Mare Inbrium   作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ

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これにて最終話ですわ~!


四章Ⅴ:箱庭

 紆余曲折を経て、穏やかな日常を取り戻した豊川祥子は、だが奪われたもう一つを取り戻すために歩みを進める。昨晩から明け方にかけて初華を連れ戻すため、遠い島から戻ってきたばかりで疲労が回復しきっているわけではない。だが、彼女は授業中にあってもうつらうつらとすることもなく、放課後になってすぐに背筋を伸ばして「RiNG」へと向かっていた。

 ──その目的とは、取り戻したいものとはただひとつ。

 

「最短で再デビュー致します」

「再デビュー!?」

「解散したバンドが復活することは、ままありますが」

 

 カフェスペースでのミーティング、そこには再び集った「Ave Mujica」の五人、そしてそんな五人から背を向けて話を聞いている匡導の六人だった。

 人生を預かり、それぞれの人生をそのテーブルの上にベットしてしまった責任、放置して終われないと祥子は一度だけの復活ではなく、永続的な活動再開を議題に上げた。

 

「また事務所に所属するの?」

「ええ」

 

 睦の問いかけに祥子は頷いた。トラブルと不仲で解散という形で一度傷がついてしまった「Ave Mujica」の名前を背負ってくれる事務所など、本来ならば何処にもない筈だが、それゆえに全員が彼女の意図を汲んでしまった。

 

「いいけど……最短って」

 

 にゃむが最も難色を示すのは当然だった。彼女が言っていることはつまり、解散以前に「Ave Mujica」が所属しており、今なお個人としてにゃむや初華が所属している「Win-Wing-production」に出戻るということであり、それが許される条件は豊川祥子が豊川グループ会長の孫娘という強権を発動することに他ならない。

 ──それは結局、事務所内での立ち位置は「お嬢様のごっこ遊び」という現状から何も変わらないことを意味していた。そんな()()な評価を得るくらいなら下積みをしてもいい、繰り返すのは御免だとにゃむは考えていたのだった。

 

「──にゃむ」

「えっ?」

「海鈴」

「え」

「睦」

「……ん」

「……初華」

「うん」

 

 それは、祥子にとっての決意の表明だった。呼び方を変えただけ、だがそこには距離を置いていた「Ave Mujica」のメンバーと共に歩み続けるという覚悟だった。

 決して、誰の手も離そうとしなかった高松燈のように、自分なりの、自分にしかできない方法でこのメンバーの手を離すことなく守り通すという覚悟の表明だった。

 

「わたくしたちは一刻も早く、強靭なバンドとなる必要があります……わたくし悟りましたの、運命を甘んじて受け入れる必要はない、神様などいない、ですから──わたくしが神になります!」

「は、神ぃ!?」

 

 神になる、その言葉に驚きの表情を隠せない四人、そして匡導はそれを聞いて静かに笑った。

 かつて人間に成りたいと月に向かって泣いていた人形は、こうして神として空に君臨する。ずっと昔から彼が崇めていた形に、彼女は運命を跳ねのけるため、幸福な一瞬を永遠のものにするためにそう宣言してみせた。

 

「Ave Mujicaのためなら、なんでも使いますし、()()()()()()()()

 

 口先だけの甘言とは思えない、苦味を伴ったその言葉はまさしく彼女が只の学生でも、人形でも、人間ですらなくなったことを示していた。

 バンドのためならくだらないと吐き捨てた豊川さえも、利用してみせる。近い将来に豊川グループを引き継ぐであろう輝きと仄暗さを身に纏っていた。

 

「匡導」

「はい」

「彼も、今後は正式に、大々的にわたくしの従者として、ムジカのために使いますわ。みなさんも遠慮なく使ってください」

「よろしく」

 

 立ち上がった匡導に、にゃむはやや信用していないような表情だったが、最も距離があった筈の初華が真っ先に頷き、その様子を見た海鈴も前回のライブの準備での経験から受け入れることに躊躇う素振りはなかった。睦は無表情で少し見つめた後、僅かに首肯するにとどまったが、それはかつての若葉睦が恋慕を抱き、そして失恋したという記録からどういったリアクションをすればいいのか解らない戸惑いのためだった。

 

「では早速匡導、事務所に向かいますわ」

「了解しました」

 

 事務所に所属する、と言ったものの事務所側からの承諾は得られていない、それどころか相談と確認すら取っていない状態だったため、まずは再結成と再デビューを承諾()()()ために車を走らせた。

 

「神、ねェ」

「ええ、バンドを守り、メンバーを守る、その悲しみも、恐怖も、愛も、死すらも受け入れますわ……けれど」

「けれど?」

静寂(あなた)は違いますわ、わたくしが守るのではなくわたくしの手足であり声であり、翼──その名前の通り神使として、働いてもらいます」

「──光栄です、我が太陽(Deus meus)

 

 彼女が神となるなら、自分はその使いである。そう考えていた匡導にとって他ならない祥子からそう告げられたことはこれ以上ない歓びだった。

 太陽と鴉であり、また黄昏の運命に怯える狂気の主とその肩に止まる鴉である。匡導はようやく、真に自分の主に出逢えたと言えた。

 

「えっ、豊川さん!?」

「通してくださる?」

「えぇええ」

 

 ちょうど居た顔見知り、元マネージャーに通してもらった祥子はまっすぐに社長の居る部屋へと向かっていった。

 社長は初華が居なくなってしまったことによる「sumimi」の今後について話をしている最中だったが、祥子の顔を見て慌てたようにスマホの通話を切った。

 

「Ave Mujicaの件でお話が」

「初華ちゃんにも言ったけど、貴女のおじい様の許可がないと──」

「──そんなもの必要ありませんわ」

「……え?」

 

 あくまで社長は、豊川定治の、豊川グループ会長の孫娘として丁寧に接しながらも彼女を子どもとして扱うように言葉を紡いでいく。子どもの我儘を聞き入れて淡々と反論するような、言い聞かせるような口調だったが祥子にはもう、祖父の威光も通じない。

 

「わたくしを誰だと思ってますの? Ave Mujicaの忘却(オブリビオニス)──豊川祥子ですわ!」

 

 運命も知ったことではないと捻じ曲げてみせる、そのつもりで彼女は名乗った。豊川グループトップの座を受け継ぐべき器であり、彼女らの人生を預かった神であるのだと。

 使えるものはなんでも使う、なんでもする。先程の宣言通り彼女は自分の名前を、豊川を武器に半ば無理やり「Ave Mujica」の再結成を認めさせた。

 

 

 


 

 

 

 こうして「Ave Mujica」は再始動することになった。ファンの大半は再びステージに立つ彼女らを見られるということで歓喜するものの、一部では批判的な意見も見ることが出来る。

 それが定期的にライブを、仮面舞踏会(マスカレード)が開催されている現在でも所詮は金持ちの道楽、ごっこ遊び、不仲説、騒ぎ立てるような情報の波を暗転させながら、匡導は教師として、従者として過ごしていた。

 

「……匡」

「よう」

「うん」

 

 落ち着いた日常を送り始めたことで彼は有耶無耶のまま終わってしまっていた若葉睦に会いに行っていた。モーティスと睦のせめぎ合い以来、どうやら睦の状態のままのようだが祥子にくっついていることはなくなった彼女の様子が気になっていた、というありきたりな理由だった。

 ──その様子の違いから、実のところ彼は直感していたのかもしれない。彼女が今、彼が知る()()()()()()()ということを。

 

「女優としても、活動するんだってな」

「うん、祥……も、それでいいならって」

「そっか、お前は演じ続けるんだなァ……ずっと」

「……うん」

 

 今の彼女は決して睦やモーティスの記憶を引き継いでいるわけではない。ただ事実を記録として参照し、適切な受け答えを演じているだけ。彼女は、空っぽになってしまった若葉睦という器を他の人格に助けられながら必死に演じていた。

 

「匡は、祥と、ずっと一緒?」

「そうだなァ、家に帰れば居るよ。時々は泊まり込みそうになって()()の家に厄介になってるけど」

「初華……そう、寂しい?」

「寂しいよ、出来ればずっと、隣に居てほしいくらい」

 

 素直な言葉に、睦は受け答えのための最適解を探すのに時間が掛かってしまう。車の助手席で、彼女が戸惑っていることに気付いた匡導は苦笑してしまった。

 前の睦ならそこで戸惑うことはなかった、自分の感情に鈍感な睦は他者の感情にも疎い。だからこそ失言めいたことを悪気なく口にしてしまっていたのだが。

 

「今のは意地が悪かったな」

「……うん、意地悪だった、ニヤニヤしてた」

「そうか? モーティスならそう言うかもな。でも、俺は別に今のお前がなんだっていいよ」

「どうして?」

「若葉睦は、()()()()()()、演じ続けるものなんだからさ」

 

 隣に居る存在の正体に気付いた、半ばであるが予想の範疇だったことで匡導は警戒を解いていた。彼女はもう、祥子の敵にはならないだろうということも理解した。

 ギターを弾く時は弾く、演技が求められればそうする。未だ胡乱な存在ながら彼女が「Ave Mujica」に悪影響を与えることはないのだろうと判断したからだった。

 

(わたし)は……匡のことが、好き、だった」

「そうらしいな」

「じゃあ、()はどうしたらいい?」

「好きにしていいんじゃねェの、俺は祥子しか見ないけど」

 

 その言葉に睦が頷いた。それでもいい、というものだった。自分の感情、あるかどうかも解らないそれを肯定されたことで、睦は少なくともこの件に関しては無理に睦やモーティスの記憶を引き継ぐことはやめた。

 

「じゃあ、また」

「おう、また」

 

 そう言って別れた後、匡導は一瞬だけ大きく息を吐いた。

 そのままでいい、と今の睦を認めたのは事実だが、だからと言って今まで過ごしてきた睦と、対立ばかりしてきたものの話をしてきたモーティスを失ったことに何の感情も湧かない訳ではない。

 感傷に浸りながら発進させようとしたところで仕事中である筈の祥子からの連絡が来たためスマホを耳に押し当てる。

 

「もしもし祥子、今どこだ?」

「今は……カラオケの前ですわ」

「じゃあすぐ迎えに行くよ」

「少し歩いて行くので、集合場所はすぐ送りますわ」

 

 そのまま位置情報を頼りに車を走らせていくと、匡導はそれを後悔する日が来るとは思いもしなかった、とばかりに苦い顔をした。

 そこには同じように苦い顔をしていた祥子と、()()()()()で微笑む長崎そよが立っていた。

 

「ひ、久しぶり……そよ」

「お久しぶりですね、烏森さん?」

「……貴方、そよに何をしたんですの?」

「いや、何もしてない、よね?」

「なんで疑問形なんですの」

「何もしてないよ……睦ちゃんの件からそれっきり」

 

 そういえばそよと具体的に何があったのか、詳しいことは何も言っていないことを祥子のリアクションから思い出した匡導は先程よりも長く息を吐き出した。個人的に最も苦手と思える人物、出来れば会いたくない人物で、相手もそう思ってくれていたらどんなにいいだろうと思っていたのだが、おなじく苦手に思っている筈のそよは匡導の希望通りにはいかなかった。

 

「結局、あれから一度も来なかった」

「行ったよ、みんないない時に」

「ふぅん」

 

 目を細めて咎めるような顔をするそよに対して弁解をしていく。彼女は避けられる心当たりはあるものの、避けられているという事実に対して、自分でも説明できない程に腹を立てていた。そんな似た者同士だから起こった同族嫌悪と、似た者同士が故の親近感の板挟みのような複雑な感情が彼女から感じられることに祥子もまた溜息を吐く。

 

「──気が変わりましたわ」

「えっ?」

「そよ、わたくしの従者を詰めること、諦めてくださる? わたくしの方からきちんと、今後このような不義理はしないと誓わせますので」

「……祥子」

「行きますわよ、匡導──それでは、話せてよかったですわ、今度はお茶でも」

「……うん、またね」

 

 急に引きずられるようにして、そよと離れていく祥子に困惑しつつも彼女との関係、纏う空気が「Ave Mujica」のメンバーやその他の異性とはまた違ったものであると自覚している匡導は大人しく祥子に従っていく。

 そしてそれが嫉妬から来る言動なのだと確信させたのは助手席に座った彼女が彼の胸に手を添え、目を閉じた時だった。

 

「さき──っ」

 

 日の落ちた車内とはいえ人が通る場所、だがそんなことに一切構うことなく祥子は匡導を己の独占欲の向くまま、息をすることすら忘れたように長い時間、唇を重ねていく。神として過ごしていく時間、活動し続けることに対する事務所の反発や陰口など、彼女にとってストレスの溜まる日々だったこともアクセルを踏み込む要因となっていた。

 

「貴方は、責任を取るべきですわ」

「……責任」

「従者だとか、人生を預けたとか、そういうものを抜いても……あの日、わたくしの全てを狂わせたのは、匡導ですのよ?」

「……ごめん」

 

 ここ暫く「Ave Mujica」のために奔走し続ける日々で、消えてなくなったとすら思っていた少女の、そして年齢に似つかわしくない程に妖艶で色香を漂わせる女の顔を向けられた匡導はゆっくりと彼女の頬に、首に、そして肩に触れ、そのまま腰を抱いていく。

 

「祥子こそ……もうそんな顔はしてくれないかと思ってた」

「わたくし、神ですもの……でも、匡導を縛るには、必要でしょう?」

「そうかもね」

 

 今度は制止することもなくお互いに求めあっていく。抑えるのではなく解放するような、蕩けるような時間を過ごした二人は、けれど麻痺し始めていた理性をなんとか働かせて帰路についた。或いは、二人だけの空間で何も気にすることなく触れ合うために本能を働かせたとも言うべき行動だった。

 

「沢山、考えることが多すぎて疲れましたの──だから、もういっそ全て、忘れさせて」

 

 その甘い誘惑に抗うことなど、匡導にはできない。誘惑することを祥子自身も止められない。

 いつか終わる時が来る、その時はきっと傘を投げ出して、抱きしめた温もりに救いも価値もなかったのだと後悔する時が来ることを知っていた。

 だからといって溺れることを止めることはできなかった。後悔は先に立たないのだから。

 

 

 

 




ずぶずぶですわ~!
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