Mare Inbrium   作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ

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さぁさ始まりましたわ~! 三章はかなりオリジナルが多めになりますわ、主題は「Ave Mujica再臨」ということになりますが、匡導はその先にある「原罪」について動くことになりますわ!


三章Ⅰ:役者

 若葉睦が元の人格に戻り「CRYCHIC」というバンドにやっと一区切りがついた。様々な罪を感じた祥子は学校へと通うのではなく、睦の家で彼女の一ヶ月を取り戻すために時間を使っていた。昼は祥子と、夜からは匡導が加わって昔のように三人で過ごす時間が増えていた。

 

「匡、祥とまだ一緒に住んでるの?」

「急にどうした……いや、ムジカ解散の後、祥子は豊川邸に戻っていったよ」

「そう」

 

 質問の意図が解らずに首を傾げたものの本人の感覚としては一ヶ月以上、それどころか二ヶ月近く寝ていた為、色々なことが変わっていた。授業内容もそうだが、周囲の環境の変化に少し頭が付いていかないのかと匡導は思っていた。

 

「匡、ずっとそよと居た」

「うん、それだけ切り取ると誤解を生むけど」

「祥とは、別れた?」

「……俺はずっと、祥子だけだ。他の可能性なんてねェよ」

 

 だが睦の言いたいことはそういうことではなく、祥子との関係が終わり、自分にもチャンスがあるのではないかという意図であることに気付いて首を横に振った。実際に祥子との関係は続いている。また再開した、とも言うが睦の家に行くという大義名分を得てしまったことで隙を見て二人はお互いを求めあっていた。

 

「でも」

「でも、じゃなくてな……俺にとって祥子と睦は同じじゃない」

「……お母さんが、死んだから?」

「違う、違うんだよ、睦」

「──()()()()

 

 必死の説得をしようと試みていたものの、無常にもその瞳が開かれた時には既に語って聞かせていた睦は居なくなっていた。

 以前の敵意は一切消えて、悲しみに暮れた表情で首を横に振る。

 今の睦には何を言っても、無駄なのだという諦観を匡導は感じ取っていた。

 

「……モーティス」

「睦ちゃんは、何にも解ってない。祥子ちゃんも、睦ちゃんも、解ろうとしない」

「それは」

「私に全部押し付けるから、見たくないもの全部」

「……それがお前の本来の役割だから、か」

 

 頷くモーティスに、匡導も困ったように眉を下げた。少し前の祥子とは違い、彼は睦の真実を森みなみから聞かされている。自我が確立する幼少期以前から他者に求められる睦を無意識に演じてきたせいで、やがてその役ごとに自我が出来上がっていった。

 そこから先はモーティスが祥子に語ったことだが、その沢山いた人格はギターを弾くための睦によって全て殺された。消滅させられ、彼女の足りない部分を補うという形でなんとかモーティスだけが生き残っている状態だった。

 

「睦ちゃんってば、CRYCHICがまだ残ってるつもりなんだよ?」

「祥子から聞いたし、言われてみれば八幡海鈴の問いかけに頷いてたよ」

「そう! なのに言っても聞いてくれなくて──だって、祥は、幸せそうだった、また、CRYCHICやりたいんだと、思うから」

「……悪ィなモーティス、祥子が言って聞かない(コイツ)を、俺がどうにか出来るわけねェんだ」

 

 睦の認知は歪みが生じており、自分や祥子が見ている景色と差異があるのだろうということが、今回の件で浮き彫りになっていた。モーティスという存在をより強く認識してしまったことでより、彼女の中の見たくないもの、感じたくないものを投げ捨てる「ゴミ箱」のようになってしまっていることについては、睦を取り戻すために奔走した匡導としても同情を禁じ得ない程に。

 

「匡導くん……」

 

 匡導は応えない。一度でも否定してしまった以上、そこに情けを掛けることは睦にとっても辛いことでもある。それが妹として接するための役を持っていた相手だったとしても、一度決めたことを容易く曲げてしまうことを彼は容認できなかった。

 

「やはり睦は……それが睦の望みなんですわね」

「望みというより、思い込んでるって言った方が正しいけど」

「けれどそれは、そうあって欲しいと思っていることと同義ですわ」

「だからって、もう一度CRYCHICを再結成するわけにはいかないだろ? それはもう終わった、祥子も認めてることで」

「……認めなければ、認めなければ睦の望みを叶えられるとすれば」

 

 祥子の呟きに匡導は慌てる。彼女が「Ave Mujica」のせいで睦を壊してしまったと罪悪感を抱いていることは承知の上だった。それでも芯の通っている筈の彼女からその信念を、一度終わってしまったと認めた筈の「CRYCHIC」の終焉を否定するような言葉が飛び出せば、もし彼が只の従者だったとしても止めるべきだと即座に判断していた。

 

「それはダメだ」

「けれど……わたくしが、わたくしはこれから睦に、償わなければ」

「償い? 寄り添うだけがアイツのためになるわけじゃねェだろ」

「貴方は! 加害者ではない貴方ならば、なんとでも言えますわ」

「……祥子」

 

 安っぽい自己犠牲という言葉をギリギリのところで呑み込んだ匡導は、だが祥子の加害者としての罪の意識、そしてそうでもしなければ本人が収まらないという自己嫌悪に苛まれていることを知り、それ以上何も言えなくなってしまう。

 

「烏森、貴方はもう睦の学業面だけを気にしていればいいんですのよ? それ以外は、わたくしがなんとかしますわ」

「なんとかって……」

「二つ返事以外、必要ありませんわ」

「……申し訳ございません、以後、承知いたしました」

 

 結局、祥子の従者としての立場を出されてしまえば頭を垂れて膝を折るしかない。

 そして祥子はまた一人で背負い込もうとしてしまう、それがどれだけ無理難題であったとしても、彼女は自分が出来る全てを使って成そうとしてしまう。

 例えそれで、彼女自身が尽き果ててしまったとしても、構うことはない。

 

「では、また明日」

「はい、おやすみなさい……お嬢」

 

 門を閉じられ、匡導は溜息を吐いた。折角持ち直したと思っても、またすぐに新たな問題が浮上してしまう。思えばずっと、母が死んだ時からずっと、彼女は過酷な試練を受け続けている。誰の、なんの罪を背負っているのか難行を繰り出され、それをほぼ自分の力でなんとか乗り越え続けてしまっている。ボロボロの心を救える方法はないか、そんなことを考えながら自宅のテラスでタバコを吸っていると、スマホが震えた。

 

「はい、烏森です」

「もしも~し」

「……みなみさん」

「今、家?」

「ええ、()()もひと段落しましたので」

「仕事、ねぇ」

 

 含みのある言葉、電話越しでも伝えたい感情を滲ませる森みなみに、匡導は重たい腰を上げ、灰皿にタバコを押し付けた。

 わざわざ電話をかけて要件を言わない、という迂遠なやり方が何を意味するかは理解していた。以前、全く同じことをされた経験から彼は素早く部屋を片付けていった。

 

「どちらですか? 遠ければ迎えに行きますが」

「いいわよ、それでスキャンダルにでもなったら困るじゃない」

「なりますかね、俺と貴女で」

「どうだろう? 試してみる?」

「遠慮します、せいぜいジッポライター開け閉めする程度の火遊びが身の丈に合ってますんで」

「そう、じゃあもうすぐ着くから」

「はい」

 

 やはりもうエントランスに居るのだと諦めたように息を吐く。実際のところ、どちらも豊川家に関係している以上、二人を撮影する無粋なものがいたとしてもスキャンダルとはならない。まず間違いなく揉み消されることを彼女も解っていて、だからこそリスクのありそうな行動をするのだった。

 

「それにしても、キレイにしてるわね、貴方のような年頃の男のコってもっとズボラなものじゃないの?」

「さァ、人それぞれでしょう、ミルクと砂糖は?」

「ありがとう、大丈夫よ」

 

 リビングに通し、コーヒーを淹れる。人気女優でとても十代後半になる娘が居るとは思えない美貌を持つ森みなみが家に来るという非日常も、匡導からすればなんでもないことだった。ただ、彼女の目や声が、どうにも苦手なのも事実なのだが。

 

「それで、何かありましたか?」

「今日、にゃむちゃんに会ったのよ」

「……祐天寺にゃむですか」

「元、Ave Mujicaの……祐天寺にゃむちゃんよ」

「それで?」

「愚痴よ愚痴、あの子ってばすっかり睦ちゃんに委縮しちゃってて」

「愚痴のためだけにウチに来ないでください」

「息子の抜き打ちチェックも兼ねてるのよ」

「……俺は、みなみさんを母親だと思ったことはないですけど」

 

 その言葉に彼女は一瞬だけ少しだけカップを持ち上げる手を止めた。

 以前ならば笑って流すか無視するかの二択だった。彼が大人に向かって逆らうような言い方はしない男だった。それがこうして真正面から目を合わせて否定されると思わなかったため、彼女は少し目を開き、それから細めた。

 

「言うようになったじゃない」

「演技指導くらいですかね、お世話していただいたのは」

「そうね、てっきり私は貴方が俳優を目指していると思ったから手ほどきをしてあげただけ、期待外れだったけど」

「役には立ってますよ」

 

 演技指導に向き合ったのは、あくまで自分を偽るのをより完全なものとするため、だが彼女にとっては構いがいのある弟子のようなものだった。少なくともあんな「バケモノ」よりはずっと役者として成長していく姿を見ていたいと思った。

 或いは、自分のノウハウを教えこめばそのバケモノに対抗しうる存在を、対等な目線でいられる相手を作れるのかもしれないという考えもあったのだが、それは森みなみの口から明かすことは絶対になかった。

 

「今度の舞台、同じ事務所の純田まなって子なんだけど、sumimiの」

「あァ、父がプロデュースしてるアイドルの子ですね」

「やる気と根性は人一倍だけど、演技はからきしで」

「話題作りですか……ムジカの悪評で事務所も結構な痛手を負ったでしょうし、必死なのは理解できますが」

「手、出してないか心配じゃない?」

「流石に不倫はしない、と信じてはいます……父は純田まなのようなタイプが好みのようですが」

 

 本当に愚痴っぽくなってきた森みなみの話題に相槌を打ちながら、やはり違和感を覚えていた。森みなみが主演の舞台女優に抜擢されるのが「Ave Mujica」の被害者から選ばれるという理屈は理解できる。彼女が祐天寺にゃむをプロデューサーに推薦し、それが通ったのも「Ave Mujicaのアモーリス」という印象を払拭するためというのが事務所としての判断だった。個人としては「バケモノ」を越えてくれるかもしれない存在への期待が込められていたのかもしれないが、それはあくまで個人的な事情だ。

 

「どうしたの匡くん?」

「いえ……三角初華は、候補に挙がらなかったのでしょうか」

 

 ──そう、その役を回すならもう一人候補が居て然るべきであり、舞台で強烈な印象を残せる、納得感のある演技が出来そうなのはそのもう一人、三角初華が適任ではないかと匡導は考えていた。同じく「sumimi」のメンバーであり「Ave Mujica」のフロント、同バンドではドロリスとして寸劇を行っていた、その役への没入感は昔から「役者」というものを身近に感じてきた彼にも目に焼き付いていた。

 

「あぁ……あの途中で帰っちゃった子ね」

「途中で? そういえば最後までいませんでしたね」

 

 そういえば、初華の動向が確かに不自然だったと思い返して感じた。少なくとも「Ave Mujica」のフロントとしてはおかしな点は見当たらなかった、見当たらなかったからこそ、彼女の不自然な行動が浮き出てくるようだった。

 躊躇いはある、初華は祥子にとっても大切な人物だった。バンドを結成する際に祥子が最初に声を掛けたことからもその信頼はあったのだろう。

 

「──三角初華とは、何者なんでしょう?」

 

 その問いかけに森みなみは何も答えない。だが徐々に、近づいてしまう。それは「Ave Mujica」の全ての始まりとも言える原初(はじまり)の罪に。

 烏森匡導が豊川祥子の従者をしている限り、豊川家と関わり続ける限り、絶対に避けられない秘密でもあった。

 

「一体何を知り、何を偽っているのか……なんてみなみさんに訊いても解りませんよね」

「そうね、でもヒントをあげるなら──All the world's a stage,And all the men and women merely players」

「英語ですか、えぇっと」

「シェイクスピアよ」

「確かタイトルはお気に召すまま(As You Like It)、でしたか」

 

 英語をなんとか反芻し最初の部分を日本語に訳している最中に、それが昔、彼女から貸し与えられた読み物に訳されたものがあったことを思い出した。

 ──その言葉が果たして三角初華を知っての言葉なのか、それとも知らずに発した彼女の生き様なのか、匡導には判断が出来なかった。

 

「少し、調べてみてもいいのかもしれないな……もしかすると祥子にとって邪魔になる可能性もないわけじゃないし」

 

 祥子を守りたい、彼女が二度と困難を前に膝を折ることがないように支えであり障碍を打破するための、或いは抜け道を見つけて前を走る存在でありたい。

 その気持ちが彼を否応なく「Ave Mujica」の、そして豊川家の秘密に迫っていく。何故豊川邸から祥子が出ていくことになったのか、羽丘教師として生活しつつも只の監視兼守護だった匡導が「Ave Mujica」というバンド活動の内容などの報告を豊川定治にせねばならなくなったのか、その補助をさせられていたのか、そんな場面場面で彼が感じていた小さな疑問の答えが全て、三角初華にあると知るまでそう時間は掛からない。

 




この世は舞台、人はみな役者ですわ。ペルソナは、誰もが誰かと関わるために必要な仮面でしてよ。
実は真っ当? に関わっている大人なのでみなみちゃんの出番が多いですわ。次いで祖父恒彦になりますわ。
このお話だとバケモノ対策にバケモノ育成ゲームしてたヤベー女優と化していますが、狂気で言うなら多少の誤差ですわね。
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