Mare Inbrium   作:ネクタリス──我、飲酒を恐れる莫れ

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一章Ⅲ:叛乱

 デビューから史上最速での武道館ライブ決定、祥子が創りあげた世界「Ave Mujica」は事務所や協賛の強い後押しもありつつ、高い評価を得ていた。

 それを遠く、離れたところから見守っていた匡導はその成功の裏に蠢く不穏を感じ取っていた。

 

「アモーリス、にゃむち説、ねェ……」

 

 仮面バンドであり、五人全員が「人形」というロールプレイを前提としたプランニングを脅かすような言説をSNSで発見し、職員室でどうしたものかと頭を掻く。

 マネージャーとして事務所側から派遣された袋小路という女性と匡導は顔見知り、プライベートな番号を知っている人物でもあるため連絡しようと思えばできるのだが、逡巡した。

 

「確かに、わたくしは貴方のコネを利用致しましたわ、それには感謝しています」

「……けど?」

「ええそう、けれどここからはわたくしが全てを決めますわ、本来は事務所の関係者でもない、只の部外者である烏森がでしゃばる場ではありませんわ」

「お嬢の邪魔になるとは思いますね、俺は素人ですし」

「判っているなら、これ以上何か言うのはやめてくださる?」

「畏まりました」

 

 デビュー前、そんな会話をしたことを思い出しスマホを暗転させる。或いはもしかしたら、匂わせるのもプランニングのうちかもしれないと思うことにした。考察、知的好奇心というのは案外人間が飛びつきやすいものだ。特に最初から演奏技術もステージ演出も超一流の謎の仮面バンド、とくれば正体が気になって然るべきだ。とっかかりとして祐天寺にゃむが匂わせをすることで、ボーカルとして声というこれ以上ない特徴を出している初華(ドロリス)あたりから繋がりを探らせる。そんなプランならその考察だけで三ヶ月は維持できるだろうと。

 

「三ヶ月──ツアーが終わって、最後の東京公演か、その次にデカいハコでやったタイミングで、って感じか?」

 

 考えても祥子から詳しいプランを聞いているわけではないし、言われた通り部外者なのだからと彼は思い直し、時間を見て仕事をひと段落させる。

 今日は関係者ではないものの睦を迎えに行き、祥子を迎えに行ってから武道館までの道を運転する役目を担っていた。羽丘を出発し、睦を乗せるところまではよかった。

 ──だが、アパートから出てきた祥子は明らかに何か、父と何かの諍いがあったことを察するに余りある状態だった。

 

「お嬢、一体何が?」

「──っ、行きますわよ」

「に、荷物預かります。睦は座ってて」

「うん」

 

 事情を訊くこともできず、一瞬だけ睦と顔を見合わせたもののその剣幕に圧されて彼女の荷物を後部座席に押し込んですぐ出発する。

 キャリーバッグを見るに、着替えなどの生活用品が詰まっているだろうと考えた匡導は必然、彼女が何かがあって家出をしたのだ、と理解してしまった。

 

「クソ親父! 今までわたくしがどんな気持ちで!」

「……祥」

「あそこにはもう戻りません……戻れない」

 

 悲痛な嘆きを真後ろで感じ、匡導はバックミラー越しに睦と視線を交わす。

 自罰的になってしまった清告は、耐えきることができなかった。自分が娘の足を引っ張っていることが、自分のくだらなくなんの価値もなくなってしまった人生が娘の重荷になっていることが。

 

「……武道館、大丈夫?」

 

 睦が心配そうに訊ねるが、そんな気遣いすらももう、今の祥子には届かない。苦しみと、悲しみと、怒りが彼女からあふれ出し、まるで呪いのように明るい春の日差しのようだった豊川祥子を蝕んでいく。

 

「大丈夫に決まっているでしょう」

「祥子」

「なんのために頑張ってきたと思うの──未練を断ち切り、全てを忘れる……わたくしにはもう、Ave Mujicaしかない」

 

 絞り出すような、滲んでいくような声、それに対して止めることも慰めることも出来ずに無音が車内を埋め尽くしていく。

 これ以上時間を掛けられず、切り替えるしかない。もう今日が本番なのだから、焦りや後悔、怒りも全てを仮面の奥に押し込んでいく。衣装を身にまとい、仮面を着けてステージに立てばもう、彼女は豊川祥子ではなく忘却(オブリビオニス)なのだから。

 

「アモーリス」

「……はぁ~い」

 

 ──だが、そんな祥子を更なる厄災が襲う。といっても、これは不幸の重なりではなく人災とも言うべきものだが。

 祥子の仮面を着けて名前と経歴を隠すというプランニングに我慢ができなくなった祐天寺にゃむ、アモーリスの叛乱が武道館では行われた。

 

「やっぱり」

「にゃむちだ~!」

「思った通りじゃん」

「え、若葉睦?」

「森みなみの娘だ!」

「マジか! 超有名人!」

「やっぱかわいい~」

「ディスラプションの海鈴!?」

 

 次々と仮面を剥がれ、奥に潜んでいたものを暴かれる。好奇心、喧噪、確かににゃむの考えた通りに世間の注目はAve Mujicaに注がれるだろう。

 ──だがそれは、音楽としてでも、世界観としてでもない。暴いた彼女からすれば、バンドは長くて一年、いやそれよりも短い期間で、その経歴を足掛けにすることで芸能界に進出する腹積もりなのかもしれない、と匡導は拳を握りこんで見守っていた。

 

「──祥子、睦」

「どうやら、ユダがおったようだな」

「……そうだな、まァ、お嬢にも悪ィとこはあるっちゃあるけどな」

「そうさなァ」

 

 関係者席は観客席とはまた違った動揺で埋め尽くされていく中で、その席は比較的冷静に、静かに話を続けていた。

 匡導の隣に座っていたのは豊川グループ役員で現在「TGW物産」に出向中の、絶縁状態だった彼の祖父、烏森亘彦(つねひこ)だった。

 

「匡坊はこっから先をどう読む?」

「俺は経営のことなんざからっきしだからな、素人意見でいいのか」

「おうとも」

「睦……若葉睦と三角初華に話題が集中する。いや、睦の方が比重はあるか?」

「ふむ、まァ及第点だな」

 

 紳士然と、腰が曲がる様子を見せない男は不肖の息子を勘当したものの、その子ども、つまり孫にあたる匡導とは時折連絡を取っており、彼が豊川定治の走狗になったと知ってわざわざグループ企業の相談役として出向してくる程度には気に掛けていた。匡導もまた、それほど住居が離れていたわけでもないため、両親に内緒で祖父の家へ行っていたという過去を持っていた。

 

「話題になるのは睦嬢の両親だ」

「……睦じゃなくて?」

「あの子は世間からすりゃ無名に近ェだろう? だが肩書はそんじょそこらの有名人より話題にゃ事欠かん、必然、話題になるのは両親の方さ」

「気色悪ィ話だな」

「世の中ってのはそういうもんよ」

 

 それが当の彼女をどれだけ傷つけるのか、とは想像もしない。所詮他人事はどこまでも他人事であり、囃し立てた側は想像力の欠如を盾にすらしかねない。

 噂を苦に自死という術を選んだとしても、()()()()()()死ぬなんて想像できなかったなどと嘯く。

 だがそれが世間であり、その蒙昧さを責めるのは筋が違うとする亘彦の冷たい一言には、匡導も頷くしかなかった。

 

「祥子……」

 

 意を決したように祥子(オブリビオニス)もまた仮面を取る。彼女は一般人であり、特に面が割れているわけではないため大きくざわつくことはない。だがいずれメディアは彼女の存在をAve Mujicaの仕掛け人という立場を交えて大きく取り上げるだろう。ある種では、祥子は睦の次に飛びつく話題になるのだから。

 

「うそぉ!」

「sumimiだ!」

「初華ちゃん、やっば!」

 

 最後にフロントの初華(ドロリス)が仮面を外す。デビューから早くも素顔を見せることになってしまった「Ave Mujica」の今後は、これによってどう変化が訪れるのか。盛り上がる会場とは裏腹にその前途はもはや誰にも解らない状態になっていた。

 観客の盛り上がり具合から大成功を確信し笑みを浮かべるアモーリス、仮面が剥がれたことで焦りの表情を隠せないモーティス、そしてアドリブでなんとか場を収めるオブリビオニス、その誰にも解らない。

 熱狂冷めやらぬ武道館はむしろライブが終わった後の方が膨れ上がっているようにすら思えた。

 

「睦、お疲れ様」

「……うん、あの……匡さん」

「どうした?」

 

 楽屋での言い争いは結局、決着は付かずに帰り道、睦を家まで送り届けた匡導は玄関で呼び止められて振り返った。

 その顔は暗闇で解るほど引き攣っており、彼女が如何に自分の素顔を晒すことに怯えていたのかを示していた。

 だが、彼女の言葉は匡導にとっては驚くようなことだった。

 

「祥のこと……助けてあげて」

「睦……」

「きっと、匡さんなら……」

「解った、祥子のことは俺に任せて」

「うん」

 

 恐らく自分のことでいっぱいいっぱいの筈、にも関わらず睦は祥子のことを気に掛けている。壊れてしまいそうで、自分が助けたいと思った相手に何もしてあげられないことを気にして、それでも彼ならばと縋るような思いで。

 ──本心に眠った、自分も助けてほしい。傍に居てほしいという気持ちを押し殺して。

 

「祥子」

「……お願い、匡導」

「解ってる、俺んちでいいか?」

「ええ……今日は、疲れてしまいましたわ……」

「メシは道中で買ってくるよ」

 

 二人きりになり、祥子はキャリーバッグとライブ前の発言から予測していたことだが、どうやら家出をしたようだと、詳しい事情は訊ねることなく自宅マンションへと向かっていく。道中のファストフードでバーガーとポテトをドライブスルーで注文し、やや戸惑っている彼女を助手席に座らせた。

 

「……被りつくのは、はしたなくはありません?」

「テンプレのお嬢様仕草だな、そういう食べ物だから」

「知識としては理解していますわ……だけど、いざ食べようとすると、どうしたらいいのか」

「先にポテトでも摘まんでてくれ」

「そもそも車内で食べるのってお行儀が」

「いいの、これ俺の車だし」

 

 その言動はまるで、最初から「Ave Mujica」などなかったかのようでもあり、ただの家出少女のようでもあった。逆に、それらの言動が彼女にとって先ほどのライブが精神的な負担になっているのだという証左でもあった。

 ──彼女は、忘れたがっている。匡導は春からの祥子を見ていたからこそ、総合的に考えてそう感じていた。

 

「ここを祥子の部屋として使っていいから」

「……わたくしの」

「狭いかもしれないけど」

「いいえ、有るだけありがたいですわ」

 

 無駄に余っている、と本人が断言する通り何かに使われた形跡のない部屋を宛がう。更に余っていたエアーベッド、キーボード練習用の椅子などを運び込んでいくと、簡易的だが祥子の生活スペースが出来上がった。

 

「ノーパソでの作業はそこの机でいいとして……後はクローゼットだな」

「いえ、衣服等は元々最低限しか持ってきていませんわ」

「……そっか」

 

 赤羽のアパートから、ではなく豊川邸からという意味だと察した匡導は、とはいえキャリーバッグだけでは不便だろうからと買い物を提案する。

 組み立て式の収納ボックス、下着など、特にブラジャーを洗濯する際に型崩れしないようにするためのネット等、男一人暮らしには必要なかったものをリストアップしていった。

 

「居候するだけなのに、何から何まで」

「いいんだよ、こういうのって用意してる側ってのは嫌々するわけじゃないんだよ」

「そうなんですの?」

「まァ、俺だけなのかもしれないけどな」

 

 居候するだけ、とはいえ住居として利用するのだからホスピタリティの精神を発揮し、快適な居住スペースを確保するのが家主としてのやりがいみたいなものだと匡導は祥子に説明する。特に祥子はこれからストレスが重くのしかかっていくことになる、バンドのこと、にゃむのこと、ツアーの準備や新曲などなど、やることは山積みでとても一人で出来る許容量(キャパ)はとっくに超過しているのだから。

 

「防音は甘いと思うから夜の練習はヘッドホン必須で」

「それは解っていますわ」

「あんだけ喘いでも大丈夫だから、よっぽどだと思うけど」

「一言多いですわ」

「すいません」

 

 祥子はそんな軽薄なやり取りに安らぎのようなものを感じてくすりと微笑んだ。

 母を、頼れる存在を、CRYCHICの仲間を、そして偽るための仮面も家も失って、唯一素顔を見せられる相手が匡導となってしまえばその関係により深く、より沈むように依存していくのは自然なことだった。

 疲れているかもしれない、と遠慮しようとした匡導だったが流れで結局、その日は用意したエアーベッドが祥子を眠りに誘うことはなかった。

 ──月下の許、暴かれた仮面。けれども、運命の歯車は止まらない。錆び付いた音で軋みながら、ただ壊れるその時まで回り続ける。それは即ち、狂おしき月のための輪舞。

 




初登場のオリキャラですので此方で紹介させていただきます。
〇烏森亘彦:烏森匡導の祖父、豊川グループの営業を経て企画経営として成り上がり役員として公私共に豊川定治を支えた腹心ともいえる人物。
現在は物産の相談役として出向中、目的は孫である匡導、匡導の口調や立ち振る舞いにかなり影響を与えている人物でもある。

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