Mare Inbrium   作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ

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恐らく最後の睦回ですわ~!
評価20件到達ですわ〜! わたくし、ここまで評価していただけるとは思いもよりませんでしたわ〜!


三章Ⅳ:失恋

 三角初華が愛音と会ってから少しして、匡導が職員室から出ようとしているところでスマホが着信を知らせて震えた。

 彼は手に持っていたノートパソコンの入ったカバンを持ち替え、スマホを耳に当てる。

 

「私だ、今大丈夫か?」

「……はい、構いません」

 

 電話を掛けてきたのは、豊川定治、祥子の祖父であった。そろそろ誰かしらから連絡が来ることは予想できていたため特に何かあったのかと身構えることはなかったが、まさかすぐに彼から直接連絡してくるとは思ってもいなかったため匡導は眉を顰めた。

 

「Ave Mujicaの件、どうやら復活の動きがあるらしいな」

「三角初華ですか?」

「……知っていたのか」

「はい、お嬢様の学友に接触してきていましたので」

「そうか……解った、くれぐれも祥子には近づけるな」

 

 彼が娘の忘れ形見に過保護すぎるというのは昔から、それこそその娘が生きていた頃から感じていたことだった。良くも悪くも大人というものの邪悪さ、後天的に獲得した悪意を、その身を以って知っている匡導からすればいっそ美しすぎる程に家族への愛情を持っている定治、そのルーツはやはり最愛とも言っていい妻を早くに失ってしまったことが原因なのだろう、とは察していた。

 

「三角初華……調べてもいいものなのか?」

 

 この時点で匡導の頭の中で初華が豊川家とは全くの無関係、という線はほぼ消えていた。豊川家の別荘がある島の出身であり、これまた豊川家の息が掛かった芸能事務所に所属しているという時点で関係者だろうと予想が出来る。だが、手が止まるのは偶然の一致ではないという証拠もない上に状況証拠が彼女を黒だと言っている、調べれば必ず何かが出てくるという直感的な確信がある()()()()の、豊川家のタブーに触れてしまう恐れがあった。

 

「そういえば──俺が祥子とあの子の関係を知ったのは、会長に教えられたんだったな」

 

 ふと考え事の中でかつての記憶が甦ってくる。まだ「Ave Mujica」というバンドが出来る前、豊川祥子が最短最速でのプロデビューと()()()バンドを目指して勧誘していた頃のこと、彼は豊川定治にその進捗を、最初に報告しに行った時の様子を。

 

「そうか、祥子が……そんなことを」

「はい、メンバー集めをしている段階でして、今は三角初華という──」

「──なに?」

「え? あ、そうですね調べた限りではWin-Wing所属のアイドルですので豊川と無関係ではありませんが」

「そうか……」

「何か?」

「いや、匡導──三角初華をどの程度知っている?」

「いえ、ご令孫とは顔見知りということくらいしか」

 

 私室の窓の外を見ながら、定治は唸るような声を上げた。その表情は匡導からは窺い知ることなどできなかった。当時は気づくこともなかったが、三角初華に何かがあると疑っている状態では二人が近づくことそのものに対して思案しているようにも思えた。

 

「そうか、彼女は豊川の別荘があった離島の出身だ、祥子とも……そこで知り合っている」

「それで顔見知りですか、合点がいきました」

 

 近づかれると困る事情があったとしたら、彼なのだと仮定すれば、匡導としても動きにくいという事情もあった。隠し事の相手が豊川定治だとするならば、彼は豊川グループのトップ、いざとなれば匡導だけでなく烏森そのものが路頭に迷う可能性もないとは言い切れない。そういう手段を使わないとは限らない相手であることは確実だった。

 ──そう感じられる最大の理由は同じ時期にメンバー集めを手伝うため、彼が嫌々ながら連絡を取った父、孝臣から三角初華のプロデュースをしていることを明かされなかったことだった。

 

「烏森先生?」

「豊川さん……どうかしましたか?」

「先ほどのお電話は……お祖父様?」

「はい」

「初華に、何かあったんですの?」

「……少し、移動しましょうか」

 

 職員室を訊ねてきた祥子を音楽室に移動する。移動しながら少し考えを纏めていた。

 先程の電話の内容、全てを話すというのは安易で確実ながら憚られる行為であること、これは少なくとも祥子が初華のことを大切な友人だと考えていることで、彼女から反発を受けるのを恐れたためだった。

 

「それで、お祖父様とは何を?」

「どうやら事務所側がムジカ復活を察知したらしくて、会長経由で俺に」

「……成程、あれから進展がないわけではないんですわね」

「そもそも、メンバーが集まらねェだろ」

 

 匡導の素直な感想としては海鈴、とたとえ初華が復活に前向きだったとしても「CRYCHIC」復活を望み祥子を苦しむ姿を見たくないと話していた睦、同じように睦を気遣う祥子、そして目標のためにドラムを叩いていただけの祐天寺にゃむに「Ave Mujica」を続ける意思はなさそうだということ。半ば不仲による瓦解に近いところを考えると代わりのメンバーというのも考えられなさそうだということで海鈴がどれだけ本気だろうと無理そうだと思考を切り替えた。

 

「それよりもCRYCHICの方はどうなりそう?」

「RiNGで話し合いの場を設けるつもりですわ」

「俺も同行しようか?」

「いえ……これはわたくしの問題ですわ」

「うん」

 

 なるべくなら「MyGO!!!!!」とは顔を合わせたくないとすら考えているため、匡導は素直に従っておく。とはいえ、揉め事の種ではあるため何かトラブルがあれば祥子を守れる場所に居ることは確実だが。

 祥子はピアノの椅子に腰掛け思考を巡らせている匡導の背中から腕を回し、抱き着いていく。

 

「祥子?」

「全てが終われば、一度くらい……旅行してみたいですわ」

「いいね、何処行こうか? やっぱ西欧? フランスとかオーストリアとか」

「匡導の車で行ける場所で構いませんわ」

「……うん」

 

 弱気になっている祥子の温もりを感じながら窓の外を眺めた。全てが終わることが果たしてあるのだろうか、矢継ぎ早に起きる問題に対して気丈に振舞いつつ、だが祥子は確実にまた摩耗し始めていた。

 だが匡導は彼女を労わり、触れ合うことしかできない。

 

「いざって時は俺が何処へでも連れていくよ、それが逃げることだとしても、会長の意志に逆らうことだったとしてもね」

「……ええ、頼りにしていますわ、匡導」

 

 責任と罪の意識からは目を逸らすことはできない。向き合わなければならず、向き合うことが贖罪だと祥子は感じている。

 本当は「Ave Mujica」から背を向けることも逃げではあるということも理解はしていた。集めてきた彼女たちは祥子の中では被害者なのだから。

 

「俺は、どっちかって言ったらCRYCHICの方が健康に良さそうですけどね」

「……それはどうしてですの?」

「いや、直感なんだけどさ」

 

 もしも「CRYCHIC」が再び結成されることになれば、必然的に匡導も「MyGO!!!!!」との繋がり、関りが強くなるだろうと目を閉じてその風景を想像する。

 そよや愛音といったメンバー、同じ羽丘で顔を合わせられる燈が受け入れてくれさえすれば練習やライブのスケジュールを立希と話し合うことも増えるだろう、楽奈とは関りがないためどういう人物なのかも掴み切れてはいないが、案外悪くないかもしれないとすら思えてしまった。

 

「なら、わたくしが復活させてみせますわ」

「……あァ」

 

 それが虚勢であることは顔色を窺わなくても解ることだった。どれだけ仮定の話をしたとしてももう既に「CRYCHIC」は終わってしまっているのだから。それを、睦が理解すればそれで、終わってしまう話なのだから。

 

「ねぇあれ……」

「やっば、()()()()だ!」

 

 ──その日の夕方、モーティスは海鈴の家から電車で帰っている最中だった。最近ずっと練習していたギターを弾いている()()の成果を見せに行ったその帰り道も音と動きを記憶し続けているとそんな声が聞こえてきた。

 

「……違うもん」

 

 モーティスの呟きは拾われることはなく、ギターを抱えた睦を見てはしゃいでいる。誰も彼も、自分を見て睦と呼ぶ。モーティスという名前を与えられた人格は、それに対してどんどんと不快感を示すようになっていた。自分は「Ave Mujica」のモーティスであり、ギターを弾くことのできる「睦ちゃん(ホンモノ)」には決して成れないのだと。

 ──溜息を吐いたところでこれまで集中して練習し続けたせいか急激な眠気に襲われ、目を閉じる。意識が眠りに堕ちていったところで、次に目を覚ましたのはモーティスではなく睦だった。

 

「ん……?」

 

 周囲を見まわして、そこが電車内であることを悟った睦は逡巡する。家への帰り道、駅名は後数駅で自分の家の近くへと向かってはいるが、このまま家に帰ったところでまた、モーティスが「Ave Mujica」の復活に手を貸すための練習をし始める。そう思った睦は匡導に連絡を取る。

 

「もしもし」

「……匡」

「睦か? どうした?」

「今、経堂」

「経堂? 迎えか?」

「うん」

「解った」

 

 電車を降りて電話を掛けて睦はじっと待つ。やがてロータリーに見覚えのある車が止まったことで睦は立ち上がり、助手席のドアを開けて座った。

 ──どうして此処に居たのかとは聞かず、だがギターをそのまま持っていることで、モーティスが何かをしていたのかと予想した匡導は車を走らせていく。

 

「違う」

「違うって?」

「……燈の家」

「は?」

 

 家に向かっていると判断した睦は端的に行先を伝える。匡導は混乱するが、睦がナビに使っている匡導のスマホの地図を操作しとある歩道橋にピンを指す。

 そこに行け、ということであり問答は無駄だと判断した匡導は大人しく進路を変更していく。

 

「本来俺をタクシーに使っていいのは、祥子だけだからな」

「うん」

「解ってんのか?」

「うん」

 

 解っていなさそうな、全く無表情の睦に向かって溜息を吐きつつ、燈の家と指された歩道橋の近くまで車を走らせていった。訊きたいことは山ほどあるものの、高松燈に用事があることだけは理解した匡導は口に出すのを躊躇いながらも訊ねていく。

 

「今日は何してたんだ?」

「……解らない」

「モーティス?」

「うん」

「今は?」

「寝てる、ずっと……練習してたから」

「練習……弾けるのか、アイツも」

 

 だが睦は首を横に振る。どれだけ他の人格がギターを弾こうとしても弾くことはできない。それは睦が勝ち取った役だからだ。

 モーティスは他人の真似を得意とする人格であることから、動きを真似ることで、アテフリを練習している、匡導はギターを持ち出しているところ、また練習と形容したことからそう仮説を立てていた。

 

「俺は祥子の絶対的な味方だ、だから睦とモーティス(おまえたち)が争ってたとしても、どっちの味方もできねェ」

「……でも祥は、CRYCHICの方が」

「それを確かめるための、高松燈なんだろう?」

「……うん」

「だったら俺は、送っていくだけだ……そこから先は、自分で決めろ。祥子も俺も、利用するなよ」

 

 睦は匡導が僅かではあるが怒りを抱いている意味が、言葉の意味が解らずに、ただ頷いた。

 彼女が抱いたのはたった一つだけ、匡導はもう、何があっても自分に祥子のような顔をしてはくれないのだという、失恋と確かな絶望だけだった。

 

「この辺で待ってるから」

 

 そう送り出され、睦は懐かしいとすら感じる歩道橋の上から燈の家を見上げる。ベランダには天体望遠鏡が出ており、今日も彼女は星を観ていることに気付いて、だが声を出すことなく待ち続けた。

 

「……星、一緒に観る?」

「うん」

 

 望遠鏡で天体観測をしていた燈は、歩道橋にいる睦に気付き駆け寄り、そう声を掛けた。言葉数の少ない燈と睦、二人は通じ合っていないようで会話が通じる、不思議な二人でもあった。彼女が自分の家に来たのも何か意味があるのだろうと、二人はプラネタリウムへと向かっていく。

 だがそのプラネタリウムは三角初華がよく通っている場所でもあり、遭遇してしまう。祥子を苦しめた「Ave Mujica」の元メンバーということで燈を引っ張り来た道を戻ろうとする睦を、初華は呼び止める。

 

「待って! 二人はCRYCHICやるの?」

「え──っ?」

「さきちゃんがCRYCHIC復活させたいって訊いて」

「私は……」

「燈、本当に祥が言ったの?」

 

 燈の首肯に睦は喜色を浮かべ、モーティスは悲しげな表情で見ていた。

 結局、誰にも必要とはされない、祥子が「CRYCHIC」を復活させたいというのなら自分は消えるしかないのか、という死への恐怖がモーティスを襲っていく。

 

「私はまだ、解らなくて……CRYCHICのこと、だから……」

「……これって」

「歌は、伝わるって」

 

 迷いながらも燈は伝えるための詩を、ノートに書き留めていた。それをかつて離れていった楽奈、立希、愛音、そよの四人ともう一度バンドをやるきっかけの言葉をくれた初華に手渡した。

 燈の言葉、内面、それはまっすぐな言葉となって、例え途中で終わっていたとしても初華の心を激しく揺さぶっていく。

 ──それは、自分にはないものだった。求められるものを求められるままに出力できてしまう初華にとって、ありのままの自分の言葉を歌詞にするという燈は、祥子を動かした燈の歌詞は、強すぎる光だった。

 

「……祥も同じだった、燈の歌詞に出逢って、祥はCRYCHICを作ったから」

「え……」

「CRYCHICが祥の大事なバンドになって、ずっと忘れられなくて、でも忘れたかったから──ムジカが出来た」

 

 その言葉に、真実に初華は息を呑む。彼女が自分を頼ってきたのは、誘ってくれたのは決して三角初華という個人を評価したわけではなく「CRYCHIC」への当て付けのようなものだと知ってしまった。

 

「それに匡も……忘れたかったから、傍にいる。今も……ずっと」

 

 一度、泊まりに来た時に、家の人と形容していた人物が匡導であることは薄々勘付いてはいた。だが「Ave Mujica」が無くなった後もずっと、彼との関係は続いていることを突き付けられて顔が歪んだ。

 ──三角初華にとって豊川祥子は特別であり唯一無二の存在である。何者にも代えられない、只一人の存在、それを燈や睦、そして匡導に取られるという恐怖が初華を怒りに震えあがらせていた。

 

「……冗談、だよな」

 

 そのころ、匡導は一つの真実に辿り着いてしまっていた。三角初華、その家族を調べていた彼はとんでもないものを見つけてしまった。母が豊川家、もっと言うならば豊川定治と深いつながりがある可能性と、そして端的な、だが信じられない事実が口から漏れ出る。

 

「三角初華は……()()()()?」

 

 彼が辿り着いたのは秘密を抱えた一人の少女の、そして全ての原点、豊川祥子が「Ave Mujica」を作るに至った、その原罪だった。

 全ての辻褄が合ってしまう最悪の仮定に、匡導は口許を抑えてしまったまま冷や汗をノートパソコンのディスプレイに一粒、落とした。

 




三角初華の真実に一歩近づいてしまいましたわね、匡導はもう後戻りできなくなりましたわ
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