Mare Inbrium 作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ
評価が一気に増えて、バーが点灯致しましたわ~! 感謝感激、酒池肉林ですわ~!
祥子によるメンバー集めは比較的順調に進んでいた。事務所を経由して八幡海鈴をスカウトすることに成功、睦からの返事はもらっていないものの残りはドラマーのみという状態だった。
彼女がメンバー集めや事務所の話し合いをするために奔走している間、匡導は送迎や連絡係など祥子の補佐をしていた。
「ええ、ええ……お願い致しますわ」
「お嬢、お待たせしました」
「はい……出していただける?」
スマホを片手に話しながら、帰路に着く。正しく従者と女主人という風だが彼女が乗るのは後部座席ではなく助手席だった。
通話を終了した祥子はすっかり馴染むようになった彼の運転する横顔を眺めて、視線が合えばそれを誤魔化すように話題を振る。
「一人で帰れますのに、噂が真実であると知られたら厄介ですわ」
「独りにしておくのは不安なんでね」
「わたくし、もう子どもではありませんのよ?」
「知ってます、よーく」
「最低な想像していますわね?」
「最高な想像なら」
子どもではない、と肯定された部分が昨晩の出来事だと気づいた祥子の咎めるような視線と言葉を、だが匡導はどこ吹く風で流してしまう。敢えて軽薄な振舞いをすることで明るくしようという狙いであることは考えるまでもないことだったが、バンド結成に向けた下準備で張り詰めている彼女には息を吐ける、安らぎの時間でもあった。
「そういえば、三角初華、でしたっけ? お嬢の幼馴染なんですね」
「ええ、と言っても別荘の近くに住んでいた関係で、睦や貴方とは顔見知りではありませんわ」
「会長から話を訊いて驚きました、今はアイドルユニットですか。忙しいのによく……」
「なにか?」
「いや、これもお嬢の成せる業なのかもと思って」
忙しいのによくボーカルを引き受けてくれましたね、という言葉は最後まで口から出ることはなかった。
祥子の放つ圧倒的なカリスマ、輝きを直視したものは魅せられ惹かれる。今は焦りと後悔、ある種の復讐心で曇ってはいるが、かつての眩さを知っているものはきっと、その背中に輝きを見出すだろうということを、匡導は感じていた。
「お嬢の創る
「けれどドラムを妥協するわけにはいきませんわ……バンドに拘るならば、或いはギターやベース以上に」
「ただ実績のあるドラマーというと難しいですね、少し前ならキングってドラマーがいましたけど」
「佐藤ますきさん、ですわね。確かにサポートもしていらっしゃる方で、実績も申し分ない……けれど」
「サポートだけってのと、そのスタイルですか」
「ええ」
現在はマスキングと呼ばれる界隈では有名なドラマーの名を出したが、彼女は現在フリーではなく「RAISE_A_SUILEN」というバンドのドラムとして活動している。引き抜くわけにはいかず、また狂犬とまで言われた楽譜を無視して音を増やすという癖が、祥子本人と絶望的に相性が悪いという認識をしていた。
「ならもう、将来性込みになるだろうね」
「アテはありまして?」
「ないね」
「……参考になりませんわ」
ドラムを始めたばかり、或いは始める前で才能があるのかどうかを見極める目を持っていないため匡導はそう首を横に振った。
将来大物になるドラマーということになると事務所経由では探しにくい、かと言って
「心配なさらずとも、失敗はあり得ませんわ」
「それは信じてます、ただ……会長の気が、そこまで長くないだろう、とは」
「解っていますわ……」
豊川会長、定治にとって祥子は娘の忘れ形見、婿である清告を勘当した時も本来ならば祥子は養子として豊川に留まらせるつもりだったと祥子自身から匡導へと話が伝わっていた。
それは孫娘を心配する優しい心の現れでもあるのだが、肉親への愛深い情は彼女にも遺伝していた。どんなに落ちぶれて、みっともない姿になっても父親を忘れることなどできはしないのだから。
とはいえ、祥子を再び豊川の人間として何不自由ない暮らしをさせてやりたいと考えている定治が今回の件、バンドで成功するという祥子を後押ししているのは失敗すれば豊川に戻す口実が与えられると考えているだろうことを匡導は理解していた。
「まァ、お嬢に協力しますよ。俺としてもデメリットでかいんでね」
「性欲的な意味ですわね」
「そっちは教師やってる限りチャンスはあるから」
「さ、最低な発言をしている自覚はないんですの……?」
「でも、そうなったら祥子は今みたいな軽口には付き合ってくれなくなる気がして」
「それだけですの?」
「大事だよ、それだけって結構」
匡導が守っているものは豊川という家でもなければ、祥子でもなく、豊川祥子が生来の暖かさと優しさを保っていられる時間と空間であり、そのために一人の少女として周囲を気にすることなく振舞える相手になることを意識していた。
本来ならば「CRYCHICではない春日影」という、あまりにも悲しい決別を経験した時点で彼女には安らぐ時間も誰かを気遣う余裕もなかった。だが寄りかかることのできる相手を知っていた彼女は少女のように縋ることで、彼女そのものが放っていた輝きを翳らせることなく今日まで保っていた。
「後は返事がない睦のことですわ……考えさせてほしい、とは言っていたけれど」
「彼女の性質上、前向きとは思えないね」
「──最悪、あの子には降りてもらいますわ」
「その方がいいだろうね」
睦にとって、大衆の前に出ることそのものがストレスと成り得る。彼女らは知らないことだが、本人の認知の中では若葉睦という存在に自己というものは一切存在していない。唯一ギターだけがその拠り所ではあるが、それも「親のもらいもの」で構成されている彼女には扱いきれるものではない。
──ただ、二人を除いて。
「それなら二人で睦の本心、訊きだそう」
「ええ……
「家まで送ります、人気のない道って危ないですよ?」
「いつまでも車で送迎なんて、甘えていられませんわ」
父と二人暮らしをしているアパートの最寄りの駅で止まり、ハザードランプを点灯させる。
助手席から降りて、後部座席に置いてあったキーボードを抱えた彼女は彼に何かを告げることなく、そして振り返ることなく去っていった。
そんなメンバー集めの進展を匡導が知ったのは制服が夏服へと移行した後のことだった。
「ドラムの候補を見つけましたわ」
「え、見つけたの?」
「ええ、貴方の言葉で少しアンテナを高くしてみたところ、このような方がいらっしゃいましたの」
「……にゃむ?」
「主に美容系を専門に発信をなさっている方ですわ」
「それが……ドラム候補」
美容系の動画配信者をドラマーの卵と見間違えるなんて遂におかしくなったか、とある種可哀想なものを見るような目を向けてしまう。だが祥子はそんな彼に、向かって眉を上げて反論しようとする。
「幾ら焦っているわたくしでも音楽とは無関係の方を勧誘すると思われているだなんて、早計ですわ、こちらをご覧になって」
「ドラム練習?」
「ええ、どうやら最近流行に合わせて楽器を始めて、練習の様子をアップしていらっしゃいますわね」
「……ココに光るものを感じた、と?」
特に技術も知識もあるわけではない匡導は練習の様子をざっと見て、何処に光る要素を見たのだろうかと問いかける。確かに初心者とは思えないスティック捌きだ、と思わなくもないものの、それは素人目に見た感想である。ましてや昨今のガールズバンドブームなら眼も耳も肥えている人間など山のように溢れているだろうことを彼は指摘する。
「詳しくは説明しませんわ、匡導に言ったところでお判りいただけませんもの」
「煽ってんのか」
「ふふ、素が出てますわよ?」
「……まァ、プロの目利きらしいお嬢がそう言うんなら俺に反論はありませんが」
「早速、事務所経由でアポイントを取ってみますわ。わたくしの目が正しければ──相手はエサに食いついてくるはず」
「悪い顔してますよ」
祥子が見つけてきた動画配信者にゃむ──祐天寺にゃむの加入が決まれば、いよいよ後は睦からの返事次第でメンバー集めは完了という段階になった。
まだ彼女からの返事はない。迷っているのか、やはり人前に出ることへの恐怖心が勝っているのだろうか。その真意を探るため、匡導は月ノ森へと向かった。
「……匡さん」
「度々ごめん、迷惑だった?」
部活も終わり、続々と月ノ森生が校門から出ていく中で待ち構えられていたことに対して、不快感を示すことはなく、迷惑という単語にも睦は首を横に振った。以前と違い、アポ無しだったため園芸部の活動が終わるまで待つことになってしまい、待ちぼうけを食らったことで月ノ森生に観察されていた。
「あれって睦ちゃんだよね」
「一緒に居る男の人、誰だろう?」
「そよちゃんも気になるよね?」
「……そうだねぇ」
吹奏楽部の面々と下校していた長崎そよもまた、そんな彼が乗っているであろう車の助手席のドアを開ける睦を目撃していた。
だが祥子によって突き放され、少しでもCRYCHICをやり直す意思があると思っていた彼女にまで裏切られた、と感じているそよにとっては関わるのも嫌になるとすぐに話題を切り替えた。
「園芸部って、何してるの?」
「……野菜を、育ててる」
「へぇ」
「きゅうりとか、トマトとか、後ナスも……」
「夏野菜か、するとそろそろ収穫の季節だな」
「……うん、大きく、なってきた」
月ノ森の庭は広い花壇があるらしいという話を聞いたことがあったため、園芸部は花壇の世話を任されているのかと思いきや夏野菜の名前が出て来たことで、思っていたのと少し違うなと内心で思いつつも、本人にやる気とやりがいを感じ取ったため余計なツッコミだろうと胸の裡で留めておく。
「それでさ、俺が来た理由は……まァ多分予想通りなんだけど」
「祥の、バンド……」
「迷ってる?」
「参加した方が……いいのかなって」
「それは、どういうこと?」
「祥のために」
その言葉は、迷っているというわけではない、もっと言うなら答えが出せていない理由は睦自身ではなく、祥子に関係があるのだということを知り、匡導は考え込んでしまう。
祥子のために、それは幼馴染の心に寄り添った気持ちだ。だがバンドは彼女本人と話し合った時にも睦には荷が重いかもしれないということを言っていた。
「もしさ」
「……ん」
「祥子……お嬢のためにバンドを始めたとしても、睦が間違いなく注目されると思う」
「……それは」
「睦がそういう見られ方をするのがストレスなのは知ってる。でも世間では結局、若葉睦は、森みなみと若葉隆文の娘、親の七光りだ」
「──十四」
「十四? あァ、そういう……」
間違いなく話題の中心は若葉睦となるだろう。それは演奏技術も、世界観よりも優先されるセンセーショナルな話題だ。ましてや最短メジャーデビューの、アイドルや数多のバンドのサポートをしている実力のあるベース、若者に人気の配信者に囲まれているとなればより一層、注目を浴びるのは睦ただ一人だろう。
「でも……」
「うん」
「祥は……苦しんでる」
「CRYCHICのこと?」
「……私しか、いないから」
──壊れてしまったCRYCHICというバンド、そのうちの三人が新しくバンドを始めたという事実がある以上、喪失の悲しみに真の意味で寄り添えるのは確かにもう、睦だけなのかもしれない。少なくとも匡導には表層の部分でしかその悲しみを遠ざけてやれない。
「匡さんは……バンド、する?」
「しないよ、俺はお嬢のメンバー集めをちょっと手伝いつつ、事務所のコネ使ってサポートしてるだけ」
「……
「そう、正直嫌だったけど」
烏森孝臣は現在でも事務所のアイドル部門のプロデューサーをしている。偶に「よくない噂」が聴こえてくるものの、それはもう妻である
とはいえ、事務所にコネを持っていることは事実であるため、嫌々ながらも彼自身もまた親の七光りを使っていた。
「……バンドには、関わるの?」
「いや、どうだろう……一応本職は教師だからさ」
「そっか」
「でも、お嬢が着いて来いって言うなら……そうするよ」
「……解った」
頷いた睦がどういう選択をするのか、肝心な結論部分は結局出ることはなかった。
だがそれでいい、と匡導は睦と祥子の関係の危うさを思ってそう感じていた。
彼女の無機質ともいえる瞳が、常に自分を映しているということにはまるで気付くことはなく。
しれっと初登場させましたが、匡導父は「烏森孝臣」で母が「津上ゆい」ですわ
母は芸名で本名は「烏森結衣」で旧姓が「天津」ですわ
父が
それでは次回は土曜日の14時14分にお会い致しましょう。