Mare Inbrium   作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ

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前回真実に近づいてしまった匡導、そして睦とモーティス、祥子との間に阻む壁が多すぎますわ~!


三章Ⅴ:運命

 ──三角初華は二人いる。睦のように人格が複数あるわけではなく身体が二つあり、それぞれが別々に過ごしているという意味で二人いる。本来ならあり得ない筈の結論に、だがそれならば彼女の言動や様々な違和感の正体に繋がると匡導は考えた。

 それは同時に、自分がどうしようもない闇に触れてしまったという悍ましさを感じることにもなる。

 

「父さんは、知ってたのか……いやつまりは()()()()()()()って──っ!」

 

 呟いたタイミングで電話が鳴る。恐る恐る、裏側にしていたスマホの画面を表にするとそこには「若葉睦」の文字が躍っていた。プラネタリウムに向かったとは連絡していたが、それにしても早すぎると時計を確認してから息を整えて通話状態にする。

 

「もしもし」

「ま、まさ……匡導くん」

「……成程、起きたのか。帰るか?」

「……私、わたし……どうしよう」

「すぐそっちに行く、待ってろ」

 

 明らかに普通じゃない恐慌状態を起こしているモーティスの様子に、匡導もやや焦り気味でプラネタリウムの方へと車を走らせる。

 初華のことも気になるが今はモーティスとも話をする必要がある。それにもし匡導の出した結論が正しければ二度と「Ave Mujica」を再結成させてはいけない、それによってまた祥子が傷つく可能性があった。

 

「モーティス、どうした?」

「ま、匡導くん……お兄ちゃん、私、違うの……そんなつもりじゃ、私はただ」

「落ち着け」

 

 錯乱しているモーティスを宥める。手を握り、目線を合わせると彼女の瞳が潤み、後から涙があふれ出してくる。匡導にはどういうきっかけで二人の人格が入れ替わっているのかというのは解らない。だが、睦がモーティスを見たくないものや感じたくないものを受け入れさせる器としての役割を必要とするようにモーティスは睦が見たくない、感じたくないと負の感情を蓄積させなければ存在できない。

 コインの表と裏を乖離させることが出来ないように、反目し合っているようでもモーティスと睦はどちらかがいなくなってもダメな状態だということは理解できていた。

 

「睦に何かあったのか?」

「……睦ちゃん、睦ちゃんが……落ちて、死んじゃった」

「落ちて?」

「私、違う……わざとじゃ」

「解ってる、とりあえず家まで送るから乗れ」

 

 寝ている、でもなくかつて祥子に語ったように寝ているように死んでしまったという表現でもなく、死んだという強い言葉に息を呑む。

 森みなみの話が全て本当だったとするならば、若葉睦は想像するような多重人格とは少し違う状態で、主人格と副人格という概念が存在しない可能性は考えていた。あくまで長い時間、睦として接してきた人格はギターを弾くための人格で、モーティスによればそれに没頭するために数多居た人格を全て消した──殺したと表現できる。

 だがそんな睦も主人格でないならば、ふとした時に消えてしまう。そんな可能性もあることだけは匡導も覚悟していたことだった。

 

「高松燈とプラネタリウムに行ってたよな、何があったんだ?」

「私が、起きたら……初華ちゃんがいて」

「……またか、それで?」

 

 モーティスは自分が起きてからのことを語り出す。プラネタリウムで偶然出くわした初華から祥子が「CRYCHIC」を復活させようとしていることを知り、だがまだ迷いがある燈がそんな初華にかつて伝えてもらった言葉を、歌詞として返した。

 ──歌は伝わると。自分は二度、失ってしまったけれどそれでも詩で伝えることが出来たのだと。

 だがその剥き出しの()()()()を目の当たりにした初華は、直感的に彼女には勝てないことを悟った。祥子を救えるのは、祥子と同じ叫びを持っている燈なのだと。

 

「この歌は違うね、CRYCHICの歌じゃない、今の燈ちゃんの……MyGO!!!!! の歌だよ」

 

 だがそれでも、なんとか取り繕い、負け惜しみを口にする。もう直視できないとばかりにノートを突き返したところで睦が二人の間に割って入った。

 燈と初華、二人のフロントでボーカル、祥子が選んだのは前者なのだと。

 

「初華黙ってて」

「あっ」

「燈、CRYCHICやろ? 祥もその方が幸せだから、だからもう一度……!」

 

 睦の必死の訴えは、彼女が「Ave Mujica」ではなく「CRYCHIC」を選ぶということ、それはモーティスとの決別であり、彼女を殺すことを意味していた。

 モーティスというもう一人の自分の首を絞め、丁寧にその人格をその手で縊り殺すような残酷な訴え、かつて彼女が無邪気に行ってきたことの繰り返しだった。

 

「……私の」

「返して!」

「言ったでしょ、祥はCRYCHICやってくれるって!」

「やだやだ! Ave Mujicaやるんだもん!」

「ギターの練習だって、こんなに……!」

「私の役、取らないで!」

 

 二人の人格がギターを奪い合い、争う。消えたくない、死にたくない。あの時「RiNG」での「CRYCHIC」のライブで感じた死ぬという実感、そして海鈴の言葉で湧きあがった生への渇望、それが睦のギターは自分の役だという強さと拮抗していた。

 ──だが、モーティスは突発的に彼女を突き落とした。ギターと共に、奈落の底へと。

 

「あ……」

 

 自分のやってしまったことに、焦るモーティスが次に聞いたのは──喝采だった。

 観客として人格のない様々な「役」の残滓、若葉睦の欠片たちの喝采と歓声と共に、今までギターを独占してきた若葉睦は、暗い暗い穴の底へと堕ちていった。

 

「睦ちゃんが死んじゃった、死んじゃった……私は」

「そうか」

「お兄ちゃん、私、どうしよう……」

「もう、モーティスしかいねェんだったら……お前が若葉睦だよ」

「え……私が」

「そうだろ、()

「……あ」

 

 匡導はその話を知り、だが感情を排してそう告げた。睦が居なくなったのならモーティスが睦として生きるしかない。若葉睦という仮面を着けて生きていくしかない。

 残酷ながら、ドライに、もう自分の我儘で「Ave Mujica」をやりたいと言っている場合ではないのだと諭した。

 

「私で、いいの?」

「お前以外に誰が居るんだよ」

「……私が、若葉睦を」

「そうじゃねェと、お前は役がなくなって消える……違うか?」

「──っ!」

 

 匡導の言葉は事実だった。モーティスという役はあくまで睦を助けるために生まれたもの、その睦が居なくなってしまえば消滅するのは必然だった。

 それでもなんとか踏みとどまるにはもう、自分が「若葉睦」になるしかない。かつてのギターを手に入れた睦へと。

 

「……お兄ちゃん」

「睦は俺をお兄ちゃんみたいとは言っても、そうは呼ばなかった」

「匡導くん」

「それは昔の呼び方だ」

「……匡」

「あァ、そうだ睦……もうそうするしか、道はねェんだよ」

「でも、匡……私は、どうしたら」

 

 その戸惑いに匡導は答えない。自分が道を決めては、意味がない。若葉睦はあくまで自分で考えて、行動を起こしていた。それがどれだけ的外れで違ったものだったとしても彼女は自分の考えと感情を、言葉を持っていたのだから。偽物ならば訊く相手は匡導ではなく、睦の内面そのものに訊くべきなのだから。

 

「祥子には……どうするかな」

 

 連絡しようとも思ったが既に夜も遅いし、知らないで居た方がいいのかもしれないと報告は止めておくことにした。

 モーティスは「Ave Mujica」のせいでここまで人格が表に出てきたと祥子が思っている以上、そんなモーティスが睦と争った末に殺してしまったとなれば、また罪の意識に苛まれてしまうだろうというのは、解り切っていた。

 ──翌日、彼は仕事を早々に切り上げて「RiNG」のカフェに向かった。祥子には来なくていいと言われたものの、やはりモーティスのことが気になり、遠くから見守るという選択をしたのだった。

 

「うわ」

「……祐天寺にゃむ」

「なんでいるわけ?」

 

 だが、そこには先客がおり、よりによって「Ave Mujica」の関係者だったため警戒を高める。

 特に彼女、祐天寺にゃむは海鈴と違ってバンドが本職ではない。本来なら「RiNG」に姿を現すような人物ではないことが余計に匡導を不安にさせた。

 

「そっちこそ、どうしたんですか? お忙しいのかと思っていましたが」

「イヤミ?」

「はい」

「……ふーん、やっぱりサキコには何にも話してないんだ」

 

 流れ的に相席をして、彼女の呟きに匡導は訝し気な顔をする。

 匡導とにゃむは根本的にはそこまで相性が悪い訳ではない。だが最初期に祥子のプランを破壊したという一点から彼が個人的に仲良くするつもりがない、というのが二人の関係だった。

 

「で? 烏森さん、だっけ? アンタは何しに来たの?」

「……アレですよ」

「誰?」

 

 匡導が差した先にある席には長崎そよが座っており、にゃむはチラリとその姿を見て素直に答えた。だがそれによって「CRYCHIC」復活の件を聞きつけて来たわけではないということが知れたことで、匡導は最悪の結論を導き出していた。

 ──そこに祥子がやってきたことで、にゃむが頬杖を突いた。

 

「まだサキコ優先ってわけ?」

「まだも何も、これから先ずっとですよ」

 

 その淀みない言葉に、にゃむは顔を歪める。間違いなく、彼の忠誠の根源は愛であり、そのために全てを捨ててもいいとすら考えていることが彼女には伝わっていた。まだ、とは言いつつ「Ave Mujica」の時は何処か感情の乏しい、虚ろだった印象が変わっていることも気づいた要因だった。

 

「そのために、折角の才能も捨てて、浴びる筈の喝采も……全部捨てるの?」

「みなみさんから何か訊いたんですか?」

「ちょっとだけ」

 

 ──少し前に、森みなみを見かけたにゃむは、睦の真実を聞いていた。同時に立ち向かう気概がありそうなにゃむが演技から逃げていることにがっかりだったとも。

 だがその思い出話の中で、若葉睦を「バケモノ」と称した後に、ふと彼女はにゃむに語って聞かせた。

 

「──たった一人ね、居たのよ」

「え?」

「あのバケモノを前にしても演じることを辞めなかった、天性の役者がね」

「……そんな人が」

「にゃむちゃんも知ってるでしょう? 烏森匡導、いっつも祥子ちゃんにくっついてる男」

「あ、はい……知ってます」

「あれは私の試作品、睦ちゃんを後天的に作ろうとして……結局演技の道には進まなかったけれど」

 

 つまりは森みなみの弟子、ということになるのではとにゃむは驚愕する。求められる役をこなすために、ただ生きるため、必要に駆られて身に付けたスキルではあったが彼女は()()()()()()()ということに驚きを隠せなかった。

 演技をしているとは、思わなかった。こうして対面していれば外面という解りやすい仮面を着けていることは明白だが。

 

「……才能も喝采も必要ねェよ、俺が求めるのはお嬢の、豊川祥子の傍という暗くて冷たい静寂だけ」

「そんなの……!」

「それに、先生って職業は俺にとっての夢だったんだよ」

「……夢」

 

 ──女優に成りたい。マルチタレント、という目標を立ててはいるが祐天寺にゃむの出発点は、上京してまで叶えたい夢は女優だった。

 もしかしたら自分には配信者の方が向いているかもしれない、トークスキルを活かす方がいいのかもしれない。何度も考えた、だがそれでも女優に成りたいという夢は諦められなかった。そんなにゃむだからこそ、才能があるから夢とは違う方向を向かせようとしていることに気付き、僅かに下を向いた。

 これは、逃げているだけだと。若葉睦という才能から逃げ、女優という夢すら、マルチタレントという言葉で逃げている。匡導を森みなみが若葉睦に対抗しうると言っていたから、辛く当たっているのも、逃げだった。

 

「夢なんて、語るタイプだったんだ」

「色々あってな、長くなるけど」

「あ、ごめんなさい、それはキョーミない」

「だろうな、俺も話す気も……どうやら、始まったみたい」

 

 言葉を途中で区切り、匡導が眼下に揃った「MyGO!!!!!」の五人と祥子を見下ろす。和やかに話をする、という雰囲気ではないため静かに見守るが、にゃむはこの場に海鈴とモーティス、そして初華の三人が来ることを知っていた。今日は祥子をどうするかという会議をしようと「RiNG」に集まる日なのだから。

 

「運命、ってやつ?」

「運命?」

「やっぱ、離れられないんだよ……ムジカも」

「……何の話?」

 

 その答えは彼女たちが「CRYCHIC」復活についての意見を交わしている途中に起こった。祥子の後ろから海鈴、モーティス、初華の三人が現れて事態は一気に混沌としていく。

 匡導はそこで漸く、にゃむが「RiNG」のカフェに居る理由を、違和感の正体に気付いた。

 

「やっぱり元鞘するんですね」

「……モーティス」

「……っ!」

 

 海鈴の傍に居るということで即座に彼女がモーティスであることを察した祥子が立ち上がる。彼女の存在意義、そのためには「Ave Mujica」が必要不可欠であることを知った祥子は彼女にもまっすぐ目を向けた。

 ──遂に対峙した元「Ave Mujica」の憐れな人形達、止めに入ろうと立ち上がった匡導を、にゃむは腕を引いて止めさせた。

 

「離せ」

「アンタは部外者で傍観者で居てもらわないと……どこまで行ってもね」

 

 間違いなく祥子を不幸にする、幸せで平穏な生活を目指す彼女にとって「Ave Mujica」はもう二度と視界にも入れてはいけないものだった。

 だが、運命は残酷にも再び人形達を集めてしまっていた。

 

 




海鈴に続き、やっとにゃむともまともにおしゃべり致しましたわ、後は初華だけですわね。
それにしても、メインヒロインが二話に一度しか出番がないのもどうなのでしょうね
匡導は静寂を意味する「Tranquillitatis(トランキュリッターティス)」という隠し名を設定上持っていますわ。大人に対して物言わぬ人形であり、舞台で台詞を発さない静寂を意味致しますわ。
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