ボルシチ。鮮やかなワインレッドが美しい東欧の家庭料理の一つ。
場所によって味が違う、日本で例えるなら味噌汁的ポジションのスープなのだが、何故か日本ではロシア料理として認識されている。ちなみに発祥はウクライナらしい。
国やご家庭によって酸味の強い国もあれば、トマトの味が強い所もある。日本だとビーツ抜きのボルシチ
つまり、肉と野菜のトマトスープがボルシチだ。個人的にはビーツ抜きをボルシチと呼びたくないが。
現代ならレシピを検索すれば簡単に出てくるが、もちろんこの世界にスマホやパソコンは無い。だから朧気な記憶を頼りに作るしか選択肢が無い。
とはいえプロでも無い限り料理は下拵えが全て。これを怠らなければ後は野菜と肉の味次第だ。
「まぁ、それ以前の問題なんだが」
「「申し訳ございません……」」
という訳で、まずは火の付け方から指導する。
太い広葉樹の薪を両端に置き、広葉樹と針葉樹の細い薪をその間に並べる。その上に松ぼっくりを置きたいところだが、そんなもんはこの世界にあるかどうかすら分からない。
というか薪が広葉樹なのか針葉樹なのかすら不明だ。
一応、針葉樹の薪は樹皮が剥がれやすく、樹木の生育が早いので年輪が薄い事が多いという特徴がある。
逆に広葉樹は樹皮が一部の種類を除いて剥がれにくく、成長に時間が掛かるので年輪がくっきり残る事が多い。
ただ、ファンタジー世界でこの法則が通用するのか正直わからん。だから頭の片隅に留めておく程度が一番かもな。
ちなみに現実では新聞紙を丸めて着火材にする事をオススメされているが、この世界で紙を見たことが無いのでその方法は使えない。
パピルスはあるが毎日の料理に使える値段では無く、必然的に各家庭で自作する事になる。
こんな時にあると便利なのが──フェザースティックだ。
作り方は簡単*1。ニードルウッドの落とすブランチにナイフを入れ、薄く毛羽たたせるだけ。現実なら針葉樹の薪や枝で作るのがオススメだ。
焚き付け材として使うなら、毛羽たたせた反対側を適当に削り出せば良いので一本あれば良い。うーん、便利。
まぁ、ファンタジー木材なんだが。
このブランチ、実は広葉樹と針葉樹の利点を両方持ってる疑惑がある。
原作で語られていた鍛冶に使えるという言葉を信じるならば、ブランチは広葉樹の筈*2だ。
だが火の燃え上がり方は針葉樹の薪に似ている。にもかかわらず、可燃時間は白炭並み。名前は
WEBの方ではワンドをドロップしたウドウッドだが、この世界だと薪を落とす気がする。下手すりゃ木炭の可能性すらあるぞ。
ノンレムゴーレムのボスであるレムゴーレムが岩を落とすのだ。家庭に優しい魔物も居るだろう。たぶん。
そんな事を考えている内に準備完了。火はまだ着けない。
「これが煮込み料理に向いた組み方だ。グロリアはもう一つの竈で組んでみろ。メロー、書けたか?」
「はい。大丈夫です」
メローが見せてきたパピルスを上から下まで眺め、しっかり書かれている事を確認。……大丈夫だな。
「それじゃ下拵えに移るぞ」
まず最初にビーツ?らしき野菜をよく洗う。葉が付いてるヤツは切り落とす事を忘れずに。
続いて皮付きのまま鍋に入れ、被るぐらいの水*3と少量の酢と塩を入れる。そして火口*4に着火。
「沸騰しても薪は弄るな。吹き零れそうになったら差し水で押さえろ。この時、鍋に蓋をしては駄目だぞ?土っぽい香りが籠るからな」
「はい。注意事項として書いておきます」
「おう。ちなみに竹串が刺さるまで茹でなきゃならないんだが、大体
数や大きさで前後するが、大体それぐらい掛かる。もちろん俺が見たサイトの謳い文句はビーツの下拵えは簡単です!だった。何処が簡単なのやら。
「そ、そんなに茹でる必要があるんですか……?」
「逆に
サイトで紹介されているレシピ通りに作ったのに、土臭かったりカビ臭かったりするのはこれが原因だ。
面倒なら大人しく缶詰に入ったビーツを使う方が賢い。この世界には缶詰自体が存在しないので、諦めて一から自作するしか無いが。
ただ待ってるだけでは暇なので、その間に説明しておくべき火の状態を見せておく。
「これが
「はい」
「この状態を作り出すコツは投入した薪を弄らない事。織火は煙が少なく、火力が安定している。煮込み料理を作る時はこの火を維持する事が大切なんだ」
「薪が燃えていませんが、それでもちゃんと火が通るのですか?」
「詳しい説明は省くがちゃんと通る。燃え盛る火が強火だとしたら、これは弱火と呼ばれる状態だ。厚切り肉を焼く時にも使えるからついでに書いておけ」
「はい」
この織火を維持するコツは、薪を投入する時に薪と薪の間を空けず、くっつけて空気の通りを悪くする事だ。
入れる数は二、三本で良い。あまり入れすぎると竃の温度が下がり、不完全燃焼が起きてしまう。
ツマミを捻るだけで火が着き、火力調整も楽な現代っ子は覚悟しておけよ。想像以上に異世界は不便だぞ。
──体感時間で十分ほど経過した時、事件は起きた。
「……マジかよ」
試しに竹串を刺してみたら普通に刺さった。どうやらビーツ?もファンタジー食材だったらしい。
「どうなさいましたか?」
「下拵えの時間は
「分かりました」
茹で汁は全て流しに捨て、しっかり洗う。これを怠ると土臭い匂いが次の料理に移るから注意だ。
「それじゃ後は昨日と同じ様に頼む」
「最後までお作りにならないのですか?」
「下拵えだけでどれくらい味が変わるか、知っておいた方が良いだろう?」
ぶっちゃけ、ここから先は昨日と変わらないし。
肉を炒める時に包丁で潰したニンニクを入れたり、コンソメ代わりに竜皮を入れたり、改良出来る点は幾つもあるが、それをやるとしたら自力で食材を手に入れられる様になってからだ。
特に竜皮はドライブドラゴンに勝てないと手に入らない食材だしな。今の俺達だと高級食材過ぎる。
「……分かりました。メローさん、火は私に任せてください。代わりに調理の方をお願いしますね」
「はい。頑張りましょう」
二人が気合いを入れて調理する姿を肴にワインで喉を潤す。他人が働いてる時に飲む酒は最高だな。
それから十五分後ぐらいにボルシチが完成した。
お味の方は──まぁ、二人が昨日のボルシチを泥のスープと呼ぶぐらいには美味かった。
◇