──春の季節 四十九日目
「一晩経ったが、気持ちの整理はついたか?」
朝食を終えた何時もの食休み。御茶を飲みながら問い掛ければ、返ってきたのは曖昧だが何とか現状を受け入れようとしている言葉だった。
「正直言えば、未だぼんやりとしか。主様が貴族になる事を疑った事は一度もありません。ですが、自身がその英雄譚の一員になれるとは今でも思えないのです」
グロリアは迷宮で片目を奪われているし、迷宮の怖さを俺以上に知っている。奴隷として長年潜った経験もあるしな。
だから何処か他人事の様に感じていたのも仕方無いのかも知れない。──そこで終わる様な女なら、俺の一番奴隷は名乗れないが。
「ただ、貸し与えられる装備に相応しい成果は出そうと思います。それが主様の栄達に繋がる事だけは間違いないですから」
「今はそれで良い。何処かの迷宮を討伐するまでは夢物語だしな」
未だ十五層辺りまでしか潜った経験の無い探索者の言葉だ。そりゃ、すぐに信じると言うのは無理がある。
「私は探索と並行して元貴族としての経験を纏めておこうと思います。出来損ないでしたが、貴族としての教育はしっかり受けてますから」
「おう、頼んだ」
地球の歴史を知ってる身としては、統治という観点において古代ローマほど素晴らしい教本は他に無い。
政治、法、流通、建築。その全てが現代の基礎となった偉大なる大国だ。
異なる手段や方法であっても、最終的には同じ目的地や結論に辿り着くことを意味する古代の格言。
過程を重視するのも大切だが、インフラに関して言えば未来から先取りしても構わんだろう。
ヴィルゴ水道なんて古代ローマ帝国崩壊後の約千年後に再築されて未だに一部は現役なんだぞ?
トレヴィの泉*1は観光地としても現在進行形で活躍中だ。
為政者としてこれほど誇らしい成果は他に無いだろう。
(……おっと、不味い不味い。思考が皇帝になっちまった)
俺は貴族になりたいが、皇帝になりたい訳じゃない。
そこらへんの誤差を埋める為にもメローの知識は助かる。油断するとこの世界に見合わないレベルまで文明を上げちまうしな。
迷宮という不確定要素を抱えている以上、それはどう考えても悪手だ。あくまでも俺の死後でも維持出来る程度の知識に留めなければならない。
これが知識チートの弊害って奴か。流石、異世界。能力をこんな形で封印してくるとはやりおるわ。
「えっと、私ももっと頑張ります?」
「うん、サギニはそのまま頑張ってくれ」
首を捻るサギニに皆で癒される。何だか分からないが、取り敢えず何かを言わなきゃ駄目なのかな?的な雰囲気がありありと見える発言だ。
俺のパーティでは最年長なんだが。
◇
新迷宮の前はここ最近の熱気の無さが嘘の様に盛り上がっていた。どうやら昨日の
その光景を呆然と眺めていると、何時もの冒険者が嬉しそうな笑みを浮かべてこちらへやって来た。
「おう!遅かったな!熱意のある奴等はもう潜ってるぞ!」
「そうみたいだな。これじゃ潜ってる間に次の階層が開いてそうだ」
探索者同士が迷宮でかち合った場合、基本的に別の道へ進んでいく。一本道だとしても次の分岐で分かれるか、魔物に捕まった時に追い抜いていくのが普通だ。
今回の場合、モンスターハウスへの警戒もあるので、群れは共闘する形で進んでいるんだろう。やはり数は力だ。
まぁ、共闘と言っても三パーティ十八人程度だろうが。
「その懸念は間違ってないぜ?すでに七層まで開いてるからな」
「俺達が探索を終えてからもうそこまで開いたのか。凄げーな」
「分岐ごとに分かれていけばそうなるさ。ま、ギルドが望んでいた本来の形に戻っただけなんだが」
「ギルドの想定より探索者の民度が低すぎたからな。仕方無い面もある」
抜け駆けするならもっと高額になる高層からだと俺も考えていたし。
「そこを含めて考えないといけないのがギルドマスターだ。地位に見合う権力に相応しい動きはして貰わないと困る」
「厳しいな、と言いたいところだが同感だ。何せここは直轄領だしな。ギルドマスターのミスで割りを食らうのは勘弁だ」
「ここの統治を任されている代官もそう思ってるだろうぜ」
……あぁ、目の前の冒険者は法服貴族みたいな物なのか。自分が解放した領地は国に任せ、自分は迷宮討伐に精を出す。
学の無い人間を領地経営に関わらせるのでは無く、貴族としての地位はちゃんと与えるし、保証するが、国の戦力として各地へ派遣する。
地球では高度な知識持ちの平民を法服貴族として扱ったが、こちらでは
実際に領地経営するのは貴族になる事を後押しした派閥から送られた人材や国から派遣される代官で、自身の血筋が領地経営に携わるのは育てられた子からになるのだろう。
もしくは子に学ばせる為の教育機関があるかも知れない。
ここらへんの知識不足を考えると、やっぱりメローの受けた教育は大事だ。貴族の常識すら分からないと対処出来ない事が多すぎる。
「おっと、くだらない話で時間を取っちまって悪かった。あんちゃんが望むなら現状の最上階まで案内するがどうする?」
「間の階層もお願いできるか?なんなら金も出すが」
「了解だ。金は要らん。俺もコイツも別のところから貰ってるしな」
「そうっすね。これも仕事なんで」
「そうか。それならお願いする」
パーティ編成の呪文を唱え、五層、六層、七層の順番に案内して貰う。そして礼を言ってから除名。
「中間層の敵を見て来るから少し待ってろ」
グロリア達にそれだけ言ってダンジョンウォークを発動。五層の敵を一目だけ見て七層に帰還する。
「五層はミノだった」
「御主人様が居ない間にこの階層の敵を確認しておきましたが、七層はニートアントでした。ウサギも確認出来たので、六層はウサギになりますね」
「了解」
鞄から取り出したA4サイズの本に書き込んでおく。後で纏めて提出だな。
「それにしてもアリか。出来ればカードが欲しいところだが……」
軽く耳を澄ませるだけで聞こえてくる戦闘音。こんな近くですら戦闘が起こってる以上、敵の乱獲は厳しいと判断するしか無い。
「サギニ、案内よろしく。人の匂いがしない方だ」
「かしこまりました」
ここからは運勝負か。あっちの世界なら負けた事は無いが、こっちの世界だと分が悪い記憶しか無い。
全く……思い通りに行かない世界は最高だぜ。
◇
行く先々で探索者が駆け回る光景を目にしながら人の居ない方へ進んでいく。
現在までの間にモンスターハウスは一つも見付かっていない。敵も二体までしか湧かない階層なので、戦闘時間は秒で終わる。──つまり、だ。
「……流石に集中力がもたん」
「モンスターハウスですら主様一人で十分でしたからね……」
迷宮を散歩するついでに
「どうしましょう?一度帰還しますか?それとも別の迷宮へ向かいますか?」
「んー……」
俺達が一番ボス部屋に近い可能性もあるし、一番遠い可能性もある。取り敢えず一番端まで探索してみるのもアリだが、すでに次の階層が開いているなら時間の無駄になる。
この悩んでる時間すら勿体無いのだが、取り敢えずの指針すら無いのが困りもの。
「ま、困った時は俺が信じる神様に聞こうか」
ピンッ!と弾いた銅貨を手の甲で受け止め、左手で押さえる。
「表だったら帰る。裏だったら続行だ。──表か」
よし、帰ろう。迷った時はこの手に限るぜ。