Mare Inbrium   作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ

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これは……かみきょくですわ~!
三章もクライマックスとなりまして、加速してまいりますわ!


三章Ⅶ:神曲

 これまでギターを弾くため、幼い頃からその身体を動かし続けてきた若葉睦がいなくなり、その影響が「Ave Mujica」の歯車を残酷にも動かしていく。

 祐天寺にゃむには後がなくなった。睦から逃げ続けてもいずれはタレントとしても生きていけなくなるかもしれないという息苦しさを感じ、そしてモーティスの演技を目の当たりにして、逃げないという決意を固める。

 八幡海鈴にはないものねだりをする理由がある。全てを得ることのできた彼女にとって簡単に得られないものとはそれだけの価値があるのだから。

 そして三角初華には、豊川祥子を求める渇望があった。今の自分では、フロントとして決して高松燈には勝てないことを自覚した彼女はその想いを、燈のように紡いでいく。

 

「……モーティス」

「匡導くん……お仕事は?」

「休んだ、整理したいこともあったし」

「匡導くん」

「ん?」

「ごめんなさい」

 

 睦の部屋で、モーティスは彼に背を向けたまま、だが謝罪の言葉を伝えた。

 モーティスは最初から理解していた。睦が理解することを拒んだが故に、知っていた。匡導にとって祥子こそが光であり拠り所、同じ幼馴染であっても彼が彼女から貰った光には決して勝つことなどできないことを。

 睦の悲しみに寄り添う以上、常に敵対行動を取り続けていたが、本来のモーティスは兄のような彼と過ごした時間が大切だった。

 

「解ってるよ、モーティス」

「あ……お兄ちゃん」

「俺はお前の兄には成れない、最後の最後まで祥子のことしか考えてねェこんなやつ」

「……うん」

「けど、俺が誰かに望まれたわけでもなく、烏森匡導(おれ)に成れたのは、祥子と睦と、三人で過ごした時間の中にあった、だから……俺は睦のことも大切だ」

 

 大切だからこそ彼女の様子を見守ったり、車を出したりしていた。ある意味では誰に求められたわけでもない自分を出して話せるのは祥子よりもむしろ、睦相手だったかもしれないとすら感じていた。

 ──そんな簡単な事実すら、失ってから気づくものなのかと匡導は自嘲する。

 

「これから、匡導くんはどうするの?」

「解んない、けど……俺は祥子の傍にいる。今度こそ、例えそれが不幸になる道だったとしても」

 

 その宣言に、モーティスはベッドで背を向けたまま何も答えなかった。それが匡導の覚悟と責任なのだと、彼女にも伝わっていた。

 祥子がどんな選択をしたとしても、少し後ろで、或いは隣で、彼女の為に生きていくという宣言に、彼女はそっと一粒だけ涙を流していた。

 

「……これからどうなるかな、けどクソ親父の話が事実なら……ムジカを復活させるのは」

 

 匡導は思考する。父に直接問いただし、推論を披露した彼はその答え合わせをされていた。そして三角初華にまつわる事情と豊川家が何をしようとしていたのか、全て知ったことになる。そして知ってしまったからにはもしかしたら「Ave Mujica」を復活させるために動きがある、と無邪気に報告するわけにもいかずに頭を抱えた。

 ──思えば、仮面バンドというのは豊川グループ、もっと言えば豊川定治にとっても都合がよかったのかもしれない。後ろ盾として万全の体制を整えたのも、祥子の監視役だった匡導を「Ave Mujica」に関わらせたのも、全ての辻褄が合う。

 

「豊川家ってのはそういう家だ、お前は創業者一族、会長や清告様、お嬢様とばっかり関わってるから気付きようはねェだろうがなァ」

「アンタはsumimiのプロデューサーに成る前からずっと、三角初華を」

「そうだ、烏森家での地位を復活させること、そして匡導、お前の立場を会長の力で上げることを条件にな」

「……じゃあアンタは、父さんは俺を売ったんじゃなかった?」

「売ったんだよ、売り込んだ――是非、将来ご令孫を守るために使ってやってくださいってな」

 

 手許に置いておくだけが大事にしたいものの守り方ではない、だからこそ父も母も自分を遠ざけていた、というのは大人になって薄々気づいてはいることだった。だがその理屈だけで子ども時分の感情を否定することは出来ないという複雑な気持ちを抱えていた。

 

「……親の心子知らず、か」

 

 そんな言葉で許せるものではなかった。知らない大人に囲まれて、息苦しい中で必死に藻掻くことが、足掻くことが幸せだったかと言われれば絶対に違うと言える。だからこそ烏森孝臣は謝らなかった、例え頭を下げたとしても匡導は絶対に許しはしなかった。

 

「はぁ~!? ココ! マジ山じゃん!」

 

 その頃、三角初華は半ば無理やり祐天寺にゃむに連れられ、豊川邸へと辿り着いていた。

 初華にとっては足を踏み入れてはいけない聖域のような場所であり、帽子を目深に被り、躊躇いなく呼び鈴を押されたことで立ち去ろうとする。

 

「ごめん、ここから先は一人で……っ、にゃむちゃん?」

「はい」

「ごめんくださ~い、祥子さんと一緒にバンドをやっている祐天寺にゃむと申します、祥子さんとお話したいことがあって来たんですけど」

 

 そんな初華の手を掴み、応対していたばあやに要件を伝えるにゃむ。一緒にバンドをやっているという文言、つまりは「Ave Mujica」の関係者と明かした時点で本来なら「お引き取りください」とにべもなく断ったであろう状況だったが、そんな彼女の横に居る初華に気付いたばあやは意を決し、告げた。

 

「……お入りください」

「なん、で……」

「おじゃまします」

「私は……」

「ウイコもムジカでしょ」

 

 こうして初華は聖域へと足を踏み入れていく。祥子の住まう、見上げることしか出来なかった高楼の城へと。

 祥子の部屋へと案内されたにゃむはノックもそこそこに無遠慮に歩を進めていった。

 

「うっわ、ここアンタ一人で使ってんの? ホント、これじゃお嬢様のバンドごっこって言われるわ」

「……何の用ですの?」

「Ave Mujicaやってもらうから」

「まだそんなことを」

「やらないってコト?」

「ええ、睦も居なくなった今、バンドなんて……」

 

 祥子はまさかにゃむまでが「Ave Mujica」を復活させる側についているとは思ってもなかったが、既にバンドを組むという義理も失われていたことで冷たく言い放った。

 そんな祥子の目の前のテーブルにスマホが置いてあることに気付いたにゃむは同じように淡々と言葉を突き付けていく。

 

「読んだ? ()()、全部アンタのことだよ?」

 

 ──それ、とは少し前に「Ave Mujica」のグループに送られた初華の歌詞、燈と同じように自分の中にあった感情や言葉を詩にしたものだった。だが燈がまっすぐな、揺さぶられるような心の叫びだったのに対して、初華のそれはお世辞にも同じとは言えるものではない程に歪んだ祥子への叫びだった。

 

「ウイコだけじゃない、ムーコもモーティスもウミコも、みんなアンタに人生あげちゃってんの、わからない?」

「……知りませんわ」

「ふーん、アンタさ、最速でデビューするって言ったけど、アレってAve Mujicaって()()()()でアタシたちを縛り付けたかったんでしょ? 自覚ないわけないよね?」

 

 内心を見透かされたかのような言葉に僅かに祥子の目が細くなった。バンドは運命共同体、かつてそう言った「CRYCHIC」は結局消えてなくなった。拠り所だった「春日影」も「MyGO!!!!!」の演奏で「CRYCHIC」ではない「春日影」という変わってしまったものを見せつけられた。

 ──そんな彼女から湧き出た黒い衝動、それこそが「Ave Mujica」の原点だった。

 

「一生くれってそれこそがアンタの欲望、バンドをやる理由でしょ? 晴れて()()()()()()()()計画は大成功」

「……強制ソウルメイト?」

「共犯者とか、同じ穴の狢とか、馴れ合いなしって意味かと思ってた……でも全然、()()()()、ムーコとか、あの男とだってそうでしょ?」

 

 睦に固執していた理由だけでなく匡導との関係、それすらも見透かしたかのような言葉の数々に祥子の顔から冷静さが消えていく。バンドとは別の繋がりを持っていた二人を手放すことを畏れていた。だから睦はバンドという枠に捕えて、匡導は再び身体の関係を迫ることで今度こそ逃げられないようにした。それこそが豊川祥子の本質だった。

 

「もうみんなAve Mujicaの虜、望みが叶って幸せ?」

「Ave Mujicaを続けるつもりはありませんわ」

「全部見捨てて逃げるつもり? そんなのアタシが許さない」

「どうして貴女に──!」

「──アタシは、()()()()()()()A()v()e() ()M()u()j()i()c()a()()()()()()!」

 

 メンバーの中で最もバンドという形態に拘ろうとしなかった、踏み台としか考えていなかったにゃむが、自分の計画を悉く破壊した彼女にどうして此処まで言われなければいけないのか、そう叫ぼうとしたのを遮ったにゃむの言葉は、かつての祥子と全く同じ叫びだった。

 関わらなければ、スカウトに安易に応えなければ若葉睦というバケモノに出逢うこともなく、マルチタレントとして、或いは女優としていずれ成功していたかもしれなかった彼女は、だが「Ave Mujica」という近道に騙され、今芸能生活が覚束ないほどにまで傷を負わされている。その責任を取らせるための言葉だった。

 

「……嫌いに、ならないで」

 

 にゃむが出ていったことで、取り残された初華は、ただ一言だけそう告げた。自分の抱えている感情を知っても、例え自分が祥子の望む言葉を与えてあげられなくても決して嫌うことなく傍に置いてほしい、愛してほしいと。初華はそれを伝えたかった。

 

「お待たせしました」

「いえ……匡導、今日はどうして学校にも居なかったんですの?」

 

 迷ってしまった、責任という言葉を突き付けられて後がなくなった祥子が求めるのはやはり、烏森匡導だった。助手席に座り、彼の家までの道で学校を休んでいたことについて問い掛けると、匡導は全てを話すわけにはいかず少し悩んでから言葉を紡いだ。

 

「色々ありまして、実は昨日、父に会ってきてさ」

「……お父様、ですの? 貴方はご自身のお父様を嫌っていた筈」

「必要なことだったんだよ、自分の……責任を果たすためにさ」

「責任……」

 

 だが匡導から、違う方向からも同じ言葉が飛び出して動揺してしまう。そして祥子は彼がずっと、自分の意思とは違う責任で動いてきていたことを思い出した。大人に望まれた子どもを、そして大人を演じてきた匡導にとって自分の意思に反することも沢山してきただろうことは想像に難くない。そうやって生きてきた彼にとっては当然のことだったとしても。

 

「わたくしは、他人の人生を預かる……という言葉を、何処かで軽く扱っていましたわ」

「そっか、ムジカで何かあったんだな」

「……ええ、ですがこれはいわば、わたくしが撒いてしまった種、所詮はただの学生でしかなかったわたくしが他人の人生など……到底抱えきれるわけがありませんのに、出来もしないことを、口にすべきではなかったのに」

「……祥子」

 

 かつて自分が、長崎そよに「CRYCHIC」の復活のために「私にできることならなんでもする」と縋られた際に言い放った言葉が胸に突き刺さっていた。

 攻撃的な言葉は全て、自分が最も言われたくない言葉、というのはある種の真理だと祥子は思い知ってしまった。

 

「俺は、お嬢の、祥子のためならなんでもすると誓った」

「……匡導」

「だけど、俺には祥子の人生を背負えない。俺に出来る覚悟は逆だからさ」

「逆?」

「祥子に人生を懸ける覚悟、使い潰してもらって構わないって覚悟だ」

 

 その言葉に祥子は目を見開いた。人生を預かる覚悟だけでなく、人生を懸ける覚悟、預ける覚悟もあるのだということ、それがきっとにゃむや初華がしている覚悟であることに気付いてしまった。()()()()()()というのは、文字通りの意味であり相手のために例え人生が台無しになったとしても()()()()()なのだと。

 

「匡導にとって、わたくしはそれほど価値がある存在ですの……?」

「価値とかじゃなくて、俺が()()()()()()()って思ったんだよ」

「──貴方は、()()()()()はどうして、そこまで」

 

 自分が行ってきたのは悪魔の契約だった。人生を、その人の運命を狂わせてまで囲い込んで「CRYCHIC」の、そして「MyGO!!!!!」に対する当て付けとした。初華もにゃむも海鈴も、所詮は代替品でしかなかった。

 知らず知らずのうちに「Ave Mujica」には自分の人生をもチップとしてテーブルに置いてしまっている。取り返さなければ、取り返しがつかなくなる。そう気付かされた祥子は、眉根を寄せて、低い声で呟いた。

 

「……わたくしも、責任を果たす覚悟を決めるべきですのね」

「そう言うと思った。俺は反対だけどな」

「いえ、もう戻れませんわ……わたくしは皆の魂と共に、地獄の門をくぐってしまいましたもの」

「Relinquite omnem spem, vos qui intratis──希望は、ないと」

「そういうことですわ」

「では、今度は俺もお供します、一緒に堕ちましょう……地獄へ」

 

 匡導の言葉に、祥子は微笑んだ。

 例え戻れない道だとしても、隣には彼が居て、燃えるような愛情で抱いてくれる。それだけで祥子にとってはどんな地獄の業火も涼しく感じるのだと。

 

「それで、匡導は何を調べていたんですの?」

「調べてたこと、話してない筈だけど……」

「解りますわ、貴方のことなんですのよ?」

「敵わねェな──けど、祥子に話していいことじゃなくてさ」

「……そう、ですのね」

「ごめん」

 

 これから「Ave Mujica」が復活するのだとしたならば、もっと伝えるべきではない秘密を知ってしまった。

 三角初華のこと、だがいつかは知ることになるだろうという予感も感じ取っていた。




匡導が呟いた言葉こそ「地獄の門」の銘文(ラテン語訳)ですわ。ムジカなのでラテン語ですわ。
ここからは地獄、これからも地獄ですわ。希望など、ありはしませんもの

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