Mare Inbrium 作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ
また祥子の出番が減っていきますが、頑張って盛りますわ! 今回はでませんけれど!
愛音に呼び出され天文部に向かうため集中しつつ仕事をひと段落させた瞬間、スマホが震える。匡導はそれをいつものように画面を見ることなく感覚で通話ボタンをタップして耳に押し当てた。
「もしもし」
「……どういうつもり?」
「主語がないと答えようがねェな」
電話口の先からする明らかな不機嫌を伝える低い声に、匡導は呆れ半分で答えた。
あのリハーサルで全てが終わりかのような雰囲気を出したにも関わらず電話越しとはいえ声を聞くことに違和感を覚えつつ、祥子の件で発生したクレーム対応をこなしていく。
「睦ちゃんのためって」
「あァ、事情を一から説明するのは長くなるから省くけど、お嬢が贖罪を求めてるんだよ」
「それで私や燈ちゃんを巻き込もうって?」
「そんなつもりはねェんだろうけど、そうなるよなァ」
確かに祥子はモーティスと睦の件で罪悪感を覚えても仕方のないことはしている。それは誰もが理解しているが、だからといって睦の願いのために「MyGO!!!!!」を巻き込むことには難色を示していた。そよは特に、あの「春日影」でもう「CRYCHIC」はなくて、自分たちの居場所ではないのだということを再確認したばかりなのだから戸惑いと怒りを感じるのは自然だった。
「烏森さん」
「俺に止めろってのは無駄だから」
「……そう」
落胆のような、或いは失望ともとれるそよの嘆息に匡導は眉を顰めた。
──長崎そよは、烏森匡導の本質を理解していない。彼は何が起ころうと祥子しか見ていない。突き詰めれば、祥子のために誰が不利益を被ろうとも嫌悪感や罪悪感を抱くことはない。
ただ事実として、そうなった場合拒絶されるという経験から知識を得ているだけに過ぎなかった。
「さて、次は千早愛音か……皆どうして俺を使いたがるんだろうな」
文句があるなら、言いたいことがあるなら祥子に直接言えばいい。それで彼女が止まるかどうかは別として、再結成は睦の望みを叶えたい祥子のプランであって、彼は賛同者というよりは絶対的な祥子の側に立っているだけ。反対したければ本人に向ければいいと考えていたし、そよにも遠回しにその考えを伝えた。
「手短に頼む」
「先生も知ってるんでしょ? 祥子ちゃんが睦ちゃんのためにCRYCHICを復活させたいって」
「あァ、それが?」
「それが……って、りっきーもそよりん既読だけして返事してこないし、先生はどう思ってるのかな~って」
「俺はお嬢の為に動く、必要ならスケジュール調整、移動時間短縮、練習時間の確保と宣伝等のマネジメントを行うつもりだ」
「……先生も、CRYCHIC……?」
「完全に裏方だけど、そういうことになるな」
その答えに燈は顔を曇らせた。愛音としては彼が「MyGO!!!!!」を現状維持しつつ「CRYCHIC」を三人に掛け持ちするための裏方というのはなんとなく理解していた。
いざとなれば教師という職を捨ててでも、それを実行するだろうことも。だが燈にとってみれば匡導の提案は、過去の思い出に、美しいステンドグラスに石を投げつけるような、そんな不快感が胸中にあった。
「そういう話じゃなくて、気持ちの問題?」
「それはCRYCHICをやってきた
「……でもそれって先生の気持ちは?」
「祥子のやりたいことは理解してる。けど、相当自分勝手なことをしようとしてるよ」
素直な気持ち、という意味では他人の感情や、自分の感情までも無視した非現実的なものだと匡導は答える。
てっきり祥子のことなら全て肯定するような人だと思っていた愛音は彼の言葉に少しだけ怒りを滲ませた。
「だったら、止めなよ」
「提案された場で否定しなかったんだろ?」
「う……それはそうだけどさぁ」
「だろ? それに俺はお嬢の為に此処にいるわけだし」
「そう……ん?」
匡導の言葉で何も言えなくなってしまった愛音は不安に駆られてスマホをもう一度確認した瞬間に小気味いい着信音が届く。SNSの通知音で、その相手に愛音の驚く声が天文部の部室に響いた。
「どうした?」
「う、初華ぁ!? え、えっ?」
「初華……sumimiの三角初華?」
「あ、う、うん……なんで、えぇ?」
「……このタイミングで?」
まただ、と匡導はその名前に顔を顰める。愛音のSNSアカウントにDMを送ってきたのは紛れもなく、偽のアカウントでもない本物の三角初華がファン向けに運用しているものだった。匡導も確認してそれが本物であると頷いた。そんな初華から愛音に向けて「二人で会えるかな?」とメッセージが届くのだから彼女としても混乱するのは当然だった。
彼からすれば、先日の「CRYCHIC」からよく名前を聞くため、彼女が何かしら暗躍でもしているのではと疑う気持ちが膨れ上がっていく。タイミングが良すぎるという考えも勿論あるのだが「Ave Mujica」の時の態度など、節々に違和感があるのはどうしても拭いきれない。
「千早」
「……その呼び方」
「お前もか」
「お前もって、あ~そよりんとはちょっと違うかも」
「そうか、愛音?」
「なに?」
「気をつけて……って言ってもどう気をつければいいのか、困るだろうけど」
「……初華と祥子ちゃん何かあったの?」
「いや、ない……と思うんだが」
「歯切れ悪」
愛音からするとさん付けやフルネームならまだしも苗字呼び捨ては逃げ出してしまいたい過去を思い出してしまう。だから嫌な顔をしたのだが、匡導は祥子が「CRYCHIC」でもないのに「愛音さん」と呼んでいたことを思い出して、苗字に何か嫌な思い出があるのかもしれないと呼び方を素直に変えた。
「待ち合わせ場所、羽沢珈琲店だって……祥子ちゃんには?」
「ムジカ関係者は遠ざけろって会長……祥子の祖父さんに命令されててね、流石に睦は例外っぽいけど」
「そっか、え……先生も来るの?」
「一応ね、じゃあ俺はバレないように先に行くから」
「は、は~い」
海鈴は全くの偶然であること、それは納得できる。本人が幾ら「偶然ですよ、練習あったんで」と言い訳をしても胡散臭さはどうしても残ってしまうが、多数のバンドを掛け持ちしているが故に毎日のように別のスタジオに出入りしている、その上愛音から聞いた話によると立希と同じ花咲川に通っており、気軽に話せる仲であるため「MyGO!!!!!」の様子を気まぐれに見に来たとすれば筋は通っている。
だが「CRYCHIC」復活の話が持ち上がったタイミングでの初華が愛音にコンタクトを取るのはどう考えても不自然だった。
「いらっしゃいませ! お好きな席へどうぞ!」
祥子に用事が出来たからと連絡しておき、匡導は使い捨ての黒い立体マスクを用意し初華の真後ろの席に、彼女の背中が見えるように座った。幸いというべきか初華相手には教師状態の姿を見せたことがないため、後は声だけが問題だろうと判断し、マスクでくぐもらせるという対策を取っていた。
「ブレンド」
「畏まりました!」
指差しだけでは失礼かもしれない、となるべく小さく早口で、店員には聞き取って欲しいと願いを込めた注文もすんなり通り、匡導はほっと息を吐いた。彼女はどうやらスマホに集中しているようだったがアイドル、周囲には気を配っているだろうことから視線を向けるのは最低限にしておく。
「パスパレのイヴちゃん!? あ……すみません、今日お忍びで」
「静かなること林のごとし、ですね!」
「はい」
「──愛音ちゃん」
「……あ」
この店のオリジナルブレンドコーヒーである「羽沢ブレンド」を堪能し、女性人気、特に羽丘生がよく目撃されなければ仕事の息抜きにいいのに、と現実逃避をしていたところで遅れて愛音がやってきた。
その声に反応した初華が彼女を呼び、愛音は同時にすぐ近くの席に匡導が居ることに気付いて微妙な顔をした。
「すみません、待たせちゃって」
「ううん、私も急に呼び出して……」
「全然……ここ、入ってみたかったんだ~、それなんですか?」
「羽沢ブレンド」
「私もそれにしよ、すみませ~ん!」
愛音の胸中としては匡導が何を怪しんでいるのか、警戒しているのかは知らないけれど芸能人と待ち合わせという状況に対する興奮と、あの三角初華が彼の考えるような怪しい行動を取るわけがない、と頭を切り替えた。視界の端にいる男のことなんて気にしない、後で「杞憂じゃん」と笑ってやるという気持ちだった。
「初華ちゃんから連絡きて、びっくりしちゃった」
「うん」
「今日は、どうして?」
「CRYCHICのこと、聞きたくて」
「……あ、あ~……本当にCRYCHIC」
「え?」
「あ、いや、その」
しかし、そんな愛音の希望を打ち砕くように、初華の口から発せられた用事は「CRYCHIC」だった。確かにタイミングがいいとかいうレベルではなかった、なんせ祥子から打診があったその日の、数時間も経っていないのに初華からも同じバンドの──解散したバンドの名前が出ることなんて偶然にしては出来過ぎているのだから。
「これ……何か知ってる?」
「……そよりんが上げたやつかな? ちょっと待ってね」
そこで愛音はチラリと匡導へと視線を向ける。そしてスマホの画面に彼女からメッセージで「リハのやつ撮ってたんだけど、見せてもいいのかな?」と連絡が届く。匡導は逡巡したが、この状況を利用して初華を祥子から遠ざけようと頷いた。彼女がもし「CRYCHIC」が再結成されたと勘違いしていれば海鈴のメッセージも本気にしなくなるだろうと。
「……あ、あったあった、この前ライブやったんだ、ともりんが新しい歌詞書いて、それだったらってリハ時間使って」
「……っ」
匡導は背中側に居た為表情の変化までは観察できなかったが、初華はまるで敵を見るような目で涙を流し、微笑みを浮かべる祥子の画像を睨みつけていた。
ショックを受けて離れてくれるのならばそれに越したことはない。ファンである愛音には悪いとは思ったが「CRYCHIC」の件を最大限利用させてもらおうと匡導は考えていた。
「祥子ちゃん、CRYCHIC続けたいんだって」
「……え」
「でも、初華ちゃんなんでCRYCHICのこと……初華ちゃん?」
──その表情は、まさしく絶望したと表現するのに相応しいものだった。
夢を見せられた、このままずっと祥子と共に在れるのだという夢を砕かれた初華の反応は愛音にとっても想定外であり、後からそれを聞かされた匡導からしてもそこまで思い入れがあったのかと疑問に感じる部分であった。
「なんで初華ちゃん、CRYCHICのこと知ってたんだろう?」
「そりゃ祥子と同じムジカに居たわけだから、話くらい聞いてるでしょ」
「でもおかしくない? 祥子ちゃんって人にそういう話するタイプじゃなくない?」
「……そうか?」
「バンドもなんていうか、仲良しって感じでもないじゃん」
「さァな、ムジカのことは俺にも解らねェことばっかりだよ」
初華が重たい足取りで去って行った後、匡導の車の中で愛音は疑問を零す。普段は暢気な雰囲気を出してはいるが鋭い、よく他人を見ている指摘に匡導もなんとかはぐらかしていく。
三角初華が「CRYCHIC」を知っている理由、それは彼女と祥子が顔見知りで「Ave Mujica」結成前から交流があったからだった。だがそんな簡単なことも誰にも言っていない程に、祥子は人に過去のことを語るタイプではなかった。
「……先生」
「なんだ」
「なんでもない」
彼の言葉が嘘だというのは直感ではなく事実を並べていて気付ける程に矛盾していた。彼は最初に「CRYCHIC」のことを訊いてくるかもしれないと警戒していたし、それ以前に初華の名前へのリアクションが違った。モーティスの件で「Ave Mujica」復活の期待があったこと、それに対しての祥子のリアクションから順番に考えれば愛音に「CRYCHIC」のことを教えさせた意味も見えてくる。
「まぁ、いいけどさ~」
「それを言うのは俺じゃないか?」
「私だよ、あーあ、これで噂になっても先生のせいだからね」
「なんの噂だ」
「私と先生の関係?」
「他人だろ」
「そういうことじゃなくて~」
──愛音は「CRYCHIC」にも「Ave Mujica」にも関係がない。所属したこともない、それなのにも関わらず祥子の従者であり、半ば恋人に近い関係を持っている羽丘の教師と学校の外での関りを持ってしまっていることに彼女は溜息を吐いてしまう。この車に乗っていることをクラスの誰かに見られていれば言い訳するのも面倒だと愛音は助手席のシートを今よりほんの少しだけ後ろに倒した。
「RiNGまでだと、すぐ着くけど」
「わかってます~」
「悪かったな、スパイみたいな真似させて」
「本当だよ」
「今度礼はする」
「賄賂?」
「報酬な」
軽口を叩き合いながら、匡導の車は「RiNG」へと進んでいく。祥子を取り巻く環境に愛音はいっそ関係ないって言えたらどれだけ楽かなと外を眺めて考えていた。
だが、同時に元「CRYCHIC」のメンバーと、豊川祥子という人物と、そして烏森匡導という人物と知り合いとなってしまった以上、関係ないからと目を背けることが出来ないことも理解できていた。既に一度、その領域には土足で踏み込んでいったのだから。
「愛音のこと、誤解してたよ」
「え?」
「結構頑張れるタイプなんだな、他人のために」
「褒めてる?」
「褒めてる、ただの目立ちたがりだと思ってたからな」
つまりは褒めてないということだと気づいた愛音に相当嫌な顔をされたが、匡導は笑って流して見せる。
実際には、千早愛音のことは評価していた。彼女の人の好さと咄嗟の行動力がなければ、祥子の家まで着いて行こうと提案できる人は誰もいない。間違いなく「Ave Mujica」解散で止まっていた祥子と、そして匡導の時間を動かしたのは彼女の全力疾走なのだから。
じっとり系共依存の二次創作オリ主にあるまじきカラっとした関係を築けてしまう愛音、やはり許せませんわ千早愛音……!
初華のタイミングが絶妙すぎますが、実際は奇跡的な偶然なんですけれど。