都市のように広い仙境楼閣、【亀甲楼】。
宿泊する条件は、
故に稀なる犯罪者をも引き込んでしまい、それは悲惨極まるトラブルを産む。
──とはいえ、区画ごとにルールが決められており、無法地帯と定められた区画での自由を保障する代わりに、平和な区画においては一切の危険行為を禁じていた。
この仕組みによって辛くも均衡を保たれていたこの宿だが、『治安スタッフが手薄になる』という情報が流れた事で、犯罪者たちの反乱が起きた。
聖女アルヴァの前に現れた新たなる犯罪者は、【死に至る楽園】と呼ばれる老人を始めとした、名だたる悪党外道たち。
少年たちを守り、客を救うため、聖女は事態の解決に挑む。
「コレ、分かるか?」
巨漢が、ドス黒い腕を突き出す。
剥き身の刃が本能的な恐怖を呼び覚ますように、その腕は見ただけで背筋を寒からしめる存在格があった。
「俺は【悪魔の左手】って異名の通り、受肉した悪魔の左腕を移植してる。
知ってるか?お前ら聖職者が悪魔と呼んでる奴らのほとんどが程度の低い悪霊!
本物の悪魔は、神ってのと大差ない上位存在なんだぜ!!」
誇るように高らかに吼え、一転して低く呟く。
「…だからこそ、アンタを抑えるのに俺が宛がわれたって訳だ」
「愚策の極みね…よりによって、この私を悪魔の力で倒そうだなんて!」
アルヴァは前方に浮かばせたカードの1枚をめくり、見せつける。
「…お前を裁くのは、コレよ。【終末の神判】」
カードは塵となり、頭上に光の魔法陣を形成した。
「ハ、神聖術か!…こちらも言っておこう。
悪魔の前で、聖なる力を行使するとはなァ!!」
黒い左腕で身体を庇う。
「この腕は悪魔王のモノ。
専門家なら、悪魔の権能は知ってるだろう?」
「…”契約”でしょう、それがどうかしたの?」
「この腕に宿る契約は【復讐】!
『虐げられし時、必ずや報復する』という誓いなんだよ!!
俺に痛手を与えれば、それはそのままお前へと返る…!」
「だからそうやってベラベラ説明してくれる訳ね。
契約魔術は、事前に詳しく説明すればするほど、強制力が増すから…」
「そういう事だ。中途半端な神聖術を行使してみろ。
その破壊力は倍になって貴様に返─」
「アホか」
光の豪雨が、巨漢の全身を貫いて焼き尽くした。
「ぐぁばばばばばばばばばッ!!?」
「聖女の使う神聖術が、中途半端な訳ないでしょうが」
悪魔の腕は跡形も無く消滅していく。
復讐契約による反撃も、一撃で死ねば無意味だ。
「く、この術は…大儀式級!?」
他の敵が、慌てて範囲を抜け出す。
対悪魔の術とはいえ、この威力なら人間でも死にうる。
「これほどの極大魔法を、詠唱も無く片手間に…!
いやはや、さすがは聖女と言ったところ!」
「言ったでしょう。これは神の裁き。
お前たちはただ頭を垂れて、厳かに罰を受け入れなさい」
「…驕るな、女」
仮面と黒衣の男が、大太刀を抜いて斬り付ける。
アルヴァは気功で強化した腕で受け止めた。
「ほう、気を扱うか。それなりに鍛えてはいるようだ。
…だが、所詮は付け焼き刃だな!」
腕に刃が少し斬り入って、血が噴き出る。
「ッ…痛ぇんだよ消えろ!!」
仮面の剣士を蹴り飛ばし、距離を取る。
もう1人の敵である痩せぎすの男は、ニヤニヤと見ているだけだ。
そして老人はゆっくりと、アルヴァの脇を通りぬけようと狙っている。
(3対1なんて屁でもないけど、1人1人が無駄に強くて嫌だな。
こんな狭い廊下で、周りを巻き込まずに戦うなんて…)
「貴様らの信仰する神とやらに、その大層な術を与えられて舞い上がったか?
だが小賢しい術など俺には通じん。術が無ければ聖女もただの小娘だ」
その特殊な剣技には、切断した魔術を即座に機能停止させる力があった。
彼はその神秘殺しの秘剣をもって、10か国以上で名高い魔術師たちを殺害してきたのだ。
(舞い上がってる訳ないでしょ…!
私の術の限界は、私が一番分かってんのよ!)
しかしアルヴァは怯むどころか怒りを露わにした。
彼女の術【天命占術】は、シュハラ教の主神から夢を通じて授けられたものだ。
強力な術を封じ込めたカード40枚のデッキから、ランダムな5枚を手札とする。
そしてこの術を使うには、特殊な魔力【神聖マナ】を消費する。このマナは5からスタートする…
…などと、極めてややこしい
そしてアクションを起こすには、短い詠唱が要る。
「…『
手札1枚を消費し、神聖マナを足す。
(え~と、これでマナは7になって…手札が0枚になったら5枚ドローできるから、使い切った方が良くて…)
そんな事を考えながら、同時に敵と素手で戦う事を強いられる。
いくら神から授けられた術とはいえ、彼女以外には使いこなせぬだろう。
「行け、【紅竜の怒号】!!」
凄まじき炎が剣士を呑み込むと同時に、聖女の手の甲に炎を模した紋様が刻まれる。
ここにカードのテキストを明記しておこう。
【紅竜の怒号】 コスト5 火
・火炎で広範囲を焼き尽くす。
その後、プレイヤーに火の刻印を3つ置く。
このプレイヤーとはアルヴァの事であり、
「竜の炎の味はどう!?」
「…効かんな!!」
剣士は炎の渦をカーテンのように切り裂き、迫ってくる。
「次の術はどうした?いつまでも避けられると思うなよ!」
「くッ…『来たれ』!『我が魂を救い給え。そして赦し給え』!」
5枚の手札が展開され、1枚をマナに変える。
(クソッ…手札事故った!これも神の試練か…!)
内心の焦りをおくびにも出さず、カードをめくる。
「【静寂の水瓶】!」
2枚のカードから、2つの水の球を生み出す。
【静寂の水瓶】 コスト1 水
・水の球体を空中に設置し、その後1枚ドローする。
(コレでカード引いて…よ~しよし、良い引きだ…コレならイケる!)
続いて発動したのは、【霧中の幻】。水の球体を霧に変えて爆発させる。
「目晦ましか。それも無駄だ」
人影めがけて大太刀を振るうと、霧諸共に切断された。
…そこにアルヴァの姿はない。
「…何?」
【霧中の幻】 コスト3 水
・水を使用し、霧に変える。霧の中に幻を投影する。
「隙あり。…【氷獄の魔槍】!」
冷気が凝集し、水の球を大きな氷の槍に変えた。
槍は剣士目がけて猛然と射出される。
「下らん!我が刃はあらゆる術式を切り裂く!
貴様が魔術師である以上、この俺には勝てぬ…」
そう言って巨大な氷槍を切断するが、刃が槍に触れた瞬間、爆発して周囲を凍らせた。
大太刀を握る腕もろとも、足まで凍り付いて動かない。
「ぐぁあああ…ッ!?」
「お前は自分の技を鼻にかけ、魔法攻撃を斬って無効化しようとする。
絶対引っかかってくれると思った」
【氷獄の魔槍】 コスト3 水・風
・氷の槍を生み出して射出し、着弾点を凍結させる。
発動時、水を使用して凍結範囲を拡大できる。
「馬鹿な…魔術であれば、俺に斬られた時点で無力化されるはず…!?」
「ゲームのルールは神が決め給うたモノ。カードの効果は絶対よ。
術そのものは斬れても、無力化までは出来ないの」
これが聖女の力の最も強力な点。”ルールの強制”だ。
世界で最も多く信仰されるシュハラ教の主神、その権能を上回らぬ限り、誰であろうとルールを無視できないのだ。
「『来たれ』。『我が魂を救い給え。そして赦し給え』。
…さて、もういいでしょう。【宿命の刃】!」
「おのれ貴さ…ッ」
空中に斬撃が発生し、剣士の首を刎ねた。
「はい、おしまい。さぁ、次はどちらが……げッ!?」
突然燃え盛る竜巻が目の前に生じる。
「あちちちちちッ!?」
「では、私の相手をしてもらおう!!」
痩せぎすの男が放ったその魔法は、聖女の戦いでも壊れなかったホテルの壁に激しい傷を刻んでいく。
「ちょ…っと、嘘でしょ!?ぎょえーっ!!」
そして床もろとも崩壊し、アルヴァと男は落下していった。
依然として、炎の嵐は消えずそこにある。
「いやはや…あの方は少々やり過ぎる。
とはいえ、この宿を破壊できる術師はあの方くらいでしょうが…」
老人が、立ち尽くす2人の少年を見る。
「…よろしければ、どいていただけるかな?」
聖女と犯罪者たちの戦闘が始まってから、キルエは静観を続けていた。
(凄いな…戦いながらも俺たちに被害が及ばないように動いてる)
(俺らの立ち入れる戦場じゃねぇなコレ)
チンフイは無力なぶん余計にそう感じ、微動だにしない。
そして目線で会話し始める。
(お前行けよ)
(行きませんよ。死ぬし)
(でも、身を守るくらいの戦闘能力はあるんだろ!?)
(身を守れるってのと、戦えるってのは大きく違いますよ)
((…………))
2人は沈黙し、戦いの成り行きを見守る。
聖女と剣士は恐ろしい速度で戦っており、どちらが優勢なのかも分からない。
「お前さ」
チンフイがはっきりと声に出して問う。
「今すぐ部屋に逃げ込みたいって思ってるだろ」
「ええ、まぁ。もう目の前にあるし」
「お前な~、あの人は俺らのために戦ってんだぞ?」
「そりゃ良心は痛みますけど!
…でも貴方もそう思ってるでしょ?」
「まぁな。良心は痛いけど」
部屋に入れば、とりあえずの安全は確保される。
どうやら宿泊部屋は特別強固に出来ているらしく、敵が部屋そのものを封印しようとしている事が、その証拠とも言えた。
「でもよ、部屋に入ったところでその場凌ぎだよなぁ。
お前は戦えるからいいかもしれないけどさ、俺は悲惨だぜ?
戦うどころか、マジで何にも出来ないんだから」
「戦えるかどうかは微妙でしょ。武器も今ほとんどないし…。
俺は特別強いって訳でもないんすよ」
「でも、戦えるじゃん!
ウチ退魔の家だろ?俺以外みんな戦えんの。
無力感キツいんだよな…鍛えるのもめんどくさいけど」
「力なんて…思わぬ事で手に入るもんですよ。努力せずとも。
それに、俺は聖女ってのがどんなのか具体的に知らないけど、超強いんでしょ?
そんな人が負けたとして、俺らに何とかできる訳ないでしょう!」
「そりゃそうだけど…あの人を見捨てるのかぁ~…気が引けるな、さすがに。
だって、あの人…良い人だろ?俺らの事守ってくれてるし」
地獄のような森や戦場を知っているキルエと違い、チンフイは良心による躊躇いが強かった。
だが同時に、『いざとなったら絶対見捨てて逃げるだろうな』という諦めに近い確信もあった。
「どうせ…俺は聖女様を平気で裏切って逃げられる。
良心はめちゃくちゃ痛むけどよ」
「俺も…そうですね。ちょっと申し訳ないですが」
どれだけ親しい相手でも、良心を無視して平気で見捨てられる…そんな彼らの性質は利点でもあるが、自己嫌悪の種にもなっていた。
誰でも切り捨てられるような人間が、友など作るべきではない…と。
「あ~あ、お前の事なら簡単に見捨てられるんだけどよ」
「し、失礼ですね!俺だってそうですよ!」
2人の心は、奇妙に通じ合っていた。
目の前の少年がもし危機に遭っていたとしても、一切良心の呵責なく見捨てられる。
その安心感だった。
「なぁ…コレもう友達って事でいいんじゃないか?」
「はい……えっ!?このタイミングで!?
今の友情深めるイベントでしたかね!?」
「でも多分、俺たち同じ事考えてるだろ?」
「そりゃまあ…じゃ、いいのかな?」
友情と呼ぶにはあまりに希薄な関係。
だがそこには、彼らが今まで感じた事のない他者との繋がりがあった。
((ま、いざという時はコイツを捨てて逃げるけど…))
2人の心が重なったちょうどその時、眼前が劫火の渦に染まった。
「…ぅおおおおッ!?」
「熱っ…あっちぃ!!」
凄まじい熱と同時に眩い光に照らされ、1つの影が浮かび上がる。
小柄な老人の影だ。
聖女の姿は無い。
「…よろしければ、どいていただけるかな?」
キルエが真っ先に白旗を上げる。
「すいません!俺ら部屋戻って大人しくしてます!
なんで勘弁してもらえませんか!」
「…構いませんよ。私としては、部屋を封印できればそれでいいのですから」
老人は鷹揚な笑みで許可した。
「だってさ。さっさと部屋に戻りましょう…」
「そ、そうするか!うん!」
2人は慌てて、じりじりと後ずさる。
(部屋から出られないように封印されても、それを解く術はある。
ここは大人しく引き下がるのが吉…)
老人が不意に接近し、チンフイを杖で殴った。
「おごッ…!?」
「えっ!?」
うずくまったところを掴まれ、締め上げられる。
老人はチンフイを拘束したまま、キルエを睨む。
「そちらのキミ。なにか隠してますね。
私の封印をどうにかする術を使えるようですが…」
「え?お、俺ですか?
…な、何言ってるんですか、俺は別に…!」
「ああ、隠さずとも結構。心を見抜く術です」
チンフイの喉を、杖で押さえて締める。
「がはッ…うう…ッ」
「お友達を失いたくなければ、我が封印を解く手段を教えなさい。
沽券に関わるのですよ、生涯を懸けて磨いた封印術を解除する手段があるなどと」
「いや…そ、それは…」
更に締め上げを強くする。
「がぁあああ…ッ」
「結界は、私にとって魂の芸術なのです。
それを破るなど、決してあってはならないことなのですよ!
さぁ、早く!」
(何だコイツ…イカレてんのか?
本当に心を読めるなら、俺がそいつを見捨てると分かるはずだろ?
って事は、何か仕掛けがあるのか…?)
キルエが動きを決めあぐねていると、老人が薄く笑う。
「…なるほど、人質は無意味ですか」
老人が消え、チンフイが倒れた。
「あァ…!?」
「ならば、貴方の身体に聞くとしましょう!」
背後から振り下ろされた杖を、キルエはとっさに躱す。
(コイツ、早ぇ…!?
仕方ない。負荷は掛かるが全速力で一気に殺す!)
両足に力を込め、仙人の歩法を構える。
半神の戦士アルキュオードすら見切れなかった高速移動。
もちろん強化されていたあの時とは比べ物にならないが、それでも老人の速度を上回っている─
「させませんよ」
「……ッ!!?」
だがどういう訳か、老人の杖を叩き込まれ、転倒していた。
「貴方はどうやら、足の速さがご自慢のようだ。
ならば最高速度を出す前に潰すまで」
(…このジジイ、普通に強いんかい!!)
走り出そうとしても、初速の段階で杖を繰り出され、防戦を強いられる。
「私は無力な方を餌食にするのが好きですが、だからといって私自身が無力という訳でもありません」
「クソッ…この、ジジイ、が…!!」
老人の繰り出す一撃は比較的軽いが、少年の身体には充分なダメージを蓄積されていく。
(ちくしょうッ…休むためにここに来たのに、なんでこんな目に遭ってんだ…ッ)
「趣向を変えましょう。こんな封印術はいかがです?」
キルエの頭を掴んで壁に押し付け、杖で地面を叩いた。
すると…キルエの身体が影に沈んでいく。
「うッ…!?」
「影の中に封印してあげましょう。後でゆっくり話を伺うためにもね」
「ぐ、ううううう…ッ」
必死に抵抗しながら、ふとチンフイと目が合った。
チンフイは、キルエが襲われている隙に逃げようとしていた。
(アイツっ…ホントに薄情だなぁ!)
だが実際は、見捨てられようがどうでもよかった。
むしろ清々しいとすら感じていた。
(それでこそだ。俺もお前も、そういうろくでなしだもんな)
思わず微笑んだが、そのせいで一瞬意識が緩み、体勢が崩れた。
半身が影へと潜っていき、踏ん張りが効かなくなる。
「うわ、わわわわッ…!」
「大人しくしなさい。年寄りの言う事は聞くものですよ」
壁に血が滲むほど腕を叩きつけ、必死に逃れようとする。
「……ドンドンドンドンうるっせェよ!!」
扉が勢いよく開き、大男がのっそりと頭を出す。
「…あ」
「お前ら!何してるか?」
男は鉄仮面からため息を漏らす。
「やれやれ、もう1人お出でになるとは…」
「ジジイ。邪魔」
大木のような足が、前蹴りを老人に叩き込む。
小柄な身体が大きく吹き飛ばされた。
「く、はァ…ッ!」
「今、そいつらと話してる。どけ」
〈つづく〉