俺が焼き立てのパンに拘る事には理由がある。
これは異世界転移した人間からの忠告になるが、中世ヨーロッパ風の世界に現代の小麦粉の品質を求めるのはやめた方が良い。
何せ挽く環境が悪すぎて埃や砂が混じるからな。さらに小麦粉の皮も混じっている事なんて、稀に良くあるを通り越して
酷いところなんざ故意に砂を混ぜ、重さを嵩増しするところもあるぞ。作物の出来が悪ければ、善良な商人すらも生きる為に行うぐらいだ。覚悟だけはしておけ。
そんな小麦粉から作られたパンが美味しい訳が無く、焼き立てならまだしも冷めたら乾パンより不味くなる。
酷い時にはスープに浸さないと食べられたもんじゃないレベルだ。それぐらい硬く、不味い。
そしてトロムソは小麦が育ちづらい北の大地という立地故に、ライ麦も選択肢に入る。というか基本は小麦とライ麦のブレンドだ。
博識な人間はドイツのミッシュブロート*1を思い浮かべたかも知れない。
そんな君にこの言葉を送ろう。
異世界を舐めるなよ。
現代以下の劣悪な環境で挽かれ、現代より改良されていない小麦とライ麦のパンだ。そんな美味しい物になる訳が無い。
安いパンはそれこそ硬く、もそもそしていて、時々砂を噛んだ様な食感のある、酸味のある堅焼きパンだ。夢も希望も無いぜ。
日本人には馴染みは無いが、そば粉と小麦粉をブレンドしたパンも普通に出てくる時もある。小麦の生育が悪い地域は特にそれが顕著だ。
纏めると、パンが小麦粉で作られているという考えは甘えだ。品質についても高望みは現代との落差に心が折られる。
日本ですら衛生管理の概念は明治に入ってからと言えば、中世に望む物では無いと理解出来ると思う。
ここまで言えば、俺が何時も買ってる七ナールのパンの正体が気になってくると思う。
別に隠すほどの秘密はない。ただ納品された砂や埃混じりの小麦をザルや手作業で取り除き、パンを焼いてるだけだ。
もちろん現代より小麦自体の品質が悪い故に味の方はお察しだが、それでも安いパンよりは全然食べられる。冷めてもそこまで硬くならないしな。
ちなみに第四ランクのコボルト層のボス『コボルトイェーガー』が落とすコボルトフラワーは、現代に勝るとも劣らない品質の小麦粉だったりする。
もちろんお値段も凄まじいぞ。買値は一つ百六十ナール、売値は一つ四十ナールの代物だ。100g程度しか入ってないのにな。
ホットケーキ一人前しか焼けない程度と言えば、量の少なさが伝わるだろう。もちろん普通のパン屋が常用出来る訳が無い。そんな事すれば普通に破産するか、パンの値段が跳ね上がるわ。
まぁ、ここまでの流れで理解出来たと思うが、俺がパン屋の開店時間と夕食用のパンの焼き時間に合わせて動いているのはこれが理由だ。
コボルトフラワーを手に入れたらパン屋に多めに持ち込んで、俺の為だけに迷宮産の小麦粉を使って焼いてもらう覚悟すらある。
それぐらいスープに浸さないと時間の経ったパンは食えたもんじゃない。サギニの主食だったらしいが。
◇
「それでは行きます」
メローが机の上に置いてあるダマスカス鋼の額金にカードを合成する。なんかついさっき見た光景な気もするが、せっかくアリのカードが手に入ったしな。やらないと勿体無いだろう。
スキル 毒耐性 空き 空き 空き
「うん、ちゃんと出来てるぞ」
「……ふぅ。上手く行って良かったです」
メローが椅子に体重を預け、安堵の溜め息を吐き出す。そこへ人数分の御茶を持ったグロリア達がやって来る。
「お疲れ様です。上手く行って良かったですね」
「はい、本当に良かったです。御主人様を信じていますが、やはりスキル合成に失敗した鍛冶師の末路を聞きながら育った人間からすると、この恐れはそう簡単には無くなりそうにありませんね」
気持ちは分からなくも無い。今回だって失敗したら八万ナール近くが吹っ飛ぶ計算になるし。それでも俺はやらせるが。
「ところで御主人様。やっぱりこの装備は私が装備する感じになりますか?」
「当たり前だろ?一番状態異常になりやすいのはお前だし」
他にも麻痺や石化耐性を付けたいぐらいだ。
「そうですか……」
「そんなに嫌か?スキル付き装備を身に付けるのは」
「いえ、主様が私を信頼してくれている証ですし、とても嬉しいです。ただ剣と合わせれば私の価格より高いので……その、お腹が痛くなります……」
「本来なら複数スキルが付いた装備品は貴族以外はほぼ所持出来ない伝世の品ぐらいですからね。グロリアさんのお気持ちも分かります」
「おいおい、今からそんなんで大丈夫か?最終的に全員の頭と手に全部の耐性と属性防御を付けて、胴には物理と魔法ダメージ削減を付けるつもりなんだが?」
軽い気持ちでそう言った瞬間、場の空気が凍った。
「えっと、流石に冗談ですよね……?」
代表して口を開いたのはメローだ。グロリアは呆然とした表情のまま固まっている。サギニは首を捻っていた。
「冗談なわけ無いだろ。一代で貴族を目指すなら命を賭けるか、装備を整えるかの二択しか無いんだ。だったら可能な限り俺の力を利用して、装備を整えて上を目指すに決まってんだろうに」
その為にわざわざパラーまで行ってスキル枠のある装備を買ってきて、二番目の奴隷にドワーフを選び、五日ごとのオークションに参加してカードを集めているんだ。それ以外に何があると?
「…………私、何処か御主人様の言葉を甘く受け取っていました。私を買ったのも気まぐれか、容姿を気に入ったからだと」
「確かに容姿は選り好みしたが、気まぐれでは無いぞ。一番奴隷に竜人、二番目にドワーフを選んだのは本気で貴族を目指しているからだ。そうじゃなかったら今頃グロリアだけを愛でて過ごしている」
二人で暮らす分にはデュランダルで適当に乱獲すれば良い。それだけで老後を贅沢に過ごせる額は余裕で稼げる。
わざわざ危険を冒してまで上の階層に潜る必要は無いのだ。貴族にならないならな。
「っと、そろそろ午後の探索時間か。俺は先に行って装備を出しておく。気持ちの整理が着いたヤツから来い」
一人席を立ち、倉庫を目指す。
まだ俺一人で何とかなる階層で良かった。そうじゃなかったら、今日は休みにしないと不味かっただろうな。