Mare Inbrium   作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ

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これにて二章完結ですわ~! 長い長い二章が終わりですわ~!


二章ⅩⅤ:滂沱

 八幡海鈴の後を付いて歩き、ライブハウスに訪れた匡導は、そこで高松燈が歌っている姿を初めて目にした。

 だが、それは「MyGO!!!!!」としてではなく、ステージの上にいたのは燈、そよ、立希と、睦と祥子だった。

 

「これは……どういう状況でしょう?」

「……私にも解りません」

 

 匡導は思わず問いかけるが海鈴も困惑が表情に出ており、それはそうか、と思い直しステージに目線を向ける。リハーサルというには余りにも真に迫っており、未完成でチグハグな演奏であることは、素人ながらも「Ave Mujica」というバンドを見守り続けてきた彼にもすぐに解った。

 ──だがそれだけでは説明できない、心臓を思いっきり鷲掴みにされたような感覚が匡導を襲っていた。人間になりたい、そんな心の叫びは燈や祥子のもので、だが匡導の叫びでもあった。彼女たちの涙が、表情が、まるで自分のものかのような感覚に、彼は思わず顔を顰めてしまった。

 演奏が終わり、感極まったメンバーが余韻に浸っていたところで、燈がステージから背を向けた。

 

「この詩は……この詩は、祥ちゃんのことを考えて、考えて、書いた、詩──でも、考えても、ぐちゃぐちゃで……何も、見えなくて……なのに、何も解らない……けど、CRYCHIC──CRYCHICやれて、良かった……!」

「燈……!」

 

 静かなステージに燈の声が、言葉が響いた。祥子のための詩、人間になりたいと絞り出した彼女の叫びでもある。そしてそんな二人の叫びから生まれた「CRYCHIC(こころのさけび)」は、無くなってしまったけれど、確かにこうして繋がりとして残っているものもあった。

 

「──もう一曲、いいですか! やるでしょ?」

「……うん!」

 

 もう一曲、という言葉と睦や祥子、立希の表情に思うところがあったようで、海鈴は腕を組みなおす。匡導にはその胸中を察することが出来る程、彼女のことを知っているわけではなかったため、思うところがあったのだろうとしか解らなかったが。

 ──そんな二人が居ることにすら気づくことはなく、祥子は最後のもう一曲、その始まりであり終わりの引き金を引く役割が自分であることに気付いた。

 あの日、母の死を引きずっていた自分が月ノ森音楽祭で先輩たちのバンドを見て、始めたバンド、祥子から始まり、睦とそよが加わって、立希を加えて、燈と共に作り上げた「CRYCHIC」と「春日影」を。

 

「……酷ェ演奏だな、人に聴かせるものじゃない」

「全くですね……本当に」

 

 涙声で、ぐちゃぐちゃで、人前ではとても聴かせられない。だがその「春日影」は、確かに匡導の胸に突き刺さっていた。祥子の(よすが)であり、支えだった暖かな輝き、春の陽だまりのような、一瞬で散ってしまった花のようなバンドの終焉は確かに彼の心にも何かを残していた。

 そして、それは海鈴にも同様に。

 

「行きましょうか」

「そうだな」

「烏森さんは、豊川さんたちを待つんですよね?」

「一応は」

 

 演奏が終わり「MyGO!!!!!」のリハーサルが始まる前に二人はロビーへと向かった。何処かすっきりしたような顔をしていた匡導とは裏腹に、海鈴は眉根を寄せていることに気付いたものの、それはきっと「Ave Mujica」ではメンバーの結束力が全くと言っていいほど無かったことと比較してのものなのだろうと予測を立てていた。

 

「私は、二人に話したいことがあるので」

「だったら、俺も残ろうかな……感想を吐き出すのなら、一人よりも二人でしょう?」

「……成程、貴方は事務所側の人間でしたね」

「今は違いますよ、只のお嬢の飼い犬ですから」

 

 その返事で、間違いなく海鈴が祥子と睦にどういった用事があるのかを把握した匡導は彼女たちをそっとしておこうとしていた先程までの余韻から頭を冷やし、乱れていた口調を改めた。

 彼女の表情から、嫉妬の類を感じ取った匡導は、そのまま再び「Ave Mujica」というバンドを結成しないかと誘うつもりであることはすぐ察知した。だが彼は個人的な意見としても、豊川定治の命令があるという意味でも再結成には反対しなければならない立場だった。

 

「解散前に若葉さんから少し、事情は伺いましたが、貴方の立場は不可解です」

「大人には色々あるんだよ、まだ若輩者だけど」

「もしや、ご両親に何か関係が? 人には言えぬ過去、というやつでしょうか?」

「……八幡さんに話すほど俺と貴女の間に信頼関係があったとは思いませんが」

「……それも、そうですね」

 

 父である孝臣はかつて「Ave Mujica」も所属していた「Win-Wing-production」でアイドルのプロデューサーをしており、母である津上ゆいは同事務所所属のタレント、その上、祖父の恒彦は「Ave Mujica」のために「TGW物産」に出向していたという、豊川家の遣い走りや運転手をしているような人間ではないと海鈴も考えていた。豊川に逆らえない事情が何かあるとするならば、その両親の結婚に関する当時の噂が関係していたのではないかとも。

 

「三角さんが言っていました、駆け落ち同然だった二人を匿う形になったのは貴方の存在を守るためにおじいさんが豊川家に頼んだのではないかと」

「……三角初華が?」

「何か?」

「いや、随分詳しいんだなと思いましてね、豊川グループは有名でしょうけど」

 

 ピンポイントで当時の事情、当人ですら後で祖父から聞かされた話を初華がしていたということに匡導も怪訝な顔をする。

 予想することは可能であるし、睦──当時はモーティスだが、彼女ならある程度以上に内情には詳しいため知っていても不自然ではないが、()()()()()()()()()()の初華がそれを知るにはそれこそプロデューサーである父と特別な関係なのではないか、なんていう恐ろしい想像すらしてしまった。

 

「失礼、ちょっと席を外します」

「どうぞ」

 

 そんな話をしていたところでスマホが鳴ったため海鈴から離れながら画面を確認する、相手は「長崎そよ」であり、少し躊躇いつつも、もしかして祥子関係で何かあったのかとも考えて電話に出た。

 

「もしもし」

「今から少しいい?」

「いいけど、ライブじゃねェのか」

「だけど」

「……解った、くれぐれも祥子には内密にな」

「え?」

「──厳しいんだよ、俺の飼い主は」

 

 冗談交じりにそう言いつつ、そよの指定した場所で待つと関係者の札を渡され楽屋の前まで連れてこられることになった。

 電話で言葉を交わすことはあったが、顔を合わせるのはそよが睦の家から去る時以来で、そよはやや緊張気味に、けれどはっきりと()()()()()

 

「……どういうこと?」

「ありがとう……きっと貴方は祥ちゃんのためなんだろうけど、お陰で、ちゃんと終わらせられたから」

「あァ、俺の方こそ……そよが睦を気に掛けてくれたから、祥子が良い顔してくれたんだし、泣いてたけど」

「あ……っ、あの場に居たの?」

「色々あって、聴いてたよ」

 

 誰も観客がいないと思っての演奏だったのに、涙が溢れて止まらなかった時のことを思い出したそよは少しだけ不満げな顔をする。だが知っていたとしても止められなかっただろうということもあり、わざとらしい溜息で誤魔化していく。

 

「──まだ、関係は続けるの?」

「いけないこと、って言うか?」

「未成年でしょ?」

「それに生徒」

「解ってるなら猶更」

「でも、倫理観とか社会性とかじゃないんだよ……みっともないけど」

 

 そこにあるのは義務感でも、気の迷いでもなく、だがあまりにも強烈で止めたくなるほどの祥子を求める気持ちだった。身体の相性だとか、長い時間を共に過ごしたとかすら関係なく、彼は生まれた時からずっとそうなる運命だったかのように空に手を伸ばしている。届かなくても、例え近づいてその輝きに灼かれたとしても、誰にも止められないような、一種の強迫観念にも似た、愛情だった。

 

「私から言えることは睦ちゃんにも……ちゃんと話をしてあげてってことくらい」

「うん、これから少しずつでもいいから、話をするよ」

 

 モーティスのことを話そうとしたが、そよは言わずに彼を見送った。彼女はただ、純粋だった。純粋だったが故に、善悪という二元論に憑りつかれ、周囲との摩擦を生んだだけ。言動の如く幼い女の子だった。だからこそそんなモーティスを積極的に排除しようとしているとすら感じた祥子や匡導の言動を、本当は心から賛同できずにいる。

 ──モーティスも、生きて、誰かに愛されるべき若葉睦の一人であるべきなのだから。

 

「匡」

「匡導、どうして其方から?」

「あ、いや色々あって」

「そう……あ、八幡さん?」

 

 匡導は丁度出くわした祥子と睦と合流した。ロビーには未だ出待ちをしている海鈴が腕を組んでおり、祥子も彼女の登場に驚いた様子を見せていた。

 彼女の企みは彼が既に看破していた。だが同時に、海鈴は視線で彼を制した。所詮は部外者であったこと、そのくせ解散を推し進めた一人であることで匡導が間に入ることは阻止されてしまっていた。

 

「──元鞘ですか、良かったですね」

「うん」

 

 海鈴の棘のある言葉に警戒心を見せる祥子と、その先の展開で海鈴がどういった利益を得るのかが理解できないため怪訝な顔をした匡導に対して、だが睦だけが嬉しそうな顔で頷いてみせた。尤もそれに気付いたのは斜め後ろにいた匡導だけだったが。

 

「では、私とも元鞘に戻りませんか?」

「……八幡、それは」

「お察しの通り私ともう一度、Ave Mujicaをやりませんかということです」

「……祥」

「Ave Mujicaは……もう」

 

 祥子のその答えに、匡導が少しほっと息を吐いた。祥子にとっても「Ave Mujica」は己の全てを掛けた世界であると同時に、睦を傷つけた世界でもある。ひと月も掛かってやっと取り戻した彼女を再びあの地獄に送り込むことなど、出来る筈もないのだから。

 

「……すいませんお嬢、八幡海鈴と出くわして、そのまましばらく一緒に居まして」

「別に、Ave Mujica関係者からわたくしを守れと言ったのはお祖父様、わたくしはそんなことされなくとも……もうあの世界に戻ることはありませんわ」

「……それは、睦のため?」

「ええ、あの子に頼り過ぎましたし、もし再結成しても世間の評価は変わることはありませんわ」

 

 睦を送っていき、一旦は豊川邸へと帰ることになった祥子を匡導が送っていた。やっと「Ave Mujica」結成前の状態に戻すことが出来た、それを態々、また彼女を苦手な演技と芸能人の娘という眼を向けられる世界に戻すことはあってはならないと祥子は首を横に振った。

 匡導としても、祥子が疲弊し続けていたあの世界を決して肯定することは出来なかった。

 

「それに、初華にも負担を掛け過ぎますわ」

「初華……三角、初華」

「……匡導?」

「いや、そういえば三角初華とは別荘の島で会ったことがあるんだったね」

「小さい頃の数日間だけですけれど」

 

 ──それに加えて、匡導は彼女への警戒を少しずつ上げていた。自分の知らない幼馴染、三角初華という女性、睦にさりげなく確認を取っても首を横に振っていたその女性、東京から遠く離れた島の別荘の近くに住んでいた子ども、積極的に調べる気にはならないが万が一自分と同じような、豊川に近しくもあり何かしらで豊川家と関わりのある存在だったとしても不思議ではないと。

 

「これから、匡導にはやってもらわなければならないこともあるんですわよ?」

「やってもらわなければならないこと?」

「睦が一ヶ月も学校を休んでしまったのだから、取り返すには一人の力では不可能ですわ」

「え……もしかして俺も合間で教えろ、とか言う?」

「当たり前ですわ、貴方は先生でしょう?」

「……はい、仰せのままに」

 

 だが今は、そんな人物のことよりも取り戻した日常を、また更に取り戻していくことの方が先決だと微笑む祥子の横顔をチラリと眺めながら決意を固めた。

 ──まずは睦の学業復帰を手伝うこと、それが飼い主であり再び手を繋ぎ直した豊川祥子から与えられた任務なのだから。




いい最終回でしたわね
ここからが地獄ですわ
明日も投稿しますわ、勿論幕間でしてよ
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