必要があるのだと。

 

「俺は二つの意味で手伝うことはしません、できません」

「貴方は大人なんでしょう? だったら自分で睦ちゃんと向き合ってください」

「……長崎さんの言う通りです」

 

 自分の思考回路を読まれている、という感覚に再び溜息を吐いた。

 教師としての仕事があるからその場には居合わせられないという意味、それとは別に祥子の意思に反することはできないという意味を込めた言葉も、体のいい言い訳であることは明白だった。そよもそれを解っていて、大人の責任を持ち出すならば大人として誰かに諭されるわけではなく、自分で解決しろと返した。

 

「手厳しいな」

 

 電話を切り、そよの言葉に苦い顔をする。今までなら絶対に向けられなかった鋭い物言いが、だがあまり不愉快だとは感じることはなかった。

 だからと言ってやはり自分の仕事を蔑ろにすることは出来ないのもまた事実であり、そよの言う通り、彼女たちに便乗するのではなく自分自身で決着をつけるべきだとスマホを握り締めた。

 

「俺はまた、祥子を裏切るのか……本当に、狗にすらなれねェんだな」

 

 祥子を守る、彼女の傍に居て味方になる。そよを見逃すということはそのどちらの約束も果たせないということであり、彼にとっては信じるものを裏切る、背信行為に近い重みがあった。睦の現状に、そよたちの言葉に、彼女はまた傷ついてしまうのだろう。涙を流してしまうのだろう。解っていても、自分にはもう止める術がない。あったとしても、それが本当に彼女のためになるとは、彼も思っていなかった。

 ──豊川祥子に必要なものは何でも言うことを聞く、都合のいい人形でも狗でもない、血の通った人間、大切な人と言葉を交わし生きていくことなのだから。

 

 




ただいま結末をアニメから変更するかとっても悩んでいる最中ですわ、原作準拠を裏切ることは致しませんが
続編は続編出たら考えますわ、恐らく次の冬~春でしょうし
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